茅の輪くぐりとは|意味や由来、作法を解説
茅の輪くぐりとは6月と12月の末に日本の多くの神社で行われる、厄払いの神事です。
神社によっては、茅の輪くぐり以外に、
- 夏越の祓・大祓
- 茅輪神事
と呼ばれることもあります。
今回は茅の輪くぐりについてその意味や由来などを詳しく解説していきます。
茅の輪の読み方は「ちのわ」
茅の輪は「ちのわ」と読みます。
茅は「かや」とも読みますが、茅の輪に利用される植物のことで、古来から身についた厄を払う力があるとされてきました。
茅の輪くぐりの意味
茅の輪くぐりの意味は簡単に「厄除け」とご紹介しましたが、そのご利益は具体的に次のように言われます。
- 無病息災
- 厄難消除
- 開運厄除
等々
私たちが生活を送っている中で、知らず知らずのうちについてしまう災厄を振り払い、その後半年間健康で幸せに生きれるようにと願いを込めて行います。
6月末と12月の年末の期間に茅の輪くぐりをする意味
茅の輪くぐりが6月の末日と12月の大晦日に行っている理由は、それぞれこの期間が年末だったことに由来します。
現在の暦では、1年は12カ月となっています。
しかし、古来日本では1年を6カ月としていて、6月末と12月末はそれぞれ年末でした。
現代でも、年末には大掃除をして家をきれいにして一年間の汚れを落として新年を迎えますが、茅の輪はその考え方と近く、一年間の身についた穢れを落として、新年を清らかな状態で迎えるという意味があります。
後程、さらに詳しくこのあたりについてはご紹介いたします。
茅の輪くぐりはいつまでか
茅の輪くぐりは神社によっていつまで行っているのかや、期間が変わります。
お近くの神社でいつ行っているのかはご確認いただく必要がありますが、一般的な茅の輪くぐりの期間についてご紹介いたします。
夏の茅の輪くぐりは2020年6月30日まで
夏の茅の輪くぐりは6月の末までが基本です。
神社によっては6月1日から7月7日まで設置していたり、様々な期間があります。
また茅の輪は設置していなくても、現在で言う上半期の穢れを落とす行事として夏越の祓(名越の祓)を行っている神社もあります。
年末の茅の輪くぐりは2020年12月31日まで
年末の茅の輪くぐりは12月の末の大晦日までが基本です。
神社によってはお正月の期間に設置しているところもあるそうです。
茅の輪くぐりの由来
茅の輪くぐりという行事が行われるようになった由来には蘇民将来という人物についての日本の民話に由来します。
蘇民将来のお話は様々な書物で書かれていて、鎌倉時代に編纂された、「釈 日本各紀」や茅の輪くぐりにとても関係が深い八坂神社の歴史について書かれた「祇園牛頭天王御縁起」という書物や伊勢(三重県)などの伝承にてそのお話が見られます。
いずれも似たようなお話ですが、一部違う点がありますので、そのあたりを考慮して、簡単に蘇民将来と茅の輪のお話を解説いたします。
蘇民将来と茅の輪の物語
蘇民将来の茅の輪の物語には、スサノオノミコト(素戔嗚命)という神様か、そのスサノオノミコトと同一視される牛頭天王と言う神様が出てきます。(武塔神と表記されたものもありますがスサノオノミコトと同一視されます)
今回は釈日本各紀にある備後国風土記の蘇民将来の物語をベースにご紹介いたします。
武塔神という神様(=スサノオノミコト)が嫁を貰いに旅に出ます。
この旅の道中に日が暮れてどこか一泊できるところを探すことになります。
その村でお金持ちで大きな屋敷を構えていた巨旦将来(こたんしょうらい)という長者に宿をお願いすると、断られてしまいます。
