瞋恚の意味とは|仏教の教えをわかりやすく。”瞋恚の炎”等の意味も解説

瞋恚-しんい

瞋恚の意味とは

瞋恚の意味とは簡単に言えば「怒ること」です。

仏教において、瞋恚は三毒と言って、私たちの人生の苦しみの原因となる、心を蝕む毒のようなものだと教えます。

今回は瞋恚の意味についてや、それにまつわる仏教の教えについてご紹介いたします。

瞋恚の読み方「しんい/しんに」

瞋恚は「しんい」とも読みますし、「しんに」とも読みます。

因縁を「いんねん」と読むことが基本ですが、実は「いんえん」と読むのが本来の読みでした。

前の音と後ろの音がくっついて「いんねん」と読むのですが、「しんに」も同じ仕組みです。

瞋恚の意味

瞋恚の意味は、簡単に言えば「怒ること」ですが、その怒るという感情だけでなく、

自分の思い通りにならない事への憤り

周りの人間への憎しみの心

自分の好ましくない人間に対しての妬みの心なども含まれます。

最近では、心理学的なアプローチで「アンガーマネジメント」という言葉も、普及していますが、怒ることによって自分の本来の思考力が発揮できなくなり、判断を間違えてあらぬ方向へと物事や自分の印象を進めてしまいます。

実際、怒りという感情によって、大脳の機能に影響を及ぼし、脳の老化を進めるという研究結果もあります。

瞋恚というのは、実際に体に対しても毒であり、自分・周りに対しても毒になる非常に厄介なものなのです。

瞋恚の炎(瞋恚のほむら)

「瞋恚の炎」と書いて「瞋恚のほむら」と読みます。ほのおと読むこともあります。

瞋恚の炎とは、怒りを燃え上がる炎で例えたものです。

瞋恚の仏教では、煩悩のことも炎で例えていて、この炎が燃え盛っている状態は、苦しみのある状態と考えます。

つまり、仏教の目指すところは、瞋恚の炎や煩悩の炎から離れた、穏やかな状態です。(悟り/涅槃の境地、涅槃寂静と言われます。)

如来や菩薩と言った仏様の顔がとても穏やかなのは、煩悩,瞋恚という欲望や怒りに心を惑わされることもなく、常に安らかで穏やかな状態を表現しているのです。

ちなみに、不動明王や四天王のように、顔を忿怒相と言い怒った顔をしていたり、炎が後ろに描かれているものは、単純に怒っているのではなく、それぞれに理由があります。

それらについてはこちらで解説しています。

四天王とは|四天王像の見所や毘沙門天を含む仏教の守護神を解説

瞋恚と三毒

瞋恚は三毒(貪瞋痴)という、108ある煩悩の中でも特に根源的な3つの煩悩に数えられています。

三不善根とも言われ、瞋恚や三毒の他2つをしてしまえば、悪い結果につながり、どんどんと苦しみの多い方向に突き進み、善い結果からはどんどんと遠く離れていきます。

瞋恚の他に、三毒には次のものが挙げられます。

貪欲(どんよく)

むさぼる心の動き。

欲しいものに対して執着して止まないことを意味します。

貪欲という言葉についてはこちらで詳しく解説しています。

貪欲の意味とは|実は仏教の教えでもある貪欲とは。英語表現等も解説

愚痴/愚癡(ぐち)

真理を知らずおろかであること。

煩悩が生まれる原因でもある、この世の真理を知らないことを意味します。

三毒についてはこちらで解説しています。

三毒・貪瞋痴(とんじんち)とは|煩悩を意味する三毒の意味(貪/瞋/痴)を解説

また、真理という言葉の意味についてはこちらで解説しています。

真理の意味とは|仏教の真理と他宗教の真理,哲学の真理の意味は違う

また煩悩の数が108という説などについてはこちらで詳しく解説しています。

煩悩の数について|煩悩が108種類とする意味や由来,他の煩悩の数の説など解説

瞋恚と仏教の教え

瞋恚の意味について簡単にご紹介しましたが、ここからは、もう少し仏教の具体的な教えについてご紹介します。

瞋恚という怒りの気持ちを持つことは、せっかく生まれつくのが難しい人間として生まれたのに、死んだ後に生まれつく世界は非常な苦しみの多い世界になることにつながるのです。

