宗像三女神とは|ご利益や伝説をご紹介
宗像三女神は宗像大社という日本の歴史上重要な位置に創建される神社に祀られる美しい3女神を言います。
日本神話において、スサノオノミコトの子(もしくはアマテラスオオミカミの子)とされ、とても重要な役割を持って地上に降り立ったとされる伝説を持つ神様です。
そんな宗像三女神の伝説についてや、民衆からも広く財運や交通安全などのご利益で信仰を集める宗像三女神にまつわる様々な説をご紹介します。
宗像三女神の三姫の名前・読み方
宗像三女神は3姉妹の神様で、古事記や日本書紀の中で、順番や名前が複数でてきます。
最も一般的に知られるのは、
長女:タゴリヒメ(田心姫命)
次女:タギツヒメ(湍津姬/多岐都比売命)
という宗像大社のご祭神としての名前でしょう。
しかし、他にも漢字の別表記がある以外に宗像三女神にはたくさんの名前があり、しかも古事記などの文献の中では長女次女三女の名前の順が変わったりするのです。
長女のタゴリヒメは、他にタギリヒメノミコト(多紀理比売命)と呼ばれたり、オキツシマヒメ(奥津島姫命/瀛津嶋姬)、タコリヒメ,タキリヒメ(田霧姫命)と呼ばれます。
名前の由来には、霧や滾り(潮の流れが速い事の意)があるとされます。
タギツヒメも同じく滾つから来ているとされます。
宗像三女神の中でも一番有名で人気の神様であるイチキシマヒメ(市杵島姫命)もたくさんの名前もありますし、このあたりはかなりあいまいな部分が多いです。
イチキシマヒメの名前の由来は、斎く(いつく)というのが神に仕えるという意味です。
イチキシマヒメ(市杵島姫命)は宗像三女神の中でも特に弁財天と同一視されることから1柱で祀られることも多くあります。詳しく知りたい方はこちらをご覧ください。
イチキシマヒメ(市杵島姫命)|ご利益・神社や弁財天/瀬織津姫との説を解説
宗像三女神の別称|道主貴など
宗像三女神それぞれに別々の名前があるのですが、宗像三女神という3女神が一緒に祀られるときにも別の名前で表記されることがあります。
その一つは「道主貴(みちぬしのむち)」という尊称です。
宗像三女神は航海安全・交通安全の神様として知られますが、日本神話にも表記される道主貴という名前からもそのご利益がわかります。
この「貴(むち)」という名前は、日本神話にたくさん出てくる神様の中でも、3柱の神様にだけ使われる重要な言葉です。
アマテラスオオミカミ(天照大御神):大日孁貴(オオヒルメノムチ)
オオクニヌシノミコト(大国主命):大己貴(オオナムチ)
それぞれ高天原を治める最高神と、葦原瑞穂之国(今の日本)という国を造る大偉業を成した神々です。
この2柱と宗像三女神だけにだけ「貴」という尊称が利用されているのです。
以下に宗像三女神は古代において重要視された神様かわかりますね。
この他にも、全国に3万社もあるとされる八幡宮の比売神(ひめのかみ)として宗像三女神が祀られたり、市神(いちのかみ)などの別称で、宗像三女神は祀られます。
とても重要視される神様のご利益についてご紹介しましょう。
宗像三女神のご利益・御神徳
宗像三女神のご利益・御神徳は以下のものが特に有名です。
- 航海安全
- 交通安全
- 海上安全
- 大漁
- 商売繫盛
- 技芸上達
- 金運・財運向上
- 福徳円満
- 国家安泰
日本では古くから水のあるところ、海の近くの神社に宗像三女神が祀られ漁師や貿易を行う商人、船乗りに信仰されてきました。
仏教の天部という神様の弁財天と習合(同一視されること)すると、金運・財運の神様としてや芸事の神様としてのご利益も有名になります。
宗像三女神のご神格
- 海の神
- 水の神
- 道の神
- 財福の神
- 芸能の神
宗像三女神の神話や伝説
宗像三女神が日本神話や様々な文献ででどのように描かれているのか、神話の物語や、様々な伝説をご紹介します。
