スサノオノミコト(素戔嗚尊)とは|神話(ヤマタノオロチ等)、ご利益等を解説

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スサノオノミコト(素戔嗚尊)とはどんな神様か

スサノオノミコト(素戔嗚尊)という名前を聞いたことある人も、何の神様か、ご利益は何があって、どの神社に祀られていると言うことを知る人はあまりいないのではないでしょうか。

スサノオノミコト(素戔嗚尊)は一言で何の神様か表せない

スサノオノミコト(素戔嗚尊)を一言で何の神様かと表現することはできないほど、様々な面を持つ神様です。

最高神のアマテラスオオミカミ(天照大御神)の弟として誕生し、

一面には、猛々しい猛将ヤマタノオロチを退治した神様として描かれ、

家族を思う優しい心の持ち主であり、

日本で始めて和歌(恋を綴った歌)を歌った風流な神様で、

日本の国造りをする大国主命を鍛え日本の建国にも関わる神様

等々、スサノオノミコト(素戔嗚尊)と言う神様は日本神話の中で特に記述が多く、多くの物語を持つ神様です。

今回はそんな様々な面を持つスサノオノミコト(素戔嗚尊)の、神話の記述や日本での信仰の中での姿を解説し、「スサノオノミコト(素戔嗚尊)とは何の神様か」を紐解いていきたいと思います。

スサノオノミコト(素戔嗚尊)のご利益・御神徳

スサノオノミコト(素戔嗚尊)を祀る神社はたくさんあり、様々なご利益御神徳があるとされていますが、特に一般的に有名なご利益は、

  • 縁結び
  • 厄除け
  • 子孫繁栄
  • 家内安全
  • 商売繁盛
  • 学問上達
  • 五穀豊穣
  • 病気平癒
  • 水難除け
  • 火難除け
  • 病難除去

これらがあります。

日本神話で描かれる様々な一面から、様々な御神徳があると考えられ、日本各地で祀られています。
スサノオノミコト(素戔嗚尊)を祀る有名な神社は後程、ご紹介します。

スサノオノミコト(素戔嗚尊)のご神格

  • 軍神
  • 和歌の神(学問の神)
  • 幽界・冥府の神
  • 豊穣の神
  • 荒ぶる神

スサノオノミコト(素戔嗚尊)の別名・漢字別表記

スサノオノミコト(素戔嗚尊)は今回、一般的に利用される漢字表記の「素戔嗚尊」を本文では利用しますが、古事記や日本書紀では様々な漢字表記が見られます。

また、時代が下り、様々な神様と同一視、特に神仏習合という仏教の神様と同一視されるようになり、別名も多く見受けられるようになります。

建速須佐之男命

古事記の漢字表記では素戔嗚尊ではなく、建速須佐之男命(タケハヤスサノヲノミコト)と表記されます。

名前の由来には様々な説があり、答えというものはありませんが、「建、速」という漢字には、神の持つ武・威力を意味するとされ、「スサ」という言葉は「荒ぶる」を意味するというのが一般的な理解です。

ちなみに、素戔嗚尊という表記は日本書紀で利用されるものです。

他にも、様々な文献で、須佐乃袁命、須佐能乎命と言った表記もされています。

また、日本では様々な信仰が広がったことで、スサノオノミコト(素戔嗚尊)は様々な別名を持つようになります。

祇園信仰では、祇園様・八坂様

神仏習合で、牛頭天王(ごずてんのう)・天王様

熊野信仰で、證誠大権現・家都美御子大神

こういった別名もあります。

スサノオノミコト(素戔嗚尊)の家系図

スサノオノミコト(素戔嗚尊)はイザナギノミコトから生まれたと言う表記と、イザナギノミコトとイザナミノミコトの間に生まれたという表記と、古事記と日本書紀で分かれています。

さらに、スサノオノミコト(素戔嗚尊)の子や子孫は多く、すべてを書き出すとかなり複雑ですので、簡易に古事記の表記を元に家系図をご紹介します。

スサノオノミコト(素戔嗚尊)家系図

子供に宗像三女神やお稲荷様も

スサノオノミコト(素戔嗚尊)は実は日本で重要視される、人気のある神様の父神でもあります。

2017年に世界遺産に登録され注目を集めた「神が宿る島」で有名な、宗像・沖ノ島と関連遺産群(福岡県)に祀られる宗像三女神(多紀理毘売命、市寸島比売命、多岐都比売命)はスサノオノミコト(素戔嗚尊)の子供です。

