イザナギノミコト(伊弉諾尊/伊邪那岐命)|イザナミノミコトとの神話や神社について

伊弉諾尊,イザナギノミコト,伊邪那岐命

イザナギノミコト(伊弉諾尊)|イザナミと共に国土を生む

イザナギノミコト(伊弉諾尊)はイザナギノミコト(伊邪那美命)と共に本州を含む日本の島々・神々を生む神様です。

神話の中で、

  • 生死の概念を生む
  • 禊祓という神道の重要な儀式やその他結婚式等儀礼を始めて行う
  • 天皇家の祖であるアマテラスオオミカミ(天照大御神)や神話の中で重要な役割のスサノオノミコト(素戔嗚尊)を生む

等々とても重要な役割をする神様でもあります。

愛するがゆえに苦しむ神様のイザナギノミコト(伊弉諾尊)について今回は詳しく見ていきましょう。

イザナミノミコトの漢字表記の由来と別名・読み方

イザナギノミコトを漢字で表記すると、

  • 伊弉諾尊/伊弉諾命/伊弉諾大神
  • 伊邪那岐尊/伊邪那岐命/伊邪那岐大神
  • 伊耶那岐尊/伊耶那岐命
  • 伊射奈岐命/伊射奈岐尊
  • 伊佐奈岐命/伊佐奈岐尊

このように表記されます。特に太字の上2つの漢字での表記が多いです。

イザナギノミコトという名前は、

「イザナ」は「誘う(いざなう)」を意味し、

「ギ(もしくはキ)」は「男性」を意味するので、

「誘う男の神様」を意味します。

イザナミは「誘う女の神様」という意味なので、お互いに惹き合う神様を表現しているのです。

また、イザナギノミコト(伊弉諾尊)は別名で、

  • 熊野速玉大神(クマノハヤタマオオカミ)
  • 多賀明神(多賀明神)

等といった名前も持っています。

熊野速玉大神は熊野速玉神社に祀られるご祭神で、熊野権現という熊野信仰の神様の一柱です。

イザナギノミコト(伊弉諾尊)と熊野速玉大神は同一であるとされています。

イザナギノミコト(伊弉諾尊)のご利益・御神徳

  • 商売繁盛
  • 家内安全
  • 縁結び
  • 夫婦円満
  • 子授かり・安産・子育て
  • 子孫繁栄
  • 出世開運
  • 無病息災
  • 病気平癒
  • 厄除け
  • 延命長寿
  • 豊作
  • 大漁
  • 国家安泰

イザナギノミコト(伊弉諾尊)のご神格

  • 生命の祖神
  • 結婚の神
  • 人類起源の神

イザナギノミコト(伊弉諾尊)が祀られる神社

イザナギノミコト(伊弉諾尊)の祀られる神社は多くの場合、イザナギ・イザナミの夫婦神がともに祭神となっているというものが多いです。

特に有名な神社をご紹介します。

伊弉諾神宮(兵庫県淡路市)

イザナギノミコト(伊弉諾尊)がアマテラスオオミカミツクヨミノミコトスサノオノミコトの三貴神を生み、それぞれの神に高天原(天上界)・夜之食国(夜)・海原(海)を委任したのち、幽宮(かくりのみや)という宮殿を建てて隠居します。

この幽宮を建てた場所を古事記では「淡海(おうみ)の多賀」、日本書紀では「淡路之州(あわじのしま)」と表記しています。

この表記から淡路島の多賀の地にある伊弉諾神宮はイザナギノミコト(伊弉諾尊)が隠居をした地として、有名な神社となります。

伊弉諾神宮には、夫婦円満になるという、「夫婦大楠」という双つの楠が一つの大きな楠になったパワースポットとして人気の場所があります。

淡路島にはイザナギノミコト(伊弉諾尊)の伝承の地が多くありますが、伊弉諾神宮は特に有名な場所ですのでぜひ一度行ってみることをおすすめします。

ちなみに、最近人気の御朱印集めでも伊弉諾神宮は人気です。
イザナギノミコト(伊弉諾尊)の幽宮という字が入るという独特の御朱印です。

淡路島の伊弉諾神宮へのアクセスや詳しい情報はこちら

多賀大社(滋賀県犬上群多賀町)

