煩悩の数について|煩悩が108種類とする意味や由来,他の煩悩の数の説など解説

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煩悩の数とは|煩悩は108とする由来等解説

煩悩の数は108種類あると言われます。

煩悩は108個あるというのは、様々な説・由来が存在し、確立された数字という訳ではありません。

煩悩の数には108種類以外にも所説ある

煩悩の数は108という説以外にも、84000、88など別の説も存在します。

煩悩の数の由来には、実際にお釈迦様が唱えたものではない、後付けのものも存在しています。

今回はそんな煩悩の数にまつわる様々な説をご紹介いたします。

煩悩の意味とは

煩悩という言葉自体の意味を簡単にご紹介します。

煩悩とは、私たちの欲望や怒りの感情など私たちを苦しめる原因を意味します。

煩悩は私たちの人生が苦しくなる原因となる様々な心の動きを総称した言葉で、煩悩が止めば私たちは苦しみから解放され、安らかで楽しい人生を歩むことができると教えます。

後程、煩悩の数以外の、煩悩にまつわる仏教の教えについても解説いたします。

煩悩は108つ説|百八煩悩

煩悩の数を108とする説は最も広く知られ、百八煩悩という言葉もあります。

煩悩の108という数の意味

煩悩が108種類あるというのには、複数の由来があると冒頭でもご紹介しましたが、その由来によって108と言う数字の意味が変わります。

まず簡単に煩悩が108であるという由来をご紹介しますと、

  • 98の煩悩と10の煩悩を合わせたことを由来とする説
  • 私たちの世界を認識する能力と、認識から生まれる感情、そしてそれらがいつ起きたのかという時間をかけ合わせたことを由来とする説

この2つが108という煩悩の数の一般的な説となります。

後に、108の由来に後付けの説が生まれたりもしますが、それらも含めて、詳しくご紹介していきます。

九十八随眠 と十纏を合わせて108

煩悩を深く分析した結果、九十八随眠(ずいめん)と十纏(てん)というそれぞれ98,10の煩悩があり、それらの和として108煩悩があるとされます。

九十八随眠 と十纏という煩悩の内容ですが、倶舎論という仏教の論書の内容から簡単に解説すると次のようになります。

  • 九十八随眠(ずいめん)
    随眠とは煩悩の別称です。
    随眠は煩悩の種子とも考えられています。(眠っている煩悩とも考えます)
    随眠という98の煩悩は、三毒(貪瞋痴とんじんち)・慢・疑・有身見・辺執見へんしゅうけん・邪見・見取・戒禁取かいごんじこれらを三界それぞれに分かれて、所属していると考え、さらに細かく分類していって九十八随眠となります。
    ※三界というのは「欲界/色界/無色界」というもので、煩悩に苦しめられる私たち衆生がいる3つの世界です。
  • 十纏(てん)
    十纏は無慚むざん無愧むきしつけん掉挙じょうこ悪作あくさ惛沈こんじん睡眠すいめん忿ふんふくの十の煩悩を意味します。

十纏は他のものを数える説もあります。

六根×好悪×浄染×三世(六根×好悪×楽苦×三世)

煩悩が108あるという説のもう一つ有名なものが六根という私たちの認識能力から煩悩が生まれるという説です。

六根とは「眼・耳・鼻・舌・身・意」を表します。

私たちがこの世の中を認識する場所のことで、これらが私たちの煩悩を生む原因となります。

例えば、眼で見たものを私たちはそれぞれのフィルターを通して認識します。

眼で見た様々なものに対して、それがきれいなモノ、醜いモノ、何とも思わないものなどと自分たちでそれぞれを認識します。

そして、そういった認識も働いて、私たちがきれいなものと認識するものなどを求めたいと思います。

これこそ煩悩です。

つまり、私たちの眼や耳や鼻と言った六根は煩悩の根本的な原因だと言うのです。

仏教的では六根で認識したものを六境(六塵)と言い、六境とはそれぞれの器官で認識する色・声・香・味・触・法を意味します。

そして、この認識した六境に対して、私たちがどのようにそれを認識するのか、で六識というものが続いて生まれます。

認識する時に私たちはそれらに対して、「好」し「悪」しと判断したり、どちらでもない「平」と判断します。

この時点で、六根で認識したものに3つの認識から18の煩悩があります。

さらに、煩悩によって迷いの生じている状態「染」と迷いのない状態「浄」という状態を加味して、36の煩悩があります。

こうして六根・3つの認識(好悪平)・2つの状態(染浄)で36の煩悩があったところに、過去現在未来という三世という考えを加味して、36×3で108の煩悩が私たちにはあるのだというのです。

ちなみに、染浄は、楽苦と考える説もあります。

これ以上の解説はここでは割愛しますが、知っていただきたいのは、この六根や九十八随眠や十纏(も、私たちの世界の認識するプロセスなどを深く観察し、論理的に切り分けたりして生まれたというもので、108という数字には意味があります。

