牛頭天王とは|蘇民将来の物語やスサノオとの同一説/ご利益やご真言を解説

牛頭天王,牛頭天皇

牛頭天王とは|スサノオノミコトと同一視される神

牛頭天王 祇園様

牛頭天王という神様は、多くの神社で祀られていましたが、明治の初めの廃仏毀釈によって祀る神社はスサノオノミコト(素戔嗚尊)に祭神の名前を変えました。

しかし、牛頭天王はそもそも仏教の神様という性格も持ち合わせますが、日本には牛頭天王にまつわる物語があったり、他にもインドや中国にも由来する様々な性格を持つ神様なのです。

今回は多くの民衆がご利益にあずかろうと手を合わせた牛頭天王とはどんな神様か詳しく解説をしていきます。

牛頭天王は様々な神に由来を持つ

牛頭天王は先ほど簡単にご紹介をしましたが、様々な神様に集合されていき、そもそも神道と仏教というどちらかに簡単に分けられるものではありません。

牛頭天王と同一視される神様
  • 神道でならスサノオノミコト
  • 仏教でなら祇園精舎の守護神や薬師如来
  • 帝釈天(中国の道教や仏教の習合した神)
  • インドラ(インド神話の神)
  • 武塔天神(蘇民将来という民間の説話に出てくる)
  • バアル(中東地域の神でユダヤ教の聖典「旧約聖書」にも出てくる)
  • 天道神(陰陽道における神)
  • 朝鮮由来の神様(八坂神社創建者の新羅出身伊利之使主(イリシオミ))

このように、様々な神様に由来、同一視すると考えられており、学術研究の対象として、様々な説があります。
そこに加え、ネット上のスピリチュアル論や、様々な論が混じってきてもはやどんな神様かというのを簡単には説明できないのが牛頭天王です。

ただ、これまでの理解では、牛頭天王は仏教の神に近い存在ではあるが、日本の独自の神様であると考えられています。

今回はそれらの説について簡単にまとめ、難しい話だけでなく、牛頭天王とはどんなご利益があって、私たちの信仰の形としてどう拝むのが良いのかもご紹介します。

牛頭天王のご利益

  • 厄除け
  • 疫除け
  • 病気平癒
  • 家内安全
  • 身体安全
  • 縁結び・良縁
  • 五穀豊穣
  • 子授かり

牛頭天王は元は、疫病や厄災を広げ行疫神(ぎょうやくじん)という性格を持っていると陰陽道や民間の説話に由来して考えられていました。

しかし、厚く信仰をすることで、逆に厄災を除いてくれる神様として祀られるようになります。

長い歴史の中で、スサノオノミコトと習合したことによって、スサノオノミコトのご利益の縁結び・子授かり・五穀豊穣と言ったご利益もあると考えられてきました。

他にも、スサノオノミコトと同一視されることで現在ではたくさんのご利益を持っていると考えられています。
詳しくはこちらで解説していますのでご覧ください。
スサノオノミコト(素戔嗚尊)とは|神話(ヤマタノオロチ等)、ご利益等を解説

牛頭天王のご真言

牛頭天王ご真言

オン ハラレイキャ 牛頭(ごず) デイバ 請願(せいがん) 随喜(ずいき) 延命(えんめい) ソワカ

牛頭天王の本地(仏教側からの理解で本来の姿)とされる薬師如来のご真言を唱えるということもあるようです。

現在廃仏毀釈の時代を超え、牛頭天王を祀る神社はスサノオノミコトに強制的にご祭神の名を変えてしまいますので、現在ではあまり牛頭天王のご真言を唱えることは少ないと思います。

廃仏毀釈を乗り越え、牛頭天王をご祭神に祀っている埼玉県の竹寺に行った際はぜひ唱えてみましょう。

牛頭天王と同一視される神様

牛頭天王とは一体どんな神様なのか。

そのヒントとなる、同一視されている神様について解説いたします。

牛頭天王とスサノオノミコト

牛頭天王は明治期の国策で、ほとんどの神社でスサノオノミコトにご祭神の名前を変えられたことは説明をしましたが、そもそもなぜ牛頭天王とスサノオノミコトは同一視されているのか、その複数の説をご紹介します。

