無我の意味とは|仏教の無我とは深い世界観は苦しみから逃れる鍵

無我

無我の意味とは|仏教の基本の思想

無我とは普段の会話の中でも利用される言葉となっていますが、本来は仏教用語です。

そして、この無我の意味を理解することは、「苦しみばかりの世界から解放される」という仏教の教えを理解するのにとても大事になってきます。

仏教用語としての無我はどうも難しい概念で説明されることが多いのですが、意外とシンプルなものです。

無我の意味を解説する前に

無我の話をする前に、まずここからの解説で、仏教で説かれる「我」というのは、「我(われ)、私、自分」という意味ではないということを念頭に置いてください。

仏教の「我」という字は、元々は古代のインドで使われていた言葉のサンスクリット語のアートマン(ātman)という言葉を中国の偉いお坊さんが中国語に訳した時に当てられたものです。

このアートマンという言葉の意味は「永遠不滅の実体」とされます。

この時点で少し難しそうな気がしているかもしれませんが、後程仏教の世界観をとても分かりやすくイメージできる、東大やお寺で講演もされているお笑い芸人の笑い飯の哲夫さんの例も踏まえて解説しますので、まずは難しく考えず続きを読んでください。

仏教が生まれる以前からあった「我」という思想

仏教の「我」という考え方は、仏教が生まれる以前からありました。

仏教の「我」は仏教が生まれる前にインドで信仰されていたバラモン教・ヒンドゥー教にあった考え方です。

このバラモン教・ヒンドゥー教では、魂は不滅で人が死んで肉体が消滅しても、魂という「永遠不滅の実体」はあるのだと考えました。

そしてその魂は、人が死んだ後(肉体という箱が無くなった後)も生き続け、次の箱に入っていくと考えます。

これがいわゆる輪廻転生というものです。

生前に善いこと悪いこと何をしたのかで次の魂が入る箱が良いものか悪いものかが変わるというのです。(業報輪廻転生とも言われます)

この不変の存在である魂をインドではアートマンと呼び、仏教に取り入れられて中国僧の手により「我」と訳され日本に伝わります。

さて、ここからが本題になりますが、仏教の教えを説いたお釈迦様はこの魂も含む「我(アートマン)」というものは存在しませんと言いました。

それを「無我」と漢字で表記するようになります。

無我の意味

無我の意味は先ほど簡単に解説しましたが、

この世には永遠不変の存在というものはない
→実体があるものはこの世にはない

これは具体的な例を出すと、あなたや私たちの体というものや、この文章を読んで理解しようとしている頭の働き・意識というものすら実体がないものですという意味を持ちます。

無我の定義がわかっても、私たちの体や意識も含めてこの世のすべては実体がないってどういうこと?と理解に苦しむと思います。

そこで、例を挙げて無我の意味をイメージしていただきます。

この無我の世界観をイメージをする具体例には、私が今まで読んだ仏教の解説書の中で最も分かりやすい最高の例と思った、笑い飯の哲夫さんの「ブッダも笑う仏教のはなし」という本から引用させていただきます。

無我の意味のイメージ

この世はカレーです。大きい大きい鍋に入ったカレーです。カレーライスではありません。かける方のカレーです。(中略)

そこに、無数の小さい小さいおたまがカレーを掬いにきます。そして各々のおたまにカレーが溜まります。その溜まったカレーが、この世で各々個別に見えている物や人です。例えば、一つのお玉にたまたま溜まったのが一匹のコオロギさん、また他のおたまにたまたま溜まったのが鈴木宗男さん、また別のおたまにたまたま溜まったのが宗男さんのムネオハウス、(中略)
そしてまた、他のお玉にたまたま溜まったのが自分という感じです。

なお、この無数のおたまには小さい穴があいていて、掬ってもカレーはやがてお鍋に戻るんです。鍋に戻ったカレーは、元々鍋にあったカレーとごちゃごちゃになり、また全体的なカレーになります。(中略)

つまり、この世で個別でいられるのなんか一瞬で、よく見ると全部一緒ということなんです。(中略)

そしてまた、お玉にカレーがなくなると、おたまは新たにカレーを掬い上げます。すると今度は、さっきまで鈴木宗男さんを形成していたカレーの一部と、ムネオハウスを形成していたカレーの一部と、他のいろんな物を形成していたカレーの一部が、一つのおたまに一緒に掬い上げられて、また別のなにかを形成します。そんなことが、ずっと繰り返されます。

仏教の硬い本でよく、「全」と「個」などといわれますが、鍋のカレーが「全」で、おたまに溜まったカレーが「個」です。また硬い本で「全は個であり、個は全であり」などといわれますが、「鍋のカレーは掬ったカレーであり、掬ったカレーは鍋のカレーであり」となるわけです。(中略)

