弁財天(弁才天)とは|弁天様と親しまれ信仰を集める神様
弁財天(弁才天)は財福の神様や、その他様々なご利益で知られる日本でも人気の神様の一柱です。
七福神の一柱としても知られる弁財天(弁才天)と言う神様について、ご利益やその信仰の歴史、各地にある弁財天(弁才天)の伝説から、
今日言われる様々な説(弁天様は嫉妬深い等)の出どころなどもご紹介します。
弁財天(弁才天)とは本来はインドの神様
七福神の神様の中では恵比寿様だけが唯一日本の神様であとは他の国からやってきたという有名な話でもおなじみですが、弁財天(弁才天)はインドの神様が由来となっています。
このインドの神様の時代のご利益が今の弁財天(弁才天)のご利益にもつながっていますので、このことは後程解説いたします。
弁天様と呼んでも同じ神様の意味
弁財天(弁才天)を弁天様と呼んでも同じ神様を意味します。
ちなみに、天と言うのはサンスクリット語の「神」の意味を持ちます。
弁財天の意味と弁才天の意味
弁財天と一般に表記されますが、弁才天が元の表記だと言われます。
弁財天と弁才天は弁天様の違うご利益から意味を持たせてこのような表記になっています。
元々、弁天様は仏教の神様の天部という存在で日本にもたらされます。
この時は、弁才天の旧字体である辯才天という漢字でした。
この漢字表記は中国の義浄という僧侶がインドに仏教留学した際に、弁天様のご利益から弁才天と意訳します。この意訳した際、本来の弁天様が持っていたと考えられるご利益から、
弁才天の意味は
- 川の流れるような、弁舌の達者という意味の神様
とされます。
一方、弁天様が日本にもたらされてから、財福の神として信仰がされるようになると、弁財天(旧字体では辨財天)と表記されるようになります。
弁財天の意味は
- 福徳財宝のご利益で知られるようになった弁天様の財運向上のご利益という面を強調した言葉
となります。
弁財天と弁才天はどっちが正しいか
結局、弁財天と書いても弁才天と書いても同じ神様を意味するようになりますので、特に区別する必要はないとします。
他にも弁財天(弁才天)を意味する別の名称として、妙音天(妙音楽天)、美音天、宇賀弁才天、と言った名称もあります。
これら弁財天(弁才天)の別称については後程ご紹介いたします。
弁財天(弁才天)のご利益
弁財天(弁才天)はとても多くのご利益があることで知られます。ざっと有名なご利益をご紹介すると、
- 金運・財運開運
- 技芸上達(芸能・音楽等の芸事のご利益)
- 縁結び・恋愛成就(縁切り)
- 学業成就(弁才)
- 立身出世
- 勝運・武運長久
- 国家鎮護
等々、あらゆると言っていいほど多くのご利益があります。
弁財天(弁才天)がなぜそのようなご利益で知られるようになったのか、ここについては弁財天(弁才天)信仰の歴史的な流れの段にてご紹介いたします。
弁財天(弁才天)のご真言(マントラ)
弁財天(弁才天)のご真言は
おん そらそばていえい そわか
ご真言とは、密教で重要視される、神様を拝む際に唱えるべき言葉のことです。
ご真言は唱えるだけで、聞くだけでも功徳があるとするとても大切な言葉とされるもので、少なくとも七回繰り返すのが良いとされますが、寺院などでご拝殿の近くにご真言と何遍唱えるなどが書いていることがありますのでそちらをご確認ください。
神社で仏教由来のご真言を唱えるのってどうなのか?
