陰陽道とは|神道(神社)や仏教との関りを解説
陰陽道とは日本で独自に成立したもので、神道や仏教とは別物ですが深く関りのあるものです。
一般的には「おんみょうどう」と読みますが、「おんようどう/いんようどう」とも読みます。
陰陽師を代表する安倍晴明のイメージから呪文を唱え、呪いをかけたり解いたり、式神を使って…という不思議な存在をイメージすると思います。
しかし、陰陽師は飛鳥時代ごろからその起源が見られるれっきとした職業でした。
後年になると、怪しいものが混ざるようになるのですが、今回は陰陽道とはどんな歴史を持ったものなのかをご紹介します。
陰陽道を深く理解したい方は専門家の方の本などを読んでください。
ここでは納められない様々な情報もありますので、あくまで今回は陰陽道とは何かを理解するものだと思っていただけると幸いです。
陰陽道とは何か
陰陽道とは何かを簡単にまとめると、
「中国の陰陽五行説などを由来とし、日本で神道や仏教、修験道などの影響を受け独自に発展した天文・暦・呪術・占星などの占いの教え」と言えます。
少しずつかみ砕いて解説します。
陰陽道の元|中国由来の陰陽五行説
陰陽五行説とは中国の殷の時代(少なくとも3000年以上前)の時代に成立したとされる考えで、
- 陰陽
万物は陰と陽に分類されるという考え - 五行
万物は「木・火・土・金・水」で構成されるという考え
この二つを組み合わせ万物の原理を明らかにし酔うというものです。
五行の気性の変化は、万物の変化を意味し、人々の生活もまたその万物に含まれることから、五行によって私たちの生活の栄枯盛衰を占うという考えが生まれます。これが簡単ですが易学の考え方です。
陰陽五行では、人生の占いに限らず、様々な相性(相生と相剋と言います)を占うことができ、それは人との相性、日の相性(吉凶)、方位、行動様々なことに応用できると考えるのです。
このような陰陽五行説は中国において、発展し八卦による占いなど様々な占いの方が生まれます。
これらは中国の文化人の学ぶところとなり、それら陰陽五行説には後に道教や儒教の影響がみられるようになります。
特に陰陽道は道教の影響を強く受けていることが見られ、泰山府君という道教の神様を祀る行事も陰陽道ではあります。
陰陽道は神道/仏教(特に密教)/修験道と相互に影響
陰陽道と聞くと、上で見たような天文学的な側面や、暦のイメージよりも、占いや呪術のイメージが強いと思います。
また、陰陽道にも独自に神様が存在していることから神社との関係、つまり神道と混同してしまいそうですが、陰陽道は他の宗教とは全く別物と言ってもよいでしょう。
しかし、神道も仏教も陰陽道に影響を与え、逆に陰陽道の影響も少なからず受けているというのが実際のところです。
特に古神道においては陰陽道の呪術的なものが取り入れられていると言われます。
また、陰陽道の占星術(星の動きで吉凶を占う)はインド由来の仏教の経典「宿曜経」の影響を大きく受けているとされます。
また、山岳信仰が起源とされる、修験道(山にこもり難行苦行を重ね修行をする)の開祖の役小角という実在したとされる人物は陰陽道が大成する前から呪術的な伝承が多く陰陽道にも大きく影響を与えたとされます。
古神道とは何かについてはこちらでまとめています。
陰陽道における神様
先ほど、少し触れましたが、陰陽道では神道や仏教の神とは別の神様がたくさん出てきます。
これらた神道や仏教の神と同一視されているものもいます。
有名なものだと、節分の恵方巻で知られる方位神「歳徳神」や青龍・白虎、玄武、朱雀を含む十二天将(※)などがいます。
ちなみに歳徳神と言う神様は、神道における歳神様(大年神)と同一視される見方もあります。
他にも、現在はスサノオノミコトと習合した牛頭天王や、星由来の神様で南極老人(七福神の福禄寿や寿老人とされる)などなどいます。
この他に陰陽道の中心的な神様の泰山府君という寿命を司る道教由来の神や厄災をもたらす金神などたくさんの神々が祀られます。
※仏教の十二神将と十二天将は別ものですが、陰陽道における十二天将を十二神将と表記することもあります。
仏教の十二神将とは何かはこちらをご覧ください。
十二神将とは|各々の名前や干支・国宝十二神将像が見れる寺院を紹介
