ダキニ天(荼枳尼天)とは|ご利益や祟り/怖いと呼ばれる理由を解説

ダキニ天-荼枳尼天

ダキニ天(荼枳尼天)とは|ご利益や怖いと言われる由来とは

ダキニ天(荼枳尼天)という神様は、怖い神様と言われますが、正しい祀り方と強い気持ちを持ってお願いをすれば、誰でもその願いをかなえてくれると言われ慕われる福の神です。

また、ダキニ天(荼枳尼天)はお稲荷様/稲荷神として知られる神様です。

しかし、伏見稲荷大社に祀られるお稲荷様とは別の神様で、ダキニ天(荼枳尼天)は仏教世界の神様に当たります。

今回は、仏教の世界の神様であるダキニ天(荼枳尼天)は一体どんな神様で、どうやってお稲荷様と呼ばれるようになっていったのかという解説と共に、

ダキニ天(荼枳尼天)という神様は怖い神様であるという由来についてもご紹介します。

ダキニ天(荼枳尼天)はもう怖い神様ではない

ダキニ天(荼枳尼天)はもう怖い神様ではありません。

今は福をもたらしてくれる神様ですのでご安心ください。

しかも、ダキニ天(荼枳尼天)はどんな人の願いも聞き届けてくれると言われ、古くから身分の高い/低いに関わらず多くの人が様々なお願い事を祈願し、願いを聞き届けてくださっていたと言います。

ただし、福神様になる前は人の肉を食らうという夜叉の性格を持つ神様であったとされます。

インドの神「ダーキニー」が怖い|ダキニ天(荼枳尼天)の由来

この夜叉の性格を持っていたとされるダキニ天(荼枳尼天)という神様は、元々はインドの神様「ダーキニー」でした。

このダーキニーと言う神が、人を食べないと生きていけないという神様でかなり怖い姿として描かれていました。

しかし、あるきっかけで、改心し人々に福を授ける神様になったのです。

しかし、怖いというイメージからか、一度信仰して、その信仰を捨てたらダキニ天(荼枳尼天)は祟りをもたらすという風にも言われます。

この迷信の由来についても解説いたします。

ダキニ天(荼枳尼天)のご利益

福の神として、様々な御祈願をする方が古来よりいました。

古くは、豊川稲荷の地域から天下統一を目前まで上り詰めた、織田信長、その後を引き継いだ豊臣秀吉、江戸幕府を開き天下泰平の世を作った徳川家康も豊川稲荷に御祈願をしたというのは有名な話です。
※もちろん他の神仏への帰依も見られますが

特にダキニ天(荼枳尼天)のご利益として有名なのは以下のものと言われます。

  • 諸願成就
  • 技芸上達
  • 厄除け
  • 開運
  • 五穀豊穣
  • 商売繁盛
  • 家内安全
  • 病気平癒
  • 出世

お稲荷様としての性格もダキニ天(荼枳尼天)はお持ちですので、商売繁盛の神様としても参拝客が多いです。

また、有名な話ですと東京の豊川稲荷別院は芸能人の方で参拝する方も多いです。(ダキニ天(荼枳尼天)を祀る寺院や神社については後述)

ダキニ天(荼枳尼天)のご真言

ダキニ天(荼枳尼天)のご真言は種々存在しています。

正しく唱えたいとお考えの方は、参られた寺社のものをご確認ください。

ダキニ天(荼枳尼天)のご真言
  • おん だきに ぎゃちぎゃかねい そわか。
  • おん きりかく そわか。
  • のうまく さんまんだ ぼだなん きりかく そわか
  • おん しらばった にり うん そわか(豊川吒枳尼眞天)

ダキニ天(荼枳尼天)のご真言には複数存在していますが、上3つのものは、ダキニ天(荼枳尼天)がまだ荒れ狂う夜叉から心を入れ替えた際、大日如来という最も位の高い仏さまにご真言と印を授かったとされます。