となると、実体って、なくなってきませんか。(中略)

おたまの穴が最高に渋い例えだと自負していおります。穴から抜けていくんです。すべての存在は固定せず、移ろいゆくし、更に一瞬かつ儚いものだという例えになっています。

(参照:ブッダも笑う仏教のはなし、笑い飯 哲夫、 サンマーク出版)

いかがでしょうか。

無我はいわゆるお堅い仏教の本を読んでもイメージしにくいのですが、哲夫さんのカレーの例であれば、とてもイメージしやすいですね。

ちなみに、この無我をカレーで例えた後に、「慈悲」という堅いお釈迦様の教えもとても分かりやすくイメージができるようになります。

この世界観をより良く理解すると、自分というものへのこだわりがなくなりますね。それより、全部一緒なんだという感覚の方が強くなりますよね。すると、他人を傷つけることは自分を傷つけることであり、他人に与えることは自分に与えていることになると意識できます。こうして、人に迷惑をかけてはいけない、人を悲しませてはいけない、人に奉仕しなければならない、といった心情が生まれます。これが所謂、慈悲です。

(参照:ブッダも笑う仏教のはなし、笑い飯 哲夫、 サンマーク出版)

お釈迦様が教えた無我という、仏教の中の最も大事な教えの一つがわかれば、その後にたくさんある仏教の一見難解な教えも全部理解しやすくなります。

例えば、「自利利他」という仏教用語。

自利とは「自らの修行によって功徳(利益)を得ること」

利他とは「自分以外の様々な存在の利益になることをする。人々を救済すること」

自分中心になってはいけず他人のためになることをしないといけないが、同時に自分も利することが大事と解釈されることが多いです。

ただこの自利と利他を、哲夫さんのカレーの例に当てはめたら、自分も他人も同じカレーです。

他人のためになる行動は、自分のためになる行動だと、とてもイメージしやすくありませんか。

「無我」という世界観がわかれば、自然とこの世の見え方が変わってきますし、たくさんある仏教の教えも表面的な理解ではなく、その本来の凄みを感じやすくなると思います。

実際には、修行などによって完全なる理解が必要になるので、そうそう簡単ではないとされるのですが、カレーの例のおかげで、かなり理解しやすくなったのではないかと思います。

笑い飯の哲夫さんの本の中では、これ以外にも秀逸な例を交えて、仏教の教えをとても分かりやすく、面白おかしく解説してくださっていますので、仏教を知りたいという方はぜひご覧ください。

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無我は仏教の最も大事な3つの教えの一つ

無我は仏教の最も大事な教えの一つに上げられます。

先ほどのカレーの教えでもわかると思いますが、たくさんの仏教の教えは、カレーの世界観から繰り広げられるのです。

日本では仏教は漢字ばっかりのお経を読み、難しいことを考えるイメージがあったり、お葬式のイメージが強いと思いますが、最初にご紹介した通り、そもそもは

苦しみばっかりのこの世界で苦しみから解放されるにはどうしたらいい?

ということをとても合理的に、そして本来はとてもわかりやすく解説してくださっているものです。

お釈迦様の教えは膨大なお経に納められていて、たくさん存在していますが、突き詰めると3つだけなのです。

お釈迦様が説いた、仏教の最も大事な3つの教えというのは、

  • 諸行無常(しょぎょうむじょう)
    この世に永遠のものはなく、すべては変化していく
  • 諸法無我(しょほうむが)
    この世のすべては無我である。全ての存在は実態がない。
    (すべては同じカレーということです)
  • 涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)
    諸行無常と諸法無我というこの世の絶対に変えられないルール(真理)がわかり、正しい行動をとれば、苦しみから解放され安らかに人生を生きる

この三つを三法印と言い、究極的に仏教はこの3つで表されます。

ちなみに、この三法印に、一切皆苦という「この世は苦しみだらけ」を入れて四法印とも言います。

この世の苦しみから逃れるためには、諸行無常と諸法無我という真理を理解しましょうというのです。

仏教の最も大事な教えについてはこちらでそれぞれ詳しく解説しています。

一切皆苦の意味とは|諸行無常同様仏教の最重要項目。四苦八苦等も解説

諸法無我とは|意味や簡単にイメージできる例で説明。諸行無常との関係とは

涅槃寂静の意味とは仏教の最終目標|読み方/概念をわかりやすくご紹介

諸法無我

無我という言葉が入った言葉で、仏教を知らない一般の人にはあまり知られていませんが、最も大事な諸法無我という言葉。

この言葉の意味は

「この世の全てのもの(=諸法)は、実体がない(=無我)」ということでした。

諸法無我の世界観はカレーの例で理解できたと思います。

そこで、今度は少し仏教用語も利用して解説をいたします。

この世のものは無我であり、実体はありません。でも私たちは存在しています。

この目に見えて、手に触れて感じることができているあなたという存在は、誕生に至った原”“があって様々な縁起によって、私たちの存在が一瞬間だけ存在するという結”“があるのです。