スサノオノミコトの子として宗像三女神が誕生
宗像三女神の誕生は、スサノオノミコトとアマテラスオオミカミの誓約(うけい)という場面です。
スサノオノミコトが亡くなった母のイザナミノミコトに会いたいと泣き続けたため、イザナギノミコトに地上から追放されたため一度、天上界にいる姉の元へ向かうことになります。
その向かっている途中スサノオノミコトの巨体やみなぎる力によって、草木はざわめき、地が揺れてやって来たためアマテラスオオミカミが自分の国を奪いに来たと勘違いして武装をして天安河という河原で待ち構えます。
スサノオノミコトは全く国を奪おうとなど考えていないので、自分の心の内を誓約(うけい)という占いによって明らかにしようと勝負に出ます。
誓約の流れを簡単に紹介すると、スサノオノミコトが持っていた剣をアマテラスオオミカミが天の眞名井という清らかな水が湧くところで清め、かみ砕き吹き出すととても美しい3女神が生まれたのです。
これが宗像三女神です。
逆にスサノオノミコトはアマテラスオオミカミの身に着けていた八尺瓊勾玉を同じ要領で清め、かみ砕き吹き出すと5柱の男神が生まれます。
この占いで、美しい手弱女がスサノオノミコトの持っていた武器から生まれたということは、荒々しい国の乗っ取りなどは考えていないということだとして、スサノオノミコトが誓約で勝利します。
このやり取りで宗像三女神はスサノオノミコトの子として描かれます。
ただアマテラスオオミカミの子という捉え方もあります。
誓約の場面などについてはスサノオノミコトとアマテラスオオミカミの記事にて詳しく解説をしていますので、気になる方はぜひそちらもご覧ください。
アマテラスオオミカミ(天照大御神)とは|伊勢神宮の神社史や神話の姿
スサノオノミコト(素戔嗚尊)とは|神話(ヤマタノオロチ等)、ご利益等を解説
天孫降臨ではアマテラスオオミカミから神勅を受ける
天孫降臨は、アマテラスオオミカミの孫であるニニギノミコトが地上世界に降り立つ時の話です。
オオクニヌシノミコトがスクナヒコナやオオモノヌシと言う神様と共に国造りした葦原中津国がアマテラスオオミカミに譲られ、その譲られた国を統治するために天孫ニニギノミコトが降臨されるときに、宗像三女神も共に降臨されます。
宗像三女神は、この降臨に際してとても重要な言葉をアマテラスオオミカミから直々に受けます。
この言葉はご神勅と呼ばれ、天孫降臨に際してご神勅を授かったのはニニギノミコトと宗像三女神のみと言われ、以下に重要な神様なのかがわかります。
宗像三女神が授かった神勅は、
「汝三神、宜降居道中、奉助天孫而爲天孫所祭也」という言葉で、
「あなたたち宗像三女神は、天孫が降臨される道中の宗像の地にて、天孫を助けられ、天孫(皇室)の繁栄のために祭祀を行ってください」という意味です。
この言葉を授かり、道を示す神様として宗像三女神は宗像大社のある地に静まられます。
宗像三女神とオオクニヌシ
宗像三女神の女神は、様々な説があるのですが、夫にオオクニヌシノミコト(大国主命)をもらい、子にコトシロヌシ(事代主神)を産んでいるとされます。
古事記においては、奥津宮神・長女のタギリヒメを娶って2柱の神を産んだとされます。
しかし、様々な説がありイチキシマヒメ(市杵島姫命)の夫がオオクニヌシノミコトとするものもあり、ここは説が一定しません。
さらに後程見ますが、長女タギリヒメは一生独身を貫き女人禁制の要因となる伝説も残しています。
宗像三女神と宗像氏(胸形氏)
ここまでは日本神話の表記をまとめましたが、神話の話と実際の宗像三女神の信仰に関わる豪族の存在の説をご紹介します。
日本神話は実際に存在した民族との闘争や協力関係を、神様という物語で表現したものと言われます。
