八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)とは|三種の神器唯一実物が皇居内にある神璽

八尺瓊勾玉,やさかにのまがたま

八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)とは

八尺瓊勾玉,やさかにのまがたま

八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)とは、三種の神器の一つで、勾玉の形をしていると考えられています。

八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)を含む三種の神器は、現在地球上にある王室の中で最も古くから存在するレガリア(正当な王位継承者が継承する象徴物)です。
※イギリス王室やタイ王室にもそれぞれ三種の神器同様、王位継承者が受け継ぐ宝物があります。

そんな長い歴史を持つ八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)は神話の中で、アマテラスオオミカミ(天照大御神)が武装をした際に、身につけたという表記もあるほどです。

古代からとても重要な装飾品であった勾玉ですが、どのような経緯で三種の神器になったのか、その歴史や成り立ちについて詳しく解説をします。

また記事後半では、伊勢神宮の式年遷宮の時に宮中から出た時の八尺瓊勾玉が入った宝櫃の映像もありますので、ぜひご覧ください。

三種の神器の一つ

皆さんご存知と思いますが、三種の神器とは、

三種の神器

これらを示す言葉で、天皇の正当性を示すものであり、これら三つを引き継いで正式な天皇を意味します。

そのため、源平や南北朝という日本の戦乱の時代には、三種の神器を奪い合うということが起きます。

他の三種の神器について詳しく知りたい方はこちらをご覧ください。
三種の神器とは|勾玉/鏡/剣に秘められた意味や現在本物のある場所等解説
八咫鏡(ヤタノカガミ)とは|伊勢神宮の実物にヘブライ語?神話やレプリカの歴史を解説
草薙の剣(くさなぎのつるぎ)とは|本物が熱田神宮にある理由や歴史を解説

「神璽」とも表記される

八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)は漢字で、八尺瓊曲玉と表記されることもありますし、神璽(しんじ)とも言われます。

璽は秦の始皇帝が、皇帝のハンコという意味として使い始めたとされる漢字で、天皇が使うハンコの御璽(みしるし)にもこの漢字が利用されます。

実物が唯一皇居にある神器

三種の神器はすべて、天皇の傍に置くことが伝統となっていますが、神代から受け継がれる、実物が宮中にあるのは、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)だけです。

他の神器は形代(かたしろ)と呼ばれる、実物から分祀し神力を備えたレプリカが宮中には安置されています。

ちなみに、宮中の中でも、草薙の剣のレプリカと、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)は御所の寝室の隣の「剣璽の間」に置かれます。

一方、三種の神器の中でも、アマテラスオオミカミのご神体となり遠くに重要な八咫鏡(やたのかがみ)のレプリカは宮中三殿という賢所(かしこどころ)に安置されています。

八咫鏡は伊勢神宮に

ちなみに、八咫鏡の実物は伊勢神宮、正式には、内宮(皇大神宮)の中に奉納されています。

20年に一度の式年遷宮にて、神器の八咫鏡が内宮から新宮に移されますが、それが平成25年に行われた時は注目を集めましたね。

八咫鏡がなぜ伊勢神宮にあるのか等その歴史や様々な説はこちらで解説しています。
八咫鏡(ヤタノカガミ)とは|伊勢神宮の実物にヘブライ語?神話やレプリカの歴史を解説

草薙の剣は熱田神宮に

三種の神器の神剣、草薙剣は名古屋の熱田神宮に実物が祀られています。

三種の神器の剣を天叢雲剣と言うこともありますが、草薙剣と同じものを意味します。
草薙の剣がなぜ熱田神宮にあるのか等その歴史や様々な説はこちらで解説しています。
草薙の剣(くさなぎのつるぎ)とは|本物が熱田神宮にある理由や歴史を解説

八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)の神話

八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)がどのように成立し、どのように三種の神器になったのか、その成り立ちを日本神話の物語から紐解いていきましょう。

アマテラスオオミカミが八尺勾玉を付けスサノオノミコトに対峙

まず、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)が神話の中で初めて出てくるのは、天の岩戸というアメノウズメノミコトが裸踊りをする部分ではありません。

その前に、一瞬アマテラスオオミカミが見につける場面があります。

それが、スサノオノミコトがイザナギノミコトに葦原中津国を追い出された後、アマテラスオオミカミに挨拶をしようと思い、高天原(たかまがはら)に向かう場面です。

スサノオノミコトが向かっていると、山や川、国土が震え、どよめくという異状になり、アマテラスオオミカミはスサノオノミコトが高天原を奪いに来たのではないかと考え、男装し、武装してスサノオノミコトを待ち構えます。