そして、上記のような深い分析の結果、私たちを苦しめる原因である煩悩に対してどのように対応すればよいのかということを仏教では教えているのです。

四苦八苦は煩悩の108に通ずる

煩悩は人生の苦しみの原因となるものです。

そして仏教では人生の8つの苦しみを四苦八苦と言って表現します。

四苦八苦とは、四苦(生老病死)に愛別離苦(あいべつりく)・怨憎会苦(おんぞうえく)・求不得苦(ぐふとくく)・五蘊盛苦(ごうんじょうく)という4つの避けられない苦しみを含めた教えです。

この四苦八苦という人生の苦しみから煩悩の108と言う数字が導き出せると言うのです。

四苦八苦を数字にすると、4989となります。

これを計算式に当てはめると、4×9+8×9となり、108となるのです。

ただ、四苦八苦という言葉は後の世に生まれた言葉で、インドで生まれた当時の仏教の煩悩という教えに対する後付けと言えます。

仏教の教える四苦八苦という人生の苦しみについてこちらで詳しく解説しています。

四苦八苦の意味とは|語源となる仏教の教えや四苦八苦するの使い方など解説

煩悩の108は旧暦に通ずる

煩悩は旧暦で用いられていた、二十四節気七十二候という一年間を太陽の動きによって24,72に分ける暦と、12カ月の和が108になることを起源にするという説もあります。

この説は私たちは一年中、煩悩に苦しめられるということを意味しているなどと解釈されます。

二十四節気と七十二候についてはこちらで詳しく解説しています。

二十四節気(にじゅうしせっき)とは|意味の解説や24節気カレンダー2019年版付

七十二候とは|二十四節気と読み方など解説。2019年72候カレンダー付

煩悩の108という数が使われるもの事

煩悩が108とする説以外については後程ご紹介します。

その前に、最も知られる108という煩悩の数にちなんだもの事や伝統についてご紹介します。

除夜の鐘は108の煩悩を消すためのもの

年末から年明けにかけて、日本各地のお寺で除夜の鐘と言い108回鐘が鳴らされます。

この除夜の鐘は私たちが新たな一年を迎えるにあたって、煩悩を消しさって良い一年を迎えるようにするなどの意味を持っています。

中国が由来となる伝統ですが、日本でも古くから行われている行事です。

お寺によっては108回以上するところもあったり、かなり幅広く行われています。

数珠の玉の数が108という煩悩の数を表す

長めの数珠の玉の数も108個になっています。

数珠を持つ意味は護身、心願成就などが一般に知られますが、煩悩を消すためであるともされています。

数珠の起源は仏教よりも前からあるバラモン教にあるとされていますが、仏教においては木槵子経という経典にある、お釈迦様が国王の苦しみを解決するために、108の木槵子の実でできた数珠を作り…」というアドバイスを与えたことからやってきたとされています。

ちなみに、お釈迦様のアドバイスを聞いた国王は、きちんとアドバイスを実行して、人生の苦しみから解放されたとされます。

煩悩を1文字で表す108画の漢字

煩悩という言葉を、漢字一文字で表す108画の漢字があります。

残念ながら、その起源は由緒正しいものではないようです。

しかし、興味深いものですので、煩悩を108画で表現した漢字を書いた書道家の方の動画がありましたので、興味がある方はご覧ください。

他にも、野球のボールの縫い目が108ということでも有名ですが、煩悩とは関係ありません。

煩悩の数が八万四千説|八万四千の煩悩

煩悩が108とする以外にも、煩悩の数は84000あるという説もあります。

仏教では煩悩の数以外でも八万四千と言う数字は度々出てきます。(例:八万四千の法門etc)

この八万四千という数字には意味がなく、「たくさん」や「すべて」という意味を持たせる際に利用される言葉とされています。

後の世の創作かもしれませんが、84000と言う煩悩の数にも、一応計算式によって導き出すものもあります。

ちなみに、煩悩の数が108というのも、単にたくさんという意味を表すという説もあります。

煩悩の数は88つ説

煩悩の数が88あるという説もあります。

これは、四国八十八カ所のお遍路の数でも知られ、四国八十八カ所は煩悩の数が起源とも言われています。

煩悩の数が88と言うのは、煩悩が108あるという説でも出てきた九十八随眠から、10ある本能的な煩悩である「修惑」を引いた数と言われますが、諸説あります。

六大煩悩や三毒、五蓋など

六大煩悩や三毒、その他十大煩悩などと呼ばれるものは、衆生が持つ全ての煩悩の数を意味するのではなく、煩悩の中の根源的なものを集めた言葉であったり、部分的に切り抜いてきた煩悩を意味したりします。

煩悩の中でも三毒(さんどく)が最も根源的

九十八随眠でも出てきましたが、煩悩の中で特に根源的なものとしてまとめられたのが三毒です。

三毒は貪瞋痴(とんじんち)とも言われ、以下の三つの煩悩を意味します。

  • 貪欲(どんよく)
    欲しいものなどに対して、執着する心
  • 瞋恚(しんい)
    怒ること、腹を立てること
  • 愚痴(ぐち)
    真理を知らず、物事の理非の区別がつかないこと(=無明)

