諸法無我とは|意味や簡単にイメージできる例で説明。諸行無常との関係とは

諸法無我

諸法無我とは|意味や諸行無常との関係を解説

諸法無我とは仏教の最も大事な3つの教え(4つ)の一つです。

漢字で難しそうに見えますし、仏教の解説書などで読んでも難しい解説をされていまいちピンと来ないこともあると思います。

しかし、本来のお釈迦様の教えはとてもシンプルで、現代社会にも通用する、とてもわかりやすくまとまっているものです。

一見難しいが意外と簡単で重要な諸法無我の意味についてご紹介いたします。

最初に諸法無我の意味等を一般的な例を持って解説します。

その後、私も読んで感動を覚えるほど分かりやすい、お笑い芸人の笑い飯 哲夫さんが書いた「ブッダも笑う仏教のはなし」という本から一部例を引用させていただいて、お釈迦様が説いた諸法無我という世界観をご紹介いたします。

諸法無我の意味

諸法無我の意味は仏教の本などでは次のように解説されることが多いです。

諸法無我の意味とは

すべてのもの事(=諸法)は、互いに影響をし合い、何一つとして単体で存在する(=我)ものはない。実体はない。

このように諸法無我の意味は解説されます。

この世にある形あるもの、つまり「諸法」はこの世に永遠に存在する唯一絶対的な存在の「我」ではなく、あらゆる”因縁“によって生まれているというものを意味する言葉です

私たち人間を含む様々なものはいろんなもの事に影響を受けて存在している、つまり縁起があって今があるということですが、もう少し詳しく解説いたします。

無我の意味

仏教の用語の「我」は私たちが普段使っている「我(われ)」の意味するところとは違う意味を持ちます。

仏教の「我」とは、「万物それぞれの永遠・不変の実体」のことを言います。

無我の意味とは、私たちが普段目にしているような物には「実体という存在」はないんだということを言っているのです。

難しい本では、我とはインドの「アートマン」を意味するとも言われ、無我とはその否定をするものと言います。

無我の意味とは|仏教の無我とは深い世界観は苦しみから逃れる鍵

諸法無我と縁起・因縁

「無我」の意味はわかりにくいと思います。

そこで今この文章を読んでいる、あなたという存在、この文を書いている私という存在々をイメージしてください。

このあなたや私という存在は、「肉体・意識・魂」と言われるものを持っていて、他の人達とは異なっている一存在ととらえがちですが、それは違うというのがお釈迦様の教え「諸法無我」です。

少し別の例でイメージしていただきますと、この文を読むのに使っているスマホやパソコン等の電子機器はスマホやパソコンという独立した存在ではなく、ディスプレイ、ボタン、本体の外側にある金属、内部のチップなどの部品という様々な存在から成り立っていますね。そしてこれらの部品もすべて原材料があって、それを加工する人達がいて生まれるという「縁起・因縁」があるのです。

人も同じで、「唯一絶対の存在=我」ではなく、私たちの体は何兆もの微生物・細菌という別の生物からも成り立っていて、自分という存在は、親・祖先がいて、たくさんの食べ物を食べて成長し、教育を受けて・色んな人と出会って今の自分の考え方などすべての存在がある、つまり「縁起・因縁」があってここにいるのです。

この世のどんなものも、色んな物事から影響を受けて存在している、つまり因縁があって存在していて、唯一不変で単体として存在するものはないというのが「無我」というのです。

諸法無我の考え方から「どんな存在も、単体で存在しているわけではなく、支え合っている」、だから「自分一人の考えで物事すべては思い通りにならない」とも理解されます。

因縁・縁起の意味についてはこちらで詳しく解説しています。

因縁の意味とは|仏教の教えをわかりやすく。因縁生起/因縁果報とは

縁起の意味とは|由来は仏教用語.縁起を担ぐ/縁起が悪い等は仏教の教えではない

諸法無我と諸行無常

諸法無我とよく似た言葉で、平家物語の冒頭でもおなじみの諸行無常という言葉があります。

諸法無我と諸行無常は違う概念というよりも、同じ世界観を別の角度から見たものと言われます。

諸行無常は簡単にその意味を解説すると、「どんなものも変化していく」ということです。

つまりずっと同じであるものはないということです。

どんなにアンチエイジングしても、人はいつかは老いていきますし、食べ物もずっと同じ姿はとどめることはなく時間が経つと腐り、すべてのものは変化します。

これらは変えられない真理とよばれるもので、私たちがどうあがいても逆らえないものです。

この諸法無我と諸行無常を理解したら、どうなるのか?