滋賀県の多賀大社も、イザナギノミコト(伊弉諾尊)の幽宮があったとされる、多賀の地にある神社です。

古事記では「淡海(おうみ)の多賀」と表記しているのを、近江(おうみ)という音から滋賀であるとする説もあります。

全国的に多賀大社は分祀社も多く、古くからイザナギノミコトとイザナミノミコトを祀る神社として有名です。

多賀大社の近隣にも、三本杉というイザナギノミコト(伊弉諾尊)の説話の残るご神木があります。

滋賀県の多賀大社について詳細はこちら

江田神社(宮崎県宮崎氏阿波岐原町)

イザナギノミコト(伊弉諾尊)が黄泉の国から帰ってきて穢れを払うため、禊祓を行った場所という伝承の残る地です。

この地にある、「みそぎ池」は祓詞大祓詞天津祝詞と言った有名な祝詞の冒頭に出てくる「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原(檍腹)に禊ぎ祓えたまいし・・・」というイザナギノミコト(伊弉諾尊)が禊祓を行った描写のまま、禊祓をされた場所だと伝承が残っています。

最近ではパワースポットやヒーリングスポットとも呼ばれ人気の様です。

実際、神話に出てくる土地はその神話の物語のままのパワーを持つ場所だと言われています。
後程見る、黄泉平坂は悪霊が多くいる心霊スポットとしても有名です。

逆に江田神社とみそぎ池は穢れを祓う力を持つとても良い場所なのかもしれません。

江田神社についてアクセス等詳しく知りたい方はこちら

この他にも、イザナギノミコト(伊弉諾尊)が祀られる神社あります。

  • おのころ島神社(兵庫県南あわじ市)
    伊邪那岐と伊邪那美が始めて降り立った島
  • 皇大神宮(伊勢神宮の内宮)別宮 月読宮 伊佐奈岐宮
  • 三峰神社(埼玉県秩父市)
  • 熊野神社
  • 熊野速玉大社
  • 筑波山神社(茨城県つくば市)

イザナギノミコト(伊弉諾尊)の神話の中の物語

イザナギノミコト(伊弉諾尊)とイザナミノミコト(伊邪那美命)の2柱の織り成す物語。

そして、日本の国・皇祖神の成り立ちと言った古事記・日本書紀等日本神話の中の最も重要な場面の一つを見ていきましょう。

イザナギノミコト(伊弉諾尊)の家系図・関連する神

イザナギノミコト(伊弉諾尊)とイザナミノミコト(伊邪那美命)の家系図を書くと、2柱の間の35柱の神とイザナギノミコト(伊弉諾尊)が生んだ14柱の神と少々多いので、有名な神様をまとめます。

※1 ヒルコ神(蛭子神)はイザナミノミコト(伊邪那美命)とイザナノミコトの間に生まれますが、不具の子であったため、海に流され子供とみなされないとされます。

また、家系図に入りませんが、物語の中で特に深く関わる神様として、

  • アメノミナカヌシ(天之御中主神)
  • カミムスビ(神産巣日神)

これらの神様がいます。

それでは詳しく見ていきましょう。

イザナギとイザナミの誕生

イザナギノミコト(伊弉諾尊)は古事記と日本書紀、それぞれで誕生が違う描写をされています。

一般的に知られる成り立ちは、古事記のもので、

天地開闢というシーンです。

この世にまだ何も存在しない世界に、造化三神という性別のない神様(独神)が生まれます。
そして、同じように2柱が突如生まれます。

そして、この5柱の神様の後、7代の神様が生まれます。
7代とは、2柱の独神と、5組10柱の男女神(2柱で1柱と考える)が生まれる神代七世というシーンになります。

この神代七世の最後の男女ペアの神様として生まれるのがイザナギノミコト(伊弉諾尊)とイザナミノミコト(伊邪那美命)です。




造化
三神
アメノミナカヌシノカミ
(天之御中主神)
独神
タカミムスビノカミ
(高御産巣日神)
独神
カミムスビノカミ
(神産巣日神)
独神
ウマシアシカビヒコデ
(宇摩志阿斯訶備比古遅神)
独神
アメノトコタチノカミ
(天之常立神)
独神