ダキニ天(荼枳尼天)の梵字

ダキニ天(荼枳尼天)を表す梵字は次の字です。

ダキニ天(荼枳尼天) 梵字

梵字で「ダ」を意味する言葉で、もしくは真言にあった「キリカク」という言葉がダキニ天(荼枳尼天)を表す梵字になります。

ダキニ天(荼枳尼天)が怖い神から福の神になった物語

ダキニ天(荼枳尼天)という神様について詳しく解説をしましょう。

ダキニ天(荼枳尼天)の表記

まず、ダキニ天とわかりやすくカタカナで表記していますが、漢字では荼枳尼天という一般に利用される表記以外に次のような表記があります。

  • 荼吉尼天
  • 吒枳尼天
  • 吒祇尼天
  • 吒幾尼天
  • 拏吉尼天

いずれも「だきにてん」と読みます。

ダキニ天(荼枳尼天)の前身「ダーキニー」

現在漢字で荼枳尼天と書かれるのは、サンスクリット語の「ダーキニー」を音写したものです。

天と付けるのは、仏教世界の天部と呼ばれる、仏様の守護神として配置される神様の一つであることを意味します。
弁財天という神様もその一柱ですね。

インドの神話(バラモン教・ヒンドゥー教の神話)の中での話や密教の教えの中で、インドのカーリーという破壊の女神(シヴァ神の奥さん)の眷属として描かれています。
※シヴァ神の眷属という説もあります

この時の姿は、鬼女・夜叉と言った描写もあり、夜に尸林(しりん)と呼ばれるお墓に行き、人肉を食べて生きるという恐ろしい「夜叉や羅刹と呼ばれる存在」でした。

ただインドでは怖い神様と言うだけでなく、紀元前に性の神様としてあがめられたとも言われています。

ダキニ天(荼枳尼天)が福の神に

そんな怖い一面を持つ「ダーキニー」でしたが、大日如来の化身とされる「大黒天(摩訶迦羅)」(インドの神のシヴァ神と同一視)が生きた人の人肉を食べることを止め「死んだ人の肉を」食べるよう説得します。

ダキニは「人肉(人の心にある人黄色という生命力の源)を食べないと生きていけない。そして死んだ人の肉は強い鬼神たちが先に食べてしまうのだ」と答えました。

大黒天はそこで憐れみをかけ人が死ぬ6カ月前にそのことがわかる能力と「訶利訶・キリカク」というご真言と印を授けます。

ダキニ天(荼枳尼天)はこの力を受け、仏法に帰依することにし、人肉を食らうことを止め仏法を守る天部という神様になるのです。

そして他の疫病神・厄災の神と同じように、福の神になっていくのです。

仏教の神様である天部とはどんな存在か詳しく知りたい方はこちらをご覧ください。

天部とは|仏教の守護神、天部衆の神様の種類や信仰,有名な仏像を紹介

補足説明ですが、仏教の中でも空海等がもたらした密教の世界観では大日如来という宇宙の根源となる仏様(悟りを開いた仏)がいます。

仏教の教えを説いた、仏陀もこの大日如来が人間界に表した姿の一つとされていて、ダキニ天(荼枳尼天)を諭した大黒天も大日如来が姿を変えたものの一つと考えられています。

そして、インドの神様で最も人気のある破壊と創造の神のシヴァ神は大黒天と同一視されています。

一つの神や仏が習合して同一視されているのでわかりにくいですが、それぞれの一面と考えていただくと理解がしやすいと思います。

ダキニ天(荼枳尼天)のご利益の物語

ダキニ天(荼枳尼天)のご利益は古くからとてもすごいものと言われてきました。

その有名なものが、「古今著聞集(平安時代)」の関白藤原忠実の挿話です。

ダキニ天(荼枳尼天)という願いを叶えてくださるご利益がすごいということで、藤原忠実は強く願っていた願望をかなえるべく僧侶にダキニ天法(荼枳尼の法/荼枳尼天の修法)という祈祷を行わせました。

すると、ダキニ天法(荼枳尼の法/荼枳尼天の修法)の七日後に狐が現れて、お供え物を食べていきました。

さらにその七日後、今度は藤原忠実が昼寝をしていたところ、夢の中で絶世の美女が現れ通り過ぎようとしました。

藤原忠実は、その美しい女性の美しい髪を握ったところ、髪の毛が切れるというところで目が覚めます。そして手を見てみると、夢でちぎれた神を握っていた手には狐の尾があったのです。

