煩悩とは”人生を苦しめる原因”|煩悩の意味と仏教の教えをご紹介

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煩悩とは|意味と仏教の教えをわかりやすく

煩悩とは仏教の言葉で、私たちを悩ませる心の動きを意味します。

煩悩は単純に欲望とも解されることもありますが、本来はもっと広い様々な心の動きを意味しています。

今回は仏教の教えである煩悩の意味や、煩悩とはどのようなものでどのように対処すべきなのかと言うことについて解説していきます。

煩悩の読み方は「ぼんのう」

煩悩と書いて、「ぼんのう」と読みます。

ちなみに、煩悩は元はサンスクリット語のクレーシャ(kleśa)という言葉から来ていて、音から吉隷捨と訳されます。(パーリ語はキレーシャ)

他にも煩悩と同じ意味を持つという漢字は複数あるのですが、そのあたりも含めて煩悩の意味について詳しく解説していきます。

煩悩の意味

煩悩の意味は冒頭でも解説した通り、

私たちのあらゆる苦しみを生み出す原因となる心の動き」です。

仏教では、この世は苦しみばかりのものである(=一切皆苦)と教えます。

そして、その苦しみばかりである原因は私たちの心、つまり煩悩であると言うのです。

煩悩とは「人生を苦しめる原因」

仏教で言う「苦しみ」と言うのは、「思い通りにならない」ことの苦しみを意味します。

人生を送っていて苦しい時期というのはほとんど誰しもが経験することではないでしょうか。

病気や事故という予測もできないことや、自分の力が一歩及ばず成功できなかったこと、失敗してしまったこと、

色んな苦しみが人それぞれにあります。

お釈迦様はどんな苦しみも、全ては煩悩が原因であると突き止めたのです。

つまり、思い通りにしたい・思い通りに行くであろうと考えているからこそ、そうならなかった時に人は苦しみを感じるのだというのです。

どれだけ気を付けていても、不運としか考えられない状況に陥って苦しむ場合も多くあります。

例えば病気や事故は突如として襲ってくることがほとんどでひどい苦しみをもたらします。

そんな状況でも、苦しいと感じるのは自分の煩悩が原因であると言うと、仏教の教えというのは、とても冷たく感じるかもしれません。

しかし、私たち人間やモノやあらゆる存在は、いつかは死にますし壊れます。

これは絶対に変えられないこの世の真理です。

そしてその死や終わりがいつ来るかはだれにもわかりません。

どんなに不幸な最期であっても、円満な最期であっても、早すぎるものでも、大往生であっても、程度の差こそあれ、死というものは悲しく苦しいものです。

避けられない、いつ来るかわからない死という苦しみに苦しまないようにするにはどうすればいいのかを考えると、究極的には自分がどのように対処するのかということになります。

これは死以外でもそうです。

仏教では四苦八苦という言葉で、人生の避けられない苦しみを教えますが、この世の苦しみはどれも自分の考え方次第で対処できるというのです。

それこそがお釈迦様が悟られた、この世の苦しみは自分の心の動き、煩悩によって生まれるということです。

以下では具体的に煩悩が苦しみを生む原因であること、そして仏教の教える煩悩の対処法について解説していきます。

仏教の教える8つの苦しみについてはこちらで詳しく解説しています。

四苦八苦の意味とは|語源となる仏教の教えや四苦八苦するの使い方など解説

仏教が説く煩悩が生まれる原因とは

煩悩の原因とは何かについて解説をする前に、仏教の基本的な考え方をご紹介します。

仏教の教えは縁起という考え方が基本にあります。

縁起と言うのは、あらゆるモノや現象などは因縁によって生まれるという考え方です。

別の言葉で表現すると、全ての物事は原因があって結果がある、因果の法則によって成り立っているというものです。

あらゆる物事が因果によって成り立っているのですから、苦しみという結果にも、原因があります。

苦しみを解決するには、その根本的な原因が何なのかを徹底的に分析して、その原因を解決しなければなりません。

その苦しみの原因が煩悩だったわけです。

そして、煩悩もまた、何か原因があって生まれる結果ですので、その原因を知り、煩悩と言う結果を生じさせないようにしなければなりません。

縁起や因縁という教えについてはこちらで詳しく解説しています。

縁起の意味とは|由来は仏教用語.縁起を担ぐ/縁起が悪い等は仏教の教えではない

因縁の意味とは|仏教の教えをわかりやすく。因縁生起/因縁果報とは

煩悩の原因とは何か

原因の一つが「執着する心」です。

先ほどの死が苦しいという話を例にとって説明します。

私たちが死を苦しいものだと感じるのは、生きていることに執着しているからです。

愛する人や、楽しい時間、そんな自分を幸せな気持ちにしてくれたもの事から離れることが嫌であるからこそ、苦しいというのです。

他のもの事に対しても私たちが意識しないうちに持つ執着する心が原因となって、私たちの人生を苦しいものにするのです。

執着することで生まれた煩悩ががなぜ苦しみにつながるのか、それはこの世のあらゆるもの事が、私たちが執着しても思い通りにならないようになっているからです。

ずっと幸せに生きていたい、ずっと美しく若々しい見た目でいたい、ずっと好きな人と過ごしていたい、良い学校/会社に行きたい、

あらゆる執着する心がありますが、執着することが全て自分の思い通りになるということはありません。

うまくいかなかった時、執着心が強ければ強いほど、強い苦しみに変わると言うのは想像に難くありません。

煩悩がなぜ苦しみ変わるのか、すこし理解していただけましたか?