例えば、天津神と国津神という存在も、大和朝廷という中央政権に関わるようになった重要な士族は天津神のグループが祖神で、その他の地域の豪族や王権は国津神と表現されていると言われます。
宗像三女神は日本最古の書物の古事記において、
故、其先所生之神、多紀理毘賣命者、坐胸形之奧津宮。次市寸嶋比賣命者、坐胸形之中津宮。次田寸津比賣命者、坐胸形之邊津宮。此三柱神者、胸形君等之以伊都久三前大神者也。
このように書かれ、簡単に訳すと、宗像三女神は胸形(宗像の地)の奥津宮にタギリヒメが、中津宮にイチキシマヒメが、辺津宮にタギツヒメが胸形氏により祀られると書いています。
宗像氏は戦国時代まで続く名門中の名門で、神話の時代から九州を支配する海人族という豪族だったと考えられています。
大和朝廷と組んでこの地を支配した宗像氏の祀る神様が、日本神話に取り入れられ女神として表現されたのではないかとされます。
ちなみに、日本書紀では、
卽以日神所生三女神者、使隆居于葦原中國之宇佐嶋矣、今在海北道中、號曰道主貴、此筑紫水沼君等祭神是也。
という表記も見られ水沼君氏と宗像三女神が関わっているという表記が見られるなど様々な説が存在しています。
いずれにしても、宗像の地に祀られるということは、神代からであり古くから日本の玄関口(中韓への)を守護する重要な神様だったとされます。
宗像三女神はオリオンのベルトを意味するという説
世界では、星を神格化した存在がたくさんいます。
古代において星を見ることは暦の作成、政権やその他様々なもの事の占いに利用されるとても大事な指標であり、七福神の寿老人や福禄寿も星の神様と言われます。
宗像三女神は、三柱が並んでいることから星の中でも重要視されるオリオン座の真ん中の3つの星(オリオンのベルト)を神格化したと言われます。
ちなみにこの説は住吉三神にも言われることです。
宗像三女神と弁財天等同一視される神様について
宗像三女神は日本の様々なところで祀られていますが、宗像三女神という名前よりも、弁財天という名前で祀られていることで有名な神社が多いかもしれません。
実際、宗像三女神を祀る神社では弁財天を祀り金運・財運の神をまつる神社として知られます。
宗像三女神と同一視される神様についてご紹介いたしましょう。
宗像三女神と弁財天
宗像三女神の中でも、イチキシマヒメ(市杵島姫命)を弁財天と同一視されるのが一般的です。
宗像三女神と弁財天が同一視されるようになった要因としては、
いずれも「水の神」というところや「美しい女神」であるということが言われます。
宗像三女神が弁財天と習合した結果、金運や財運、芸事の神様としてのご利益が一般に広く知られるようになりました。
現在では、明治期の神仏分離令の影響から、弁財天をご祭神に掲げずに宗像三女神や、イチキシマヒメ(市杵島姫命)という名でお祀りしているところが見られます。
これらは後程詳しく解説します。
イチキシマヒメ(市杵島姫命)についてはこちらで詳しく解説しています。
イチキシマヒメ(市杵島姫命)|ご利益・神社や弁財天/瀬織津姫との説を解説
弁財天と言う神様についてはこちらで詳しく解説しています。
弁財天(弁才天)とは|弁天様のご利益や信仰の歴史、祀られる神社をご紹介
宗像三女神と瀬織津姫
宗像三女神(特にイチキシマヒメ)は、瀬織津姫という神様とも同一視されています。
瀬織津姫という神様は、祝詞の大祓詞にのみ出てくる祓戸大神という女神ですが、謎が多いため様々な神様と同一視されます。
その中でも有名な同一視される神が弁財天であり、そこから宗像三女神も同一視されるようになったとされます。
瀬織津姫は他にも、アマテラスオオミカミの荒魂として祀られていたり不思議な経歴を持つ神様として知られます。
瀬織津姫とは?封印された龍神・弁財天とも言われる伝説の神様を解説!