さらに、日本で最も多い神社の稲荷神社の総本宮「伏見稲荷大社」で祀られる、ウカノミタマノカミ(宇迦之御魂神)もスサノオノミコト(素戔嗚尊)の子供として登場します。

ウカノミタマノカミ(宇迦之御魂神)は神話では全く表記がありませんので、詳しく知りたい方はこちらをご覧ください。

ウカノミタマノカミ(宇迦之御魂神)|お稲荷様/豊穣の神のご利益や神社

ちなみに、お正月に家にやってきて福をもたらす歳神様もスサノオノミコト(素戔嗚尊)の子供として神話に登場しています。
詳しく知りたい方はこちらをご覧ください。

歳神様(年神様)とは|正しい迎え方/飾り方/祀り方を知り良い一年を迎える

子孫は日本の国造りを行う

子供だけではなく、スサノオノミコト(素戔嗚尊)の子孫には、葦原中津国(日本)という地上世界に国の礎を築いた大国主命(オオクニヌシノミコト)もいます。

大国主命(オオクニヌシノミコト)は子孫と言うだけでなく、国造りという偉業を成し遂げる前に、スサノオノミコト(素戔嗚尊)の許でいじわるのようなという修行を受け、立派に成長して葦原中津国を治める力を手に入れます。

大国主命について詳しく知りたい方はこちらをご覧ください。

大国主命(オオクニヌシノミコト)とは?ご利益や神社の情報や国譲り等神話の物語も解説

スサノオノミコト(素戔嗚尊)の神話・伝説|誕生

スサノオノミコト(素戔嗚尊)が古事記や日本書紀でどのように描かれているのか見ていきましょう。

イザナギノミコトの禊祓で誕生する(古事記)

まずスサノオノミコト(素戔嗚尊)の誕生は、古事記では次のような流れで誕生します。

イザナミノミコトを失ったイザナギノミコトは、愛する妻を蘇らせるために、死者の国の「黄泉の国」に向かいます。

しかし、イザナミノミコトを蘇らせることは失敗し、地上世界に帰ってくると死者の国にいたことで穢れていると感じ、水でその穢れを祓う、禊祓を行います。

この禊祓の時に、様々な神を生み、最も尊い三柱の神(三貴神)を生みます。

左目を水で洗うと、アマテラスオオミカミ(天照大御神)

右目を水で洗うと、ツクヨミノミコト(月読命)

そして、鼻を祓うと、スサノオノミコト(素戔嗚尊)が生まれたのです。

日本書紀ではイザナミノミコトの子として生まれる

一方、日本書紀では、イザナギノミコトとイザナミノミコトの間の子として誕生します。

ちなみに、日本書紀では三貴神にもう一柱の神様が生まれていますが、不具の子であるため、海に流され子供として数えられません。
その神様は恵比寿様として知られるヒルコ神(蛭子神)と呼ばれ、スサノオノミコト(素戔嗚尊)の前に生まれています。

また、日本書紀には様々な説を本編とは別で書いているのですが、その中では白銅の鏡をイザナギノミコトが覗いて三貴神が生まれたという記述もあります。

 

三貴神の誕生や、イザナギノミコト、イザナミノミコトについて詳しく知りたい方はこちらをご覧ください。

イザナギノミコト(伊弉諾尊/伊邪那岐命)|イザナミノミコトとの神話や神社について

イザナミノミコト(伊邪那美命)とは|神社や神話のでのイザナギとの関りを解説

母のイザナミノミコトに会いたいと泣き続け追放

スサノオノミコト(素戔嗚尊)は誕生して、古事記では大海原を治めることを任されます。

しかし、「母のイザナミノミコトに会いたいよー!」と泣き続けます。
なんとあごひげが胸に届くほどの年齢になるまで泣き続けます。(神は寿命がないという設定になっています)

スサノオノミコト(素戔嗚尊)は果てしない力を持っているため、大声で泣くだけで、山や草が枯れ、海は大荒れになるのです。

イザナギノミコトがなぜ泣いているのか尋ねると、
「僕は母に会いに根之堅洲国へ行きたいのです」とスサノオノミコト(素戔嗚尊)が答えます。
※根之堅洲国は黄泉の国とほぼ同意と考えてよいです。地底世界として描かれ、根之堅洲国の中に黄泉の国があるというイメージで、死者の国と生者の国の間にあります。(死者の国と考える説もあります。)