クニノトコタチノカミ
(国之常立神)
独神
トヨクモノノカミ
(豊雲野神)
独神
ウヒヂニノカミ スイヂニノカミ 男女ペア
ツノグヒノカミ イクグヒノカミ 男女ペア
オホトノジノカミ オホトノベノカミ 男女ペア
オモダルノカミ アヤカシコネノカミ 男女ペア
イザナミノカミ イザナミノカミ 男女ペア

 

イザナギノミコト(伊弉諾尊)はイザナミノミコト(伊邪那美命)の兄という立場で何もないところから、成り立ちます。

ちなみに、日本書紀では、造化三神はいなく、国之常立神の孫として生まれる、アヤカシコネノカミの子として生まれるという表記も存在します。

イザナギとイザナミで国産み・神産み

古事記の伝承では、イザナギノミコト(伊弉諾尊)とイザナミノミコト(伊邪那美命)は造化三神のアメノミナカヌシにまだ何も存在していない地上の世界の葦原中津国に国を造ってくるようにと名を受けます。

アメノヌボコという鉾を受け取り、イザナギノミコト(伊弉諾尊)とイザナミノミコト(伊邪那美命)は天上界の高天原(たかまがはら)と葦原中津国をつなぐ天浮橋から海を突きます。

このころはまだ地上の世界は海だけの世界で、水の上には油のような何かがクラゲのようにぷかぷかと浮いていたようです。

この海に突き刺した鉾を抜くと、その鉾から滴った水滴が島になります。

この島を自ずとできた島という意味で「オノゴロ島」と名付け、イザナギノミコト(伊弉諾尊)とイザナミノミコト(伊邪那美命)は地上に降り立つのでした。

この世で初めての結婚式(天の御柱の儀式)

イザナギノミコト(伊弉諾尊)とイザナミノミコト(伊邪那美命)はオノゴロ島へ降り立ち、国産みと神産みをするための相談をします。

それぞれの神は生まれたときは自然と体が成り上がったのですが、それぞれ体に、足りない部分(女性器)と余っている部分(男性器)があるということを知ります。

そして、この足りない部分を足りている部分で埋めましょう!という話になります。

この話し合いの後、イザナミノミコト(伊邪那美命)は「天の御柱を回って出会って『みとのまぐわい』をしましょう」という提案をします。

天の御柱とは、オノゴロ島にイザナギノミコト(伊弉諾尊)が造った神殿にある、天にも届くような大きな柱です。
この周りをイザナギノミコト(伊弉諾尊)とイザナミノミコト(伊邪那美命)が同時に反対方向に向かって進みであったときに言葉を掛け合うというのがこの世で初めて行われた結婚式だとされます。

「みとのまぐわい」とは性交のことを意味し、イザナミノミコト(伊邪那美命)の提案は結婚をして、国産み・神産みの準備をしましょうということです。

伝承の地「オノゴロ島」

イザナギノミコト(伊邪那岐命)とイザナミノミコト(伊邪那美命)が始めて地上世界に作った島であるオノゴロ島は日本各地に伝承のある島です。

その中でも、特に有力とされるのが、オノゴロ島神社のある淡路島の近くの沼島と、淡路島の近くの絵島という島です。

沼島について詳しくはこちら
絵島について詳しくはこちら

国産み・神産み

イザナギノミコト(伊邪那岐命)とイザナミノミコト(伊邪那美命)は結婚式である天の御柱の儀式を次のように行いました。

イザナミノミコト(伊邪那美命)とイザナギノミコト(伊邪那岐命)が反対周りに柱を周り、二人が出会ったところで、イザナミノミコト(伊邪那美命)から「まぁなんて素敵な男性」と声をかけ、イザナギはそれに答えて「まぁなんて素敵な女性」と声をかけました。