陰陽道の影響は神社や私たちの現代の生活にも
陰陽道の神道や仏教の影響について簡単にまとめましたが、一つ具体例を挙げましょう。
最近ではそこまで意識されないかもしれませんが、陰陽道の流れを汲む風水でも家の鬼門に当たる位置は空虚が良いなど建築する時に意識する人は意識します。
それらは神社や寺院の建立においても陰陽道は影響を与えていて、平安京の鬼門の位置、江戸城の鬼門の位置にはそれぞれ比叡山延暦寺・浅草寺が配置され守護しています。
また、神社の境内の中では陰陽道を意識した造りが見られるところもあります。
このように私たちの生活の端々に陰陽道の影響は垣間見られます。
陰陽道と陰陽師などの歴史
陰陽道はどのように日本で発展していったのか、また陰陽道を司る陰陽師とは実際どんな人々だったのか、歴史をご紹介します。
陰陽道の起源が日本に輸入
陰陽道が日本にもたらされたのは日本書記の表記に継体天皇の御代の西暦512年の五経博士の来日、もしくは欽明天皇の御代の易博士の来日とされます。
欽明天皇の御代においては、易や暦の重要性を認識し、卜の書や暦の書を薬などと共に必要だとし、百済へ人を派遣しています。
こうして飛鳥時代にはもたらされていた陰陽道の起源となる卜や暦は、渡来系の人間により日本人に伝えられます。
この伝えられた天文的知識(占星)や暦の技術を専門に司る人達が生まれます。
その人達こそ陰陽師です。
陰陽寮という天文・暦を司る組織
陰陽師は奈良時代の律令制の元で、中務省下の陰陽寮という天文・暦の専門家集団の組織が生まれます。
現在で言う省庁のようなもので、陰陽師は国家公務員的な存在となります。
この陰陽寮はつい150年前の明治維新直後まで存在しましたが、政府により解体されてしまいます。
安倍晴明と陰陽道|陰陽術の先駆けか
陰陽師が天文・暦を司るところから、平安時代には呪術的な要素を含み始めます。
平安時代には怨霊や鬼による祟りの信仰、御霊信仰が広まります。
(菅原道真や崇徳天皇の祟り等に代表する)災いを止める除災・悪霊退散等それらを封じる術などが生まれてきます。
そして、陰陽道の大家である賀茂忠行・賀茂保憲という親子とその弟子の安倍晴明の存在により陰陽道は大きく広がります。
彼らの才能が突出していたことから、朝廷の信頼も得て陰陽道は大きく発展することになります。
史実としては、安倍晴明という人物は40歳以降に活躍した姿が文献で見られます。
彼は陰陽寮の頭よりも地位の高い位をいただき、陰陽師の中では突出した出世をします。
様々な当時の日記や文献で、安倍晴明は超人的な陰陽術を使ったということが見られますが、以下のものが有名です
- 式神を遣い家の門などが独りでに開閉していた
- 鬼となった女性を封印した
- 手を使わずにカエルをつぶして殺した
などなど超人的な物語が安倍晴明の死後も伝えられました。
この傑出した人物たちの存在によって、陰陽寮はそれぞれ賀茂一族と安倍一族の世襲制になります。
こうして陰陽道は秘術的なものなどが一般に知られないようになり、謎めいたものとなります。
陰陽道が一般に広がる|怪しい陰陽術が生まれる
しかし平安時代には、陰陽寮という国家組織に属する陰陽師以外にも陰陽師を名乗り、様々な術を行った人達が生まれてきます。
彼らは呪術的な方法を用いて病気の平癒を祈祷したり、呪いをかけるなどを行うようになります。
その中でも有名な人で、安倍晴明のライバルとして描かれる蘆屋道満(あしやどうまん)=道摩法師がいます。
蘆屋道満は様々な文献で安倍晴明と戦うという逸話が残されていますが実際に存在した人なのかは怪しいと言われています。
いずれにしても、蘆屋道満のような陰陽師を名乗る彼らのような存在によって、国家機関に属し天文や暦を見て時に術を使うという陰陽師というイメージから、怪しい呪術を行うイメージが一般に知られるようになります。
陰陽道の現在と流派の存在
陰陽道は平安時代~江戸時代にかけて何度も浮沈を繰り返してきますが、明治時代になって陰陽寮の解体と共に陰陽道は完全に歴史の表舞台からは見えなくなります。
完全に消えてしまう理由は神仏分離令など仏教が神道から分離されるきっかけとなったお布令の後に出された、天社禁止令というものです。
しかし、日本には今でも陰陽道を引き継ぐ家が存在しています。