イザナギノミコトはこれを聞いて怒り、地上世界を追放することにします。

スサノオノミコト(素戔嗚尊)の誕生の伝承地

スサノオノミコト(素戔嗚尊)が生まれたとされる場所は、現在宮崎県の江田神社にある「みそぎ池」という場所です。

この場所で、イザナギノミコトが黄泉の国から帰ってきて禊祓を行ったとされる伝承の地です。

江田神社のHP

スサノオノミコト(素戔嗚尊)がアマテラスオオミカミ(天照大御神)に会いに

スサノオノミコト(素戔嗚尊)はイザナギノミコトに地上世界を追い出されて、一度姉のアマテラスオオミカミ(天照大御神)に会おうと考え天上界である高天原に向かいます。

すると、大男であり、すさまじい力を持ったスサノオノミコト(素戔嗚尊)の移動によって山川が騒ぎ、国土は震えます。

アマテラスオオミカミ(天照大御神)は武装して迎える

この様子を見たアマテラスオオミカミ(天照大御神)は、「良からぬここを持ってやってきているに違いない。これは私の国を奪いに来ているのだ」と思い、

男装をして、八尺瓊勾玉をまとい、弓を500本担ぎ、完全武装の状態で出迎えます。
そして弟に「なぜやってきたのだ」と聞きます。

スサノオノミコト(素戔嗚尊)は、
「僕はただ追放されて、住む場所がないからここ高天原に姉に会いに来たんだ、邪心はありません!」と答えます。

しかし、アマテラスオオミカミはその言葉を信じないので、誓約(うけい)という、占いを行い自分に邪心がないことを証明しようと言います。

スサノオノミコト(素戔嗚尊)が誓約(うけい)に勝利

この占いは、アマテラスオオミカミがまとっていた八尺瓊勾玉とスサノオノミコト(素戔嗚尊)が持っていた十拳剣を天の安河という川の水の中で割ります。

それらを割ってみると、それぞれから神様が生まれ、その神様が自らの心の状態を表していて、邪心があるのかないのかを見ることができるというものです。

スサノオノミコト(素戔嗚尊)が誓約で渡した、武力を意味する剣を折ってみると、田心姫神(タゴリヒメ)・湍津姫神(タギツヒメ)・市杵島姫神(イチキシマヒメ)という宗像三女神として知られるきれいな女神が生まれます。

一方、アマテラスオオミカミの勾玉を割ってみると、天皇家につならなるアメノオシホミミと言う神を含む男神5柱が生まれます。

これをもって、スサノオノミコト(素戔嗚尊)は
「自分に邪心がないから、このようなきれいな女神が生まれたんだ、僕の勝ち!」と言いアマテラスオオミカミも高天原に滞在することを赦します。

スサノオノミコトの子とされる重要な神の宗像三女神、その中でも弁財天と同一視され金運・財運の神とされるイチキシマヒメについてはこちらで詳しく解説しています。

宗像三女神とは|ご利益や神話/伝説、祀る神社や弁財天と同一説を紹介

イチキシマヒメ(市杵島姫命)|ご利益・神社や弁財天/瀬織津姫との説を解説

狼藉を働き天の岩戸の大事件を引き起こす

しかし、高天原に住んでからというもの、スサノオノミコト(素戔嗚尊)はアマテラスオオミカミの大事な田んぼの畔を破壊し、大事な神殿に糞尿をばらまいたりとすさまじい狼藉を働きます。

アマテラスオオミカミはそれらの狼藉をを赦してあげました。

しかし、スサノオノミコト(素戔嗚尊)のいたずらはエスカレートし、馬の皮を剥いで機織りをしている巫女がたくさんいる神殿の屋根からその馬を投げ入れました。
そして、この時に不運なことに驚いた巫女の女性器に機織りの杼という道具が刺さり亡くなってしまいます。

このことに責任を感じたアマテラスオオミカミは天の岩戸という洞窟に岩の扉を閉めて結界を張り誰も開けられないようにして引きこもってしまいます。

太陽神のアマテラスオオミカミがいなくなった世界は真っ暗闇になってしまい、様々な妖怪やら幽霊やらが出てきてしまう事態に陥ります。

結局、オモイカネという知恵の神様の作戦が功を奏し何とかアマテラスオオミカミを天の岩戸から引っ張り出すことに成功します。

少し神話を知っている方であれば、アメノウズメノミコトが裸踊りをしたという神話の面白話でも有名な場面ですね。
ちなみにこの時に現在の三種の神器である八咫鏡(ヤタノカガミ)八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)が造られたことでも有名ですね。

天の岩戸の事件について詳しく知りたい方はこちらをご覧ください。
オモイカネ(八意思兼神)は知恵の神様として神話で活躍!神社へのお参りも人気
アメノウズメノミコト(天鈿女命)|踊りで世界を救う神話・神社を解説