スサノオノミコトが神話の中で朝鮮を通る

スサノオノミコトは日本書紀の中で、高天原を追放された後、一度朝鮮半島の曾尸茂梨(ソシモリ)という地に行き、出雲の地に向かいます。

この物語に出てくるソシモリとは、韓国語で牛頭を意味するようで、八坂神社の創建した伊利之がソシモリ(牛頭)からの神様(牛頭天王)を八坂の地に鎮座させたという話はスサノオノミコトのことを意味していると考えられたのです。

スサノオノミコトと牛頭天王が登場する「蘇民将来の説話」

スサノオノミコト(素戔嗚尊)は備後国風土記という、地方に伝わる伝承の中の「蘇民将来」の物語に登場します。

この「蘇民将来」の説話がある備後国風土記を鎌倉期の歴史書「釈 日本紀」では祇園社の武塔神であるといい、牛頭天王と同じだというのです。

さらに、「祇園牛頭天王縁起」という文献の中には、スサノオノミコトの代わりに牛頭天王が蘇民将来の物語に登場します。
文献の中では牛頭天皇と表記されこの文献では様々な神話が語られます。

蘇民将来の物語や牛頭天王の神話については後程、スサノオノミコトが出るパターンと牛頭天王のパターンをご紹介します。
そもそも蘇民将来とは、一体何なのか知りたい方はこちらをご覧ください。
蘇民将来とは|茅の輪/子孫家門符の起源やスサノオ/牛頭天王の伝説を解説

牛頭天王と帝釈天(インドの神様のインドラ)

牛頭天王の同一視される神様(もしくは起源となる神様)に、インドの神様のインドラと、中国でのインドラを意味する帝釈天という神様がいます。

インドラという神様は、もともと荒ぶる軍神とされ、のちに仏教に帰依し寛大な心を持った神様になるとされます。

このインドラは中国に入ると、仏教思想の影響を受け、帝釈天(天帝釈、四天王天)とも言われるようになります。

牛頭天王とバアル(中東地域の神)

バアルという神様は、世界でも最古の文明を持つ地域の中東で広く信仰された神様です。

牛の頭を持った神様で、嵐を呼ぶ、災厄を運ぶ悪魔と考える地域があるという性格から同一視する人もいますが、それよりもこのバアルという神様はユダヤの聖典の旧約聖書にも出てくることから、牛頭天王とユダヤのつながりを主張する人の多くがバアルとのつながりを主張しています。

牛頭天王とユダヤのつながり

古代ユダヤの王国のあった地域では牛の頭を祀る風習があったそうです。

この風習と牛頭の神の牛頭天王の姿を重ね合わせ、ヘブライ語でゴズ(牛頭)という言葉の意味をユダヤ人とのつながりがあるように解読して、牛頭天王とユダヤのつながりを主張する人達もいます。

他にも、ユダヤ人による陰謀によって牛頭天王を祀り、祇園祭りを行ったという様々な説があります。

日本の歴史で、よく出てくるユダヤのつながりですが、ユダヤとのつながりの説の最終的な着地点は、明治期にスコットランド人が提唱した、日ユ同祖論というユダヤ人の古代部族が日本にやってきて統治をしたという説です。

残念ながら、文献からはどうしてもこじつけになってしまうのがこの論の詰まる所で、2018年に日本人のゲノム解析を行う科学研究チームが発足したので、本当に日本人にはユダヤのつながりがあるのかが生物学的にわかるのに期待したいですね。

牛頭天王が薬師如来や祇園精舎の守護神という説

牛頭天王は、様々な寺社、地方の文献(姫路市史等)の中で、「祇園精舎の守護神」であると表記されています。

また、牛頭天王を祀った寺社では、牛頭天王の本地を薬師如来であるとして、ご本尊を牛頭天王、本地仏に薬師如来を配すのでした。

「祇園牛頭天王縁起」においても、牛頭天王の本地は薬師如来であると記述されていて、古くから同一視されていたようです。

牛頭天王の他の説

牛頭天王は他にも、平安時代の陰陽道が大きな影響力を持った時代、牛頭天王という行疫神を陰陽道から理解し、厄災除けの神として世間に広まったとされます。

この陰陽道においては、天道神と同一であると考え、他にも中国の道教思想における、辟邪神の天刑星(疫病厄除去の神)と同一視されるようになります。

牛頭天王 天刑星

また、「伊呂波字類抄」という文献においては、牛頭天王の由来を、「天竺より北方に国あり、(九相国という国があったと表記)(中略)、其の中に園あり、 名付けて吉祥といい、其の国中に城あり、其の城に王あり、 牛頭天王又の名は武塔天神という。」