宗像大社|宗像三女神を祀る神社の総本宮にて世界遺産
宗像三女神を詳しく知るために、宗像大社についてもご紹介いたします。
その他の宗像三女神を祀る有名な神社は後程ご紹介いたします。
宗像三女神を辺津宮・中津宮・沖津宮に配置
宗像大社は日本の古代の神を祀る儀式をしていたとされる遺跡があるなど、とても古くから存在する神社です。
宗像大社は3つの宮から成り、玄界灘にあります。
海北道中(かいほくどうちゅう)という朝鮮半島との海路にあり、古代から外敵に対する守護と、航海・海の守護神とされてきました。
3つの宮はそれぞれ次のようになっています。
ご祭神 | 所在 | 特徴 | |
沖津宮 | タゴリヒメノカミ 田心姫神 |
沖ノ島 | おいわずさま 女人禁制 海中の祓etc |
中津宮 | タギツヒメノカミ 湍津姫神 |
大島 | 七夕伝説 |
辺津宮 | イチキシマヒメノカミ 市杵島姫命 |
宗像本土 | 一般的に参拝される社殿 |
日本の文献ではそれぞれの宮とご祭神がバラバラに表記されていますが、宗像大社では上記のようになっています。
イチキシマヒメは陸上の田島にある社殿で祀られそこでは一般的な神事を行います。
このことからもイチキシマヒメという神は斎く(=神の祭事をする)巫女が神格さされたなどとも言われています。
宗像三女神長女を祀る沖津宮の伝説や規則
宗像大社には、古から守られて来た独特の伝統が今でも残っています。
それらについてご紹介しましょう。
宗像三女神長女の性格と女人禁制
宗像大社は世界遺産として2017年登録を受け、有名になり観光に行きたいという人も増えたと思いますが、沖ノ島は一般の人は年間200人しか上陸できず、しかも女性は入ることができない女人禁制の島として知られます。
この女人禁制である理由には様々な解釈があるのですが、その一つの伝説に沖津宮に祀られる宗像三女神の長女の性格に原因があるとされます。
古事記では奥津宮(沖津宮)のタギリヒメがオオクニヌシノミコトと結婚したとされていますが、他の説では沖津宮に鎮座するタゴリヒメ(タギリヒメと同意)は結婚をせず生涯独身で沖津宮から海や航海の守護と外敵から日本を守るという重要な役割に徹したとされます。
結婚をしなかったため、一般の女性がくると嫉妬してしまい、不幸に見舞われると言われるようになったのです。
おいわずさま(不言島/不言様)
沖ノ島は船でしか行くことができず、しかも行く人間は限られています。
さらにその行ける人達には、絶対にしてはいけないという様々な掟があります。
その最も有名な掟が「おいわずさま」と言われるものです。
沖ノ島に上陸した人達は党内で見聞きしたものは口外してはいけないという掟があります。
さらに、言葉だけでなく、島にあるものは一木一草一石たりとも持ちだしてはいけないとされます。
沖ノ島はその島自体がご神体で何もかもが神様の一部と考えられているのです。
海中で禊
神社では御手水・手水舎で口や手を清めますが、沖ノ島は上陸前にイザナギノミコトが海中で行ったように禊祓をして体中を清めることが必要とされます、
沖ノ島は海の正倉院と呼ばれる
これほど、古くから厳しい戒律が守られてきた沖ノ島では、古代から人々が信仰の形などで様々なものを残してきました。
発掘調査をすると、とても貴重な文化財が何度も出土する沖ノ島は海の正倉院と言われるようになります。
宗像大社と七夕伝説
宗像三宮の中津宮がある大島(宗像本土から約10㎞沖合)には七夕伝説があります。