(牛頭天王のお話の場合、断られたことに大激怒し一族もろとも殺してやろうかとするほどの荒ぶるのですが、その怒りを沈めます)
巨旦将来に断られた一行は、巨旦将来の兄弟であまりお金がない蘇民将来(そみんしょうらい)というものに宿を願い出ます。
すると蘇民将来は「狭い家で良ければ、ぜひお泊りください」と快諾します。
泊めたばかりでなく、貧乏ながらもとても丁重に対応した蘇民将来に感動したスサノオノミコト(牛頭天王)は一泊した後、蘇民将来の家を後にし旅の目的である龍神の娘をもらい、帰り路に蘇民将来のところへ感謝の気持ちとして「茅の輪」を授けます。
そして、「蘇民将来の子孫です」とわかるように茅の輪を腰につけなさいと言葉を残して元の国に帰っていきます。
スサノオノミコト御一行が帰って間もなくすると、この蘇民将来の子孫以外の村人は全員疫病によって死んでしまうのでした。
スサノオノミコトが渡した茅の輪の「厄除け」の力によって、蘇民将来の子孫たちは助かり、茅の輪や蘇民将来という名前には厄除けのご利益があるとなるのです。
ちなみに、牛頭天王の話では、蘇民将来の家にお世話になって旅立つ時に玉を授けます。するとその玉の力によって蘇民将来はとてもお金持ちになります。
そしてスサノオノミコトの話と同様、嫁をもらって国に帰る途中蘇民将来の村に立ち寄ります。
すると、蘇民将来がお金持ちになったことを羨んだ巨旦将来が今度は「私の家にどうぞお泊りください」と虫の良いこと言います。
この後ひと悶着があったのち、牛頭天王は巨旦将来の一族たちを蹴り殺すという何とも悲惨な結末に至ります。
蹴り殺した後牛頭天王は蘇民将来に「茅萱の輪(茅の輪)をつくって、”蘇民将来の孫”と書いたお札を玄関に飾りなさい」と言って後にします。
牛頭天王という神様は、元々疫病神だったのですが、疫病神から厄除招福の神様となって、全国様々な地で祀られるようになります。
牛頭天王という神様についてはこちらで詳しく解説しています。
牛頭天王とは|蘇民将来の物語やスサノオ都の同一説/ご利益やご真言を解説
牛頭天王という神様は昔はとても有名な神様でしたが、現在はあまり聞かれません。これは明治時代の神仏分離令の影響で、仏教に関係する牛頭天王を祀る神社は同一視されたスサノオノミコトという神様に名称を変えないといけなくなったからです。(昔は神様が同一視されることは往々にしてあって、これを神仏習合と言います。)
スサノオノミコトという神様についてはこちらで詳しく解説しています。
スサノオノミコト(素戔嗚尊)とは|神話(ヤマタノオロチ等)、ご利益等を解説
また蘇民将来のお話をさらに詳しく知りたい方はこちらで詳しく解説しています。
蘇民将来とは|茅の輪/子孫家門符の起源やスサノオ/牛頭天王の伝説を解説
茅の輪くぐりと夏越の祓・大祓
茅の輪くぐりという神事は、元々は「大祓・夏越の大祓」と呼ばれる行事があったところに、追加されたものです。
夏越の祓・大祓は冒頭で解説しましたが、新しい年を迎えるにあたって、一年間の身についた厄を祓い良い一年を迎えるために行われていた行事でした。
神社で唱えられる重要な祝詞の大祓詞はこの時に読まれていた祝詞から作成されたものです。
この祭礼は元々宮中が行っていたのですが、上記の蘇民将来のお話から、厄除けの神様である牛頭天王を祀った神社やスサノオノミコトを祀った神社で行われてそれが他の神社にも採用されるようになったそうです。
この夏越の祓は日本神話にあるイザナギノミコト(伊弉諾命)が死者の国から帰ってきて体についた穢れを払うために行った「禊祓」という神話に由来します。
ちなみにこの禊祓の時に、スサノオノミコトやアマテラスオオミカミ(天照大御神)という神様も産まれます。