という疑問もあると思いますので、弁財天(弁才天)を祀る神社・寺院をお参りした時の作法について簡単に解説します。
弁財天(弁才天)のお参りの仕方
弁財天(弁才天)のお参りの仕方に「唯一絶対の答え」というものはありません。
ご参拝する神社や寺院にご参拝の手引き等があるのであればそちらを参考にしてください。
※神社によっては弁財天(弁才天)のご真言を唱えるのが良いとするところもあります。
それらがない場合は、一般的な参拝方法を行うので良いと思います。
つまり神社であれば、御手水にて手と口を清め、二礼二拍一礼でお参りをする。
寺院では手と口を清めて、ご真言を唱えたい、もしくはご真言を唱えるのが良いとする寺院ではご真言を唱えてご参拝するというものです。
弁財天(弁才天)は神仏習合の影響で、神社でも寺院でも祀られました。※そもそも江戸時代以前は神社と寺院は大きく区別されていないものでした。
そのため、弁財天(弁才天)を祀る神社で仏教のご真言を唱えることも間違ったことではありません。
ちなみに現在神社なのに仏教の神の弁財天(弁才天)を祀るのは、神仏分離令の影響で弁財天(弁才天)の名前で祀ってはいけないとなり日本の神様の名称に変えられてしまったのです。
弁財天(弁才天)の祝詞も
神社によっては弁財天(弁才天)と名称が入る祝詞も存在しているようです。(日本三大弁財天の竹生島神社等)
弁財天(弁才天)をお参りする時にそれらを唱えなければならないわけではありません。より丁寧にお参りをしたいのであれば、一般的に唱える祓詞を唱えるので良いでしょう。
弁天さんの祝詞でお願いをしたいのであれば、ご祈祷の際に弁財天(弁才天)の祝詞を唱える神社にてご祈祷していただくことをおすすめします。
弁財天(弁才天)信仰の歴史
弁財天(弁才天)のご利益がたくさんある理由や、少し触れた仏教の神様の弁財天(弁才天)が神社で祀られるようになった歴史、説についてご紹介いたします。
弁財天(弁才天)の由来はインドの神”サスラヴァティ”
弁財天(弁才天)という神様は、インドで発祥した仏教にインドで仏教が始まる以前から信仰されてきたバラモン教・ヒンドゥー教の神様が取り入れられたのが始まりです。
この弁財天(弁才天)の由来となるインドのサスラヴァティという神様は「河を神格化した神様」と呼ばれます。
日本でもそうですが、川は農耕に非常に重要な存在で、豊穣をもたらすということから、豊穣の女神として祀られるようになります。
また、インドの言語の神様のヴァーチュも同一視されることになり弁舌、学業、知恵の神様と言った面も持つようになります。
ちなみに、インド神話の中ではサスラヴァティーはブラフマーという仏教の梵天の妻として描かれています。
弁財天(弁才天)が芸能の神様とされる所以
上記で見たように、弁財天(弁才天)が芸能の神や、学業の神として知られるようになったのはインドの神様のご利益が由縁です。
しかし、最初に日本に入ってきたときには全く違う姿でもたらされるのでした。
弁財天(弁才天)信仰の初期
弁財天(弁才天)に限らず、仏教と言う宗教は日本にもたらされてしばらくは、朝廷・貴族が進行するものと言うのが主流でした。(各地で仏教の信仰もあったようですが)
仏教は日本にもたらされると、朝廷はその力で国を守護していただこうとします。
日本で初めて朝廷の命によって建立された四天王寺は、国家鎮護のご利益がある四天王を祀ったことで知られますが、弁財天(弁才天)と言う神様も最初は国の守護を祈る神様として信仰を集めます。
初期の弁財天(弁才天)の仏像は武装した八臂像
弁財天(弁才天)が日本にもたらされた時の姿は、今知られる姿とは全く違い、一面八臂と言い、一つの顔に8つの手を持ち、手には様々な武器を持っている姿です。
こちらの画像は奈良時代に建立された宝厳寺の八臂弁才天像のレプリカです。
実は、日本の多くの神社や寺院に残る弁財天(弁才天)の仏像はこの八臂弁才天像と呼ばれる形式です。
この八臂弁才天と言う姿は、「金光明最勝王教」というお経で描かれる弁財天(弁才天)の姿です。
有名な逸話で、鎌倉幕府を開いた源頼朝が、頼朝に従わない奥州藤原秀衡(ひでひら)を征討しに行くときに、江島神社に現存する八臂弁財天像を造り、戦勝祈願をし見事栄華を極めた奥州藤原氏を滅亡させます。