この儀式が済み、2柱は「みとのまぐわい」をし、子供を産みます。

この子供は手足のない蛭のような見た目をしていました。
そのため、ヒルコ神(水蛭子神)と呼び、葦の船に乗せ海に流してしまいました。

ちなみにこの流されたヒルコ神様は西宮神社のご祭神「恵比寿様」として祀られるようになります。

さらに、2柱目の子も不具の子で「アワシマ」と呼び、海に流してしまいます。

イザナギノミコト(伊邪那岐命)とイザナミノミコト(伊邪那美命)は困り果て、造化三神に相談をします。

この原因を占いで見てみると、原因はイザナミノミコト(伊邪那美命)が天の御柱で声をかけてしまったことでした。

そのため、もう一度行い、今度はイザナギノミコト(伊邪那岐命)から声をかけます。
すると、次にできた子は元気な淡道之穂之狭別島(淡路島)でした!

この後も、四国、隠岐、九州、壱岐、対馬、佐渡、そして大倭豊秋津島(本州)を産みます。
この8つの島を大八島国と呼びました。

その後も順調にイザナギノミコト(伊邪那岐命)とイザナミノミコト(伊邪那美命)は神々を生み続けます。

伝承の地「淡路島」

日本で初めて生まれた国である淡路島
淡路島はイザナギノミコト(伊邪那岐命)とイザナミノミコト(伊邪那美命)の伝承の地が数多くある島です。

ヒルコ神(蛭子神)を流した神社、その他様々な地があります。

淡路島の神話の伝承地を知りたい方はこちら

伝承の地「天橋立」

天橋立には様々な神話の物語がありますが、国造りをしている時に、イザナギノミコト(伊邪那岐命)とイザナミノミコト(伊邪那美命)の時代のものとされます。

ある物語ではイザナギノミコト(伊邪那岐命)とイザナミノミコト(伊邪那美命)が天に帰ろうとして、天にも届く梯子を作ったところ、ふとした瞬間にそれが倒れて天橋立になったとされ、

またある物語では人間が通ろうとして崩れて天橋立になった、などなど。

イザナミの死・イザナギの悲しみ怒り

順調にイザナギノミコト(伊邪那岐命)とイザナミノミコト(伊邪那美命)は神産みをつづけ、山、海、風、土、木と言った神様を産みます。

しかし、火の神を生んだ時に、イザナミノミコト(伊邪那美命)が女性器を大やけどし、それが原因で亡くなってしまいます。

イザナギノミコト(伊邪那岐命)はイザナミノミコト(伊邪那美命)の死を大いに悲しみます。

そして、イザナミノミコト(伊邪那美命)の死の原因となった火の神を殺します。
しかし、イザナミノミコト(伊邪那美命)は戻ることはありません。

大変悲しみながらも、その亡骸をイザナギノミコト(伊邪那岐命)は比婆山という場所に葬ります。

伝承の地「比婆山(ひばさん)」

イザナギノミコト(伊邪那岐命)がイザナミノミコト(伊邪那美命)を葬ったとする場所には複数の候補があります。

その一つが古事記にある「出雲国と伯耆国の境にある比婆山」です。
この伝承が残る比婆山は島根県と広島県にあります。

しかし、明治時代に、イザナギノミコトのお墓として宮内庁に認められた場所は比婆山ではありません。

どこが本当の御陵なのか、神話の世界は謎のままです。

島根県松江市岩坂陵墓(宮内庁の認定するイザナミのお墓はここ)
島根県安来市比婆山御陵
広島県比婆山御陵

伝承の地「花窟神社」

また、古事記では比婆山にイザナギノミコト(伊邪那岐命)がイザナミノミコト(伊邪那美命)を葬るという表記がありますが、日本書紀では、「紀伊国 熊野の有馬村」という場所に葬ると表記があります。

