恵比寿様とは何の神様か|大黒様との祀り方など解説
恵比寿様とは商売繁盛の神様として十日えびすなどで有名な神様です。
七福神の一柱でもあり、「えべっさ、ん・えびっさん」の相性でも知られ日本人には馴染みの深い神様ですが、恵比寿様はそもそもどんな神様かをご存知でしょうか?
えびす様は漢字で書くと、「恵比寿様」が一般的に知られますが、
- 蛭子様
- 戎様
- 恵比須様
- 恵美須様
等とも表記されます。これは、恵比寿様という神様には複数の由来があり、えびす信仰という日本に古来からある信仰の形が影響しています。
実は奥深い恵比寿様と言う神様について今回は詳しく解説していきます。
恵比寿様のご利益
恵比寿様について詳しく知る前に、まず恵比寿様は何のご利益がある神様かをご紹介しますと、
- 商売繁盛
- 大漁満足
- 五穀豊穣
- 航海安全(海上安全)
- 開運招福
- 学業成就
- 歌舞音曲
などなど、人々の生活に縁の深いご利益をもたらしてくれる福の神として様々なご利益があると考えられています。
それでは、恵比寿様とは何の神様なのか、その歴史・由来について見ていきます。
恵比寿様の由来について
恵比寿様と今回は漢字で表記していますが、多くの恵比寿様を祀る神社では「えびす様」とひらがな表記をしていることが多いです。
これは、「えびす様」を表す漢字にはそれぞれ違う由来があるからです。
恵比寿様の由来には大きく3つの由来があるとされています。
順番に見ていきましょう。
いずれの由来でも恵比寿様は日本に由来する神様で、七福神の中では唯一日本の神様として描かれます。
一つ目は、日本の総氏神であり太陽神である最高神アマテラスオオミカミ(天照大御神)の兄弟神(※)が由来という説です。(※日本書紀の表記で)
恵比寿様=蛭子様
蛭子様と書いて「えびす様」と読みます。
また、「ヒルコ神/ヒルコ様」とも読みます。
この神様は、日本神話で中心的な役割をするアマテラスオオミカミやスサノオノミコト(素戔嗚尊)をお産みになる、イザナギノミコト(伊弉諾)とイザナミノミコト(伊邪那美)の間に生まれる神様です。
ヒルコ神(蛭子様)は、古事記では一番最初に生まれる子として描かれます。
しかし、ヒルコ神(蛭子様)はイザナギとイザナミの婚約の際の失敗によって、手と足がない蛭(ヒル)のような姿で生まれる不具の子として誕生します。
イザナギとイザナミの失敗について知りたい方はいずれかをご覧ください。
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イザナミノミコト(伊邪那美命)とは|神社や神話のでのイザナギとの関りを解説
イザナギとイザナミはこの子を天磐櫲樟船(アマノイワクス船)という船に乗せて海に流してしまいます。
この船で流されたヒルコ神(蛭子様)が鳴尾浜という兵庫県西宮市の浜から神戸の沖合に流れ着き、西宮神社のご祭神となり、えびす信仰と習合して私たちの知る恵比寿様の由来となるというのが一つ目の説です。
ヒルコ神(蛭子神)について詳しく知りたい方はこちらで解説しています。
ヒルコ神(蛭子神)|恵比寿様と同一とされる神話に登場する不具の神様を解説
恵比寿様=事代主神|大黒様の子供
恵比寿様の由来となる神様には事代主神(コトシロヌシ)という神様がいらっしゃいます。
事代主神は日本の神話では大国主命(オオクニヌシノミコト)という神様の子として描かれます。
この事代主神(コトシロヌシ)という神様は日本で最初に魚釣りをしていた神様として描かれています。
この神様のイメージが恵比寿様を描く絵やイラストなどに反映されているのです。
ちなみに事代主神(コトシロヌシ)は日本神話においてとても重要な役割をしており、国津神という神様の中では唯一皇居内の神殿に祀られる、宮中八神として祀られています。
事代主神についてさらに詳しく知りたい方はこちらをご覧ください。
事代主神(コトシロヌシ)とは?恵比寿様との関係やご利益・祀られる神社をご紹介