この逸話からもわかるように、弁財天(弁才天)は武運長久、勝運のご利益で信仰されていました。
弁財天(弁才天)信仰が民衆に広がる
弁財天(弁才天)は元々は朝廷・貴族という上流階級で信仰されたのですが、平安時代ごろより民衆の間でも信仰が広まっていきます。
弁財天(弁才天)信仰が広まった初期の頃の珍しい仏像が比叡山延暦寺に残っています。
大黒天・毘沙門天と弁財天の信仰が人気に
比叡山延暦寺の三面大黒天像という仏像があるのですが、この仏像は正面に大黒天の顔があり、左に弁財天(弁才天)、右に毘沙門天(多聞天)の顔がある、三面六臂大黒天像と言います。
この像は豊臣秀吉が立身出世を願い、農民から太政大臣、太閤殿下にまで出世したことでも知られます。
七福神の信仰はいつからと言う定説がありませんが、七福神の中でも、大黒様、恵比寿様、毘沙門天、弁財天は平安時代から招福の神様として信仰を集めていたそうです。
宇賀神(蛇神)と弁財天(弁才天)が習合する
弁財天(弁才天)の信仰が広まるにつれて、日本に古来から祀られる神道の神様や民間で信仰を集める神様と同一視されるようになります。
このことを神仏習合と言います。
弁財天(弁才天)は河の神、水の神、豊穣の神という神格を持っているため、日本古来の水の神、豊穣の神と同一視されます。
この同一視される神様の中の一柱で、豊穣をもたらす頭は老人、体は蛇とされる宇賀神がいました。
この宇賀神は日本神話に出てくるわけではなく、民間で信仰されていた神様と言われ、この神様と習合した結果、宇賀弁財天という仏像が造られるなど信仰されるようになります。
ちなみに宇賀神については謎の多い神様ではありますが、お稲荷様として知られるウカノミタマノカミ(宇迦之御魂神)と同一視されています。
お稲荷様やウカノミタマノカミ(宇迦之御魂神)という神様についてはこちらで詳しく解説しています。
稲荷神社・お稲荷様(稲荷神)を解説|ご利益・狐の祟り等怖い話の由来とは
ウカノミタマノカミ(宇迦之御魂神)|お稲荷様/豊穣の神のご利益や神社
宇賀弁天像という蛇を頭にした弁天様の仏像
先の八臂弁才天像とは違い、一面二臂の姿で、頭の上に蛇の体に老人の顔をした宇賀神が乗った宇賀弁財天像です。
弁財天(弁才天)信仰は金運・財運のご利益で広がる
国家鎮護の神として最初日本に取り入れられた弁財天(弁才天)は、本来の水の神、豊穣の神というご神格から宇賀神等と同一視されるようになり、民衆の間では金運・財運のご利益で知られるようになります。
この宇賀神と弁財天(弁才天)が同一視された結果、金運・財運のご利益で知られたことを表す有名な神社が、鎌倉の銭洗弁財天宇賀福神社です。
後程詳しくご紹介しますが、ここのご霊泉から湧き出る霊水でお金を洗うと種銭となって多くのお金を呼び込むと言う、銭洗いで有名な神社です。
この神社の創建は明らかではないのですが、鎌倉時代の源頼朝の夢のお告げで、この地に宇賀福神社が創建されます。
名前の通り、宇賀神と弁財天(弁才天)が結びつき金運向上のご利益で知られるようになります。
弁財天(弁才天)が七福神
そして、室町時代に始まったとされる七福神信仰で福の神の一柱として弁財天(弁才天)が名を連ねます。
この七福神には弁財天(弁才天)の前に、弁財天(弁才天)と同一視される吉祥天という仏教由来の神様がいたとされますが、弁財天(弁才天)の信仰が人気だったことからかその座を奪われます。
七福神の信仰は、江戸時代の徳川家康の政治顧問として有名な天海大僧正によって広まったと言われます。
七福神の歴史や、他の寿老人や福禄寿、布袋尊など中国由来の神様など七福神についてはこちらで解説しています。
七福神とは|ご利益,名前の意味等解説 布袋/恵比寿/大黒天/毘沙門天/弁財天/福禄寿/寿老人
よく知られる弁財天(弁才天)の絵や画像は
上記の画像のような、琵琶を持ち美しい天女の姿をした、七福神でおなじみの弁財天(弁才天)像は実は仏像としてはあまり作例がないと言われます。
この姿は密教の世界観を表す胎蔵界曼荼羅の中で描かれる、もしくは大日経というお経で描かれる弁財天(弁才天)の姿が由来とされます。
琵琶を持った美しい二臂の妙音弁財天女像