そして、武装の姿に加え、八尺瓊勾玉(※古事記では八尺勾玉)をたくさんつけた飾りものを両手や首にかけて戦闘態勢で待ちます。

結局スサノオノミコトは国を奪うつもりはないということを誓約(うけい)という占いで本心を見るというもので証明します。
こうしてスサノオノミコトが高天原で過ごすことになります。

この時の描写から八尺瓊勾玉には、守護する力が込められているという説もあります。

天の岩戸で玉祖命が作成する

そして、日本神話の中でも特に有名な場面の天の岩戸の物語で、八尺瓊勾玉がもう一度現れるのです。

天の岩戸の物語は、先ほど八百万の神々が住む高天原に滞在することになったスサノオノミコトが様々な無礼を働き、ついには巫女が一柱亡くなってしまいます。

それまでにも、たくさんの問題行動を行う弟のスサノオノミコトをアマテラスオオミカミは庇ってきたのですが、巫女の死はもはや庇いきることもできず、責任を感じて、アマテラスオオミカミは天の岩戸という洞窟に閉じこもり、入り口に結界を張って誰も入れなくしました。

太陽神がいなくなった世界は暗闇に満ちてしまい、困った八百万の神々は天の安河原で集まって、どうやってアマテラスオオミカミを洞窟から出そうかと相談します。

そこで、知恵の神様であるオモイカネが妙案を思いつき、アマテラスオオミカミを助け出すことに成功します。

この妙案の中で、オモイカネは、玉祖命(たまのおやのみこと)という玉造の一族の祖とされる神様に八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)の作成を依頼します。

同時に、八咫鏡もこの時に作成をします。

天の岩戸の物語について詳しく知りたい方はこちらで解説をしています。
オモイカネ(八意思兼神)は知恵の神様として神話で活躍!神社へのお参りも人気

天孫降臨の際に地上世界へ

天上界の高天原で作成された、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)は地上世界にもたらされます。

この物語を天孫降臨と言います。

アマテラスオオミカミの孫に当たるニニギノミコトが、アマテラスオオミカミより、三種の神器を受取り、それらを大事に宮中に祀りなさいという言葉を受けます。

特にアマテラスオオミカミのご神体として、八咫鏡は私を見ると思い、寝るときは同じ床に置いて、大事になさい(宝鏡奉斎(ほうきょうほうさい)の神勅)という言葉を受けます。

この言葉を守るため、現在でも、形代というレプリカが宮中に置かれているのです。

レプリカが作成された物語についてはこちらをご覧ください。
八咫鏡(ヤタノカガミ)とは|伊勢神宮の実物にヘブライ語?神話やレプリカの歴史を解説

八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)の歴史

先ほどは、神話の世界の話でしたが、大和朝廷が成り立って以来の日本の長い歴史の中で、様々な困難に三種の神器は直面します。

また、実物を見ようとした人達の説話も残されていますので、それらをご紹介します。

冷泉天皇が中身を見ようとするも見れない

八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)を含む三種の神器は天皇陛下出さえも見てはいけないとされ、実物を見てはいけないと、はるか昔から言われています。

平安時代、冷泉天皇という奇行が多いと有名な天皇が、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)の入った宝櫃を開けようとしたことがあるとされます。

その時、箱から白い煙が出てきて、驚いた天皇はすぐに閉め直したとされます。

源平合戦で壇ノ浦の海に流されるも見つかる

平安時代の末期、趨勢を極め、天皇の后が一門から出た平家はその血のつながる天皇を安徳天皇として即位させます。

しかし、源氏が東からやってきて、京の都を追い出されてしまいます。

この時、皇居内にあった天皇の正当性を意味する三種の神器をすべて持ち出してしまいます。
※平家は源氏が新しく天皇を即位させ、平家が逆賊・朝敵(国全体の敵)になることを防ぐために持ち出したのです。

同じように源氏も、自分たちが行うことは国、朝廷のためであるとするために、自らの行動を肯定する、新天皇を即位させる必要があるとして、三種の神器の奪取に力を注ぎます。

しかし、壇ノ浦の戦いにて、平家は三種の神器と幼い天皇と共に海に身を投げ出します。

この時、八咫鏡(レプリカ)と八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)の実物は海から見つけることができたのですが、草薙剣(レプリカ)は失われたとされます。