恵比寿様=山幸彦(彦火火出見尊/ヒコホホデミノミコト)
これはあまり一般に知られる説ではありませんが、恵比寿様をアマテラスオオミカミの孫のニニギノミコトの子である山幸彦(彦火火出見尊や火折尊とも表記される)とする説もあります。
山幸彦は釣りのうまかった兄の海幸彦の釣り針をなくすという事件を起こすのですが、竜宮城に行き海の神の力を借りるという話もあります。
他にも、少数の意見として、大国主命(オオクニヌシノミコト)と共に国造りをしたスクナヒコナノミコト(少彦名命)という海の向こうからやってきたと表記される神様が恵比寿様の由来とする説もあります。
スクナヒコナノミコト(少彦名命)についてはこちらで詳しく解説しています。
スクナヒコナノミコト(少彦名命)とは|神社・ご利益と神話の物語をご紹介
えびす様の「えびす」の意味
上記で見たように、大まかに言うと恵比寿様という神様は大きく2つの神様が由来となっています。
しかし、この神様と恵比寿様をつなぐ大事な話があります。
それはそもそもこの「えびす」という言葉にはさらに古くからある日本の沿岸地域にある「えびす信仰」です。
えびす信仰とは
えびすという言葉には次のような意味がありました。
砂浜などに打ち上げられる漂着物を神聖なモノ・神様と考え、「えびす」と呼んだ
この考え方をえびす信仰と言います。
なぜこのような信仰が生まれたのかと言うと、日本では古くから海の向こうには常世の国と呼ばれる神が住む国、死者が向かう国、不老不死の国などなど、全くの異世界があったと考えられていました。
そして海からの漂着物はそんな異世界から来たもの「えびす」と考え、それらは福をもたらすものとして尊ぶようになったのです。
この漂着物は中国などから漂着する文明的なものだけでなく、形の変わった石や、クジラ・イルカの死体、また水死体までがえびすとされ大漁を呼ぶものだと考えられていたのです。
このえびす信仰は、西宮神社のヒルコ神(蛭子様)の信仰や事代主神の漁のイメージと混ざりあって、現在の恵比寿様ができたとされます。
えびすの別の意味
また、「えびす」は別の漢字表記で「戎」「夷」と書きますがこれらは、蝦夷(えみし/えぞ)などに使われることからわかるように、外界のもの・異国を意味する言葉です。
恵比寿様は何の神様かをまとめると
様々な神様が出て来たので、整理をします。
恵比寿様という神様の原点は日本の沿岸部で古くからあった「えびす信仰」という海の向こうからやってくるものが「福をもたらすもの」という信仰です。
この信仰は西宮神社のヒルコ神(蛭子様)と同一視されるようになり、同様に、事代主神(コトシロヌシ)も同一視されるようになります。
そして、それらが混ざり合って今の恵比寿様の姿になるのです。
もう少し詳細な恵比寿様とヒルコ神、恵比寿様と事代主神の歴史については複雑になりますので、後半の「恵比寿様の総本社の西宮神社」と「恵比寿様の総本宮の美保神社」の部分で解説します。
恵比寿様と大黒様の信仰の歴史
恵比寿様が日本でどのように信仰が広がり、今のような商売繁盛の神様になっていったかざっと解説します。
沿岸部で信仰される福をもたらす「えびす」を祀る兵庫県西宮市の西宮神社や、大阪府浪速区の今宮戎神社は活気のある市の近くにありました。
また、国内海外との貿易の海路にあるそれらの神社は航海安全、商売繁盛の神として、市場だけでなく多くの商人が進行するようになります。
そういったことから、恵比寿様を市場の守護神、市神という神格もあると考えられるようになり、恵比寿様と言えば商売繁盛の神様と言うイメージがつくようになります。
平安時代からこれらの市場の神としての恵比寿様は見られ、鎌倉時代には鶴岡八幡宮の境内に恵比寿様を市の神として祀ったことも見られ、すでに商売繁盛の神様として信仰が広がっているのが見られます。
また、恵比寿様は内陸地域においては田んぼの神様、五穀豊穣の神様として信仰され日本各地で信仰されるようになりました。