日本では神奈川県江ノ島にある江島神社に珍しい妙音弁財天像という天女姿の弁財天(弁才天)像があります。
しかもこの仏像は裸身というとても珍しい姿で、鎌倉時代の作とされますが、とても美しい色を保っています。
実物を見た関そうとしては、約800年もの時が経っているとは思えないほど鮮やかな発色と、艶感があるなと感じました。
写真は撮ることができませんので、こちらの江島神社のサイトからご覧ください。
仏像としては弁財天(弁才天)が楽器を持っている姿と言うのは珍しいですが、七福神の信仰が広まると美しい女神、天女という姿の弁財天(弁才天)が多く描かれるようになります。
美しい女神として女性の守護や縁結びのご利益も
この美しい女神と言う姿から、女性を守護する神様という性格が言われるようになったと考えられます。
また、美しい女神という弁財天(弁才天)は同じく美しい女神であり水の神というご神格を持つ日本のイチキシマヒメ(市杵島姫命)と同一視されるようになります。
このイチキシマヒメ(市杵島姫命)は縁結びの神様とも知られることから弁財天(弁才天)は縁結びというご利益も持つようになったと考えられます。
イチキシマヒメについてはこちらで詳しく解説しています。
イチキシマヒメ(市杵島姫命)|ご利益・神社や弁財天/瀬織津姫との説を解説
ここまでご紹介したのは、あくまで説であって、そもそも日本人の宗教観では全般の福徳をもたらしてくれるという存在が神様であり、上記で見たようなご利益の由縁など明確になかったのかもしれません。
神仏分離令後の弁財天(弁才天)
ここまで見た弁財天(弁才天)の信仰は、神道由来、仏教由来など関係なく、民衆から慕われた神様でしたが、明治に入ると神道と仏教を明確に分離するという神仏分離令が発布されます。
この神仏分離令の結果、弁財天(弁才天)を祀っていた神社では弁財天(弁才天)という名称は変更しなければならないようになり、同一視される神様の名称に変更されます。
さらに、神社で祀られていた仏像を破壊したり、仏教寺院を破壊する廃仏毀釈の波が押し寄せると、それまで神社と寺院もつながっていたところから、寺院を独立させたり、そもそも寺院を破壊することになります。
こうして、現在日本三大弁財天と言われ信仰を集める神社では、弁財天(弁才天)を祀っていたのに現在では祀る神様の名前が違うようになります。
明治時代の神仏分離令や廃仏毀釈の歴史についてはこちらで詳しく解説しています。
神仏分離令とは|神仏分離の目的や廃仏毀釈等への影響をわかりやすく解説
廃仏毀釈とは|意味やなぜ起きたのか,原因/背景・京都の事例等を解説
弁財天(弁才天)と関係が深い/同一視される神様
弁財天(弁才天)は宇賀神やイチキシマヒメと同一視されるとご紹介しましたが、他にも様々な神様と同一視されたり、縁が深い神様として知られます。
弁財天(弁才天)と蛇神(白蛇神)
よく弁財天(弁才天)を祀る神社では蛇神や白蛇神を祀る神社が見られます。
この弁財天(弁才天)と蛇神がつながるという信仰の形はお経にはなく、インドや中国でも見られないそうで、日本独自の弁天信仰と言えます。
日本では蛇は田んぼを荒らす害獣を食べることから田の神として祀る民間信仰があったりその他様々な面で神聖な動物として見られていました。
弁財天(弁才天)のお使い(眷属)が蛇と考えらるようになったのは、弁財天(弁才天)と宇賀神が同一視されるようになったように、水の神・豊穣の神というご神格があったことからと考えられています。
弁財天(弁才天)のご縁日が巳の日となった由縁
弁財天(弁才天)と蛇神がつながるようになると、弁財天(弁才天)のご縁日は干支の巳が担当する巳の日となります。
巳の日に金運に関わることが良いとされるのは、この蛇神や弁天様のご利益に預かるということからだそうで、全国の弁財天(弁才天)を祀る神社や寺院では巳の日にお参りをすると大きなご利益にあずかることができると言われます。
ちなみに、巳の日は12日に一度やってきますが、60日に一度しかやってこない、己巳の日という日がありこちらも弁財天(弁才天)をお参りすると良いと言われます。
巳の日についてはこちらで詳しく解説しています。
巳の日/己巳の日の意味とは弁財天のご利益で金運UP!2018/2019年カレンダー付