これらの表記が見受けら、吉祥天王舎城大王という神や、武塔天神との習合の説もあります。

牛頭天王の伝承・神話

牛頭天王についてかなり様々な神様との習合もあり、何が何だかわかりづらいですが、日本に伝わる、牛頭天王の神話についてご紹介します。

牛頭天王については、「祇園牛頭天王御縁起」という文献に詳しく描かれています。
現在では京都大学のデジタルアーカイブで原本をネット上でも見れますよ。

牛頭天王の誕生の説話

牛頭天王は、豊饒国という国の武答天皇という王様に7際にして7尺五寸(2mを超える)の大男で、1m近くの牛の頭をつけ、1m近くの赤い角を付けたお子さんがおられました。

王はこの御子に、王位を譲り、御子は牛頭天皇と名前を称したそうです。
※祇園牛頭天王は御縁起内では牛頭天王は牛頭天皇と表記されます。

牛頭天王像 画像

祇園牛頭天王御縁起にある牛頭天王の見た目を最も現したと考えられる埼玉県の竹寺の牛頭天王像の画像です。

出典:医王山薬寿院八王寺 竹寺

牛頭天王が嫁を探しに竜宮城へ

牛頭天皇は、嫁(皇后)を欲しいと思うも、普通の女性はその姿を怖いと思って結婚もできませんでした。

周りの貴族が慰めに天皇と共に狩に行くと、一羽の鳩が現れて、海の中の龍王の娘であれば結婚できますよと言います。

牛頭天王はその話を信じて、竜宮城に眷属(家来)を連れて向かいます。

一行が竜宮城へ向かっていた時、日が暮れたので、泊めてもらえる家を探しました。
そして、出てくるのが、蘇民将来(そみんしょうらい)と巨旦将来(ごたんしょうらい)という兄弟なのです。

牛頭天王と蘇民将来の物語

牛頭天皇とその一行が宿を探している時、里の長者(お金持ち)の家の巨旦将来に宿を願います。

しかし巨旦将来はそれを断ります。
牛頭天皇はこの断りに大激怒して蹴り殺してやろうかと言いますが、部下の大臣が今は御祝の時期で良くないですと言い、怒りを抑えます。

そして、宿を探していると、貧乏な家でよければと蘇民将来が家に泊まっていくことを快諾します。

さらに、貧しいながらも牛頭天皇を粗略に扱わず丁寧に対応をしました。

牛頭天王はその慈悲深い心に感動して、玉を与えます。

そして、牛頭天王は宿を後にして竜宮城へ入り、龍神の3女の婆利采女と婚約し、八人の御子(八王子と言う)を産み、八年間も竜宮城にとどまりました。

そして、元の国に帰ることになり、また蘇民将来の住む里を通ると、蘇民将来はおお金持ちになっていました。

巨旦はその蘇民将来を妬んで、牛頭天皇を家に呼ぼうとします。
しかし、邪心に溢れた巨旦将来には蘇民将来のような良いことは起きませんでした。

そこで、巨旦将来はそれらの厄災の原因が牛頭天皇の神罰であることを知り、それらを取り除こうと、1000人の法師を集め般若心経の大講読会をしました。

このことを知った牛頭天皇はこの講読会に乗り込み法師たちを蹴り殺してしまいます。

牛頭天皇は除厄招福の神でもあり、行疫という厄災をもたらす神として描かれるのです。

蘇民将来は巨旦将来の娘の一人は赦してあげてくださいと牛頭天皇に言います。

そこで、牛頭天皇はその娘一人は助け、残りは蹴り殺してしまいました。

その後、牛頭天皇は蘇民将来このように伝えます。
「茅萱の輪をつくり、蘇民将来の孫と書いたお札を飾りなさい。そうすれば厄災を除くことができます。」

この茅萱の輪が、現在神社に飾られる茅の輪の起源となり、厄災除けのご利益があると言われるようになります。

蘇民将来とスサノオノミコトの物語

ちなみに、牛頭天王と同じ蘇民将来の物語にスサノオノミコトが出てくるものもあります。

こちらでは、同じように貧しい蘇民将来がスサノオノミコトを宿に泊め、同じように茅の輪の話を聞いて、福が来るようになってお金持ちになるのですが、
蘇民将来に私は「スサノオノミコトである」と伝えたと表記する文献もあります。