仏教では六道と言い、輪廻転生を繰り返す衆生が生まれつく6つの世界があります。

「地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天道」というものです。※右に行くほど良い世界です

人間道は苦しみの多い世界ではありますが、それでも下の世界に比べると楽しいこともあるとされます。

怒りに身を任せるような人間は、地獄道に落ちると考えられていて、地獄道では、限りのない怒り・憎しみ・苦しみばかりの世界とされています。

そんな世界に落ちてしまわないように、どんなに腹が立つような状況でも、冷静に振る舞い、決して怒りに心を侵されないようにするのが大事だと教えます。

不瞋恚・無痴(無癡)

不瞋恚・無痴とは、常ににこやかで、心の平穏を保ち、暮らしていくという意味です。

仏教では人生において、避けられない8つの苦しみを四苦八苦とまとめています。

その中で、「憎い、腹を立たせるような人と会わなければならない苦しみ」という「怨憎会苦(おんぞうえく)」があります。

人間である限りは、完全に一人っきりでいきることは難しく、どんな人も他人と関わっていると思います。

例えば、街の中での他人の言動にも腹立つ気持ちを覚えたりすることもあると思います。

そういった気持ちを持ってしまったとしても、怒ることなく、常ににこやかにいることを心がけましょうと教えます。

仏教では、良いことを行う/思えば良い結果が巡ってき、悪いことを行う/思えば悪い結果がやってくると教えます。

当たり前のことですが、悪いことをすれば必ずその報いは受けるのです。

因果応報とも言いますが、瞋恚という毒に心を侵されないようにし、良いことを考え、良い結果に巡り会えるように耐え忍ぶようにと仏教では教えます。

ちなみに不瞋恚と言うのは、十善戒という教えで、他にも9つの善い行動というものがあります。

この反対の言葉で、私たちを悪い方向に進める悪い行動を十悪というのですが、瞋恚は十悪の中の一つでもあります。

瞋恚への心理学的アプローチ

瞋恚という毒は、自分の心一つでそれを抑えることもできます。

たくさんの瞋恚・怒りを抑えるメソッドはありますが、有名であり、個人的にもおすすめの方法をご紹介します。

例えば、とてもひどいことを言ってくるような、腹の立つ人間を思い浮かべてみてください。

その人のことを考えていると、だんだんとその腹立つ気持ちが強くなって来ると思います。

怒りの感情がひとたび生まれ、そのことに集中してみると、どんどんと怒りの感情は増幅していきます。

大事なのは、そういった怒りの気持ちが広がらないように、心をリセットする、またはその怒りを冷静に分析するということです。

怒りを感じてしまうこと自体を防ぐことは、ほぼ不可能でしょう。

怒りが生まれること自体を防ぐのではなく、怒りが発生した時にすぐにその怒りを抑えるように考えるのです。

その一つの方法が、その怒りに点数をつけるということです。

今まで、人生で、これ以上に怒ったことはないという瞬間を思い出してください。

そしてその瞬間の怒りを100点とし、何も感情を感じない状態を0点とします。

そして目の前で起きた出来事に怒りを覚えた時、100点の出来事と比べて何点になるのかを冷静に考えるのです。

すると、今目の前に起きていることへの怒りの感情が、冷静どれほどのものなのかと言うことを理解できます。

たいていの瞬間的に発生した怒りの感情は、一歩引いて見てみると案外怒るほどではないと判断できます。

そして、怒りの感情の増幅を止めることができるのです。

他にも、「怒りを覚えたら●●をする」という方法はたくさんありますので、自分にあったものを探して、試してもらえたらと思います。

瞋恚の英語表現

瞋恚という言葉は、英語で表現すると、「hatred」や単純に「anger」とも表現されます。

hatredとは、intense dislikeと言う意味で、「すさまじい憎しみ」を意味します。

また、同じような表現で、「aversion」とも表現されます。

瞋恚を含む煩悩という教えについてはこちらで詳しく解説しています。

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