タギツヒメが祀られる中津宮の荒魂をお祀りする御嶽神社の近くに流れる天の川の両岸に、「織女社」と「牽牛社」という織姫と彦星に関係する神社があります。
ここは七夕伝説発祥の地として鎌倉時代から文献に見られる場所です。
今でも新暦で8月7日(旧暦の七夕にあたる)には七夕祭りが行われています。
さらに宗像大社について詳しく知りたい方はこちらで詳しく解説しています。
宗像三女神を祀る神社
宗像三女神を祀る神社は宗像大社以外にもたくさん日本には有名なところがあります。
それらについてご紹介しましょう。
厳島神社(広島県)|日本三大弁財天
厳島神社は宗像三女神を祀る神社で、古くから海上安全の神様として崇敬されてきました。
厳島神社は航海安全の神として古くから瀬戸内海を行き来する船乗りの信仰を集め、平安時代には平清盛の崇敬篤いことから大きく発展します。
日本三大弁財天にも数えられる厳島神社は、その社殿の美しさも相まって、一般の人からの信仰も集めています。
江ノ島神社(神奈川県)日本三大弁財天
江島神社は宗像三女神を祀り江島大神として知られます。
江ノ島には龍神伝説があり、弁財天が五頭龍の暴挙を納めたという伝説があります。
※その後五頭龍大神として、龍口明神社に祀られます。
江ノ島神社には、八臂弁財天・妙音弁財天という2つの全く姿の違う弁財天像があり、日本での弁財天像の変遷を見ることができます。
龍神様についてはこちらで詳しく解説しています。
龍神とは|龍神様の種類・意味、日本の龍神信仰/伝説・祀る神社をご紹介
竹生島神社(滋賀県)|日本三大弁財天
竹生島神社も日本三大弁財天と称される神社です。
竹生島神社は上記の神社で宗像三女神を祀っていたのに対し、宗像三女神の中のイチキシマヒメ(市杵島姫命)のみ祀っています。
琵琶湖に浮かぶ島にある竹生島神社は元は弁財天を祀る宝厳寺という奈良時代創建の寺院でしたが明治期に神仏分離令により神社となります。
天河神社/天河大辯財天社(奈良県)|日本三大弁財天
もう一つ日本三大弁財天とされる神社が天河大辯財天社、通称天河神社と言われる奈良の神社です。
飛鳥時代の創建とされ、日本で弁財天を勧請した初の神社とも言われています。
ご祭神は宗像三女神のイチキシマヒメを弁財天様として祀っています。
松尾大社(京都府)
渡来民族の秦氏の創建した松尾大社は、酒造の神として知られる神様とともに、宗像三女神のイチキシマヒメを祀っています。
古代の朝鮮との貿易も行う、渡来系(朝鮮系とされる)秦氏ですので、交通・海上安全のために宗像三女神を勧請したとされています。
宗像神社・厳島神社(京都府)
京都には、御所のすぐ近く(一方は御苑内)に宗像神社、厳島神社と呼ばれる神社があります。
いずれも由来は少々違いますが、宗像三女神を祀っており、古くから京都の天皇の住まう皇居の近くでご鎮座していたことがうかがえます。
市杵島神社(東京等)
宗像三女神の中でも特に弁財天と習合し、信仰されるイチキシマヒメを祀り、神社の名前にも市杵島の名を冠した神社は全国にあります。
東京には市杵島神社と名前がつく神社が3社もあります。
神様と仏様が同一視される神仏習合についてはこちらで詳しくご紹介しています。
神仏習合とは(=神仏混淆)|歴史・現在も影響の残る神社寺院の例をご紹介
宇佐神宮・宇佐八幡宮(大分県)
宗像三女神を比売神として八幡宮では祀っていますが、その起源は八幡宮総本宮の宇佐神宮です。
この宇佐の地に宗像三女神は降臨されたという伝承もあり、比売神として古くから祀られてきたとされます。