諸行無常の意味とは|簡単だが奥が深い
諸行無常の意味とは簡単に言うと「この世のもの(=諸法)は全て、変わらないものはない(=無常)」となります。
諸行無常の意味がわかれば、この世の苦しみの原因を取り除く第一歩となるのですが、そのことについては後ほど詳しく解説いたします。
「諸行無常の響きあり」でおなじみの平家物語
諸行無常という言葉は、中学校の国語の時間に平家物語の冒頭部分
「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」
という言葉で習ったかと思います。
後程詳しくこの部分についても解説いたします。
地下人と呼ばれ朝廷という政治を行う場所に昇ることさえ許されなかった存在である平清盛とその一族が、天皇と政治で直接渡り合うようになり、果ては孫に天皇を抱えるようになるという栄華を極めたすぐ後に、一族のほとんどが壇ノ浦の戦いで海の藻屑となる、そんな儚い世を言い表した名文です。
諸行無常とは仏教の最も大事な3つの教えの1つ
諸行無常という言葉は仏教の言葉です。
仏教の言葉と言うと、あまり知らない人だと漢字が並びわかりにくいイメージがあると思いますが、先ほども見た通り、諸行無常の意味はとても簡単でわかりやすいです。
諸行無常とは、「仏教の教えを凝縮して3つの言葉に表した言葉」の一つでとても大事な考え方なのです。
諸行無常の意味と共に、少しばかり、知って面白いと感じてもらえるような豆知識も含めてご紹介いたしますので、ぜひ最後までご覧ください。
諸行無常の意味とはわかりやすく言うと
諸行無常の意味は冒頭でもご紹介しましたが、もう一度わかりやすいに言うと「永久不変のものはこの世にない」という意味です。
私たち人間や動物は、生まれてから成長して、老いていって死んでいきます。
モノもいつかは壊れます。
世界一高いヒマラヤ山もいまだに年に数cmずつ変化していってます。
この世にある何らかの作用で形成されたもの(=諸行)は、一分一秒、0.00000何秒という刹那とも言えるこの瞬間でさえも変化し続けていて、常住であることは無い(=無常)のです。
この諸行無常の意味はそこから一般には次のように知られるようになります・
- どんな人も物も永遠はないし、死ぬ。壊れる。
- どんなに好きな人ももの事も、老いて醜くなるし、色あせる。
- 栄華を極めた人や団体もいつかは廃れていく
このようになるのです。
諸行無常の意味がわかると
「無常を観ずるは、菩提心のはじめなり」という言葉があります。
これは諸行無常の意味が分かると「苦しみから解放された安らかな境地」に達することができる第一歩になるという仏教の言葉です。
しかし諸行無常の意味は、現代社会を生きる私たちにとって当たり前ではないかと感じると思いますし、わかったところで苦しみから解放なんてと思うのではないでしょうか。
そこで、諸行無常の意味を意識していただくために、今あなたがとても幸せな状況に入ると想像してみてください。
その幸せな状況にいる最中、突如自分が不治の病で倒れ、その幸せな状況をつづけられなくなったとしたら。
そして、幸せな状況から一点、そのまま死ななければならない運命だとしたらどう思いますか。
「何てつらく、不運で、苦しいんだ」と思いませんでしょうか。
しかし、病気や不慮の事故など、様々な物事が突如として降りかかり、いつ皆さんの幸せな状況が変化するかなどわかりません。
そして幸せな状況がそんな急展開で変化しないにしても、何らかの形で幸せな状況は終わりを迎えます。
どんなにきれいな人、美しいもの、幸せな時間も必ず色あせて消えゆくものとわかっていても、その覚悟ができていないのに突如降りかかったら「諸行無常の世の中」を痛感すると思います。
では逆に、言われたらわかるという頭でわかっている程度ではなく、心から「諸行無常」ということがわかっていて、「死ぬこと、老いること、病に苦しむこと」が降りかかってくる覚悟ができていたら、突如としてそれらの不幸に見舞われた時よりも、ひどく苦しむことはなさそうだとイメージはできませんか?
