国津神(クニツカミ)とは?
国津神という神様について今回は解説します。
国津神とは日本神話の中で、天津神に対して存在する神様です。
最も簡単に、国津神とはどんな神様か?
を日本神話の中で区別すると、以下の3つのパターンのいずれかに当てはまるかどうかになります。
「日本の大地に元々鎮座していた神様」(天津神が降臨する前からという意味)
「スサノオノミコト等天津神が国津神となった神様」
「天津神が国津神という神様になった後の末裔となる神様」
しかし、国津神を日本神話の中だけでなく、さらに広範囲で区別する考え方もあります。
例えば、幕末の国学者である矢野玄道(やのはるみち)は国津神を次いずれかのものだと言いました。
- 天津神に対するもの
- 天神に先立って国土のある地方をつかさどるもの
- 産土神(うぶすながみ)を指すもの
- 海中の神を指すもの
という4つに分けられるとされています。
このように、一つの定義で国津神だと決められる明確な線引きはできません。
国津神が生まれた背景
いずれにしても、明確なことは「日本には太古の昔から国津神と天津神という2つの種類の神様がいる」ということ、
そしてこれらはどちらかの神様が上というものではないということです。
ではなんでこのように2つの神様が存在しているのかと言うと、日本という国の成り立ちに関わります。
日本の民俗学者の大家である、柳田国男氏による考え方によると、
以下一部抜粋
天津神(アマツカミ)を奉ずる渡来民族(水田稲作農耕民)によって山に追われた先住民が山人であるとし、山人は国津神(くにつかみ)を報じた非稲作民であったとしている。
つまり、日本の神が天津神と国津神が生まれた背景には、日本に先住していた人達がおり、渡来した人達がその人達を征服したという歴史があるのではないかと言われています。
その歴史をまとめた書物である古事記と日本書紀の中で、天津神と国津神という二つの神様で説明をしているというのです。
国津神の別の言い方
国津神という神は「地祇(ちぎ)」という言葉でも表されます。
地祇と言う言葉は、国津神の中でも特に、葦原中津(日本の大地のこと)で生まれた神様を表す言葉です。
土着神は国津神?と考える人がいると思います。
土着神とは、その土地に住み着いている神・精霊をあらわる言葉です。
ただ、土着神はそこで信仰を集めている神様という言葉を意味しますので、国津神と完全に等しいものではありません。
国津神に対する天津神という存在
国津神は上で述べたように、天津神に対して存在するという考え方が一般的にも広まっていますし、簡単に考えると国津神は天津神じゃない神様とも考えられます。
それでは、この国津神と天津神という神様はどんな違いがあるのでしょうか?
国津神と天津神の違い
国津神と天津神の違いというのは様々な観点から、様々な違いがあります。
神様の生まれた場所による違い
最も大きな違いは、
国津神は葦原中津国(あしはらなかつくに)という地上で生まれた神様で、
天津神は高天原(たかまがはら)というところで生まれた神様であるという考え方です。
神様の成り立ちによる違い
また、続いて大きな違いとしては、
国津神は地上に出現した神様で、
天津神はイザナギノミコトとイザナミノミコトから生まれた神様という考え方もあります。
しかし、生まれた場所や成り立ちだけで区別は厳密にはできません。
スサノオノミコトやワダツミ(海神)等、元々天津神で国津神になった神様、天津神の子として生まれたが国津神になった神様がいます。
そのため神話の中のストーリーで違いを考えるのは少々難しいのです。
国津神と天津神の違いは民族の違いか
日本という国の成り立ちの歴史的な面での国津神と天津神の違いもあります。
それは先も述べましたが、土着の先住民の神様と、渡来してきて大和朝廷を作った民族の神様という違いです。
日本書紀や古事記と言う歴史書は、奈良・飛鳥時代の権力者がその権力の正当性を見せつけるために作ったものです。
その権力者である天皇家や天皇家に連なる物部氏等の氏族は自分たちが日本を支配する正当な理由として、神様の血筋であるということを物語にしました。
天津神や国津神が出てくる神話は、天皇家の先祖が物語の中で最も重要で位の高いアマテラスオオミカミで、その孫のニニギノミコトが日本にやってきてその子孫である天皇家が平和にまとめ上げたんだという物語です。
その途中で征服してきた隼人族等の先住民族を国津神、もしくはその民族の祀っていた神様が国津神だというのです。
例:コノハナサクヤヒメ
ではなぜ天津神から国津神になった神様等がいるのかと言うと、征服者が被征服者の歴史を踏みにじることで反乱をされないように被征服民族を尊重して、同じ神様の末裔だということを著したといわれています。
このように国津神と天津神の違いは一概に一つと言い切れないために、とても複雑になっています。
国津神の代表の神様一覧
漢字名 | 読み仮名 | 生来 |
素戔嗚/須佐之男命 | スサノオノミコト | イザナギノミコトから生まれる神。 アマテラスオオミカミの命により葦原中津国に降りる。 |
海神/大綿津見神 | ワタツミ | イザナギノミコトとイザナミノミコトの間から生まれる。 海の神の国津神として神話の中で登場する。 豊玉姫・玉依姫の父 |
大国主/大穴牟遅神 | オオクニヌシ/オオナムチ | スサノオノミコトの息子 天孫降臨まで葦原中津国の国造りを行う国津神 |
木花咲耶姫 | コノハナサクヤヒメ | 天皇家の祖神 アマテラスオオミカミの孫のニニギノミコトと結ばれ子供を成す国津神 |
大山積神/大山津見神 | オオヤマツミ | イザナミノミコトとイザナギノミコトの間に生まれる山の神の国津神 コノハナサクヤヒメとイワナガヒメの父 |
宇迦之御魂神 | ウカノミタマノカミ | 後にお稲荷さんとして信仰される国津神 |
上記で見た国津神はほんの一部です。
他にも猿田彦という神様等たくさんの神様がいます。
国津神の祀られる神社は?
