無明の意味とは”苦しみの究極の原因”|仏教の教えや無明長夜等用語を解説

無明

無明の意味とは|仏教の苦しみの原因について

無明とは仏教において、「この世のあらゆる苦しみの根本的な原因」を意味する言葉です。

人生生きていくことに苦しみを感じているのは、あなたが「無明」だからと仏教では教えます。

つまり、無明を解決すれば、人生は苦しみばかりの世の中から、楽しく、安らかな世界になると言うのです。

今回は、そんな無明の意味について詳しく解説していきます。

無明の意味

無明の意味は、「この世の真理を知らないこと、明るくないこと、そして心に迷いが生じること」です。

私たちが生きている世の中には、絶対に変えられないルールがあります。

お釈迦様は涅槃の境地に達した時、つまり悟りを得て仏陀(ブッダ)になった時に、この世の中の絶対に変えられないルール(=真理)に気づかれました。

私たちが人生思い通りにならないことが多くて、苦しい思いをするのは、このルールに気づいておらず、ルールに反して生きていこうとするからです。

無明が意味するこの世の真理とは

お釈迦様は真理を悟って人生の苦しみから解放されました。

その真理を代表する2つの言葉が仏教では最も大事な言葉として有名です。それは

諸行無常諸法無我です。

諸行無常(しょぎょうむじょう)は皆さんも中学校の国語の時間に聞いたことあるのではないでしょうか。

平家物語の冒頭でもおなじみの言葉で、「この世のあらゆるものは、絶え間なく変化し続ける」という意味です。

諸法無我(しょほうむが)とは、「この世のあらゆる存在は、無我(実体がない)」ということを意味します。

諸行無常と諸法無我についてはこちらで詳しく解説しています。

諸行無常の意味とは|平家物語の”諸行無常の響きあり”の意味も含め簡単に解説

諸法無我とは|意味や簡単にイメージできる例で説明。諸行無常との関係とは

漢字が並んでいたり、「存在に実体がない」と言ういかにもわかりにくそうな表現ですが、読んでみると「なるほど」と納得できるものですのでぜひご覧ください。

 

諸行無常・諸法無我はいずれも、この世にある様々なモノや現象は因縁によって成り立っているという、本当の姿・状態を言い表した言葉です。

私たちは無明であるがゆえに、この諸行無常と諸法無我を理解せず、煩悩をという欲望に満たされています。

だから人生は苦しみばかりになるとお釈迦様は説きます。

因縁によってこの世の世界の全てを成り立たせるという縁起の考え方についてはこちらで詳しく解説しています。

因縁の意味とは|仏教の教えをわかりやすく。因縁生起/因縁果報とは

縁起の意味とは|由来は仏教用語.縁起を担ぐ/縁起が悪い等は仏教の教えではない

無明は煩悩の原因

何度も出てくる「人生は苦しい」という表現ですが、仏教で苦しみとは「自分の思い通りにならないで苦しむ」ということです。

お釈迦様は人生が苦しくなる原因は、自分の欲望(仏教用語で煩悩)が生み出していると気づかれました。

そして、その煩悩が生まれる原因こそ、無明。

「真理を知らないこと」であると突き止めたのです。

例えば、私たち人間も、パソコンやスマートフォンなどのモノもいつかは死ぬ・壊れるという運命にあります。永遠に存在するということはありません。

しかも、死ぬまでに人は老いていきますし、パソコンやスマートフォンといったモノは傷ついたり、汚れたりしていきます。

老いていく自分の姿に嘆きますし、大事なものを傷つけたりしたときには大変なショックが生まれますね。

でもこの世は諸行無常であり、老いていきますし、汚れたり傷ついたりするのは当たり前で、最終的には死に、壊れるものです。

諸行無常ということは頭で理解していても、美しい・若々しい自分でいたい、きれいなモノ、価値のあるモノ、周りに良く見られるモノを持っておきたいと誰でも欲望をもってしまいます。

その欲望・煩悩を持ってしまうからこそ、老いていく・汚れる・壊れるなどの現実と直面した時に苦しくなるのです。

諸行無常という真理は、この世の絶対に変えられないルールです。

だからそのルールをしっかりと理解し、無明という状態を脱してこの世をありのままに見ることができるようになれば、苦しみから解放される事になるのです。

煩悩という苦しみの原因についてはこちらで詳しく解説しています。

煩悩とは”人生を苦しめる原因”|煩悩の意味と仏教の教えをご紹介

仏教の様々な教えに無明は出てくる

仏教にはたくさんの言葉・教えがあります。

その中には、無明と意味が同じであるのに、別の漢字で表現されることもあります。

その一つが、「三毒」という言葉の中にあります。

三毒は漢字の通り、私たちにとって毒となる、3つの煩悩を表現した言葉です。

  • 貪(とん):際限なく何かを欲する心。貪欲(どんよく)
  • 瞋(しん):怒り・怨みの心。瞋恚(しんい)
  • 癡(ち):物事の道理を知らないこと。愚痴(ぐち)
    ※痴と表記されることも