それが「諸行無常」を本当の意味で理解し、苦しみから解放されるということの一歩なのです。
仏教では諸行無常は絶対に変えることができない、不変のルール、真理と言います。
この真理は神様や仏様だって抗うことはできない絶対のルールなのです。
もしあなたが人生を苦しいと感じているのなら、真理を見失っていることが原因かもしれません。
諸行無常という真理を理解し、自分たちの思うままになるように願う(=煩悩)気持ちを持っても仕方ないとわかれば、苦しみは生まれないかもしれません。
仏教の教える苦しみの原因である煩悩についてはこちらで詳しく解説しています。
煩悩とは”人生を苦しめる原因”|煩悩の意味と仏教の教えをご紹介
諸行無常と諸法無我というこの世の真理
仏教の最も大事な教えが3つあると言いましたが、その1つであり、諸行無常と同様この世の真理である「諸法無我(しょほうむが)」という言葉があります。
諸行無常と諸法無我は似ているのですが、少し違います。
諸法無我の意味は「この世のもの事は全て(=諸法)実体がない(=無我)」ということなのですが、分かりにくいと思いますので、簡単に言うと、
「全ては色んなものの”因”と”縁”(因縁)で成り立っていて、唯一無二の存在はない」ということです。
私たちの心や体は、「私の心、体」「あなたの心、体」と他のものから独立した、唯一無二の存在と考えていると思いますが、そうではなくて、あらゆるもののご縁で成り立っているものと考えるのです。(仏教用語で縁起と言います)
例えば仏教を開いたお釈迦様は「魂」という私たちの体が無くなっても存在すると考えるものは、存在しない!と断言しているのです。
諸法無我を簡単に説明するとそのイメージが伝わりにくく、しっかり説明すると長くなりますので詳しく知りたい方はこちらをご覧ください。
諸法無我とは|意味や簡単にイメージできる例で説明。諸行無常との関係とは
この世の真理「諸行無常と諸法無我」という仏教の最も大事な3つの教えの内の2つをきちんと理解し正しい努力をすると、「苦しみから解放されて安らかで楽しい世界(涅槃の境地)」に達することができると言います。
この涅槃の境地が、仏教の最も大事な3つの教えの最後「涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)」となるのです。
仏教はシンプルに言うと、この「涅槃寂静という苦しみのない世界」へどうやって行くのかをとてもわかりやすく説明したものなのです。
涅槃寂静についてはこちらで詳しく解説しています。
涅槃寂静の意味とは仏教の最終目標|読み方/概念をわかりやすくご紹介
ちなみに、この3つは三法印と呼ばれます。
ここに一切皆苦という言葉を入れて、四法印とも言われます。
また真理とはなんなのかについてはこちらで解説しています。
真理の意味とは|仏教の真理と他宗教の真理,哲学の真理の意味は違う
いろは歌の詞と諸行無常
諸行無常は実は「いろはにほへとちりぬるを」といういろは歌の詞の由来となっています。
いろは歌の由来となる言葉は次の一節です。
諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽
これは涅槃経というお経の諸行無常偈(しょぎょうむじょうげ)という一節で、現代語訳といろは歌との対応関係は次のようになっています。
いろは歌 | 涅槃経 | 現代語訳 |
いろはにほへとちりぬるを (色は匂えど、散りぬるを) |
諸行無常 (しょぎょうむじょう) |
世の中の事物は移り変わっていく |
わがよたれそつねならむ (我が世誰ぞ、常ならむ) |
是生滅法 (ぜしょうめっぽう) |
生まれてはけえていくのがこの世の真理 |
うゐのおくやまけふこえて (有為の奥山、今日越えて) |
生滅滅已 (しょうめつめつい) |
生滅することにとらわれないように |
あさきゆめみじゑひもせず (浅き夢見じ、酔いもせず) |
寂滅為楽 (じゃくめついらく) |
人生は安らかで楽しいものになる |
ちなみに空海がいろは歌を作ったと言いますが、この説は違うとも言われています。
ちなみに「諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽」という漢訳はお経の次の部分に相当します。