牛頭天王ときゅうり

牛頭天王とスサノオノミコトを祀る地域では、ともにきゅうりは栽培してはいけないという伝承があります。

これは、地域によって様々な伝承があるようですが、一つに牛頭天王が戦いに敗れ逃げている時に、命からがらきゅうり畑に隠れて難を逃れたことがあるそうです。

その時に、村のものに、きゅうりは私を守った神聖なものだから作ることも食べることも禁止すると言ったそうで、それ以来その地域ではキュウリを栽培することも、食べることもしなくなったそうです。

牛頭天王が祀られる神社

牛頭天王は多くの神社で祀られていましたが、残念ながら、今ではほとんどの場所でスサノオノミコトという名前にご祭神が変わっています。

今回は、今でも牛頭天王を祀る寺社、以前牛頭天王を祀った有名な神社をご紹介します。

お寺で牛頭天王を祀る「竹寺」

途中でご紹介しましたが、廃仏毀釈の時代を超えて、牛頭天王を祀る珍しい寺院は複数あります。

その一つが埼玉県の竹寺です。

ここには牛頭天王を御本尊として、ご本地を薬師如来で祀っています。

このお寺は1000年以上の歴史を持つお寺で、天王さんと衆望を集めたお寺です。

牛頭天王の像があり、蘇民将来のお札もありますので、ぜひご覧になってみてはいかがでしょうか。

医王山薬寿院八王寺「竹寺」の公式サイトはこちら

他にも、牛頭天王のご本地として薬師如来を祀るお寺は複数あります。

兵庫県宝塚市の清荒神清澄寺も護牛神堂を祀り、牛王神、牛神様と呼ばれ衆望を集めたそうです。

八坂神社

牛頭天王の信仰の起源が最初に文献に見られるのは、八坂神社です。
※次に見る廣峯神社が先と言う説もあります。

八坂神社では、現在はスサノオノミコトをご祭神としていますが、古くは牛頭天王を祀り、平安時代から皇家、公家の信仰も厚く、厄災を払う神社として民衆からも信仰を集めました。

祇園神、祇園様、天王様という愛称も八坂神社似祀られる牛頭天王の呼称として日本に広まりました。

ちなみに、祇園祭は元々この八坂神社の牛頭天王にまつわる神社だったんです。

八坂神社の歴史等は後程詳しく解説します。

八坂神社公式サイトはこちら

廣峯神社

牛頭天王を日本で最初に祀ったとされる廣峯神社も、現在はスサノオノミコトをご祭神としています。

廣峯神社は奈良時代の創建とされ、とても由緒正しき、牛頭天王を祀る神社です。

廣峯神社公式サイトはこちら

津島神社

天王社の総本山と称する、津島神社もまた牛頭天王を祀った神社として有名です。

現在はスサノオノミコトを祀っていますが、牛頭天王を祀り「津島牛頭天王社」を称していました。

この地は織田信長公を輩出した織田氏が領した地域で、神仏を恐れなかった織田信長は牛頭天王への信仰心は厚かったと言い、津島神社との由縁も深いとされます。

津島神社公式サイトはこちら

牛頭天王の信仰の歴史

牛頭天王の信仰の歴史について見ていきましょう。

そもそも、様々な宗教を取り入れて来た日本で、牛頭天王の信仰の歴史は日本の宗教観を体現するものとも言えます。

八坂神社(京都府)に祀られる

八坂神社に曰く、656年(斉明天皇2年)に高麗(新羅とも言われる)から日本に来た伊利之使主(イリシオミ)が祇園社・感神院と称して、新羅国の牛頭(ソシモリ)山に降り立ったスサノオノミコトを祀り始まった神社とされます。

このことは、八坂神社の社史である「八坂社舊記集録」に書いており、伊利之使主(イリシオミ)に関しては「新撰姓氏録」という平安時代に編纂された、日本の氏族について、その出自をまとめた書物にも見られ新羅国出身であることが明記されています。

ちなみに、「釈 日本紀」という鎌倉時代の書物において、祇園社(八坂神社)の位置は、龍神が住む池や井戸等がある場所であり、祇園社の神殿の下には龍宮につながる穴があるとされます。

そして、この龍穴に祇園社を建てたと説明をしています。

この「釈 日本紀」では牛頭天王の様々な由来や逸話を書いているのですが、後述します。

参考:八坂神社の歴史

廣峯神社(兵庫県)に祀られる

八坂神社同様、牛頭天王信仰の起源とされる神社に廣峯神社があります。

八坂神社と同様、新羅人の創建、もしくはそれらにかかわりの深い神社を新羅神社と言うのですが、廣峯神社もその一つです。

「祇園社略記」という八坂神社(祇園社)について書かれた書物には、「はじめ播磨国明石浦に牛頭天王の祠があり、後にこれが廣峯山に移され」と祇園社よりも先に廣峯神社の地に牛頭天王を祀っていたと表記もあります。