それが安倍晴明を始祖とする土御門家という家です。
陰陽寮がなくなるまでの浮沈の中で、陰陽寮を支配した安倍氏と賀茂氏はそれぞれ名前を土御門・勘解由小路と名乗り公家となります。
後に勘解由小路家は断絶し、幸徳井家が賀茂氏の子孫として取り立てられます。
しかし、江戸時代の土御門家の政治力によって全国の陰陽師は土御門家が支配するところとなります。
結果、現在も安倍晴明の子孫である土御門家が陰陽師として表舞台には出ませんが、陰陽師としての活動を陰ながらしているようです。
安倍晴明嫡流の土御門家は福井県の天社土御門神道という宗教法人にて活動をされています。
他にも最近では東洋経済オンラインで安倍晴明の直径子孫の陰陽師の方が日本の結界についてのインタビューに答えていましたが、ひそかに安倍晴明氏などが考案した陰陽術を受け継いでいるようです。
参考:東洋経済オンライン 現在も活動する「陰陽師」の知られざる正体
この土御門家という陰陽道の宗家の流派の他に、いざなぎ流という陰陽寮との関りがあるのか不明ですが神道や仏教との習合が見られる陰陽道の流派等日本各地に存在しているようです。
陰陽道の呪文/占い/印など|現代に残るものについて
陰陽道というと、烏帽子姿に狩衣姿で呪文を唱え占いをする姿を思い浮かべますが、本当にあったものは一体どんな意味を持つものなのかご紹介しましょう。
陰陽道の印・マーク
安倍晴明を祀る晴明神社のご神紋にもなっていている五芒星を始め、太極図(陰陽魚太極図)の意味をご紹介しましょう。
陰陽道と五芒星
陰陽師と言えば創造されるのが、こちらの五芒星ではないでしょうか。
晴明桔梗や、セーマン、晴明紋とも呼ばれるこの印は、安倍晴明が祈祷呪符として作ったものの一つとされます。
五行説の木/火/土/金/水を表したものとして魔除けの力・結界としての能力があるとして使われます。
九字格子(ドーマン)
九字格子とは後のほど見る陰陽道の有名な呪文の一つである九字護身法にて描く図柄であり、ドーマンとも呼ばれる呪符の一つです。
蘆屋道満の名前に由来するとされています。
陰陽道の呪文や呪術・呪いの類
陰陽道の呪文や呪術、超人的な話について、実際にあったとさえれる文献の中での描写や今でも伝わる呪いの類についてご紹介します。
九字護身法
九字護身法は「臨、兵、闘、者、皆、陣、烈、在、前」という九字の言葉を唱えるもので、陰陽道に限らず様々な場面で利用されています。
九字護身法は印を結ぶ呪術として忍者が使っていたり、仏教や修験道でも九字護身法が利用されていますが、陰陽道でも先ほどの九字格子を描いて唱えるという方法があります。
陰陽道由来ではないと思いますが、筆者である私も昔祖母が風邪を引いた私に栄養ドリンクをくれるとと共に背中に向かって数珠でこの九字護身法で格子を描きながら山の気(邪気)を払ってくれていました。
邪気を払う護法・呪文としての側面として古くから伝わるものです。
陰陽道の式神
陰陽道で特徴的な術に紙から生まれる式神という存在がいます。
式神は陰陽師が遣いとして身の回りのことを任せる鬼神のことを言います。
上記の画像は、滋賀の三井寺という大寺院の縁起にある絵で右の黒い服を着た安倍晴明が式神を右下に従えている姿を描いています。
この式神の歴史は、安倍晴明よりも数百年前の役小角が鬼神を従えていたという姿を見られていたという表記があるので陰陽師に独特のものとは言えませんが、超人的な力を持った人達が式神を従えたとされます。
この他にも、犬神様と言われる犬を殺して人に呪いをかけるものや、
反閇(へんぱい)という道教由来の独特な作法のことで、禹歩(うほ)という魔除けの効果のある歩き方などがあります。
また中国由来の元は医療の一部として始まった呪術である呪禁(じゅごん)というもの陰陽道において術として行われています。
このように、陰陽道は中国由来の術も多く見られます。
これらの呪詛の類は密教(天台宗や真言宗)がもたらされてから特に広まりを見せています。
密教においても荼枳尼天修法や歓喜天修法など様々な祈祷法がありますが、陰陽道も同じように様々な祈祷法を生み出します。
陰陽道の霊符・護符・結界
陰陽道では様々なお札を使ったものがありますが、これは後年のお札やおまもりになったとされます。