大祓・夏越の大祓という行事についてはこちらで詳しく解説しています。
大祓とは|夏越の大祓の意味や人形・茅の輪くぐりの効果について解説
茅の輪の材料の意味
なぜ茅の輪という茅(かや)で作った輪っかが厄除けの力を持つようになったのかには諸説ありますが、茅という材料自体が厄除けの力を持っていたとされるためです。
現在では茅(茅萱)以外にも、同じイネ科の植物で作られることもあります。
茅の輪のくぐり方
茅の輪のくぐり方には作法があります。
ただこの作法は神社によって違いますし、参拝した先の神社の茅の輪の近くに、くぐり方の作法を図示してくれているのが普通ですので、神社の作法に則って参拝してください。
一応以下では一般的な茅の輪のくぐり方についてご紹介します。
茅の輪くぐりの作法
茅の輪は拝殿の前設置されていて、神社に入って、手と口を清めて、茅の輪をくぐって参拝をします。
くぐり方は、
- 茅の輪の前に立ってご本殿に向かって一礼をします。
- 左足で茅の輪をまたぎながらくぐって、左に回り茅の輪の正面に立ってまた一礼(写真の①)
- 右足で茅の輪をまたぎながらくぐって、右に回り茅の輪の正面に立ってまた一礼(写真の②)
- もう一度、左足で茅の輪をまたいで左に回り、茅の輪の正面に立って一礼(写真の③)
- 最後に茅の輪をくぐって拝殿の前に行きお参り
左足右足の作法がないところや、2度目の左周りがないなど違うこともあります。
茅の輪をくぐりながら唱える詞や和歌
また、茅の輪をくぐりながら神拝詞と言い、祝詞を唱えるという作法もあります。
茅の輪をくぐりながら唱える祝詞は
- 祓へ給へ 清め給へ 守り給へ 幸へ給へ
というものです。
その他にも、
- 一周目:水無月の名越の祓するひとは千年の命のぶといふなり
- 二周目:思ふ事みなつきねとて麻の葉をきりにきりても祓いつるかな
- 三周目:蘇民将来 蘇民将来
等々和歌を唱えたりもします。(神社本庁では上記の一周目の和歌を唱えるとのみ説明があるなどバラバラです。)
神社によって、違う和歌を唱えたりもしますので、そのあたりもご参拝した神社で確認してください。
茅の輪のくぐり方の由来
茅の輪くぐりで最も一般的な回り方である、「左→右→左」という回り方にはもちろん由来があります。
諸説あるのですが、この「左→右→左」という動作は、神道の様々な所作にも使われるものです。
例えば、御手水で手と口を清めるとき、手に注目すると「左→右→左」の順になります。
また、お清めのお塩を振る際も左→右→左。
ご祈祷をお願いして、神主の方がお祓いの際に、大幣(おおぬさ)を「左→右→左」の順に振る。
このように左→右→左が神道の所作にはよく出てくるのですが、この由来はイザナギノミコトが禊祓をしたさいに、
「左目→右目→鼻」と言う順番で洗ったことに由来するという説があります。
他にも、イザナギノミコトとイザナミノミコトが日本の国土と様々な神様を産む際、今で言う結婚式のような儀礼を行います。
その際、天にも昇る大きな柱をイザナギノミコトが左周り、イザナミノミコトが右回りでイザナギノミコトが声をかけるという流れで結婚をします。
このように古くから左→右という流れがあったことが、茅の輪くぐりの作法にも現れているのですが、この左の方が優位・大事という考えは神道に限らず日本では左上位という考えとして残っています。(演劇等の舞台も左が上手と言われます。)
茅の輪くぐりでしてはいけないことなどの作法
茅の輪くぐりでしてはいけないことについてですが、茅の輪の茅を引き抜いてはいけないという作法があります。