こんなことがあった次の日、藤原忠実の願いは叶えられ、ダキニ天(荼枳尼天)という神様はどんな願いも聞いてくれる、福の神としてさらに人気になるのでした。

この他にも、ダキニ天(荼枳尼天)のご利益がすごいという話は、平清盛や、前述の徳川家康などの挿話もあり、古くからダキニ天(荼枳尼天)は人気の神様と言えます。

ダキニ天法(荼枳尼天法・荼枳尼天の修法)とは

先ほどの物語にもあった、ダキニ天法(荼枳尼の法/荼枳尼天の修法)とはどんな祈祷なのかという話をしましょう。

ダキニ天法(荼枳尼の法/荼枳尼天の修法)は真言密教等の、修験者によって行われるものです。

ダキニ天(荼枳尼天)はどんな人のお願いも聞き届けてくれる優しい神様ですが、一方で元々の怖い神様の一面や、眷属の狐という存在によって

「ダキニ天(荼枳尼天)の信仰を止めると祟りが起きる」
「ダキニ天(荼枳尼天)の信仰を止めると話を聞いてくれなくなる」

と言われています。

ダキニ天(荼枳尼天)信仰を止めると祟りという説

ダキニ天(荼枳尼天)の信仰を止めたら祟りが出るといった話の出どころ・理由ははっきりはしていません。

ダキニ天(荼枳尼天)はご利益がすごい反面、信仰を止めたり、ダキニ天法(荼枳尼の法/荼枳尼天の修法)を正しく行えないなら、それまでのご利益の分、もしくはそれ以上のものを奪われると言われたりもします。

お聖天さんと呼ばれ信仰する人も多い「歓喜天」という神様もそのように言われますが、実際に祟りはあるのかもしれません。

でも、そうではなく例えば商売繁盛の「ご利益」で有名という言葉に引かれ、中途半端な気持ちの信仰心でダキニ天(荼枳尼天)や歓喜天を拝み、たまたま結果が出た結果、神仏への崇拝の気持ちだけでなく様々人として大事な謙虚さを失い傲慢になったがゆえに破滅するという、因果応報を神の祟りと捉えて今後気を付けるようにという説話なのかもしれません。

そもそも、ダキニ天の正しい祀り方・信仰の話の前に、神様に何かの祈願をする際は、その願い事が成就した/しなかったにかかわらず、願いっぱなしにすることは不敬とされます。

大きな祟りにかかるという理由ではなく、礼儀として、願掛けの後は感謝の言葉を伝えに行き、お願いした内容はもう結果が出たとして、「願解き」をするのが良いとされます。

ダキニ天(荼枳尼天)という神様自体の怖いイメージの原因、祟りがあると言われる一つの要因はダキニ天(荼枳尼天)は稲荷の神とされていることにあると言われます。

このお稲荷様もまたきちんとした祀り方、信仰の心がなければ祟りが起きると言われているのです。

そもそも、仏教の神様がなぜお稲荷様と言われるようになったのか、いくつかある説について見ていきましょう。

ダキニ天(荼枳尼天)がお稲荷様になった由来

まず、お稲荷様(稲荷神)という神様について簡単にご紹介します。

お稲荷様(荼枳尼天を含む)は古くから日本では人気の神様で現在では全国で最も多い神社は稲荷神社と言われます。(全国に3,4万社あると言われる)

この稲荷社というと「神社」を表しますが、ダキニ天(荼枳尼天)を祀る稲荷は「寺院」になります。
この時点で、お稲荷様を祀る場所には2つの大きな違いがあります。

さらに「お稲荷様」と一括りに言うと、狐を眷属(神の御遣い)とする豊穣の神、田の神ですが、詳しく見てみると、同じお稲荷様と言われても、

これらのように複数の神様を祀る神社とお寺が存在しています。

それではなぜダキニ天(荼枳尼天)というインドからやってきた、仏教の神様が日本でお稲荷様と同一視されたのかというと、完全な答えはありません。

お稲荷様や稲荷神社についてはこちらで詳しく解説しています。

稲荷神社・お稲荷様(稲荷神)を解説|ご利益・狐の祟り等怖い話の由来とは

様々な説があるのですが、ダキニ天(荼枳尼天)がお稲荷様と同一視されるようになった最も有力な説は「お稲荷様と狐」と「ダキニ天(荼枳尼天)と狐」というそれぞれのイメージがつながったというものです。

