涅槃寂静の意味とは仏教の最終目標|読み方/概念をわかりやすくご紹介

涅槃寂静

涅槃寂静とは|仏教の”最終目標”の意味

涅槃寂静とは仏教の教えにおいて最も重要だと考えられる四法印の一つです。
※三法印の一つともされますが、ここは後程詳しく解説します。

仏教の教えの最終目標である涅槃寂静とは一体どのような意味なのか、ご紹介いたします。

涅槃寂静の読み方「ねはんじゃくじょう」

涅槃寂静は「ねはんじゃくじょう」と読みます。

それでは、涅槃寂静について詳しく見ていきましょう。

涅槃寂静の意味とは

涅槃寂静の意味

涅槃が寂静の境地であること」(出典:浄土宗大辞典 四法印)

三法印の一つで、煩悩がなくなった涅槃は、心の静まった安らぎの境地であるということ」(出典:広辞苑 第七版)

とされていますが、これではよくわからないと思います。

涅槃寂静を少しでもわかりやすく理解するために、「涅槃」と「寂静」のそれぞれの意味をご紹介します。

涅槃の意味とは

涅槃とは、サンスクリット語の「ニルヴァーナ」の直訳ですと、

「吹き消すこと、消滅の意」とされます。

これは、私たちが普段の生活を送る中で欲望から生まれる煩悩により苦しめられる状態から抜け出した状態(=悟りを開いた状態)を意味します。

まるで火が燃えているロウソクの火が消えて、そこに揺らぐものがない絶対的な静寂の状態を意味します。

涅槃という言葉についてはこちらで詳しく解説しています。

涅槃とは|涅槃(ニルヴァーナ)の意味は苦しみの最高の境地=仏教のゴール

寂静の意味とは

寂静とは、「煩悩が無くなり、心が平静な状態(=涅槃)」と広辞苑でも定義されますが、この「涅槃」と「寂静」をつなげ、

「煩悩が完全に消えて心が静まり、安らかな境地である」ことを表現しています。

また、このように涅槃寂聴は仏教の最も理想とする状態を意味する言葉です。

ちなみに、涅槃寂聴に至れば輪廻転生を繰り返し苦しみのある世界に生まれ変わり続ける、この輪廻からも抜け出すことを意味します。

煩悩とは何かと言うことについてはこちらで詳しく解説しています。

煩悩とは”人生を苦しめる原因”|煩悩の意味と仏教の教えをご紹介

涅槃寂静の間違った使い方

涅槃寂静というより、涅槃という言葉の使い方の間違った使い方ですが、涅槃とは本来死を意味する言葉ではありません

お釈迦様が涅槃に入ると言うと、お亡くなりになったこと(入滅)を意味しますが、これは一般の方には適用しません。

なぜなら、涅槃とは「悟りの境地に達したものが、生命活動をするに必要な欲求(食欲や睡眠欲)から完全に解き放たれた寂静の状態」を意味するため、煩悩に悩まされる人間誰しもが、なくなることで涅槃の境地に達するとは言えないと考えるからです。

入滅という言葉についてはこちらで詳しく解説しています。

入滅とは|意味や類語・お釈迦様の入滅の話や入滅の日の涅槃会を解説

涅槃寂静が最小の数の単位にも

涅槃寂静の本来の意味が、完全な安らぎ(欲がなにもない状態)というところからか、涅槃寂静は漢字文化圏において、最も小さな数の単位として利用されます。

一.中.百.千.万.億.兆….不可思議.無量大数と大きくなるものの逆で

一.分.厘.毛.糸.忽.微….阿摩羅.涅槃寂静(10-24)と小さくなっていきます。

涅槃寂静と四法印(三法印)の意味

涅槃寂静と仏教の代表的な教えである四法印(三法印)についてご紹介します。

仏教には八万四千の法門と呼ばれる、お釈迦様が説いた教えのすべてを意味する言葉があります。

膨大な教えを解いた仏陀の言葉の中でも、特に重要な考え方を抜き出してきたのが、四法印(三法印)です。

涅槃寂静の意味をさらに理解するために、四法印(三法印)という文脈から理解をするとわかりやすいと思います。

仏教の教えを解く書物などはたくさんありますので、厳密なものをしりたいのであれば、そちらをぜひご覧いただきたいと思います。

涅槃寂静を含む四法印(三法印)について

四法印と三法印はそれぞれ次の教えから構成されます。

三法印 四法印
一切皆苦(いっさいかいく)
諸行無常(しょぎょうむじょう) 諸行無常
諸法無我(しょほうむが) 諸法無我
涅槃寂静(ねはんじゃくじょう) 涅槃寂静

三法印と四法印の違いは一切皆苦があるかどうかという違いです。

以下で涅槃寂静以外の概念について簡単にご紹介します。

一切皆苦

一切皆苦とは、あらゆる物事は全て苦であるということを意味します。(=一切行苦)

この世には、四苦八苦と呼ばる、私たちを悩ませる苦しみにあふれ、人生は思い通りにはならないものであり、私たち人間が生活すると必然的に苦しみは生まれるものだとお釈迦様は説きました。