高天原を追放される

何はともあれ、無事にアマテラスオオミカミが天の岩戸から引っ張り出され、世界に光が戻ったことでめでたしめでたしではありますが、スサノオノミコト(素戔嗚尊)は事件の責任と取って、髪を剃り、手足の爪を剥がれて、千倉の置戸という供物を納めることをして高天原を追放されます。

スサノオノミコト(素戔嗚尊)が五穀の起源を作る

高天原を追放されたスサノオノミコト(素戔嗚尊)は根の国という死者の国に向かうのですが、その途中で、大氣津比賣神(オオゲツヒメノカミ)という穀物の神様の許によってご飯をごちそうになります。

しかし、スサノオノミコト(素戔嗚尊)はこのオオゲツヒメノカミが振舞う御馳走の作り方を見てあろうことか殺してしまいます。

オオゲツヒメノカミは、自信の鼻や口、肛門という穴と言う穴から様々な穀物を生み出してそれをごちそうにしていたのです。

スサノオノミコト(素戔嗚尊)が殺したオオゲツヒメノカミの死体は目から稲が耳から栗が、鼻から小豆、髪の毛は蚕と様々な穀物になりました。

これらがカミムスビという神様によって植えられて私たちが食べている五穀になるのです。

スサノオノミコト(素戔嗚尊)が五穀豊穣の神様とされるのは、この殺したエピソードに基づくのですね。

スサノオノミコト(素戔嗚尊)がヤマタノオロチを退治

さて、オオゲツヒメノカミを殺したのち、スサノオノミコト(素戔嗚尊)は日本書紀では一度朝鮮に渡って日本にやってくるのですが、古事記ではそのまま出雲の国にきます。

そこで民家に立ち寄ってみると、泣いているかわいらしい女性と2人の年老いたおじいさんとおばあさんがいました。

ヤマタノオロチの生贄の話を聞く

名前を聞いて、泣いている理由を聞いて見ると、
「オオヤマヅミノカミの子孫アシナヅチとテナヅチと言います。こちらは娘のクシナダヒメ(櫛名田比賣)で、ヤマタノオロチという化け物の生贄に今日出ていくので泣いています」と答えます。
※古事記ではクシナダヒメは櫛稲田比売と表記してクシイナダヒメとも呼ばれます

クシナダヒメを救えば妻に迎えることを約束

スサノオノミコト(素戔嗚尊)はその話を聞いて、ヤマタノオロチを退治したらクシナダヒメを妻に欲しいと考え、嫁がせてくれるなら助けるという約束を結びます。

そして、ヤマタノオロチを退治の準備を始めます。

まずクシナダヒメを櫛にして頭につけ、おじいさんとおばあさんにお酒をを八つの瓶に入れて準備してもらいます。

そして、準備が整って、ヤマタノオロチが出雲の川上から降りてくるのを待ちます。

スサノオノミコト(素戔嗚尊)がヤマタノオロチを退治

スサノオノミコト(素戔嗚尊)はやってきたヤマタノオロチ接待します。

まず生贄を奪っていく前に、お酒をどうぞ飲んでくださいといって先ほど準備したお酒をどんどんヤマタノオロチに飲ませます。

ヤマタノオロチを酒に酔わせる

すると、お酒を大量に飲み、酔ったヤマタノオロチは眠ってしまいます。

眠った隙をついて、スサノオノミコト(素戔嗚尊)は持っていた十拳剣でヤマタノオロチを滅多切りにします。

ヤマタノオロチを切っていると刃こぼれが

滅多切りにして息の根を完全に止めようとしてばっさばっさと切っていると、尾っぽの部分を切っていた時、突然切れないところがあり、引き抜いて見ると十拳剣が刃こぼれをしていました。

その部分を不審に思って見てみると、都牟刈之大刀(つむがりのおおたち)という剣を手に入れます。

草薙の剣を天照大神へ献上

これは自分には合わないものだと思いアマテラスオオミカミへ献上します。
これが三種の神器として今も熱田大神と皇居に受け継がれる草薙の剣になるのです。

クシナダヒメを無事に嫁にしてスサノオノミコト(素戔嗚尊)は出雲に宮殿を建てる

こうして無事にヤマタノオロチを退治したスサノオノミコト(素戔嗚尊)は無事にクシナダヒメと結婚することができます。

そして、スサノオノミコト(素戔嗚尊)はクシナダヒメと共に、出雲の須賀という地に宮殿を建てそこで幸せに暮らします。

クシナダヒメの両親を自分たちの宮殿の近くに住まわせ神官に任命し、家族思いなスサノオノミコト(素戔嗚尊)の振る舞いにクシナダヒメも両親も大きく感謝をしたとされます。