昔は、この茅を持ち帰ることがお守りになるという迷信がありましたが、現在では茅の輪の茅はたくさんの人の厄を持っているもので、それを持って帰るのは災厄を持って帰ることと考えられるようになります。
茅の輪くぐりが有名な神社
茅の輪くぐりは神社によって全く違うとご紹介しましたが、近くの神社で茅の輪くぐりをしてもいいですし、少し変わった茅の輪や有名な神社で行ってみてはいかがでしょうか。
ちなみに、茅の輪のイラストが入った限定の御朱印が授与される神社などもあります。
以下ではスサノオノミコトや牛頭天王をご祭神とした神社を中心にご紹介します。
八坂神社の茅の輪くぐり(京都)
京都の八坂神社は、現在ご祭神がスサノオノミコトですが、元々は牛頭天王を祀っていた祇園社と言い、全国の八坂神社の総本宮にして、京都の厄除けの神社です。
八坂神社には蘇民将来を祀った社もあります。
ちなみに、日本三大祭にして、京都三大祭の「祇園祭」では蘇民将来と書かれた護符を身に着けてお祭に参加します。
八坂神社では6月30日に境内に大茅の輪が設置されます。
また、祇園祭が7月いっぱいあるのですが、その最終日に蘇民将来を祀る疫病社にて疫病社夏越祭という茅の輪が設置され、蘇民将来の故事にちなんだ「蘇民将来之子孫也」という護符をいただきます。
城南宮の茅の輪くぐり(京都)
城南宮は京都に置かれた平安京の南方にあって、方除のご利益で知られる神社です。
城南宮では、車の茅の輪くぐりができるという独特の茅の輪くぐりがあります。
城南宮は平安時代の寝殿造りの庭が見られるとても風流な神社ですので、茅の輪くぐりに入った際にはぜひお庭を見てみてもいいかもしれませんね。
神田明神の茅の輪くぐり(東京)
日本三大祭でおなじみの神田明神でも茅の輪くぐりができます。
ちなみに、神田明神の祀られる神様は大己貴命(おおなむちのみこと)と言い、別の名を大国主命(おおくにぬしのみこと)、スサノオノミコトの子孫に当たる神様です。
神田明神の創建は、この大国主命の子孫によるとされ、スサノオノミコトの子孫が建てたとされます。
住吉大社の茅の輪くぐり(大阪)
大阪の住吉大社では、夏越の大祓として、夏越祓神事を行います。
その際、華麗に着飾った夏越女・稚児らが茅の輪 (ちのわ) をくぐる儀式があるなど、とても雅な行事になっています。
ちなみに、住吉大社のご祭神である住吉三神はスサノオノミコトの息子とされる3兄弟です。
廣峰神社の茅の輪くぐり(兵庫)
廣峰神社は、八坂神社と並び牛頭天王を祀る神社の総本宮と言われる神社です。(現在はスサノオノミコトがご祭神の名前にあります)
八坂神社か廣峰神社、いずれが元祖なのかについては、諸説あるのですが、廣峰神社の創建は奈良時代とも言われとても由緒正しい神社です。
津島神社の茅の輪くぐり(愛知)
津島神社も牛頭天王を祀った神社で、全国の天王社の総本社と言われる神社です。
比叡山焼き討ちなど、神仏を恐れないというイメージの多い織田信長ですが、津島神社の牛頭天王への崇敬が深かったとも言われます。
名古屋からも遠くないので、東海地方の方は一度行ってみてはいかがでしょうか。
素盞嗚神社の茅の輪くぐり(広島)
茅の輪くぐり発祥とも言われる神社が広島県の素盞嗚神社です。
広島の素盞嗚神社の茅の輪くぐりは、珍しく毎年8月8日に行われています。
住所:〒729-3101 福山市新市町戸手1-1
氷川神社の茅の輪くぐり(埼玉)
氷川神社は全国にある神社でスサノオノミコトをご祭神に祀っています。
総本社である埼玉県の氷川神社では茅の輪くぐりをもちろん行っています。
毎年多くの人が茅の輪くぐりに列をなしている神社です。