廣峯神社を創建は735年(天平7年)に、吉備真備という遣唐使として唐朝に赴いていた任官が帰朝後聖武天皇の勅命によっての創建とされていますので、「八坂社舊記集録」との表記とは若干ずれが生じます。

ちなみに、この地にはすでに新羅系の人が多く住む国邑があったとされ、廣峯神社も新羅神社と言われています。

吉備真備によって、創建された神社は他の文献では、「祭神は武大神とも称し、古来新羅国明神・白国明神・白国大明神・牛頭天王・牛頭王・兵主神・武塔天神とも称す」と新羅の国の神、牛頭天王、武塔天神とも表記がされています。

ちなみに、牛頭天王を廣峯信仰では牛頭天皇とも表記している文献もあります。

祇園祭りは牛頭天王のお祭り

型っ苦しい話が続きましたが、いずれにしても、牛頭天王は海外からもたらされた神様という性格も持ち合わせていたようですが、日本に広く慕われる牛頭天王という神様になり、今では京の夏の風物詩となった祇園祭りなんかもあります。

祇園祭りでは、疫病祓い・厄除けのご利益があるとされる鉾(ほこ)が飾られた山車(だし)が町を練り歩き、牛頭天王(スサノオノミコト)は京の町の鎮守の神として、祀られます。

この八坂神社(祇園社)を中心として牛頭天王を祀る信仰は祇園信仰として日本に広がっていきます。

全国に牛頭天王社が広がる

先ほど見た、八坂神社や廣峯神社を起源として、牛頭天王は日本中に広がります。

天王さんや八坂さん、祇園さんという愛称で呼ばれ、日本各地に、祇園社、八坂神社、天王社が創建されるようになり、牛頭天王は各地で祀られるようになります。

牛頭天王の信仰は祇園信仰以外にも、津島神社から生まれた津島信仰など様々な形で広がっていくのです。

牛頭天王と八王子(東京都)

牛頭天王の神話は後程みますが、その神話によって、地名が付く場所も表れました。

牛頭天王には八王子という子供が8柱いるのですが、東京の八王子市はその牛頭天王と八王子から名前がついたとされます。

八王子神社の由緒によると、平安時代妙行(みょうこう)という僧がこの地で修行をしていた時に、様々な怪物が現れるも動じず冷静に対処をしたところを見て、牛頭天王が8柱の子供を連れて目の前に現れました。

そして、妙行にこの地にとどまってもらうようにと伝え、妙行はその通りにこの地に寺を創建し、それが八王子神社と牛頭山神護寺(現在の宗関寺)になり、この地が八王子と呼ばれるようになったようです。

牛頭天王の起源については置いておき、日本で様々な形で牛頭天王は祀られ、その信仰を広げていったのです。

牛頭天王にまつわる様々な説

牛頭天王をめぐっては、そもそも様々な神様が起源とする説がありますが、他にも様々な説があります。

例えば、戦国時代に神仏をものともせず、延暦寺焼き討ちも敢行した織田信長は牛頭天王を祀る津島神社への信仰は深かったとご紹介しましたが、その信仰心を利用して、寺社が牛頭天王を祀っていますといったという説があったり、

牛頭天皇という天皇の表記を使ったり、天王と表記しても「てんのう」という読み方であるのが良くないとした説等、歴史の中で様々な説があります。

また、歴史好きの人なら聞いたことがある秦氏が中国の道教の蚩尤という神様を牛頭天王と同一視したという説もあったり、牛頭天王は本当に多くの説があります。

これも、牛頭天王という神様が多くの人に信仰をされたからこそ、多くの説が生まれたのでしょう。

牛頭天王を祀る神社はスサノオノミコトをご祭神としていますが、その裏にある牛頭天王という神様の存在も意識して、ご参拝をしてみましょう。

牛頭天王の画像

牛頭天王 画像②

出典:梅松山 円泉寺

 

牛頭天王 画像③

出典:金宝山光明院 中仙寺

 

厄災を運ぶ荒神としても描かれる牛頭天王は険しい顔をしているものが多いです。