弁財天(弁才天)と龍神
弁財天(弁才天)と龍神については様々な伝説があって、龍神がいる/いたとされるところに弁財天(弁才天)が祀られるということが多くあります。
最も有名なのは、江ノ島に伝わる五頭龍と弁財天(弁才天)の伝説です。
少しその伝説についてご紹介いたします。
五頭龍と弁財天(弁才天)の伝説
1500年前、このあたりに五頭龍という龍が住み、田畑を荒らしたり、このあたりに災害をもたらしていたとされます。
村人は生贄を与えるなどして、この五頭龍をなだめるも、苦しい生活をしていたところ、突如として美しい天女が波間から現れてきたそうです。
この天女こそ弁財天(弁才天)で、この登場により、江ノ島が誕生したそうです。
災いをもたらす五頭龍は弁財天(弁才天)を見て、恋に落ち求婚します。
しかし災いもたらしたことを責められ、断られてしまいます。
しかし諦めない五頭龍は善神となって、村人に福をもたらすことを約束し、弁財天(弁才天)と結婚をすることになります。
以降、福をもたらした五頭龍は江ノ島の大願の竜口山に姿を変え、今は龍口明神社に五頭龍大神として祀られるようになります。
このような龍神と弁財天(弁才天)の伝説は他の地域でもあり、石川県にも弁天様の美しさから災いをもたらすことを止めた龍の伝説があります。
龍神を祀る神社や寺院では弁財天(弁才天)、もしくは弁財天(弁才天)と同一視される神様を祀る例が見られます。
弁財天(弁才天)と宗像三女神・イチキシマヒメ
先ほど、弁財天(弁才天)と同一視される神様にイチキシマヒメという神様をご紹介しましたが、イチキシマヒメは宗像三女神という三姉妹の末妹で、宗像三女神を祀る神社で弁財天(弁才天)が同一視されたという例もあります。
宗像三女神は水の神や海上安全の神という神格で全国の港の近く等水辺の近くで祀られるます。
同じ水の神という点で弁財天(弁才天)が同一視されるようになります。
その中でも特に美しいと言われるイチキシマヒメが同一視される例が多いです。
宗像三女神と言う神様についてはこちらで詳しく解説しています。
宗像三女神とは|ご利益や神話/伝説、祀る神社や弁財天と同一説を紹介
弁財天(弁才天)と吉祥天
弁財天(弁才天)は同じ仏教の神様の天部に属する吉祥天と同一視されます。
この吉祥天は弁財天(弁才天)信仰よりも早くから日本では信仰され、吉祥と言う名前の通り、福をもたらすとても美しい女神として祀られていました。
弁財天(弁才天)はこの吉祥天という神様の美しいという点や幸福をもたらすという点などを受け継いだと言われ、現在では吉祥天に変わり七福神に列しています。
一説には、吉祥天の妹の黒闇天という疫病神がおられるのですが、この存在により七福神が弁天様になったとも言われます。
吉祥天と言う神様についてはこちらで詳しく解説しています。
吉祥天のご利益/ご真言や祀られる神社/寺を紹介|有名な吉祥天女像も解説
弁財天(弁才天)と瀬織津姫
また、弁財天(弁才天)は瀬織津姫と言う神様とも同一視されています。
瀬織津姫という神様は大祓詞という神道で重要とされる祝詞の中で、川にいらっしゃって私たちの罪穢れを払ってくださる神様であることから、河の神である弁財天(弁才天)と同一視されたと言われます。
瀬織津姫という神様は日本神話にも出てこない謎の多い神様なのですが、瀬織津姫が祀られた神社には現在天照大御神(アマテラスオオミカミ)が祀られ、日本の最高神と同一視されることから、様々な説の多い神様です。
瀬織津姫についてはこちらで詳しく解説しています。
瀬織津姫とは|封印された龍神・弁財天とも言われる伝説の神様を解説
弁財天(弁才天)を祀る神社や寺院をご紹介
弁財天(弁才天)を祀る神社や寺院をご紹介いたします。
とても多くの神社で弁財天(弁才天)を祀っていますが、今回は日本国内でも特に有名な弁財天(弁才天)を祀る神社や寺院、不思議な伝承のある地をご紹介いたします。
竹生島神社/宝厳寺(滋賀)|日本三大弁財天
竹生島神社は日本三大弁財天として知られる神社です。
この神社は明治時代の神仏分離令の影響で、竹生島にあった宝厳寺という寺院から日本の神様のイチキシマヒメという名称で、宇賀神、龍神等と共にご祭神として祀り、神社として独立しました。