この場所は現在の三重県にある花窟神社になっていて、イザナギノミコト(伊邪那岐命)がイザナミノミコト(伊邪那美命)を葬ったという場所には45メートルにもなる大きな岩があります。

驚くほどの巨石で、神秘を感じる場所です。

花窟神社の公式HPはこちら

伝承の地「吾妻山」

イザナギノミコト(伊邪那岐命)がイザナミノミコト(伊邪那美命)を比婆山に葬った後、比婆山に向かって、「ああ、吾が(我が)妻よ!」と呼びかけたという伝説のある山です。

現在は広島県の比婆道後帝釈国定公園にある吾妻山で、とても自然豊かな場所です。

イザナミを甦らせようとイザナギが黄泉の国へ

さて物語は続き、イザナギノミコト(伊邪那岐命)はイザナミノミコト(伊邪那美命)の死を受け入れられず、どうにかして、甦らせられないかと考えます。

そして、黄泉の国という死者の国に行きイザナミノミコトを連れ帰ればよいと考え、黄泉の国へと向かいます。

※この時代、世界は大きく3つに分かれていて、

  • 高天原(別天津神や天津神が住む天上界)
  • 葦原中津国(人間や国津神が住む地上世界)
  • 黄泉の国(底の国とも言う死者の世界)

このような分類になっていました。

イザナギノミコト(伊邪那岐命)はイザナミノミコト(伊邪那美命)を迎えに、葦原中津国と黄泉の国の間にある黄泉平坂/黄泉比良坂(よもつひらさか)を通って死者の国に入っていきます。

黄泉の国のイザナミノミコト(伊邪那美命)がいる神殿の前に立ち、「まだ地上世界は完成していない!一緒に帰って一緒に豊かな国を作ろう!」とイザナギノミコト(伊邪那岐命)は声をかけます。

イザナミノミコト(伊邪那美命)はその言葉を喜びますが、
「すでに黄泉の国の食べ物のヨモツヘグイを食べてしまって帰ることができない」と伝えます。

黄泉の国の掟では、ヨモツヘグイを食べてしまうと、この世界の住人となり、蘇ることはできないとされています。

しかし、イザナギノミコト(伊邪那岐命)は諦めず、熱意を込めて帰ろうと伝え、ついにイザナミノミコト(伊邪那美命)も地上の世界に帰れないか黄泉の国の神に確認してみると言いました。

確認してくる間、絶対に二柱の間にある扉を開けてはならないという約束をして、イザナミノミコト(伊邪那美命)は黄泉の国の神の許へ行きます。

 

そしてイザナギノミコト(伊邪那岐命)は待ち続けるのですが、待っても待っても中々帰ってこないので、心配になりイザナミノミコト(伊邪那美命)に確認をしようと約束を破り神殿の扉を開けてしまいます。

すると、そこにはウジ虫がわき、体に雷神をまとった変わり果てたイザナミノミコト(伊邪那美命)の姿がありました。

イザナギノミコト(伊邪那岐命)はこの変わり果てた姿に恐れをなして逃げ出します。
このことにイザナミノミコト(伊邪那美命)は気づき、自分の醜い姿を約束を破ったために見て逃げ出したイザナギノミコト(伊邪那岐命)に激怒します。

イザナミノミコト(伊邪那美命)は黄泉醜女(ヨモツシコメ)にイザナギノミコト(伊邪那岐命)を追いかけさせます。
それでも、逃げる夫に今度は黄泉軍(よもついくさ)という1500人の軍隊を差出ます。
さらに逃げる夫に今度は八柱の雷神を遣わします。

尚も逃げるイザナギノミコト(伊邪那岐命)はやっとの思いで、死者の世界と地上の世界の境にある黄泉平坂の麓にたどり着き、魔除けの効果のある桃を投げ追ってを蹴散らします。