ダキニ天(荼枳尼天)と狐のつながり

ダキニ天(荼枳尼天)という神様は、現在狐に乗った姿で描かれる絵が良く見られますが、この姿は元々日本にダキニ天(荼枳尼天)が来られたころの姿ではありません。

ダキニ天(荼枳尼天)は本来ジャッカルだった

上で解説をしましたが、ダキニ天(荼枳尼天)は元々インドのダーキニーという神様で日本にやってきてダキニ天(荼枳尼天)と呼ばれるようになります。

このダーキニーという神様はジャッカルに姿を変えていたと言われるのです。(ジャッカルを眷属としていて、ジャッカルが神の遣いだったという説もあります。)

このジャッカルの姿を日本では狐にかけ合わせたという説があります。

また、後程見るダキニ天(荼枳尼天)を絵で表現した曼荼羅の中では、ダキニ天(荼枳尼天)のご神体が白狐であるとされ、狐のイメージからお稲荷様とつながったのだと言われます。

その他にも、次のような説話もお稲荷様とダキニ天(荼枳尼天)のつながりを持つ一つであるといわれます。

ダキニ天(荼枳尼天)と空海とお稲荷様の話

空海は、ダキニ天(荼枳尼天)という仏教の神様の世界観と、その教えを伝える密教を日本に持ち込み「真言宗」を開いた大僧侶です。

まず、ダキニ天(荼枳尼天)という神様の世界観を日本に持ってきたことだけでも空海とダキニ天(荼枳尼天)の関係性は深いのですが、それ以外にも空海はお稲荷様と縁が深いことで有名です。

空海とお稲荷様の説話は複数あって、有名なものの一つは東寺の建立の話です。

空海は東寺の建立に必要な木材をウカノミタマノカミ(宇迦之御魂神)を祀る伏見稲荷大社のある稲荷山(伊奈利山)から切り出して持ち出しました。

すると、時の天皇の淳和天皇は病気になってしまいました。

空海はその原因を調べたところ、稲荷山の木材を持って行ったことが問題であるとされ、伏見稲荷大社の神階を高めるといったことをしたところ、病気はたちまち癒えたと言います。

また、この話の前、つまり空海は東寺の建立をする前に稲荷神と一度会っているなど、お稲荷様と空海は会っていたと東寺に伝わる「稲荷大明神流記」に書いてあり、空海はこの稲荷神を伏見稲荷の現在の土地にご鎮座してもらったと言います。

ちなみに、今は神社と仏閣が併存する場所はほとんどありませんが、明治の廃仏毀釈までは伏見稲荷大社の内には、空海が持ち込んだ密教の中の神である稲荷神のダキニ天(荼枳尼天)が真言寺院愛染寺に祀られていました。

ダキニ天(荼枳尼天)の仏像等画像

ダキニ天(荼枳尼天)という神様のお姿を複数の仏像や画像にてご紹介します。

多くの場合、ダキニ天(荼枳尼天)は美しい女性神として描かれ、狐にまたがっています。

しかし、元々は夜叉という荒々しい性格の神でしたので、その姿は後年のものとされます。

ダキニ天-荼枳尼天 画像

この画像では白狐にまたがりる天女の姿をしていて、如意宝珠という願いをかなえる宝珠をもち、剣を持っています。

ダキニ天-荼枳尼天画像②

こちらの画像も狐に跨ったダキニ天(荼枳尼天)の姿です。

稲荷の神との習合によってこのほかにも稲穂や鎌を握ったダキニ天(荼枳尼天)の画像もあります。

ダキニ天-荼枳尼天仏像画像

こちらは仏像のダキニ天(荼枳尼天)ですが、白狐に跨った姿をしていますね。

ダキニ天(荼枳尼天)の本来の姿(曼荼羅画像)