宝厳寺の創建は、奈良時代の聖武天皇の夢の中で、アマテラスオオミカミがこの竹生島の地に弁財天(弁才天)を祀りなさいという神勅を受けたこととされ、日本三大弁財天の中でも特に大弁財天と呼ばれる地です。
竹生島神社では年に一回、日本三大弁財天(江島神社、厳島神社)から弁財天(弁才天)をお迎えして三社合同でお祀りする三社弁財天祭が毎年6月10日に行われています。
江ノ島神社(神奈川)|日本三大弁財天
江島神社は五頭龍と弁財天(弁才天)の伝承でもご紹介しましたが、日本三大弁財天として有名な神社です。
こちらは宗像三女神を現在お祀りしていますが、辺津宮という最初の宮の左側に奉安堂に弁財天(弁才天)の仏像が祀られます。
鎌倉七福神の弁天様を祀る神社でもあります。
鎌倉七福神巡り|御朱印色紙,所要時間,ルートの地図や見所などの情報
江島神社の八臂弁才天像・妙音弁才天像
江島神社の奉安堂は、上記でもご紹介しましたが、手が八本あり源頼朝が戦勝祈願した八臂弁財天像と、琵琶を持つ珍しい妙音弁財天像の二像があります。
写真撮影厳禁なので外からの写真ですが、巳の日にお参りをすると、白い巳様という小さな蛇の置物に祈願する内容を表す一文字を書いてご奉納することができます。
他にもたくさんの宝物が見ることができます。
厳島神社(広島)|日本三大弁財天
厳島神社は海上安全や航海安全で知られる宗像三女神を祀る神社ですが、日本三大弁財天としても知られます。
現在は神仏分離令の影響で、元々厳島神社の神宮寺であった大願寺に弁財天像が祀られます。
大願寺の弁財天像は秘仏となっているのですが、6月17日にのみ一般公開されます。
天河大辯財天社(奈良)|日本三大弁財天(日本五大弁才天とも)
日本三大弁財天、もしくは日本五大弁財天と称される天河大辯財天社(天河神社とも称されます)
この天河大辯財天社の創建は飛鳥時代と言われ、修験道の開祖であり歴史書にも出てくる実在の人物の役行者が弁財天(弁才天)を祀ったことが創建の由来とされる神社です。
役行者はとても不思議な力を持っていたという伝説の多い人ですが、その役行者に次いで空海も修行した場と言われ古くから伝説の多い神社です。
この神社は能楽に縁の深い地であることから、弁財天(弁才天)の芸能のご利益で特に有名です。
天河大辯財天社には不思議な話があります。
それはこの神社にお参りをしたいと思っても、呼ばれないと(縁がないと)神社にたどり着けずお参りできないというのです。
ぜひ気になる方は一度自分の足で試してみてください。
金華山黄金山神社(宮城)|日本五大弁財天
日本五大弁財天の一つ、宮城県の金華山黄金山神社は宮城県にある島にある神社です。
奈良時代の創建とされ、こちらも神仏習合時代を経て、弁財天(弁才天)が祀られるようになりますが、明治時代の神仏分離令により、ご祭神の名称が変えられます。
弁財天十五童子(十六童子)像がある
弁財天(弁才天)は様々な仏像が作成されますが、その一つの偽経「仏説最勝護国宇賀耶頓得如意宝珠陀羅尼経」で弁財天(弁才天)が十五童子、十六童子を眷属としている姿が描かれ、それを元にした仏像があります。
金華山黄金山神社の山頂には、その弁財天十五童子像が祀られています。
銭洗弁財天宇賀福神社(神奈川)|銭洗いで有名な地
銭洗弁財天と通称で呼ばれる、宇賀福神社は境内の奥にある洞窟の中出湧き出る霊泉で銭洗いできる神社として有名です。
この銭洗いをして得た種銭を財布や通帳などお金が集まるところに入れておくとたくさんのお金を集めると言われ、弁財天(弁才天)の金運財運のご利益に預かるために多くの人が参拝する神社です。
ちなみに、銭洗いのお作法があって、いきなりこの写真の洞窟内で洗うのではなく、社務所に行って必要な方法を教えていただいて正しく銭洗いをしてください。
鶴岡八幡宮にも弁財天(弁才天)が
銭洗弁財天宇賀福神社からも近い鶴岡八幡宮は、江島神社ともう一つの鎌倉七福神巡りの弁財天(弁才天)を祀る神社です。
鶴岡八幡宮は古くは弁財天(弁才天)を祀っていたのですが、神仏分離令の影響で仏教に関わる事物を消滅させてしまったのです。
しかし今でも、源氏池という鶴岡八幡宮の境内入ってすぐ右の池に旗上弁財天社という祠があります。