スサノオノミコト(素戔嗚尊)が和歌を詠む|日本初の和歌

かつての狼藉を働いたスサノオノミコト(素戔嗚尊)はどこへやらというほど、英雄伝説を造り、家族思いな慈愛に満ち溢れた行動を行い、極めつけに日本で初めての和歌をクシナダヒメに送り、本当に仲睦まじい夫婦生活を送りました。

その日本初の和歌がこちらです。

古事記原文
夜久毛多都 伊豆毛夜幣賀岐 都麻碁微爾 夜幣賀岐都久流 曾能夜幣賀岐袁

書き下し文
八雲やくも立つ  出雲八重垣やえがき  妻籠つまごみに  八重垣作る  その八重垣を

現代文
たくさんの雲が垣根のように重なって上空に立つ出雲の地に、八重垣を作るように雲が立つ
妻を籠らせるために、その周りに垣根をたくさん張りめぐらす。
ちょうど雲が何重にも重なって八重垣を作っているかのように

この歌は、古事記では須賀の地に宮殿を建てた時の、その宮殿を見て歌った和歌です。

須賀の地というのも、「この地に来て私は清々しい気持ちになった」というスサノオノミコト(素戔嗚尊)の言葉から名づけられた地で、この地に雲が立っている様子を見て歌いました。

この和歌は特にたくさんの解釈をされているものですので、あくまで現代語は古事記の情景や、一部の解釈を持って作成したものです。
とても簡素であるがゆえに、情景がありありと浮かびとても奥の深い和歌になっていますね。

とても神殿で大便をした神とは思えないです。

スサノオノミコト(素戔嗚尊)と出雲の伝承の地

出雲にはたくさん神話にまつわる地があります。この後見る大国主命の国造りの場面でもメインとなる場所になりますね。

その中でスサノオノミコト(素戔嗚尊)にまつわる伝承の地をご紹介しましょう。

須賀神社(島根県)

スサノオノミコト(素戔嗚尊)がヤマタノオロチを殺し、クシナダヒメと幸せに暮らした須賀の宮の地にある神社です。

古事記において始めて生まれた神社と言うことで、日本初之宮と呼ばれるこちらの神社は、
クシナダヒメとの夫婦仲の話から、夫婦円満、子授かり、安産、良縁譲受、
ヤマタノオロチの征伐の話から、悪縁切り、除災招福
オオゲツヒメノカミの話から、五穀豊穣

と言ったご利益がある神社です。

須賀神社の公式サイトはこちら

八重垣神社(島根県)

天津神だったスサノオノミコト(素戔嗚尊)と、国津神の娘だったクシナダヒメという2柱の結びつきから縁結びのご利益があるといわれます。

八重垣神社はそんな夫婦神を祀る神社です。

この神社には女性の参拝者が後を絶たないといわれます。

八重垣神社には、クシナダヒメがヤマタノオロチを退治している間に隠れたこの地で、鏡の代わりに利用していたという鏡の池があります。
この鏡の池で良縁占いをすることがとても人気だそうです。

八重垣神社の公式サイトはこちら

ヤマタノオロチが巣くった斐伊川(ひいかわ)

ヤマタノオロチがいたとされる場所は出雲地方にある、この斐伊川とされます。

この斐伊川の源流の鳥髪と言う地にスサノオノミコト(素戔嗚尊)は高天原から降りたったされています。

参考:ヤマタノオロチ伝説 出雲観光ガイド

スサノオノミコト(素戔嗚尊)の許に大国主命がやってくる

さて、スサノオノミコト(素戔嗚尊)はクシナダヒメと幸せに暮らしていたところまでで、スサノオノミコト(素戔嗚尊)を主人公とした神話は終わります。

根之堅洲国へ子供のスセリビメと移る

スサノオノミコト(素戔嗚尊)は出雲の国にいたのですが、後に子供のスセリビメ(須勢理毘売命)を連れて死者の国の黄泉の国もある根之堅洲国に移り宮殿を建て隠居生活をしていました。

すると、地上世界から6代子孫に当たる大国主命がやってきます。

彼は兄たちに妬まれ2度殺され、そのたびに蘇ったのですが、また命を狙われたので、大屋毘古神(オオヤビコノカミ)という木の国(和歌山)にいた神様に助言を求めます。

大屋毘古神(オオヤビコノカミ)が大国主命は先祖に当たるスサノオノミコト(素戔嗚尊)に行きなさいと言うので、命からがら根之堅洲国のスサノオノミコト(素戔嗚尊)のところに逃げて来るのです。