ここからは、煩悩とは何かについて深い分析をした結果108もあるとされる煩悩とは何なのかについて仏教の教えを詳しく解説していきたいと思います。

煩悩の数が108という説

煩悩の数は108あると言われます。

この煩悩の数の由来にはいくつかの説がありますが、その煩悩の108種類すべてを知る必要はありません。

108の煩悩それぞれを対策していくことよりも、煩悩がそれだけたくさんあって、私たちは煩悩の塊であるということを自覚し、自分を見つめ直すことが大事です。

108という煩悩の数は、実際に108ある煩悩の数を表現しているという説もあったり、単にたくさんを意味しているとも言われます。

ちなみにこの煩悩の数が108というのは、大晦日に除夜の鐘が108回ならされることにもつながっています。

108回鳴らすことで、一年間の煩悩を消し去り、新年新たに迎えるという意味があるとされます。

他にも、年中行事のお彼岸と言い、春分の日秋分の日前後にある期間は、寺院で煩悩に悩まされる自分を見つめ直し、苦しみのない世界(涅槃や悟りと呼ばれる)に行くための修行をするなど、煩悩と私たちの生活は意外とつながっているのです。

煩悩の数は108以外にも説が

ちなみに、煩悩の数には108以外にも、84000種類あるだとか様々な説があります。

煩悩の数、108あるという煩悩の由来やその他の説などについてはこちらで詳しく解説していますのでぜひご覧ください。

煩悩の数について|煩悩が108種類とする意味や由来,他の煩悩の数の説など解説

煩悩の種類

煩悩は全部でいくつあるのかという話以外にも、根源的な煩悩の種類は3種類ある、5種類あるなど、様々な説があります。

たくさんある煩悩の説の中で、最も根源的な3つの煩悩をまとめた三毒と言う教えについてご紹介します。

三毒|最も根源的な煩悩とは

三毒は貪瞋痴(とんじんち)とも呼ばれ、私たちの数ある煩悩の最も根源とも言われます。

それぞれ、次のような意味を持ちます。

  • 貪欲(どんよく)
    欲するものに対する飽かない執着する心
  • 瞋恚(しんい)
    怒りの心
  • 愚痴(ぐち)
    真理に暗いこと(=無明)

煩悩は簡単に表現するため、欲望と表現されることが多いですが、欲望だけでなく、怒りなどの心の動きも含みます。

なぜ三毒と呼ばれるのかと言うと、毒のように、煩悩は私たちの体をどんどんと広がって蝕んでいくモノだと考えるからです。

三毒の他にも、貪瞋痴が含まれる十悪や、五蓋(ごがい)などの教えもあります。

たくさんある煩悩ですが、どのように対処すればよいのか、続いて仏教の教えについてご紹介いたします。

仏教での煩悩に対する教え

お釈迦様の言葉で、私たち人間は「煩悩具足の凡夫」と表現されます。煩悩にまみれた存在と言うことです。

煩悩にまみれたそんな私たちではありますが、仏の教えを学ぶ機会に恵まれ、悟りを開いて苦しみばかりの世界から抜け出すこともできる存在でもあるとお釈迦様は教えています。

仏教は「人生は苦しみばかり」と教えますが、その苦しみばかりの状況から抜け出す(=解脱)する方法も教えてくれているのです。

それが煩悩への具体的な対処法となります。

煩悩の対処方法は、言ってしまえば仏教の最も根幹ともいえるものです。

ここでその深い教えをすべて解説することは難しいですので、あくまでここの内容は、簡単な概要だと思ってください。

「煩悩を捨てる」や「煩悩を消す」ことは不可能

まず、「煩悩を捨てる」や「煩悩を消す」という表現が使われることがありますが、これは正しいとは言えません。

食欲や睡眠欲など、生命活動を行う上で必要となる欲求も含めると煩悩を消すということは命を絶つということになります。

お釈迦様は、「人間の欲求は井戸の水のようなもの」と説きます。

井戸からは水がコンコンと湧き出ています。
水が湧き出るからこそ井戸として存在しています。

人間からは欲求がどんどんと湧き出します。
欲求があるからこそ、人は生きていけて、人間として存在しています。

また、良く生きたい、幸せになりたいと考えるからこそ努力をしたり、ある人は仏教を学んだりするのです。

全ての欲求が煩悩となって私たちの人生を苦しみばかりにするわけではないのです。

では煩悩を捨てるのではなく、どうするのかと言うと、欲望はコントロールする、制することが大事なのです。

仏教に少し詳しい人であれば、四諦という仏教の教えで滅諦という言葉をご存知かもしれません。

滅諦は「煩悩を滅すれば苦しみから解放される」という言葉ですが、実はこの滅と言うのは、サンスクリット語の意味を正しく訳したものとは言えません。本来は「滅する」ではなく、「制する」と訳出されるべき言葉だったのです。(参考:般若心経 金剛般若心経 中村元 紀野一義 岩波文庫)