小網神社(東京)|東京の銭洗弁財天・日本橋七福神
小網神社は、東京都内で銭洗いができる神社です。
この小網神社は都内屈指のパワーポイントとして有名です。
その言われは、第二次世界大戦時、小網神社の氏子さんでお守りを持って出征した方はみな無事に帰ってきたという話や、東京大空襲の後特に爆撃を受けた地域のこの地で、奇跡的に社殿等が戦火に襲われず立ち続けていたからと言われます。
建物と建物の間にひっそりとたたずむ不思議なパワーポイントで銭洗いもできる神社です。
ちなみにここは弁財天(弁才天)を祀ることでも知られますが、日本橋七福神巡りでは福禄寿を祀る神社となっています。
日本橋七福神巡り|御朱印や宝船を集めて2019年の初詣.地図(Googleマップ付)
上野寛永寺不忍池辯天堂(東京)|谷中七福神巡りの一つ
上野寛永寺を建立し、七福神信仰を世に広めたという天海大僧正が建立した上野の不忍池にある弁財天(弁才天)を祀るお堂です。
日本三大弁財天の竹生島宝厳寺を見立てたとされ、元は橋がなかったのが後に橋を架けるようになったと言われます。
上野寛永寺の不忍池弁天堂では、「巳成金」という一年で最も金運が上がると言われる日に弁財天(弁才天)のご縁日として巳成金大祭をしています。
「巳成金」が「実の成る金」につながる縁起の良い日ということなのですが、これは暦注の干支が巳の日で、十二直の「成」、二十八宿の「金」が合う日です。
谷中七福神の弁財天(弁才天)を祀る寺院です。
布施弁天 東海寺(千葉)|関東三大弁財天
東海寺は関東三大弁財天と称される、千葉県にある弁財天(弁才天)を祀る寺院です。
東海寺の弁財天(弁才天)は空海によって開山された寺院です。
そのご縁起では、赤い龍が現れ、それが東海寺のある千葉から遠く離れた兵庫の但馬からやってきたと仰り祀ったそうです。
後に空海がこの地に来てそのことに感嘆し、お祀りした弁財天(弁才天)とされます。
六波羅蜜寺(京都)|都七福神巡りの一つ
七福神巡りの発祥とされる京都の都七福神で弁財天(弁才天)を祀るお寺が六波羅蜜寺です。
もちろん他にも妙音弁財天が祀られる、出町妙音堂や、伏見にある辨財天長建寺(通称:島の弁天様)等様々な寺院で弁財天(弁才天)は祀られています。
六波羅蜜寺でも巳成金の日に「弁財天巳成金特別祈願会」を行っています。
瀧安寺(大阪)|日本最初の弁財天(弁才天)を祀る寺院
大阪の箕面にある瀧安寺は日本で初めて弁財天(弁才天)を祀った寺院と言われます。
その縁起は、天河大辯財天社を建立したとされる役行者によるもので、役行者は弁財天(弁才天)の導きを受けたとされ、そのご恩で手ずから作成した弁財天(弁才天)をこの地にお祀りしたとされます。
七福神の弁財天の御朱印は別に
最近流行の御朱印集めですが、弁財天(弁才天)をお祀りする神社や寺院で七福神巡りをされている場合、二種類の御朱印を授与していただきます。
一つはその神社・寺院のもの、そしてもう一つが七福神巡りの弁財天(弁才天)の御朱印です。
七福神巡りについてはこちらで詳しく解説しています。
七福神巡りが盛んな東京を中心に他の地域のものも一部ご紹介していますのでぜひご覧ください。
東京七福神めぐり|おすすめコースや一か所で巡る人気の寺院をご紹介
弁財天(弁才天)にまつわる様々な説
弁財天(弁才天)に限らず、神様には様々な説がありますが、巷にある弁財天(弁才天)に関する気になる説とその由来について一部ご紹介いたします。
弁財天(弁才天)が嫉妬深くカップルを別れさせる説
弁財天(弁才天)が縁結びや恋愛成就の神様であるのに、このような説があるのは矛盾していないかと感じると思います。
そもそもこの説は弁財天(弁才天)ではなく、その同一視される宗像三女神の長女の田心姫神(タゴリヒメ)と言う神様に古くから伝わる伝説なのです。
宗像三女神を祀る総本宮は福岡県にある宗像大社というところなのですが、この宗像大社は三姉妹の女神の内、長女タゴリヒメと次女タギツヒメは九州本土から離れた島に祀られます。
この長女が祀られる島を沖津島と言い、長女を祀る沖津宮と言うのがあるのですが、この沖津島は今でも女人禁制が守られる島全体がご神体なのです。