ちなみに、埼玉には氷川神社と呼ばれる神社で、川越氷川神社など複数ありますが、上記で紹介した氷川神社は大宮にある氷川神社です。
全国に氷川神社はあって、東京都内にも赤坂氷川神社もあります。
熊野本宮大社の茅の輪くぐり(和歌山)
全国の熊野神社の総本宮である、和歌山の紀伊山地にある熊野本宮大社でも茅の輪くぐりがあります。
熊野信仰は、少し特殊なのですが、熊野本宮大社のご祭神はスサノオノミコトです。
熊野神社は関東関西、全国に3000社あるので、それらの神社の多くでも茅の輪くぐりができると思います。
茅の輪くぐりの形などが神社によって違う理由
茅の輪くぐりやお守りの茅の輪は基本的には茅で作られ丸い形をしているのが一般的ですが、神社によって少し特色がある神社があります。
それら珍しい珍しい茅の輪くぐりをする神社を一部ご紹介します。
出雲大社の茅の輪くぐり(島根)
縁結びの神様で知られる出雲大社では、「輪くぐり神事」という厄払いの神事があります。
この輪くぐり神事では、神主さんが茅の輪を持って、参拝者を通し、最後にまたぐという形を取ります。
さらに茅の輪の形が〇ではなく、Uの形をした茅の輪ををしています。
大神神社の茅の輪くぐり(奈良)
最も古い神社の一つである奈良県の大神神社(おおみわじんじゃ)では、茅の輪の形が独特であるに加え、3つの茅の輪が横に並べて造られそれらをくぐります。
大神神社は三ツ鳥居と言う全国的にも珍しい鳥居があるのですが、それに由来しているそうで、茅の輪も正面から向かって真ん中に杉、右手に松、左手に榊という常緑樹(古来から神が宿ると考えられた)木がついた茅の輪をくぐります。
茅の輪のお守りの飾り方
茅の輪くぐりの期間はお正月飾りのしめ飾り程度の大きさの茅の輪のお守りや、よく見るお守りの形など様々な厄除けのお守りが神社によって授与されます。
身に着けるものではなく、飾り付けるものである場合は家のいずれか適当な場所に飾ります。
飾りつける期間は次の茅の輪が飾られる時までや、夏の茅の輪くぐりで手に入れたものなら秋のお彼岸までなど、様々言われますが、気になる方は神社にお尋ねください。
茅の輪を玄関飾りか神棚に飾りつける
茅の輪の飾り付けるところですが、故事にちなむと玄関先に、表側を外側に向けて顔より高い位置に飾ります。
神棚の場合は神棚の状態にもよりますが、神棚をきちんと南向きか東向きにしていると思いますので、あとはお札と並べるなど適当な場所に置くか、掛けるなどします。
茅の輪くぐりに関連すること
茅の輪くぐりは夏越の祓、年末にある大祓の一つの行事として行われているわけですが、茅の輪くぐりと同様に、厄払いで行うもう一つのことも簡単にご紹介します。
人の形をした形代で厄除け
皆さんも見たことがあるかもしれませんが、人の形をした形代(かたしろ)に自分の体の厄を代わりに受けてもらい、厄払いするという伝統があります。
顔、肩、体、頭などをこの形代で順に撫で、悪いところなどを重点的に撫でて、最後に息を「ふっふっふっ」とかけ、神社でお祓いをしてもらうというものです。
こちらも神社によって、息を吹きかける数が違うなど差異があると思いますので、神社にお尋ねください。
茅の輪くぐりは俳句の季語にも
ちなみに、「茅の輪くぐり」「茅の輪」という言葉は夏の季語にもなっています。
平安時代ごろから茅の輪くぐりは見られる行事で、古くから夏(もしくは年末/正月)の風物詩だったのです。
ぜひ普段あまり神社に行かない人も、簡単にできますので、近くの神社などに行って半年間の穢れを祓い、清らかな心身で次の半年を過ごせるようにしてみてはいかがでしょうか。