因縁の意味とは|仏教の教えをわかりやすく。因縁生起/因縁果報とは

因縁 意味

因縁の意味とは

因縁の意味とは仏教における「この世のあらゆる存在を形作るもの」です。

現在一般的に使われる、

  • 因縁をつける(言いがかり)
  • 因縁深い(宿命的だ)
  • 因縁の相手(定まった運命を感じる相手)

といった言葉の意味は仏教の”因縁”を語源としていす。

因縁は仏教の大事な教え

一般的な使い方の因縁の意味は仏教の因縁と全く違うわけでもないのですが、仏教の因縁の意味はさらに深いものです。

因縁の意味を知ることは私たちを人生の苦しみから解放することにもつながるとお釈迦様は説きます。

そんな因縁の意味について詳しく解説していきます。

ちなみに、因縁の読み方は「いんねん」と読むのが普通ですが、元々は「いんえん」という読み方だったのが、「いんねん」となっています。

因縁の意味(仏教用語として)

因縁の意味

この世のすべてのモノや現象などを生じさせている”因”と”縁”」のことです。

因と縁と言うのは、それぞれ、

  • 因:直接的な原因
  • 縁:間接的な原因

という意味です。

私たちの顔や体、私たちの心、その他私たち以外のあらゆる存在も、因と縁によって構成されているというのです。

あらゆる物事が因縁によって生じているということを仏教では因縁生起と言います。(因縁生などの言い方もあります)

因縁が私たちの体や心を形作っているとは具体的にどういうことか例をもって解説いたします。

因縁生起とはわかりやすく言うと

因縁という仏教の考え方で私たちを見てみます。

私たちは両親という存在が直接的な原因となって、この世に生を受けました。(両親が因になります)

そして、今のあなたという存在は、両親の存在だけでなく、育った街、食べた食べ物、これまで出会った友達や恋人や先生やその他たくさんの周りの環境(縁)があって、今の自分が形成されています。

今皆さんがこの文を読むのに利用しているスマートフォンかパソコンといったモノも、金属やらプラスチックなどの材料(因)があって、それを製造する会社や人という環境(縁)があって形成されています。

眼に見えるモノもですし、皆さんの持つ心も、色んな因と縁が原因となり、それらが複雑に混ざり合った結果として存在していると考えます。

これが、因縁生起という教えです。
略して縁起とも言われます。

この世のあらゆる事柄は因縁によって成り立っているとわかると、苦しみから解放されることの一歩となるとされるのですが、その仏教の教えについては、後程詳しく解説します。

まずは、因縁という言葉の意味などについてもう少し解説いたします。

因縁と因果

因縁という教え、つまり絶対にこの世のすべてが「因と縁」によって成り立っていると考えると、

この世のすべては原と結がある、つまり因果という教えにつながります。

 

仏教用語で、「善因善果、悪因悪果」という言葉あります。

善い行動や考えなどの原因は良い結果を生み、

悪い行動や考えという原因は悪い結果を生むという教えです。

因果応報という言葉もありますが、すべての出来事や存在には原因があって、その原因から生じる結果があります。

何もしていないのに、結果が得られることはありません。

宝くじが当たるのは、宝くじを買うという行動をしたから当たる訳で、宝くじを買っていない人は絶対に宝くじが当たるという結果には結び付きません。

因縁果報や業という仏教の言葉

仏教用語で「因縁果報」という言葉があります。

これも因果応報と似たような考えで、因縁によってあらゆる結果やら報いがあるということです。

また、「業」という言葉も因縁に似た意味を持ちます。

業と言うのは、色んな説があるのですが、身・口・意からなる「三業」というものが有名です。

業という私たちの行為・発言・意思が原因となって、報いを得る、つまり善い業は善い結果をもたらし、悪い業は悪い結果をもたらします。

自業自得という四字熟語がありますが、自分の行った業はまわりまわって自分に帰ってくるという言葉も、これまた仏教の教えからやってきています。

仏教では因縁は根本的な教えであり、ここに書いた以上に詳細な解釈や因縁の考えが発展し複雑化して様々な因縁説が生まれます。

それら全部をここでは解説しませんが、たくさんある因縁説の中で、現在の私たちの価値観にも大きく影響するものについて解説します。

それは、過去世や未来世が入ってくる因縁の考え方です。

つまり、私たちの現在は、過去の因縁によって生じており、現在の私たちの行動・発言・意思は未来への因縁となっているという考えです。

因縁にまつわる様々な話

因縁という考え方は、インドでも仏教が生まれる前からあったバラモン教など土着の信仰が混ざり、日本にもたらされると、さらに独自の進化を遂げます。

先祖の因縁、スピリチュアルな説と因縁、エセ科学と因縁とが混ざりあって現在様々な面で見られます。

因縁をスピリチュアルに捉えるのは

因縁という教えは、本来とても論理的、合理的なものです。

スピリチュアルにもたくさんの説があるので、一概にまとめられませんが、因縁に非合理的なスピリチュアルな考えを持ち込んでくることは本来の仏教ではしないのです。

なので、宝くじが当たった原因に、例えばパワースポットに行ったことなどが入るのかと言うと、入りません。

病気になった原因は家の家具の配置が良くなかったのが原因と言うのも、仏教の因縁の考えからすると違います。

仏教で亡くなった人を弔い、供養をしますが、その供養を疎かにしたことで、先祖の因縁で祟るということも本来の仏教では考えません。

「先祖・前世の因縁によって…」という話

父や母、祖父母、もしくはそれ以上の先祖の霊が、供養されないことで祟りをもたらす、先祖の因縁、前世の因縁によって今の自分に不幸がもたらされているという考えも仏教では否定的です。