そして、室町時代には恵比寿様の信仰と、恵比寿様の親である大国主命と同一視される大黒天の信仰がつながり、恵比寿様と大黒様が一緒に祀られるようになったとされます。
大黒様とは
大黒様は元はインドのマハーカーラ(シヴァ神の化身の闘争神)というとても怖い神様だったそうです。
しかし、インドの台所にも飾られるほど信仰は広がっていて、日本に来てからは、事代主神の親に当たる大国主命と「ダイコク」と読めることや天台宗の最澄によって同一視されるようになりました。
ちなみに大国主命は事代主神の親であることから、大黒様と恵比寿様は親子であると言われます。
さらに、ヒルコ神の場合でも、大国主命の父、もしくは6代先祖にスサノオノミコト(素戔嗚尊)がいますが、ヒルコ神とスサノオノミコト(素戔嗚尊)は兄弟神に当たりますので、いずれにしても親戚ということになります。
大黒様のご利益は
恵比寿様と共に祀られる大黒様は次のようなご利益があるとされます。
- 富貴栄達
- 財運・金運
- 出世開運
- 商売繁盛
- 五穀豊穣
恵比寿様も大黒様も、私たちの生活に福(特に財の面)をもたらしてくれる神様として祀られます。
この恵比寿様と大黒様は2柱の置物を一緒に置くのが一般的となったのは室町時代と言われます。
後程恵比寿様と大黒様の置物の祀り方などは詳しく見ていきます。
恵比寿様の日「えびす講・十日えびす」
恵比寿様は大黒様と祀れる神様としても有名ですが、最近では恵比寿様の日である「えびす講」「十日えびす」などの恵比寿信仰の方が有名かもしれません。
恵比寿講(えびす講)
恵比寿様の日として全国様々な地域である祭りのえびす講は、旧暦の10月(神無月)に行われる行事で、現在では10月20日か11月20日のいずれかで行われます。
えびす講の由来は
- 神無月に国津神は出雲の方に神様の集会で出ずっぱりになり、神社の留守を恵比寿様がされる時に五穀豊穣や商売繫盛を願うお祭り
- 京都の商人が東京などに売り出しに行き、10月20日には京都に戻って、恵比寿様を祀る神社に、旅の無事や商売繁盛を感謝する祭り
これらが由来だとされています。
いずれにしても、恵比寿様のご利益である商売繁盛をお祈りする・感謝する大事なお祭りです。
十日戎(十日えびす)
十日えびすは、恵比寿様が誕生されたとされる1月10日にその誕生をお祝いしてご利益に預かろうと考えたことが由来とされます。
十日えびすの由来となるお祭りは、西宮神社で行われていた、御狩神事(みかりしんじ)というお祭りや、日本三大ゑびすの京都恵比須神社に由来すると言われます。
恵比寿様のお祭りについてはこちらで詳しくまとめています。
恵比寿様と七福神の信仰
恵比寿様は単体で祀られる神社も多く、約3000社あるとされます。
それだけでなく、恵比寿様は七福神の一柱としての顔も持ち合わせいます。
特に七福神において、恵比寿様は「正直・清廉な心」を象徴するとされています。
「知足(ちそく)」という、足ることをしり、暴利をむさぼらず正直な心で商売をするという商人の心がけにも通ずるものがあるとして、一層商売人の信仰を厚くしたと言われます。
七福神についての歴史などはこちらでさらに詳しく解説しています。
七福神とは|ご利益,名前の意味等解説 布袋/恵比寿/大黒天/毘沙門天/弁財天/福禄寿/寿老人
恵比寿様のご真言
おん いんだらや そわか
ぜひ、七福神巡り、七福神詣りで恵比寿様を拝む際はご真言を唱えてみてください。
恵比寿様の祀り方(大黒様も)
恵比寿様の祀り方についてご紹介します。
まずは、昔の家ではよくあった恵比寿様の置物の祀り方です。
多くの場合、恵比寿様の置物は大黒様の置物とセットで祀ります。
恵比寿様と大黒様の飾り方(像や置物)
恵比寿様と大黒様の置物を祀るときは、神棚を造るのが最も良いとされます。
神棚のふさわしい場所
神道の神様を祀る神棚は、正面が南向きもしくは東向きになるように作ります。
場所は人がその真下を何度も通るような場所は避け、リビングなどが良いとされます。