仏教では全て物質や物事の成行には、原因があるから結果があると考えます。

このことを原因の「因」と結果の「果」で因果と言います。

また現代では縁起と言うと、「大安の日は縁起が良い、仏滅は縁起が悪い」のように運気への良い悪い影響を及ぼすことを意味することが多いです。

しかし仏教の縁起は因と言い「原因と結果の法則に加え、ご縁があってあらゆるものが成り立っている」と考えます。

無我であるこの世の中に私たちという実体のない存在は、色んなご縁によってたまたま生かされていると考えるのです。

ご両親という直接的な原因と、育つために食べて来た食物や、友達や学校という環境のご縁があって今私たち人は生かされているのです。

因果と縁起というあらゆる要素が、奇跡的に巡りあって集まった結果があなたや私という存在。

もう一度無我の話に戻りますと、

「我」という永遠不変の実体というものはなく、因果と縁起という要素が巡り合って私たちという存在として成り立っている。

誰一人、どんなもの事一つとっても周りの影響を受けず単体で存在するものはなく、因果と縁起で成り立っているというのです。

カレーの例で言うと、掬っているおたまという原因があってその中のカレーとして存在している結果があなたやこの世の様々な存在と言い換えられます。

人無我・法無我という概念

仏教で無我を使った言葉に「人無我」と「法無我」という言葉があります。

これは無我を理解していたら、簡単に理解できます。

「人無我」というのは、私たち人間という存在は無我だということです。

「法無我」というのは、人以外も含めこの世のあらゆる事物・現象は無我だということです。

全部、因果・縁起の結果で成り立っていて、唯一の永遠不滅の存在などはないということです。

ちなみに、この人無我という言葉は、五蘊仮和合とも表現されます。

漢字がたくさん出てきて、わからないとちょっとこんがらがりそうな概念ばっかりですが、イメージが湧けばそこまで難しいことではないと実感していただけましたか?

無我の一つの概念を別の言葉で表現した五蘊(ごうん)についてはこちらで詳しく解説しています。

般若心経という最も知られたお経で何が書いてあるかも、五蘊がわかると、すっと入ってくるようになりますよ。

五蘊とは|意味や五蘊盛苦/五蘊皆空等の仏教用語をわかりやすく解説

無我の境地の意味

ここからは、普段私たちが耳にする無我の使い方について、仏教の無我なのか、そうでない無我なのかについて簡単にご紹介します。

まず無我の境地という言葉ですが、これは仏教の無我ではありません。

無我の境地は「私心から離れて、無心になっている状態」を表現しています。

つまり、この世のすべてに実体がないという「無我」という意味ではありません。

「我(私)が無い、澄み切った心の状態」は心の中の私がいないだけで、実体がないとかそういう話ではありません。

無我夢中の無我も”仏教の無我”とは違う

無我夢中の無我もまた仏教の無我とは違うのはイメージできると思います。

無我夢中は、「我を忘れて夢中になって取り組む様子」を意味します。

我という存在自体の否定ではないのは明白ですね。

無我夢中・無我の境地の無我は忘我・無心

無我夢中や無我の境地に使われる「無我」は我を忘れてを意味する「忘我」と言い換えられたり、

私という意識・心にとらわれない状態「無心」と言い換えられます。

ちなみに、仏教の無我の意味が違う、忘我や無心の意味の無我も間違いではありません。

無我がわかると

今回はなるべく仏教の言葉は少なく、わかりやすく説明をしましたので、さらに詳しく知りたい方は書籍などもご参考にしてください。

また、今回の解説を踏まえて、さらに無我の理解を深めるために書籍やお寺で法話を聞いてみるなどもいいかもしれません。

さらに理解すれば、お釈迦様が説いた苦しみの世界を超越した涅槃寂静という苦しみのない世界への扉が開きますし、そこまでではなくとも、般若心経という有名なお経の最も大事な概念である「空」も理解できるようになります。

仏教の基本的な考え方の無我はあらゆる大事な教えにつながっているのです。

ちなみに、仏教には無我によく似た非我という概念もあるのですが、こちらはかなり専門的なは話になりますので今回は割愛させていただきます。

無我の英語表現

「無我」という表現は中国や日本の仏教の経典に出てくる言葉ですが、仏教は世界三大宗教でもあり、英語にも訳されています。

「無我」の直訳は、サンスクリット語そのままの「anatman」と表現します。

または「non-self」や「substanceless」とも訳出されるようです。