お釈迦様はこの諸法無我と諸行無常の真理に気づくことで、人生の苦しみから抜け出すことができるというのです。

なぜ苦しみから抜け出すことができるのかを分かりやすく理解するために、その世界観を更に分かりやすい例にしてご紹介いたします。

諸法無我をわかりやすく捉える例

どんなものも単体で存在しないという諸法無我

何事も変化し、常に不変である物はないという諸行無常

この世界観を、寺院や東京大学で講演するお笑い芸人の笑い飯 哲夫さんはカレーで解説してくださっています。

この世はカレーです。大きい大きい鍋に入ったカレーです。カレーライスではありません。かける方のカレーです。(中略)

そこに、無数の小さい小さいおたまがカレーを掬いにきます。そして各々のおたまにカレーが溜まります。その溜まったカレーが、この世で各々個別に見えている物や人です。例えば、一つのお玉にたまたま溜まったのが一匹のコオロギさん、また他のおたまにたまたま溜まったのが鈴木宗男さん、また別のおたまにたまたま溜まったのが宗男さんのムネオハウス、(中略)
そしてまた、他のお玉にたまたま溜まったのが自分という感じです。

なお、この無数のおたまには小さい穴があいていて、掬ってもカレーはやがてお鍋に戻るんです。鍋に戻ったカレーは、元々鍋にあったカレーとごちゃごちゃになり、また全体的なカレーになります。(中略)

つまり、この世で個別でいられるのなんか一瞬で、よく見ると全部一緒ということなんです。(中略)

そしてまた、お玉にカレーがなくなると、おたまは新たにカレーを掬い上げます。すると今度は、さっきまで鈴木宗男さんを形成していたカレーの一部と、ムネオハウスを形成していたカレーの一部と、他のいろんな物を形成していたカレーの一部が、一つのおたまに一緒に掬い上げられて、また別のなにかを形成します。そんなことが、ずっと繰り返されます。

仏教の硬い本でよく、「全」と「個」などといわれますが、鍋のカレーが「全」で、おたまに溜まったカレーが「個」です。また硬い本で「全は個であり、個は全であり」などといわれますが、「鍋のカレーは掬ったカレーであり、掬ったカレーは鍋のカレーであり」となるわけです。(中略)

となると、実体って、なくなってきませんか。(中略)

おたまの穴が最高に渋い例えだと自負していおります。穴から抜けていくんです。すべての存在は固定せず、移ろいゆくし、更に一瞬かつ儚いものだという例えになっています。

(参照:ブッダも笑う仏教のはなし、笑い飯 哲夫、 サンマーク出版)

いかがでしょうか?

少し引用が長くなり恐縮なのですが、この例え方は本当に秀逸で、仏教の世界観を具体的な映像としてイメージできたのではないでしょうか?

私はこの本を読んだ時はとても感動しました。

お釈迦様が悟りの境地に達して(涅槃の境地)、この世はすべて実体がないと説かれた話をかみ砕いて伝えようと考えた時、これほどわかりやすく諸行無常と諸法無我を言い表した簡単な例えはないと思います。

ちなみにこの諸行無常と諸法無我の世界観をカレーで例えた後、次のように続きます。

この世界観をより良く理解すると、自分というものへのこだわりがなくなりますね。それより、全部一緒なんだという感覚の方が強くなりますよね。すると、他人を傷つけることは自分を傷つけることであり、他人に与えることは自分に与えていることになると意識できます。こうして、人に迷惑をかけてはいけない、人を悲しませてはいけない、人に奉仕しなければならない、といった心情が生まれます。これが所謂、慈悲です。

(参照:ブッダも笑う仏教のはなし、笑い飯 哲夫、 サンマーク出版)

慈悲や自利利他といった、仏教の教えはその言葉単体でも、とても崇高でためになるものが多いです。

しかし、その元になる世界観を理解してこその慈悲の心の本質ではないでしょうか。

哲夫さんの本から長めに引用してしまったのですが、この他にもまだまだ面白い表現を交えながら、仏教の教えや豆知識なども含めてとても分かりやすく解説していますので、仏教に興味があるけど、諸法無我とか漢字多くて難しそうで、と考えている人はぜひ読んでみてください。

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諸法無我と般若心経でも出てくる「空」の概念

仏教の教えは、平たく言うと、「人生の苦しみをなくして楽しく生きるためにはどうしたらよいのか」というものです。

この苦しみの生まれる根本的な原因に「我執」を上げています。

私たちは自分、家族、財産といった、自分にとって大事なものに執着をする心(我執)があるがゆえに、それらを失ったりする苦しみに悩まされます。

でもそれらの存在は実体はない「無我」なので執着しない生き方をすれば、心は常に平穏で苦しみから解き放たれますよ、「世界は諸法無我なんですよ」とお釈迦様は伝えているのです。