霊府とは、呪文などでお札に呪い(呪詛)や魔除け(護身)の役割を持たせたもので、それぞれ呪符や護符とされます。
そういったお札を利用したりして結界を張り外からの魔を除けます。
陰陽道と風水|鬼門等
結界の考え方の一つに「鬼門」という鬼や魔が出入りする北東(艮)の方角があります。
この鬼門や裏鬼門(南西(坤))にそれぞれ守護のために何か魔除けとなるものが配置されます。
この考え方は風水でも取り入れられていますが、実は風水も陰陽道の考え方が一部影響を与えています。
陰陽道の占い|占星術
陰陽道は天文学や暦学を司る学問でもあります。
中国においては古くから天文的な事象は吉凶占いに用いられ占星術として確立されます。
それらは飛鳥時代に日本に輸入され、暦の吉凶や人の相性の占いなどにも発展していきます。
今でも暦の中に書かれる歴注の十二直や、暦だけでなく相性診断でも人気の二十八宿はこの時代から取り入れられたもので、本来は陰陽寮によって独占的に守られていたものでした。
それぞれの暦についてはこちらで詳しく解説しています。
十二直の意味とは|2019年十二直カレンダー付。日取りの参考に
28宿(二十八宿)の意味とは|吉凶判断用28宿暦カレンダー(十二直付)
陰陽道と暦
陰陽道と暦の関係についてはとても深い関係にあります。
すべてはご紹介できませんが、ここでは陰陽道に見られる独特な暦の日などについてご紹介します。
陰陽道の有卦7年|吉の年
陰陽道で最も有名な暦の上での吉凶は、干支によって見る吉の7年間の「有卦(うけ)」です。
「有卦に入る」ということわざにもありますが、陰陽道においては有卦の7年間は良いことが続くとされ、その7年間の後5年間は無卦(むけ)という凶の年に入ります。
陰陽道の災いの日|忌み日
現在では家族の命日などに使われる縁起の悪い日という場面で使われることが多い「忌み日」は、本来陰陽道の影響などから、神事・祭事などは避け災いが身に降りかからないようにする日という側面の強いものでした。
庚申(かのえさる)という年月日は、忌み日とされ大きな変革、禍が起きる日とされているのは聞いたことがあるかもしれません。
その他にも、陰陽道では赤舌日(しゃくぜつび)という現在の六曜の赤口(しゃっこう)に意味が引き継がれた災いを起こす赤舌神の影響を受ける日や、六曜の友引に意味が引き継がれた友引日などもあります。
それぞれの日についてはこちらで詳しく解説しています。
友引の意味とは|お葬式/お通夜や結婚式/入籍等友引にしてよいのか解説
赤口とは|赤口の意味や結婚式/入籍や納車、引越等してはいけないことを解説
また、忌み日という日以外にも物忌など特定のもの事を控えるなどを陰陽道において占いで出して助言していたとされます。
陰陽道と方角
また、暦に付随して、陰陽道では方角の吉凶も占うことが頻繁でした。
その影響が今でも見られるのが恵方です。
恵方とは、本来の意味はその年の運気の良い方角のことで、その方角に向かって物事を行えば何事も成就するというものです。
この恵方の先には歳徳神という陰陽道の神様がいらしゃるとされます。
その昔は、恵方詣りと言い正月に恵方にある神社に参りその年の福を願ったそうです。
今では節分に食べる恵方巻にこの恵方の考え方が残されていますね。
恵方の逆に、不吉だとする方角を忌み、避けるようにすることとして方忌みや方違え(かたたがえ)という作法も陰陽道では生まれます。
例えば、暦の天一天上という期間はこの方忌みと暦がちょうど混ざったものです。
天一天上とはどんな意味?2018/2019年の期間と引っ越しや掃除について解説
陰陽道を学ぶことはできるのか
様々な陰陽道についての歴史や今でもみられる陰陽道の影響を見てきました。
これらの独特な陰陽道はとても神秘的で興味の湧くものですが、陰陽道は学ぶことができるとされます。
残念ながら土御門家という安倍晴明嫡流の御家では秘術は外部に教えられることはありませんが、陰陽道の一種とされるいざなぎ流という高知の陰陽道はその術を知る太夫に弟子入りすることもできるそうです。
しかし現代ではこの陰陽道を占いや、怪しげな呪詛のようなものとしてサービスを展開する自称陰陽師やオカルト的な陰陽道も散見されます。
学ぶことができると思っても安易に行うのは良くないでしょう。