そもそも、先祖の霊という考え方自体、日本土着の信仰が仏教と習合して今に至るもので、仏教由来ではありません。

スピリチュアルな因縁説はさておき、先祖の因縁による祟りなど私たちの文化に深く根差した教えを否定するわけではありません。

単純にそれらは仏教では否定的であるということを知っていただけたらと思います。

仏様・お釈迦様というあたかも仏教の教えのような言葉で、悪い先祖の因縁を断つための供養として法外なお金を取る人達もいます。

法外なお金を払ったことによって苦しみや不幸が取り除かれるのであれば、それも良いことではあるかもしれません。

しかしあたかも仏教の教えであるという立場をとっているのであれば、それは正しくないと言えます。

また、現実の不幸を解決することを普通の人に見えない因縁に根拠づけることは、根本的な解決策とは呼べないのです。

完全に先祖の因縁が原因ではないと証明もされないので、全て間違っていると断言はできませんが、本来の仏教の因縁の教えに即すると、現実に起こる不幸や苦しみには根源的な原因を徹底的に追求し、それらの因縁を明らかにして解決しなければ問題は解決しません。その根本的な原因をスピリチュアルなどの根拠が明白でないものにすることは、解決策とは言い難いのです。

あくまで、合理的であるのが因縁という教えです。

現実には、原因など思いつかないほどの不幸に見舞われることもあると思います。

それらの不幸や苦しみを乗り越えるために、お釈迦様が説いた解決策をご紹介します。

因縁と苦しみの解決策

お釈迦様は「因縁によって私たちやその他の様々な存在も形作られていることをはっきりと理解する」ことによって、私たちは苦しみから解放されると説きました。

お釈迦様・仏教が教えるのは「人生の苦しみから解放されて安らかに楽しく生きるための教え」です。

苦しみが生まれるのにも、その原因があります。

その原因は煩悩と呼ばれる、私たちの欲望です。

この煩悩が生まれる原因は、私たちが「この世のすべては因と縁によって生じているということ」を知らないからだと言います。

因縁によって生じるということは、

  • 全ての存在は様々な因と縁が常に影響して形成されるので、常に変化し続ける→諸行無常
  • 全ては因と縁によって構成されるので、何の影響も受けない、唯一不変の実体はない→諸法無我

この諸行無常と諸法無我という二つの真理が言えるのです。

真理と言うのは、絶対に変えられないルールのようなものです。

この諸行無常と諸法無我というのは、言われてみると、確かにそうだなと理解できるものですが、普段の生活でずっと意識していることは難しいものと言えます。

因縁であらゆるものは生じていて、諸行無常の世の中なのだから、病気になったり、老いていったり、死ぬことも当たり前なのです。

しかし、普段生きているとそんなことも忘れてしまい、突如起こる不幸によって、苦しい思いをしてしまいます。

この世の真理をしっかりと悟り、常に覚悟して生きていれば、あらゆる目の前で起こることに、心が動揺することはなくなり、苦しみからも解放されるのです。

この苦しみから解放された、安らかで楽しい境地を涅槃寂静や涅槃の境地と言います。

諸行無常諸法無我涅槃寂静は、仏教の教えとはなにかを大きく3つにまとめた三法印という最も大事な教えの3つにも数えられています。

それぞれについてはこちらで詳しく解説していますので、ぜひご覧ください。

諸行無常の意味とは|平家物語の”諸行無常の響きあり”の意味も含め簡単に解説

諸法無我とは|意味や簡単にイメージできる例で説明。諸行無常との関係とは

涅槃寂静の意味とは仏教の最終目標|読み方/概念をわかりやすくご紹介

また真理という言葉についてはこちらで詳しく解説していま

真理の意味とは|仏教の真理と他宗教の真理,哲学の真理の意味は違うす。

十二因縁という仏教の教え

仏教に詳しい人だと、十二因縁という言葉を聞いたことがあるかもしれません。

これは、私たちの人生の最大の苦しみが老死であるとして、その老死の苦しみが生まれる根本的な原因は、諸行無常と諸法無我と言ったこの世の真理を知らないこと、無明であることと説きます。

十二因縁の教えを詳しく解説すると長くなるので、ここでは割愛しますが、苦しみの根本的な原因は何かと、考えに考え、十二もの因縁があって、その根本は無明であるとお釈迦様は悟ります。

これもまた合理的な教えであり、とても納得のいくものです。

ちなみに、無明であるというのは、真理を知らない事を意味し、真理に明く無いから、煩悩が生まれると説きます。

煩悩という言葉や、無明についてはこちらで詳しく解説しています。

煩悩とは”人生を苦しめる原因”|煩悩の意味と仏教の教えをご紹介

無明の意味とは”苦しみの究極の原因”|仏教の教えや無明長夜等用語を解説

因縁という仏教の教えは、日本で最も読まれる般若心経の最も大事な教えともされる「色即是空 空即是色」にもつながります。

般若心経は仏教の神髄をまとめたお経と言われ、そのお経の最も大事な言葉の「」もまた、因縁という考えを元にしているのです。

般若心経についてや、その教えの色即是空等についてはこちらで解説しています。

般若心経とは|全文の意味が分かると面白い!般若心経の現代語訳と意味解説

色即是空 空即是色の意味とは|知れば仏教は面白い!わかりやすく色即是空の意味を解説