仏教ではよく、苦しみは煩悩から生まれると説かれますが、煩悩は我執から生まれるとも考えます。

ちなみに最も知られたお経の般若心経も実は、同じことを言っています。

般若心経ではこの世の物事は実体がない「空」と言っています。
※「照見五蘊盛苦度一切苦厄」という部分など様々な部分に出てくるとても大事な概念です。

お坊さんが低い声で、般若心経を読経されているのを堅苦しく聞いていますが、実は「人生楽しく生きるにはこうするんだよ!」という話をしているのです。

般若心経というお経についてはこちらで詳しく解説しています。

般若心経とは|全文の意味が分かると面白い!般若心経の現代語訳と意味解説

諸法無我は仏教の最も重要な教えの一つ

諸法無我の世界観についてイメージが湧いていただけたでしょうか。

仏教の教えは漢訳されたお経に詰まっているのですが、現代語訳されて読経されないためにただの呪文に聞こえて、難しそうに感じてしまっていますが、内容はとても実用的であり合理的なものです。

諸法無我と諸行無常を理解すれば

先ほどのカレーの世界観(諸法無我と諸行無常)を理解することで、慈悲の心が芽生えるという部分について引用をしましたが、この概念を理解すると、他の様々な仏教の教えもとても理解しやすくなります。

それほど、諸法無我と諸行無常という世界観は仏教の教えでは重要なのです。

仏教の教えは四諦四苦八苦などなど、たくさんありますが、最も大事な教えはたった3つ(もしくは4つ)なのです。

「諸行無常・諸法無我・涅槃寂静」の三法印

仏教の最も大事な教えを「三法印」と言います。

それは諸法無我諸行無常、そしてこの世界観を理解して、正しい努力をした結果得られる、仏教のゴール「涅槃寂静」です。

涅槃寂静とは、悟りの境地のことを意味しているのですが、詳しくはこちらで詳しく解説していますのでぜひご覧ください。

涅槃寂静の意味とは仏教の最終目標|読み方/概念をわかりやすくご紹介

また、諸行無常についてはこちらで詳しく解説しています。

諸行無常の意味とは|平家物語の”諸行無常の響きあり”の意味も含め簡単に解説

三法印+一切皆苦で四法印

ちなみに仏教の最も大事な教えを4つとする場合は、上記の三法印に加えて、「一切皆苦(この世は思い通りにならず苦しみばかりだ)」という教えが入ります。

この一切皆苦という、すべて苦しみにつながっている世の中で、その苦しみの原因を取り払うために重要な考えが「諸行無常と諸法無我」となるのです。

一切皆苦の本来の意味についてはこちらで詳しく解説しています。

一切皆苦の意味とは|諸行無常同様仏教の最重要項目。四苦八苦等も解説

つまり、仏教の教えである「人生の苦しみをなくして楽しく生きるためにはどうしたらよいのか」というのは、

  • 一切皆苦:人生は思い通りにならないので苦しいだけ↓その苦しみの原因を取り払うのに知るべき真理
  • 諸行無常と諸法無我↓世界観がわかって、正しく努力をする
  • 涅槃寂静
    悟りの境地という心が苦しみから解き放たれた静寂の世界

この4つが基本になります。

もちろん上記で見た三法印や四法印以外にも、仏教の教えはあって、それらを記したお経は何万と言われる莫大な量があります。

しかも、そのお経をどう理解するのかという考え方の違いから、宗派というものが分かれてしまい、修行の仕方などもそれぞれにたくさんあって複雑に見えています。

しかし根本的にはお釈迦様の教えは三法印(四法印)と簡単にまとまっていてさらに、その他の教えもとても実用的です。

仏教の目標である悟りの境地を得ることは大変に難しいと思いますが、諸法無我・諸行無常など仏教の教えを知ることはお釈迦様が説法してから2500年たった現代社会でもとても有用ではないでしょうか。

この2500年経っても変わることのない、真理とはそもそもどんな意味を持つものなのかについてはこちらで解説していますのでぜひご覧ください。

真理の意味とは|仏教の真理と他宗教の真理,哲学の真理の意味は違う

また今回長文で引用いたしましたので、もう一度笑い飯哲夫さんの本をご紹介いたします。

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涅槃という言葉についてはこちらで詳しく解説しています。

涅槃とは|涅槃(ニルヴァーナ)の意味は苦しみの最高の境地=仏教のゴール