『つくられたものはじつに無常であり、生じては滅びるきまりのものである。生じては滅びる。これら(つくられたもの)のやすらいが安楽である。』
出典:原始仏教の思想Ⅰ 中村元 春秋社
諸行無常の響きありの一節と平家物語について
「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」という一節は先ほども簡単にご紹介しましたが、平清盛が武士の棟梁として権勢をふるうようになってから壇ノ浦の戦いで滅亡する20年ほどを揶揄した言葉です。
諸行無常の響きありの意味とは
祇園精舎というのは、仏教の生まれたインドに実在するお寺で、お釈迦様が実際に説法をした場所です。
祇園精舎は仏教の修行僧が集まって生活をしていた場所で、祇園精舎に鐘がないという噂がありますが、実際にあったとされます。※荒廃してなかった時期もあります。
祇園精舎の中の無常院無常堂という、修行僧が最期の時間を過ごす場所に鐘がありました。
それが祇園精舎の鐘と言われます。
祇園精舎の鐘の音は最期を迎えた修行僧のために鳴り、この世が諸行無常であると感じさせるものであったそうです。
「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」は「祇園精舎の鐘の音と言うのはどんな人間・物事も永遠には続かない、そんなこの世の無常を感じさせるものだな」という意味です。
諸行無常と盛者必衰等の関連
平家物語は、「祇園精舎の鐘の 諸行無常の響きあり」の後も、同じようにこの世の移り変わりを表現します。
「沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす」
この沙羅双樹というのは、お釈迦様が入滅(亡くなること)し、涅槃に入った場所に咲いていた2本の木のことです。
花の色が移り変わるように、どんなに権勢をふるった人もいつかは必ず衰えていく(栄華は長く続かない)
という諸行無常の一側面を強調しています。
平家物語冒頭部の全文と現代語訳
原文
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
現代語訳
祇園精舎の鐘の音は「諸行無常」を感じさせる音の響きがある。
沙羅双樹の花の色の移り変わる様は、栄華を極めた人も衰えていくこの世の道理を表現している。
どんな勢いのある人もいつまでもその勢いが続くわけではなく、短く儚い春の夜の夢のようである。
栄華を極めた人もいつかは滅びるのは、まるで風に吹き飛ばされてしまう小さな塵のようなものだ。
四字熟語としての諸行無常の使い方等
ここまでは仏教色が強い解説となりましたが、一般に使われる四字熟語として諸行無常についても簡単にご紹介します。
諸行無常の類語
諸行無常と同じ意味の言葉は、仏教用語でも一般の言葉でも多くあります。
- 万物流転(ばんぶつるてん)
- 飛花落葉(ひからくよう)
仏教用語なら、
- 是生滅法
- 無常迅速
- 有為転変
有為転変は世の習い
という表現があります。
ちなみに、般若心経の「色即是空」が類語とすると書いているところを見たことあるのですが、色即是空は諸法無我の類語であり、厳密には諸行無常の類語ではありません。
般若心経という日本で最も読まれるお経についてはこちらで詳しく解説しています。
般若心経とは|全文の意味が分かると面白い!般若心経の現代語訳と意味解説
諸行無常の対義語
諸行無常の意味の反対に当たる言葉は
- 永久不変
- 恒常不変
と言ったことばなどです。
諸行無常の例文
諸行無常という言葉を現代社会で使うことはあまりありませんが、現在でもものが壊れたり、勢いのあった人が没落したりしたり世の中の移り変わりを感じる場面で「無常」や「諸行無常」と表現します。
「あれだけお金があった●●さんも今では食うに困っているらしい。諸行無常は世の常だ。」
諸行無常の英語表現
仏教は世界三大宗教にも数えられますが、欧米でも研究はとても熱心に行われました。
諸行無常に対する英語訳は複数あるのですが、次のように表現されます。
「Everything changes(全てのものは変わりゆく)」
とてもシンプルです。