無明はこの三毒の癡と同じ意味だと考えます。

この三毒の教えは、お釈迦様が仏教の教えを説いてから数百年してからまとめられた教えです。

お釈迦様が最初に無明を説いた時は、十二因縁という教えの中で無明が登場します。

三毒の意味についてはこちらで詳しく解説しています。

三毒・貪瞋痴(とんじんち)とは|煩悩を意味する三毒の意味(貪/瞋/痴)を解説

無明と十二因縁

十二因縁というのは、お釈迦様が私たちの人生の苦しみは何が原因なのかと言うのを考えに考え、

「苦しみの原因は●●→●●の原因は▲▲→▲▲の原因は…..→■■の原因は無明だ」と12の原因を考察した結果のことを言います。

人生の苦しみの根本的な原因は結局無明に行きつくという理論です。

十二因縁を詳しく説明すると、かなり長くなるので、簡単に十二因縁の各項目をご紹介します。

  • 無明
  • 名色
  • 六入
  • 老死

これは全部下の項目の原因が上の項目となっています。

人生の根本的な苦しみは老死と考えその苦しみの原因は無明だというのです。

十二因縁も三毒も、仏教において大事な教えで、そこに出てくる無明という教えはとても大事な教えだと言えるわけです。

無明長夜とは

無明長夜は、無明という「真理を知らない状態」を比喩を用いて表現した言葉です。

無明長夜は「むみょうじょうや」と読みます。

無明長夜という四字熟語の意味

無明長夜という四字熟語は、無明の状態を「明かりが無い真っ暗な夜が長く続く状態」と例えたものです。

つまり、私たちがこの世の真理を知らない無明の状態で、苦しみ続けている状態が長く続いているということを意味します。

「無明長夜の灯炬なり」という親鸞の表現

この言葉は、浄土真宗を開いた親鸞聖人が晩年に著した「正像末和讃」という書物の中の言葉です。

無明長夜の灯炬なり 智眼くらしとかなしむな

という言葉の一部です。

簡単に現代語訳すると、

「(どんな人も救うと誓いをたてられた)阿弥陀如来様の誓いは、真っ暗なくらい闇夜のような、無明の状態で苦しむ人々を救う灯火です。苦しみから逃れるために必要な智慧が今はなくても悲しみに暮れることはない。」

という意味です。

無明を使った表現に「無明の闇」と言う言葉がありますが、この言葉と、無明長夜は同じ意味と考えられます。

「無明の闇」の意味

先ほどの無明長夜と同様に、無明の状態を、暗闇の中で迷う姿で表現した言葉です。

浄土真宗を開いた親鸞は、「無明の闇から私たちを救う光」として阿弥陀如来がいらっしゃって、私たちを救ってくださるのだと教えます。

この無明の闇を照らす光を「光明」と表現します。

暗闇で怖い中、明かりが一つでもあれば、心が救われますよね。

親鸞は阿弥陀如来という仏様が暗闇の中の私たちを救ってくださる光のような存在だと教えたのです。

無明にまつわる話

無明という言葉について、少しばかり他の仏教の教えも含め解説いたします。

無明の酒という言葉

無明の酒とは、私たちが苦しむ原因である煩悩をお酒に例えている言葉です。

お酒は飲むことは、いつもの自分とは違う自分が出たり、コントロールできなくなる原因になります。

それと同じように、煩悩は私たちをいつも惑わせ、人生が思い通りにならないと苦しむ原因になります。

無明は般若心経では有るようで無いものと説かれる

無明という言葉は、日本で最も有名なお経の般若心経にも出てきます。

そこに書いている言葉は一見すると、お釈迦様の教えを否定しているような表現となります。

無無明亦無無明尽むーむーみょうやくむーむーみょうじん

般若心経では上記の箇所で無明が出てきます。

ここの意味は、

「人生の苦しみの原因である無明が無くなったり、無明が無くなることが無くなる」となります。

回りくどいので簡単に表現すると、無明というのは有るようで無いものとなります。

これは般若心経・仏教の中で最も大事な考え方である「」という教えを強調するための表現です。

「空」というのは、「実体がない」ということを意味します。

諸法無我の「無我」が意味するところと同じです。(無明が癡と表現されていたのと同じようなものです)

空というこの世の真理の前では、無明もあってないようなものと言っているのです。

少しややこしいと感じたかもしれませんが、この空という考えはとても面白く、般若心経を理解すると、「なるほど無無明亦無無明尽むーむーみょうやくむーむーみょうじんなのか」と理解できます。

般若心経の意味についてはこちらで詳しく解説しています。

般若心経とは|全文の意味が分かると面白い!般若心経の現代語訳と意味解説

また、「空(=実体がない)」という 教えについては無我の部分で解説していますので、ぜひご覧ください。

無我の意味とは|仏教の無我とは深い世界観は苦しみから逃れる鍵

無明の反対の状態は「明」

無明という「真理を知らない状態」は何も見えない暗闇の中でもがき苦しむ状態とされます。

暗闇だと周りが見えないから様々なネガティブな気持ちが沸き上がって、迷い・怖いという気持ちが生まれ、苦しい状態とイメージできます。

そこに光が差し込み、あたりが見えるようになれば、ホッとしますよね。安心できます。

この状態を「明」と表現します。

「明」とはこの世が一体どういう世界なのかを理解し、苦しみから解放された状態です。

般若心経で言うところの智慧の完成と言えます。

智慧の意味についてはこちらで詳しく解説しています。

智慧とは仏教が説く苦をなくす鍵|知恵と智慧の意味の違い等解説

また真理という言葉についてはこちらで詳しく解説しています。

真理の意味とは|仏教の真理と他宗教の真理,哲学の真理の意味は違う