四苦八苦

四苦

  • 生:生きることの苦しみ
  • 老:老いていくことの苦しみ
  • 病:病による苦しみ
  • 死:死んでゆく苦しみ

生老病死とまとめて言うこともあります。

八苦

  • 愛別離苦(あいべつりく):
    親しい人、愛おしいと思う人もいつかは必ず分かれることの苦しみ
  • 怨憎会苦(おんぞうえく)
    憎しみや恨みを抱くような人と出会う苦しみ
  • 求不得苦(ぐふとっく)
    財産、地位など様々な求めるものが手に入らない苦しみ
  • 五蘊盛空(ごうんじょうく)
    五蘊(色.受.想.行.識)という心身の様々な働きから生まれる苦しみ

さらに詳しくはこちらで詳しく解説しています。

生老病死とは|お釈迦様が説く意味・仏教の四苦八苦の教えについて

四苦八苦の意味とは|語源となる仏教の教えや四苦八苦するの使い方など解説

一切皆苦の意味についてはこちらでさらに詳しく解説しています。

一切皆苦の意味とは|諸行無常同様仏教の最重要項目。四苦八苦等も解説

そしてこの一切皆苦という、苦しみだらけの世の中で、苦しみから抜け出す方法として、お釈迦様は重要な3つの教えを伝えたのです。

それが三法印である諸行無常、諸法無我、涅槃寂静です。

諸行無常

諸行無常といえば、平家物語の冒頭文でもおなじみの表現です。

諸行無常とは、

「世の中のあらゆるものは常に変化していて、少しの間もとどまることはない」

ということです。

つまり、私たちの体は老いていきますし、物も永遠に同じ姿をとどめるものはなく、制度やその他様々なものも変化し続けるものです。

好きな物、愛してやまないものも絶えず変化し続け、どれだけ変わらないでいて欲しいと願っても変わり続けることは止められません。

この執着の気持ちから生まれる苦しみから逃れるには、諸行無常を理解することなのです。

諸行無常についてはこちらで詳しく解説しています。

諸行無常の意味とは|平家物語の”諸行無常の響きあり”の意味も含め簡単に解説

諸法無我

諸法無我は、どのようなものも互いに影響を及ぼしあい、永遠不変のものは存在しない(=無我)ということです。

どれだけ、築き上げた財産を守ろうとしても、それらを完全に守り切ることはできません。

それは世の中の様々な事象が重なり、何かしらの因縁によって生じていて(縁起)変化し続けるということだと言います。

諸法無我についてはこちらで詳しく、わかりやすい例を出して解説していますのでぜひご覧ください。

諸法無我とは|意味や簡単にイメージできる例で説明。諸行無常との関係とは

この常に変わり続けるもの、様々な影響により変わり続ける存在という真理を理解し、その苦しさから完全に抜け出した先にある、

心の平穏。煩悩にとらわれない静けさを持つことが涅槃寂静だとお釈迦様は説いたのです。

ちなみにお釈迦様は、この苦しみ、煩悩から抜け出し悟りを開く考え方として、四諦。

悟りを開くために必要な行動規範、修行法として八正道を説いてくださっています。

涅槃寂静の英語表現

涅槃寂聴はという表現は、そのままの英語表現で言うと、Nirvanaというサンスクリット語の音訳に当たります。(サンスクリット語ではnirvāṇaと表記)

涅槃寂静の英語訳:NirvanaとEnlightment

時々、英語の文章の中で、涅槃(悟りを開いた状態)をEnlightmentと表記することがあります。

実際、英英辞書のケンブリッジ等でも、

in Hinduism and Buddhism, the highest spiritual state that can be achieved

と訳されていますので間違いではありません。

しかし、英語圏の方で仏教を勉強している方でも実はNirvanaとEnlightmentを同じにするのはどうなのか?という議論があります。

というのも、Enlightmentは「heightened intellect and reason」というニュアンス、日本語では啓蒙するという意味合いを持ちます。

では、仏教の教える悟りとは、誰かに教わって達成できるものなのか?

と考えると、これは違うのではという議論が起きるのです。

本当の悟りの境地、つまり涅槃寂静は経験したものにだけが理解できるもので誰かにその経験を伝えることはできないという、崇高なものです。

実際、お釈迦様は悟りを開いたその時、あまりの心地よさに49日間瞑想をつづけます。

そして、この崇高な感覚、教えは煩悩にあふれた人々には伝えられないと考え、教えないでおこうと決意しそのまま解脱して仏の世界に行こうとしたのです。

それを見ていた梵天というインドの創造神が引き留め、何度もお願いをしてくださったおかげで、お釈迦様は伝道の旅に出ることを決心したとされます。

お釈迦様でさえ、伝えることをあきらめた完全なる涅槃/涅槃寂静の境地を啓蒙(他者に理解してもらう)ということでは言い表しているとは言えません。

そのため、サンスクリット語のままですが、Nirvanaという言葉がより適切でしょう。

ちなみに、悟りには52もの段階が存在します。

完全なる悟りである52段目が涅槃寂静ですが、そこまでにも悟りの境地はあります。

これらの最も下の悟りであればenlightmentで表現してもよいかもしれません。

ちなみに一段目を上がることさえ難しく歴史に名を遺す、天台宗の開祖である天台(中国の高僧)は一生をかけても10段だったそうです。

涅槃寂静とはどのような境地なのか気になりますが、そこに至らなくても、人生で不要な苦しみに悩まないためにも四諦八正道を実践するのみなのでしょう。

お釈迦様の涅槃に関連して、仏教では、涅槃像(涅槃仏)という仏像や、涅槃会というお釈迦様の命日に、お釈迦様を偲ぶ会が行われます。

それらについてはこちらで詳しく解説していますのでぜひご覧ください。

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