スサノオノミコト(素戔嗚尊)が大国主命を鍛える

根之堅洲国の宮殿についた大国主命はその宮殿の前で、スサノオノミコト(素戔嗚尊)の娘のスセリビメと恋に落ちます。

スサノオノミコト(素戔嗚尊)はそのことに気づいたのか、気付かなかったのか、大国主命を最初は気に入らず葦原醜男(あしはらしこお)と呼びます。
※この時、地上世界は葦原中津国と呼ばれていたので、葦原醜男は地上世界からやってきたぶさいく野郎という意味です。

そして、鍛えるという目的なのか、そうではないのか、スサノオノミコト(素戔嗚尊)は大国主命に蛇だらけの部屋で寝るように言ったり、蜂がいる部屋で寝るように言ったり、原っぱに大国主命を飛び込ませて原っぱを焼き祓ったりという試練を与えます。

もはや殺意しかないのではないかと思える試練を大国主命はスサノオノミコト(素戔嗚尊)の娘のスセリビメの援助等があって乗り越えて生き延びます。

スサノオノミコト(素戔嗚尊)が大国主命に国造りをしろと伝える

ある日自分の頭の虱をとるようにと大国主命に言い頭にムカデを忍ばせてみましたが、大国主命は何の抵抗もなくそれもやってのけます。

そして、気持ちよくなったスサノオノミコト(素戔嗚尊)は寝てしまいます。

寝ていると、突然大きな物音が。
その物音はスサノオノミコト(素戔嗚尊)の宝物の一つ、天の詔琴の音でした。

すぐにスサノオノミコト(素戔嗚尊)は自分の宝物を盗んで大国主命が逃げたと思い追いかけようとすると、宮殿の柱に自分の神を括りつけられていて、追いかけようとして宮殿を破壊してしまいます。

結局、大国主命はスサノオノミコト(素戔嗚尊)の宝物である生大刀と生弓矢と天の詔琴を盗んで、さらには娘のスセリビメまで奪って根之堅洲国の出口の黄泉比良坂まで逃げてしまいます。

スサノオノミコト(素戔嗚尊)はこの時点ですでに大国主命を認めていたとされ、大国主命に奪っていった武器を以って、敵対する兄弟神たちを倒し、葦原中津国に国を造れというのでした。

大国主命の物語について知りたい方はこちらをご覧ください。
大国主命(オオクニヌシノミコト)とは?ご利益や神社の情報や国譲り等神話の物語も解説

スサノオノミコト(素戔嗚尊)を祀る神社

スサノオノミコト(素戔嗚尊)を祀る神社の中でも有名なものをご紹介しましょう。

須佐神社(島根県)

須佐神社は日本神話の中でも、でてくるスサノオノミコト(素戔嗚尊)の終焉の地で、その御魂を沈める場所に建てられた神社です。

江戸時代の国学者の岩政信比古が、「全国には多くのスサノオノミコト(素戔嗚尊)を祀る神社があり、それらが有名ではあるが、この須佐神社こそ、スサノオノミコト(素戔嗚尊)を祀る神社の本社と言える。」と言わしめたほどです。

また、スサノオノミコト(素戔嗚尊)とクシナダヒメ(須佐神社では稲田比売命)の間に生まれる八島土奴美神、もしくはテナヅチの子孫という須佐家が神主の神社です。

須佐神社の公式サイトはこちら

スサノオ神社

全国にはスサノオという名前がついた神社が複数あります。

それらは様々な創建の由緒がありますが、多くの場合、八坂神社や津島神社と言ったスサノオノミコト(素戔嗚尊)を祀った神社から分祀された神社が多いです。
※元は牛頭天王を祀った天王社として始まり、明治期の廃仏毀釈でスサノオノミコト(素戔嗚尊)になったものもあります。

全国のスサノオ神社では、様々な表記が用いられ、「須佐之男・素戔嗚」を用いるところや、進雄という名前の神社もあります。

ちなみに、東京の素戔雄神社は創建が795年と古く、分祀された神社ではありません。
参考:素戔雄神社(東京都荒川区)

八坂神社(京都府)

祇園信仰の中心の神社で、元は牛頭天王を祀ったことから始まります。

神仏習合の時代に、牛頭天王とスサノオノミコト(素戔嗚尊)が習合して、明治期の廃仏毀釈によってスサノオノミコト(素戔嗚尊)を主祭神とする神社になりました。

神仏習合とはそもそも何かはこちらで詳しく解説しています。

神仏習合とは(=神仏混淆)|歴史・現在も影響の残る神社寺院の例をご紹介

全国の八坂神社、祇園社と言った総本宮が京都府祇園にある八坂神社です。

八坂神社の公式サイトはこちら

氷川神社(埼玉県)