清浄な場所で、日当たりがよく明るい場所に置きましょう。
高さは大人の目線より高いところにし、神様を見下ろさないようにします。
恵比寿様と大黒様の位置(左右に注意)
恵比寿様と大黒様の左右の位置は、次のようになります。
- 恵比寿様:左側
- 大黒様:右側
舞台の上手(かみて)と下手(しもて)と同じ考えで向かって正面右側に上位の大黒様を配置します。
お札や笹などの授与品について
恵比寿様と大黒様の像ではなく、神社で授与していただいた恵比寿様のお札や笹などをお祀りする時も、神棚の上に置きましょう。
専用の神棚を造っても良いですし、お札は神宮大麻という天照大御神のお札と氏神様のお札を祀るところに一緒に、崇敬神社のお札としてお祭りすることができます。
恵比寿様と大黒様の像やお札へのお供え物は、神棚にいつもお供えするもの(例:米/水/塩)で問題ありません。
また恵比寿様の笹は神棚ではなくても、神棚を造るのに意識した注意点を守ってお祀りすればよいとされます。
さらに詳しく知りたい方はこちらの伊勢神宮の神棚の作り方のページをご覧ください。
恵比寿様を祀る神社・寺院について
恵比寿様を祀る神社は全国に約3000社程度あります。
この恵比寿様を祀る神社(えびす社やえべっさんと呼ばれる)には、上記でご紹介した通り、ヒルコ神を祀る神社と、事代主神を祀る神社の2系統に分かれます。
恵比寿様の総本宮・総本社
そのため、恵比寿様を祀る神社の”総本社”として知られる西宮神社と、恵比寿様をまつる”総本宮”とされる美保神社という中心的な神社が2つの神社が存在します。
※ちなみに恵比寿様に総本山という言葉は使われません。総本山は仏教寺院にて使われる表現です。
西宮神社(兵庫県)|恵比寿様(蛭子様)の総本社
恵比寿様信仰の中心地である西宮神社はご祭神がえびす大神(蛭児大神)とする神社です。
文献上、西宮神社の存在が見られるのは、平安時代の後期で西宮市の山手にある皇室の信仰の深いアマテラスオオミカミの荒魂(瀬織津姫)を祀る廣田神社の末社として見られます。
伝説によると、この西宮神社の起源は、戎(もしくは夷)という神様と三郎(不動明王や毘沙門天とされる)という神様を祀る神社があり、これらが習合して「戎三郎」として祀られるようになり、ヒルコ神と習合した結果、西宮の恵比寿様になったとされます。
ちなみにこの三郎の由来の一つには、日本書紀でヒルコ神はイザナギとイザナミの間の3柱目の子として描かれることに由来するとされます。
他にもある戎三郎の伝承はこちらでご覧ください。
ヒルコ神(蛭子神)|恵比寿様と同一とされる神話に登場する不具の神様を解説
様々な伝承はありますが、西宮という近畿でも重要な浜のある地域に生まれた西宮神社は交易に関わる大阪や他の地域の大商人からの信仰が厚く、商売繁盛の神様として祀られるようになりました。
また、西宮を拠点にしていた傀儡子(くぐつ)の百太夫(ももだゆう)が全国を練り歩いて恵比寿信仰を演劇をしたことで全国的に恵比寿信仰が広がったとされます。
西宮神社の十日えびすは、福男の開門神事でも有名ですが、日本有数の十日えびすのお祭りをしています。
恵比寿様の笹を授与していただき、お店やオフィスにお祀りして商売繁盛を祈願するのは関西のみならず全国の商工者で行う人が見られます。
美保神社(島根県)|恵比寿様(事代主)の総本宮
古くは土着の漁を行っていた人達があがめた海の神・漁の神を祀った神社とされる美保神社は、日本の神話にも出てくる美保岬の名に見られる由緒正しい神社です。
神話の史跡である青垣が残るなど、とても神秘的な神社の美保神社は、事代主神恵比寿様として祀る全国の神社の総本宮と言われます。
今宮戎神社(大阪府)
大阪の今宮戎神社は由来は聖徳太子の時代、飛鳥時代と言われるとても古い神社です。
今は内陸にありますが、元は浜に近かったとされ、浜の市があったことから、市の守護神として、戎様が祀られるようになったとされます。
今宮戎神社の十日えびすは本家と言われる西宮神社にも匹敵する有名なお祭りで、100万人が訪れ商売繁盛を願うと言われます。