三毒についてはこちらで詳しく解説しています。

三毒・貪瞋痴(とんじんち)とは|煩悩を意味する三毒の意味(貪/瞋/痴)を解説

五蓋(ごがい)

五蓋もまた、煩悩の中の5つという意味を持つ言葉です。

貪欲蓋・瞋恚蓋・惛沈睡眠蓋こんじんすいめんがい掉挙悪作蓋じょうこおさ・疑蓋という5つからなります。

五蓋は悟りに到る上での妨げとなる特に5つの煩悩をまとめたものです。

この他にも、五下分結・五上分結など煩悩を分類する言葉などもあります。

煩悩の数と仏教の教え

煩悩の数には、仏教の経典の中の表記が由来となる説、そうでない説など様々ありましたが、大事なのは煩悩が108なのか、そうでないのかではなく、それほどたくさんある煩悩とどのように私たちは向き合うべきなのかということです。

仏教の最も基本的な教えに四諦というものがあります。

四諦とは、

  • 苦諦(くたい)
    人生は思い通りにならず苦しみばかりである(=一切皆苦)
  • 集諦(じったい)
    人生の苦しみの原因は、私たちの煩悩である
  • 滅諦(めったい)
    苦しみの原因の煩悩を滅すれば苦しみから解放される
  • 道諦(どうたい)
    苦しみから解放されるための正しい行いをすること(=八正道)

この四つの教えをまとめたものです。

煩悩の数の諸説とは違い、四諦はお釈迦様が確実に教えたとされ、さらに最も最初に教えたとされる仏教の基本中の基本の教えであり、とてもシンプルな教えです。

仏教では108、84000、3、4、5、6などなど、たくさんの数字や文字が出てきてわかりにくいと感じた方もおられるかもしれませんが、根本となる教えはとてもシンプルであり、お釈迦様は誰にでも伝わるように様々なわかりやすい例えで教えを説きました。

四諦を見るとわかりますが、仏教の教えである「人生の苦しみから解放され楽しく安らかな人生を送る」ためには、108やらいくつかある煩悩を抑える必要があります

四諦にあった滅諦(煩悩を滅する)というのではなく、煩悩は抑制するものだというのが、本来のお釈迦様の言葉だった様です。

これはサンスクリット語という、お釈迦様が生きていた当時のインドで使われていた言葉を漢訳した時に、「制する」と訳される言葉を「滅する」と訳したことから誤って広まったと考えられています。(参考:般若心経 金剛般若心経 中村元 紀野一義 岩波文庫)

それでは滅するのではなく。煩悩を制するために何をすれば良いのかと言うと、この世がどういう世界であるのか、真理を悟ること(智慧を完成させる)が必要だとお釈迦様は教えます。

お釈迦様が教える、苦しみから解放されるために、悟るべき真理を2つの言葉にまとめて「諸行無常諸法無我」と言います。

それらについてはこちらで詳しく解説していますのでこちらをご覧ください。

諸行無常の意味とは|平家物語の”諸行無常の響きあり”の意味も含め簡単に解説

諸法無我とは|意味や簡単にイメージできる例で説明。諸行無常との関係とは

また、煩悩という言葉について詳しくはこちらで解説しています。

煩悩とは”人生を苦しめる原因”|煩悩の意味と仏教の教えをご紹介

煩悩即菩提とは

煩悩即菩提というのは、お釈迦様の教えではなく、後年になって確立された理論です。

菩提と言うのは、悟りの境地(涅槃)のことで、悟りを開いた人が達することのできる、苦しみから解放された安らかで楽しい世界を意味します。

この煩悩も菩提も、「」であり、そもそも煩悩があるからこそ、菩提というものが存在していると考え、煩悩があることで菩提に達することができるという考えです。

かなり簡単に解説しましたが、おおよそこのような意味で、仏教の教えの一説ですが、お釈迦様の言葉ではありません。

ちなみに、「」という言葉ですが、これはとても大事な教えです。

般若心経という日本で最も読まれるお経がありますが、それはこの「空」という教えを凝縮したものなのです。

空という教えについてはこちらで詳しく解説しています。

色即是空 空即是色の意味とは|知れば仏教は面白い!わかりやすく色即是空の意味を解説

般若心経とは|全文の意味が分かると面白い!般若心経の現代語訳と意味解説

煩悩の数が108というのはチベット等海外でも

煩悩の数については、日本だけでなく海外の仏教国でももちろん諸説あるのはありますが、基本的には共通していることが多いです。

例えば、日本と同じ大乗仏教という派に属し、今でも仏教への信仰の深いチベットでも数珠の数は108ですし、108にちなんだ仏教的な行為もあります。

煩悩を英語で表現すると

ちなみに、煩悩は英語で表現すると「afflictions」と訳されます。

afflictionとは「何かしら私たちを苦しめるもの」という意味の言葉なのですが、煩悩を直訳する英語表現はなく、他にもmind poisonsやdefilementsなど様々な訳が存在します。

mind poisonsは三毒で訳しだされるように、私たちの心を毒し、どんどんと苦しめていく「精神的な毒」と訳せます。

defilementは「人や物をダメなものにするもの」という意味の言葉です。