南北朝時代に後南朝勢力に盗られる

さらに、天皇が南と北に分かれる南北朝の時代に八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)は宮中から奪われてしまいます。

源平合戦の時と同じく、天皇を祀り、自分たちの正当性を証明するために、三種の神器を南朝と北朝が奪い合うのです。

15年間もの間、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)は宮中から奪われたままで、この時即位をした皇子たちは天皇とは考えられないのです。

しかし、最終的には、赤松氏の遺臣の奮闘により宮中に三種の神器が返ってきます。

八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)の実物に関する様々な説

三種の神器は誰も実物を見たことがないために、様々な説が存在します。

ここでは、それらの八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)にまつわる説についてご紹介します。

すでに形状をとどめず灰になっているという説

宮中では、記録にある限りでも、平安時代に3度の火事が起きていて、宮中にある八咫鏡は灰になってしまったと表記があります。

八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)も同様に、火事で灰にだけになってしまっている可能性もあります。

八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)の大きさ

もし、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)が元の形状をとどめていた場合、八尺瓊勾玉という漢字表記から、実物は次のような大きさではないかという説があります。

  • 八尺の尺は長さを表す漢字で、咫(あた)と同意と考えられる。
    咫は円周を意味する単位で、八尺は、八咫でおよそ140cm。
    この140cmは、勾玉のすべての周の長さを説
    もしくは、勾玉の丸い玉の部分の円周が140cmあるという説
    八尺瓊勾玉に結ばれている、緒の長さが140cmあるという説
  • 日本神話の中で、八は具体的な数値ではなく、「多い/大きい」を意味するときに利用されることが多いため、八尺は単純に「大きい」を意味するという説
    (八が数値を意味しない例:八百万、八十神、八千鉾)

 

ちなみに、ネット上では様々な説が、存在していますが、実は三種の神器の内、剣璽(草薙剣と八尺瓊勾玉)は、つい最近宮中から外に出てテレビにその宝櫃が映されているのです。

このことは、「剣璽御動座」と言われ、本来天皇陛下がご公務の際にはその公務の先にまで持って行くというものでした。

今上天皇(2018年10月執筆現在)になり、様々な被災地へのご公務などに精力的に向かわれるようになり、セキュリティの観点から、剣璽御動座は行われなくなっていましたが、伊勢神宮の式年遷宮の時に、剣璽御動座がされました。

その時の映像がこちらです。

出典:KyodoNews 2014年3月25日

前を歩く侍従の方が草薙剣、後ろの侍従の方が八尺瓊勾玉を入れた箱をお持ちになっている様子がありありと見えますね。

八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)の形状・色

八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)の形や、色についても様々な説が存在します。

八尺瓊勾玉の「瓊」は玉を意味する言葉ですが、特に赤色の玉を意味します。

さらに、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)が作成されたと考えられる古代の日本では、勾玉の作成に利用されている瑪瑙(メノウ)という鉱石が赤色であることから、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)は赤色で瑪瑙でできているのではないかという説があります。

ちなみに、よく私たちが目にする八尺瓊勾玉のイメージ図の緑色のもの(下図)

八尺瓊勾玉,やさかにのまがたま

こちらは、翡翠(ヒスイ)という緑色の鉱物で作成されており、日本では縄文時代から瑪瑙と翡翠で勾玉を作成していたことが、縄文時代の遺跡から勾玉が出土しており、明らかです。

ちなみに、勾玉には複数の形状が存在しますが、上記の写真のように緒が丸みを持ってふっくらしている出雲型勾玉という形状が八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)の形状ではないかと考えられています。

八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)の出自には様々な説が

ここまで見たもものは、一般に言われている八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)の説です。

ただし、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)は奈良時代の文献にて、天皇へ献上されていないという表記があり、様々な学説が存在します。

しかし、古代の日本では、大和朝廷以外の地方豪族でも、剣・鏡・玉という3つの組み合わせで王位継承を行っていたとされ、全国の遺跡からこの3つセットでの出土が確認されます。

そのため、皇位継承においても、剣・鏡・玉の三種の神器のセットは考えられるでしょう。

世界で最も古い歴史を持ち、実物を誰も見たことがないゆえにたくさんの説が生まれた八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)ですが、日本という国が誇るべき大事な宝物です。

次の天皇へ皇位が譲られる際の、「承継の儀」には草薙剣と八尺瓊勾玉が継承されます。これは注目ですね。