煩悩を制する・コントロールする

では、煩悩を制する、コントロールするというのはどのように行うのかというと、

  • この世の真理を見極める
  • 正しい修行を行う

この2つと言えます。

修行については八正道六波羅蜜と言う教え、他にもたくさんありますので、ここでは割愛し「この世の真理を見極める」と言うことについて簡単に解説いたします。

真理を知らないことは、三毒の愚痴とも表現され、他にも仏教では無明という言葉でも表現されます。

無明は煩悩の原因ともされます。

仏教の縁起の考えに立つと、真理を知らないから煩悩が生まれるので、煩悩を制するにはその原因の真理とは何かをはっきりと理解し、対処する必要があります。

仏教の教える真理を2つの言葉で表現すると、「諸行無常諸法無我」となります。

  • 諸行無常(しょぎょうむじょう)
    この世のあらゆる存在は変化し続ける
  • 諸法無我(しょほうむが)
    この世のあらゆるモノや現象は実体が無い(=無我)

真理を知ると、煩悩が生まれないということを簡単な例で解説すると、

この世は何もかも永遠不変というものはない諸行無常の世であるという真理をはっきりと理解していれば、その真理に反する生への執着は生まれず、死や老いに苦しまないはずということになります。

理解と言うのは、その意味が分かっているというのではなく、完全に体得できているというものでなければいけません。

しかし、仏教の真理などの教え自体はだれも理解できないような難解なものではなく、とても易しく誰でも理解できるような教えなのです。

諸行無常や諸法無我について、詳しくはこちらで解説しています。

諸行無常の意味とは|平家物語の”諸行無常の響きあり”の意味も含め簡単に解説

諸法無我とは|意味や簡単にイメージできる例で説明。諸行無常との関係とは

煩悩が意味する心の動きを制すれば”悟り”

真理をはっきりと理解し、正しい修行を行うことで、たどり着くことができる「苦しみから解放された境地」は悟りや涅槃彼岸などと言われます。

人生の苦しみが全て私たちの心の動きによって生まれていると理解し、それに対して正しいアプローチをすれば誰でも苦しみからは解放されるのです。

とは言っても、それができるのはほんの一部の人間であり、日本で最も広まった仏教である浄土真宗を開いた親鸞でさえも「自分は煩悩だらけの人間だ」と述懐し苦しんでいる様子がうかがえます。

高僧も煩悩には苦しめられた

親鸞は煩悩について、「煩悩は減ったり消えたりするものではない」と述べました。

9歳で両親と死別し、仏門に身を捧げ様々な修行をした親鸞でも煩悩には一生苦しんだそうです。

それほどの高僧でも煩悩を制することは難しいこともあり、煩悩を完全に制することがなくても、仏様の力によって苦しみから解放されることができるという教えが生まれます。

それが、浄土真宗などの「他力本願」などの教えです。
※現在の他力本願という言葉は仏教の他力本願とは全く違う意味です。

煩悩即菩提とは

また、他力本願以外の煩悩にまつわる仏教の教えに煩悩即菩提というものがあります。

煩悩即菩提とは、簡単に説明すると「煩悩を持っているからこそ菩提(苦しみから解放された境地)がある」というものです。

苦しみばかりの人生から解放されたいという欲望があるからこそ、苦しみから解放されるという考えが生まれると言うのです。

煩悩即菩提という教えは、お釈迦様の時代にはなく、後年になって生まれたものです。

煩悩にまつわる教え

煩悩という言葉や、煩悩に関係することについてご紹介いたします。

ぼんのうを漢字一文字で表現したもの

煩悩は108画の漢字一文字で表現されます。

この108画のぼんのうという漢字の出典はしっかりとしているものではないそうですが、興味深いものですので気になる方は以下の動画でその書き方を見てみてください。

煩悩を意味する英語表現

煩悩を意味する英語表現は複数あります。

  • affliction:何かしら私たちを苦しめるもの
  • mind poisons:三毒という言葉のように、私たちの心を毒し、どんどんと苦しめていく「精神的な毒」
  • defilement:「人や物をダメなものにするもの」

煩悩の類語や対義語

煩悩という言葉は同じ意味を持つ類語には、

「惑、随眠、染(ぜん)、垢(く)」などの表現があります。

随眠は煩悩の種となるものという厳密な定義もありますが、煩悩と同じ意味を持つとされます。

煩悩の直接的な対義語となる表現は特にありません。

ただ、煩悩ばかりの人生が苦しいものということから、「苦しみから解放された境地」として菩提や涅槃という言葉が反対の意味に近いです。