氷川神社は2400年前に創建されたという歴史を持つ神社です。

氷川神社総本宮が埼玉県さいたま市にあり、関東に多くみられる神社です。

スサノオノミコト(素戔嗚尊)を祀る神社として、当初より創建され、ヤマトタケルノミコトも東征の際にその成功を祈願したとされる神社です。

氷川神社公式サイトはこちら

津島神社(愛知県)

津島神社は、八坂神社と似ており、津島信仰という牛頭天王を祀る神社です。

津島神社は神仏習合の時代に牛頭天王をご祭神として、津島牛頭天王社と名乗っていたようですが、明治期に津島神社に改められたようです。

全国にある天王社の総本社とされる天王信仰の中心地です。

津島神社の公式サイトはこちら

廣峯神社(兵庫県)

廣峯神社も、八坂神社同様牛頭天王を祀る神社として有名です。

明治期にスサノオノミコト(素戔嗚尊)をご祭神にしますが、牛頭天王を祀る神社としては、八坂神社もしくは廣峯神社が起源だとされます。

スサノオノミコト(素戔嗚尊)の妻、子など由縁の神様を祀っています。

廣峯神社の公式サイトはこちら

熊野本宮大社

熊野信仰の中心、熊野三山の一つである熊野本宮大社では、主祭神を家都美御子大神(ウツケミミコノオオカミ)と呼び、スサノオノミコト(素戔嗚尊)と同一神とされます。

ここでは、神仏習合の時代の面影が残り、阿弥陀如来としてスサノオノミコト(素戔嗚尊)を祀っています。

熊野本宮大社の公式サイトはこちら

出雲大社(杵築大社)

主祭神は大国主命であり、スサノオノミコト(素戔嗚尊)は境内の摂末社に祀られています。

しかし、須佐神社をご紹介した時に国学者の岩政信比古の言葉をご紹介しましたが、古くから出雲大社は大国主命と共にスサノオノミコト(素戔嗚尊)を祀る神社と言うイメージが強いようです。

出雲大社の公式サイトはこちら

スサノオノミコト(素戔嗚尊)にまつわる様々な説

日本の中で、活躍シーンもそうでないシーンも多くあるスサノオノミコト(素戔嗚尊)は、その足跡が様々なところにあることから色々な説があります。

そんな説についてご紹介をします。

スサノオノミコト(素戔嗚尊)とツクヨミノミコトの神話の中の共通点

スサノオノミコト(素戔嗚尊)を兄神のツクヨミノミコト(月読命)と同一視するという説が存在します。

この原因は、古事記と日本書紀でそれぞれのストーリーで被りがあるからです。

古事記で大海原を治めることを任されたスサノオノミコト(素戔嗚尊)ですが、日本書紀ではツクヨミノミコト(月読命)が任されます。

また、五穀の起源となる神様として、古事記ではスサノオノミコト(素戔嗚尊)がオオゲツヒメノカミを殺すと描かれますが、日本書紀ではツクヨミノミコトが保食神(ウケモチ)を殺して五穀の起源となります。

このように重要な場面で被ることがあるこの神々を同一視するという説が存在します。

スサノオノミコト(素戔嗚尊)が牛頭天王と同一視

スサノオノミコト(素戔嗚尊)を祀る神社の中で、八坂神社、津島神社、廣峯神社、そしてそれらから分祀されてできた八坂神社/祇園社/天王社と言った神社でご祭神として祀られていたのは牛頭天王でした。

牛頭天王は様々な神様と同一視される神様で、八坂神社の創建の話から朝鮮由来の神様、インドの仏教の中では祇園精舎を守る神様、陰陽道では天道様と同一視されています。

この牛頭天王が同一視されるようになった一つの起源は、スサノオノミコト(素戔嗚尊)が朝鮮を経由してやってきたことや、蘇民将来という民間信仰の説話(備後国風土記)での話が由来となっています。

牛頭天王について詳しく知りたい方はこちらをご覧ください。

牛頭天王とは|蘇民将来の物語やスサノオ都の同一説/ご利益やご真言を解説

また蘇民将来とは一体何なのかを知りたい方はこちらをご覧ください。

蘇民将来とは|茅の輪/子孫家門符の起源やスサノオ/牛頭天王の伝説を解説

ちなみに、この蘇民将来の話が神社で行う茅の輪くぐりの由来となります。

茅の輪くぐりのについてはこちらで詳しく解説しています。

茅の輪くぐりとは|意味や茅の輪の由来,くぐり方等作法について解説

スサノオノミコト(素戔嗚尊)が朝鮮由来の神という説

スサノオノミコト(素戔嗚尊)は牛頭天王の部分で簡単にお話をしましたが、日本書紀では出雲の国に降り立つ前に、一度、息子の五十猛神と共に朝鮮の新羅国の「曾尸茂梨(ソシモリ)」という地に降り立ちます。しかし、良い土地ではないといい、船で出雲にやってきて、日本書紀本編の話である川上のヤマタノオロチを殺すという物語に行きつきます。