今宮戎神社では、福娘を毎年選出していることでも有名です。
恵比寿様は耳が遠いと言う伝承
今宮戎神社のある地元大阪では、「恵比寿様は耳が遠い」という伝承があります。
そのため、恵比寿様をお参りしたら正面からお賽銭を入れて普通にお参りをするだけでは足りず、神社の裏に回って壁を叩いてお願い事を聞いていただくという習わしがあります。
神社の壁を叩くなど。。と始めて聞く人は気が引けてしまうと思いますが地元の人は平気でしていますのでご安心ください。
ちなみにこれはあくまで今宮戎神社の習わしですので、他の恵比寿様を祀る神社ではしないように。
壁を叩くのは特殊ですが、神社や寺院には拝殿の裏に回ると実はお賽銭箱があります。(神社によって左右の面の時もあります。)
これはご神体のあるご本殿は拝殿からは少し遠くて、ご本殿により近いところから拝むことで、お聞き入れいただくという意味を持ちます。
恵比須神社(京都府)
日本三大ゑびす(残りは西宮神社と今宮戎神社)の一社として有名な京都の恵比須神社は、漢字表記が違いますが、今回解説をしている恵比寿様を祀る神社です。
京都の恵比須神社では事代主神を祭りますが、神話の一説から八重言代主大神と漢字表記が異なります。※事代主神と同意です。
創建は鎌倉時代とされ、建仁寺の鎮守として創建されたとされます。
十日えびすの源流とも言われる事代主の生誕祭を行ったとされる神社で、恵比寿様を祀る神社の授与品として良く見られる縁起物の笹はこの京都の恵比須神社が発祥だと言われています。
神田明神(東京都)
東京で商売繁盛で有名な神社である神田明神ではスクナヒコナノミコト(少彦名命)をえびす様として祀っています。
神田明神では恵比寿様と一緒に祀る大黒様である大己貴命(大国主命の別称でオオナムチノミコトと読む)が祀られています。
恵比寿様の絵やイラストに描かれる姿について
恵比寿様と言えば、上の恵比寿様のイラスト画像のように福相(ふくよかな顔で福耳、笑顔の顔)で右手に釣り竿、左手に鯛を抱えていますね。
実はこのポーズや持ち物には意味があります。
この見た目の由来は、多くが恵比寿様の由来となる事代主神から来たとされています。
それらの意味について詳しく見ていきましょう。
恵比寿様が右手に持つ釣竿の意味
恵比寿様の画像の多くでは右手に釣竿を持っています。
この釣竿は事代主神が日本神話で描かれている場面において、その登場シーンで釣りをしていた姿を描いているとされます。
ちなみにこの事代主神の神話のシーンは日本の国のとても重要な局面を決める国譲りの場面です。
のちにこの釣竿は、
- 釣りして網せず
=網で一気に魚を捕まえて後に残らないようにしないこと
商売に置き換えると暴利をむさぼって後に続かないような商売をしないこと
を意味するとされ、正直に商売をすることを心がけることを意味するようになったとされます。
恵比寿様が鯛を持つ意味
恵比寿様が鯛を持っているのも神話のシーンを描いたとされます。
恵比寿様を信仰する商売人ではめでたい魚ということで、鯛を商売繁盛、福をもたらすものとして祝いの席で食べる習慣が見られます。
恵比寿様の足を曲げる理由
恵比寿様のイラストには立っているものもありますが、多くは足をまげて座っていますね。
実はこれは事代主神にまつわるある神話の物語が影響しています。
恵比寿様は美保の住まいから対岸まで三嶋溝杭姫命(みしまみぞくいひめのみこと)という神様のところに夜通っていました。
ある時、鶏が朝を告げる時間を間違って早めに鳴いたのを聞いて、朝になる前に美保に戻ろうと急いで海に出たところ、船を漕ぐ櫂を水中に落としたそうです。
仕方なく足で船を漕いでいると、鰐(サメのこととされる)に足をかまれて足が不自由になってしまったとされます。
この足の傷のために恵比寿様は片足をまげて座る姿をされているとされます。
ちなみに、このことが原因で恵比寿様(事代主神)は鶏が大嫌いだとしたそうです。