ちなみに、ダキニ天(荼枳尼天)の本来の姿は胎蔵界曼荼羅(大悲胎蔵生曼荼羅)という仏教の世界を絵にして表した曼荼羅の中に見ることができます。

ダキニ天-荼枳尼天画像③

この画像の白い枠で囲んだところにダキニ天(荼枳尼天)は描かれます。

ダキニ天(荼枳尼天)は最外院というところで、閻魔天の眷属として描かれ、白枠の内側の下に横たわる死者を今から食べようとする姿が見られます。

ダキニ天(荼枳尼天)を祀る神社・お寺

ダキニ天(荼枳尼天)を祀る神社は、廃仏毀釈の影響からほとんど残っていません。

ダキニ天(荼枳尼天)を稲荷の神として祀るところはほとんどが寺院となっています。

豊川稲荷(愛知県)|ダキニ天(荼枳尼天)を祀る日本三大稲荷

何度か本記事でも名前は出てきましたが、ダキニ天(荼枳尼天)を祀る稲荷寺院の中でも豊川稲荷は特に有名です。

神社ではないのですが、一般には日本三大稲荷に数えられ、全国から参拝客が集まります。

豊川稲荷のHPはこちら

豊川稲荷東京別院

豊川稲荷は、東京の赤坂に別院があり、商売繁盛や芸事の神様として多くの人が参拝に訪れています。

ちなみに、伏見稲荷大社を起源とする初午の日の祭りですが、豊川稲荷等のダキニ天(荼枳尼天)を祀る稲荷寺院でも初午祭を行っています。

ぜひ運気が高まり、ご利益にあずかることができると言われる初午の日に一度参ってみてはいかがでしょうか。

初午とは何かについてはこちらで詳しく解説しています。

初午とは|意味・2019年初午の日/いなりの日のお参り/お供え物を解説

鞍馬寺内の吉鞍稲荷社(京都)

神仏習合時代の色を残す、京都でも伝統があり有名なお寺の鞍馬寺内には、ダキニ天(荼枳尼天)を祀るお社があります。

そこは吉鞍稲荷社と呼ばれ、御祭神は「吉鞍稲荷大明神 荼枳尼天尊」と書かれています。

伏見稲荷大社(京都)はダキニ天(荼枳尼天)とは違うお稲荷様を祀る

稲荷社の総本宮京都伏見の「伏見稲荷大社」はお稲荷様を祀っていますが、ダキニ天(荼枳尼天)ではありません。

こちらはウカノミタマノカミ(宇迦之御魂神)という稲荷神を祀っています。

ダキニ天(荼枳尼天)ではないお稲荷様のウカノミタマノカミについて詳しく知りたい方はこちらをご覧ください。

ウカノミタマノカミ(宇迦之御魂神)|お稲荷様/豊穣の神のご利益や神社

古くは伏見稲荷大社の社領の中には真言寺院愛染寺というダキニ天(荼枳尼天)を祀る寺院があったことは前述の通りです。

明治時代の廃仏毀釈によってその寺院は破壊されてしまいましたが、神仏習合の時代には、神道のお稲荷様も仏教のお稲荷様もすぐ近くで祀られていたのですね。

ダキニ天(荼枳尼天)にまつわる様々な説

ダキニ天(荼枳尼天)という神様についての様々な説について簡単にご紹介しましょう。

荼枳尼天修法のご利益は

ダキニ天(荼枳尼天)はご利益がすごいと言われ、古くから荼枳尼天修法と呼ばれる御祈祷は行われていました。

今でも、荼枳尼天修法は行っている人はいるようですが、中には修行を行わない未熟な人や、インチキペテン師の霊能力者と言う人達が行っているようです。

そういった人達に騙されないように気を付けてください。

ダキニ天(荼枳尼天)と弁財天のつながり

ダキニ天(荼枳尼天)という神様は弁財天と同一視・もしくは弁財天の影響を強く受けていると言われます。
以下でご紹介するのは、ダキニ天(荼枳尼天)と弁財天が同一視されているという由来のあくまで一説です。

弁財天も元はインドの神様で、日本に輸入され多くの神社仏閣で祀られるようになりました。

弁財天は今では七福神のイメージもあり、柔和な白い肌で琵琶を弾く女神として描かれます。(妙音弁財天と呼ばれる弁財天のイメージです)

この女神として描かれる弁財天の姿はダキニ天(荼枳尼天)と似ています。

しかし、元々は剣や弓を持っていたり蛇が頭頂部にいたりと、かなり武人として描かれたり、眷属の蛇を連れているというイメージで仏像や絵が作成されていました。
このイメージの転換もダキニ天(荼枳尼天)と似ていますね。

また描かれたり、作成された仏像のイメージの弁財天の一つに宇賀弁財天というものがあります。

この宇賀というのは、宇賀神という日本で古来から福をもたらす神として信仰されていました。

宇賀という音から、稲荷の神のウカノミタマノカミとも同一視されています。

弁財天=宇賀神=ウカノミタマノカミ≒ダキニ天(荼枳尼天)

という流れで弁財天とダキニ天(荼枳尼天)は同一なのではと言われているのです。