この女人禁制の理由については様々な解釈があるのですが、その一つが、長女のタゴリヒメはこの沖津島に閉じこもり、外海を常に見張るという役について、生涯独身を貫いているため、女性がくると嫉妬するというものがあります。
文献によってタゴリヒメがオオクニヌシノミコト(大国主命)結婚しているなどと言う表記もあるのですが、宗像大社の説から弁財天(弁才天)が女性やカップルに嫉妬するという俗説が生まれました。
弁財天(弁才天)がトイレの神様説
弁財天(弁才天)はトイレの神様という説があります。
トイレの神様というのは、民間信仰の側面が強いので、定説があるわけではありません。
日本は八百万の神々と言いますが、家の中のいたるところに神様が宿ると考え、それはトイレでも同じです。
厠神と古来呼ばれたトイレの神様は、男女神や女神という説など地域によって様々だったそうで、必ずしも弁財天(弁才天)という神様であるとは言えないようです。
ちなみに、「トイレの神様」という歌が有名になったこともあってその姿は「それはそれはきれいな女神様」と言われますが、日本の神様としてトイレの神様と言われる神に、罔象女神(みつはのめのかみ/ミヅハメノカミ)という神様がいらっしゃいます。
日本最古級とされる水神信仰の地である奈良県丹生川上神社のご祭神としても祀られ水神様として有名な神様なのです。
この神様は日本神話においてイザナミノミコト(伊邪那美命)がカグツチという火之神を産んだ際に陰部を大やけどして亡くなる場面で、苦しみながらも神々を生み、その中でイザナミの小便がミヅハメノになるという一説があることからもトイレの神様と言われます。
とても美しい女神だとされることから、トイレの神様はとても美しい女神と言われるのかもしれませんね。
弁財天(弁才天)は人気がゆえにスピリチュアルな説が多い
今回は弁財天(弁才天)のご利益や同一視される神様の説などをご紹介しました。
この他にもたくさんの説がありますが、スピリチュアルな説がとても多いです。
天河大辯財天社のように、呼ばれないと行くことができないなど、古くから有名な霊験あらたかとも言うべき伝承もありますし、不思議な話も多い神様です。
最後に弁財天(弁才天)とは何の神様かをまとめると
ここまで読んでいただきありがとうございました。
長くなりましたので、最後にもう一度弁財天(弁才天)という神様が何の神様かをまとめます。
水の神→豊穣/金運財運の神様・蛇神/龍神と関係
弁財天(弁才天)は仏教に取り入れられる前はインドの河・水の神様であり、豊穣の女神でした。
日本に入った直後は、別の信仰で有名でしたが、後に日本でも豊穣の神と結びつくようになり、そこから、金運財運の神様となります。
また、水の神という性格からか、様々な龍神伝説でも姿を現したと言われ、蛇をお使いとするとされたり、龍神との縁が深いとされます。
龍神についてはこちらでも様々な伝承などご紹介していますので、ぜひご覧ください。
龍神とは|龍神様の種類・意味、日本の龍神信仰/伝説・祀る神社をご紹介
音楽/芸能の神様・弁舌の神様
弁財天(弁才天)はインドの神様のサスラヴァティーのご神格等から、音楽や芸能の神様、弁舌・学業の神様となります。
日本では芸能の神様として知られるアメノウズメノミコト(天鈿女命)と言う神様がいらっしゃいますが、実はこの神様も昔七福神に数えられていたと言われます。
美しい神→恋愛成就や女性守護の神様
吉祥天の特徴も引き継いだ点ですが、弁財天(弁才天)は美しい女神様ということで、女性の守護をすると言われます。
また、日本の美しい女神のイチキシマヒメのご利益も受け継ぎ、縁結びの神様として知られます。
また、イチキシマヒメの姉で、宗像三女神の長女のタゴリヒメの伝承から、女性に嫉妬するやカップルを別れさせるという説も生まれました。
国家鎮護・守護の神様→勝運・立身出世の神
弁財天(弁才天)が日本の伝来した当初の、戦の神ともみられる八臂弁財天像の姿から元々は武運の神としても崇敬が深かった神様です。
源頼朝の逸話にもありますが、勝運などのご利益でも信仰されるようになります。
弁財天(弁才天)の梵字
最後に、弁財天(弁才天)という神様を表す梵字をご紹介します。
弁財天(弁才天)の梵字は「ソ」と読みます。