すると今度は、イザナミノミコト(伊邪那美命)がイザナギを黄泉の国に連れ戻すため自ら飛んできます。

そして、イザナギノミコト(伊邪那岐命)は黄泉の国の入り口を千人引きの大きな岩(千人が力を合わせてやっと動く大岩)でふさぎます。

イザナギノミコト(伊邪那岐命)はイザナミノミコト(伊邪那美命)にこの岩を挟んで「ことどを渡し」ます。
ことどを渡すとは離縁の言葉を告げるということです。

イザナミノミコト(伊邪那美命)はこの言葉を聞いて、次のように言いました。
「愛おしい私の夫よ!あなたがこのようなひどい仕打ちをするのなら、私はあなたの地上の世界の人達を毎日1000人ずつ絞め殺してあげましょう!」と

イザナギノミコト(伊邪那岐命)はこの言葉に
「愛おし我が妻よ。あなたがそうするなら私は一日に1500もの産屋をこの世界に建てましょう」と答えます。

こうしてこの世界に人の寿命ができるのでした。

伝承の地「黄泉平坂(よもつひらさか)・揖夜神社」

イザナギノミコト(伊邪那岐命)がイザナミノミコト(伊邪那美命)を求め死者の国へ向かった時に通る入り口である、「黄泉平坂(よもつひらさか)」は島根県に今も残っています。

黄泉平坂は現在揖夜神社/揖屋神社(いやじんじゃ)という神社の近くにあり、この神社ではイザナミノミコト(伊邪那美命)が祀られています。

黄泉平坂には今も、イザナギノミコト(伊邪那岐命)が黄泉の国の入り口を閉ざした千人引きの大岩もあり心霊スポットとしても有名です。
揖夜神社/揖屋神社(いやじんじゃ)の公式HPはこちら

イザナギノミコト(伊弉諾尊)の禊祓

無事に黄泉の国から帰ってきたイザナギノミコト(伊邪那岐命)は自分の体が、死者の世界にいたことで穢れていると感じます。

そこで、その穢れを祓う、禊祓という儀式を行います。

イザナギからアマテラスオオミカミを含む三貴神が生まれる

この禊祓を行っている時に、イザナギノミコト(伊邪那岐命)から14柱もの神様が生まれます。

住吉三神という底筒男命、中筒男命、表筒男命という神様や海の神を生み、最後に特に高貴な3柱の神を産みます。

それが三貴神である、
アマテラスオオミカミ(天照大御神)ツクヨミノミコト(月読命)スサノオノミコト(素戔嗚尊)です。

イザナギノミコト(伊邪那岐命)はこの三貴神に、それぞれ高天原、夜之食国、海を任せ幽宮(かくりみや)を造り隠居をします。

こうして神話の物語は新たな局面を迎えます。

日本書紀では三貴神はイザナギとイザナミの子として描かれる

古事記の表記では、黄泉の国から帰ってきたイザナギノミコト(伊邪那岐命)の禊祓の時に三貴神は生まれますが、日本書紀ではイザナギとイザナミの間に生まれます。

さらに、日本書紀ではヒルコ神(蛭子神)ツクヨミノミコト(月読命)とスサノオノミコト(素戔嗚尊)の間の子として生まれます。

伝承の地「阿波岐原」

前述しましたが、三貴神を生む重要な場面である禊祓をした地として、宮城県の阿波岐原は有名です。

イザナギノミコト(伊邪那岐命)が禊祓をしたというみそぎ池も残っているとても神聖な土地です。

江田神社について詳しく知りたい方はこちら

伝承の地「伊弉諾神宮・多賀大社」

三貴神を生んだ後、イザナギノミコト(伊邪那岐命)は隠居をします。

幽宮を造り、そこで余生を過ごすのですが、その伝承の地として、淡路島の多賀の地と滋賀県(近江)の多賀の地があります。

どちらもイザナギノミコト(伊邪那岐命)の幽宮の地として神社を創建しています。