素戔嗚尊、帥其子五十猛神、降到於新羅國、居曾尸茂梨之處。乃興言曰「此地、吾不欲居。」遂以埴土作舟、乘之東渡、到出雲國簸川上所在、鳥上之峯。

出典:日本書紀 神代上

この曾尸茂梨(ソシモリ)と言う値は牛頭という意味の韓国語の音と同じで、実際に韓国には牛頭山があります。

こういった記述ゆえに、スサノオノミコト(素戔嗚尊)という神様に限らず、日本神話に対する様々な説が生まれます。
ちなみに、スサノオノミコト(素戔嗚尊)は朝鮮由来かどうか、答えは出ていませんが、古来から日本は朝鮮半島南部との深いつながりがあり、中国の魏志倭人伝では、朝鮮半島南部は倭人の地域だと表記があり、当時の倭(日本)と文化的背景が一緒だったのかもしれません。

スサノオノミコト(素戔嗚尊)はきゅうりが嫌いという説

これは地域によってきゅうりを食べてはいけないという場所があり、その原因がスサノオノミコト(素戔嗚尊)にあるといいます。

福井県ではきゅうりを育ててはいけない地域の網戸瀬町では、スサノオノミコト(素戔嗚尊)が雷鳴に驚いてきゅうり棚の中に逃げ込み、棚の柱が目に刺さって失明をしてきゅうりが嫌いになったという言い伝えがあります。

同じようなきゅうりの言い伝えは、スサノオノミコト(素戔嗚尊)と同一視される牛頭天王にもあり、ある時牛頭天王は戦い破れ逃げていた時、きゅうり畑に隠れたおかげで間一髪で命拾いしたそうです。

その命の恩人であるきゅうりを作ったり食べたりしてはいけないと言ったことからキュウリを育てたり、食べてはいけないことになったそうです。

祝詞の速佐須良比売はスサノオノミコト(素戔嗚尊)の娘という説

最後に、現在神道で最も長く、重要な祝詞であるとされる大祓詞に出てくる神様とスサノオノミコト(素戔嗚尊)につながりがあるという説をご紹介します。

大祓詞は、とても重要な祝詞ありながら、日本神話で出てこない神様も登場し様々な説を生んでいるものです。

大祓詞は神前で私たち人間が神様に物事を申し上げるにふさわしい清浄な状態になるために、罪、穢れ、諸々の禍事を祓ってくださいと祈る言葉です。
大祓詞を詳しく知りたい方はこちらをご覧ください。
大祓詞(おおはらえことば)とは?原文・現代語訳・意味・効果を解説

その重要な祓清めてくださる神様の中の速佐須良比売は根の国というスサノオノミコト(素戔嗚尊)が治めた国の根之堅洲国にいらっしゃると表記されています。

名前の類似性と根の国にいるという表記から、江戸時代の国学者本居宣長はスセリビメというスサノオノミコト(素戔嗚尊)の娘と同じなのではないかと説を唱えています。

最後に

スサノオノミコト(素戔嗚尊)について様々な表記や説をご紹介しました。

しかしこの他にも、スサノオノミコト(素戔嗚尊)はユダヤと関りがあるという説を唱える人や、スサノオノミコト(素戔嗚尊)とニギハヤヒ(饒速日命)という神様につながりがあるという説を唱える人、様々な説がスサノオノミコト(素戔嗚尊)にはあります。

ちなみに、2016年の大ヒット映画の「君の名は。」で一躍有名になった須賀神社という東京都四谷にある神社はスサノオノミコト(素戔嗚尊)を祀る神社なんです。

恋愛に関係なく、この世の様々な縁結びの神様であるスサノオノミコト(素戔嗚尊)の祀られる神社で「君の名は。」の最後のシーンで主人公二人が結ばれるというのはなんだか深いなと感じてしまいます。

皆さんも、猛将であり(悪縁切り/厄除けの神)、風流の神であり、縁結びの神であるスサノオノミコト(素戔嗚尊)という神様の姿を思い浮かべて、ご参拝してもらえたらなと思います。