国津神はたくさんいるため、全国には、たくさんの国津神を祀る神社があります。
その中でも、特に有名なものについて見ていきましょう。
出雲大社
出雲大社は、国津神を祀る神様の中でも最も有名な神様です。
ご祭神は大国主命(オオクニヌシノミコト)というスサノオノミコトの息子に当たる神様で、葦原中津国と呼ばれた日本の大地に国を造営した神様です。
その後アマテラスオオミカミの示しにより葦原中津国をアマテラスオオミカミにお返し(国譲り)をします。
稲荷社
全国にたくさんある稲荷社は、国津神を祀る神社として有名です。
元は、渡来人の秦氏の氏神として造営された伏見稲荷社を中心とした稲荷社は天津神の祀られる神社とは全く違う流れでできた神社です。
その後、稲荷社の祭神である稲荷神(いなりのかみ)は、ウカノミタマノカミと同一視されて、現在に至り国津神を祀る神社として有名です。
ウカノミタマという神様について詳しく知りたい方はこちらをご覧ください。
ウカノミタマノカミ(宇迦之御魂神)|お稲荷様/豊穣の神のご利益や神社
もちろん全国には他にもたくさんの国津神を祀る神社が存在します。
天津神の祀られる神社と国津神の神社の違い
よく天津神の祀られる神社と国津神の祀られる神社の違いについてネット上に情報が流れていますが、それらの俗説について解説します。
名前で違いがわかる?
これは間違いです。
●●神宮とつくものは天津神の祀られる神社で…
●●大社とつくものが国津神でという俗説も存在します。
しかし、現在天津神の祀られる神社と国津神の祀られる神社で名前だけで分けることはできません。
出雲大社は別名に「所造天下大神宮」などなど、神宮という別名を持っています。
見た目(建築様式)で違う?
これもネット上にあるような簡単な見分け方でその違いはわかりません。
神社の作りには神明造り・大社造り、その他住吉造り・春日造り等々あります。
それらの作りは一見すると、似ているものがあり、国津神を祀る出雲大社の大社造りと、天津神を祀る住吉大社の住吉造りはパッと見たところ似ています。
そのため、見た目では違いを見分けるのは難しく、さらに、神明造りから派生した流造という建築様式では、国津神を祀る神社も天津神を祀る神社もあります。
神社のご祭神が国津神か天津神かの違いを知るには、ご祭神や神社のご由来を調べる必要があります。
国津神の俗説
今ではネットが発達したことでたくさんの国津神をめぐる俗説が存在しています。
ここでは、それらの俗説をご紹介します。
※本サイトはそれらの俗説を支持しているわけではありません。
国津神は縄文人で天津神は弥生人?
これは上記でも説明した、日本と言う国の成り立ちの歴史の中で先住民であった縄文人(狩猟民)を渡来系である弥生人(農耕民)が征服した歴史を天津神と国津神という神話の中で分類したという説です。
有名な説として、天津神で葦原中津国に天孫降臨をするニニギノミコトは国津神の娘であるコノハナサクヤヒメと結ばれますが、このコノハナサクヤヒメは鹿児島といった九州南部にいた隼人族という縄文系先住民の姫を征服者の弥生人が娶ったことを表しているのではないかと言われています。
国津神とスサノオノミコト・出雲のつながりとは?
国津神を祀る神社として最も有名な出雲大社。
この出雲大社のご祭神であるオオクニヌシの父神であるスサノオノミコトは国津神の中でも有名な神様です。
このスサノオノミコトという神様の存在は、今の天皇家を中心とする大和朝廷の前に日本で大きな勢力だった出雲系朝廷を表すという説があります。
大和朝廷がそれらの国を征服し中央集権国家を成り立たせて作られた古事記と日本書記では、直接それらの勢力について書くのではなく、神話の中の神様として描いたと言う説があります。
その他の国津神にまつわる俗説
その他にも、国津神は氏族という、祖先を同じくする同族の家の集団がそれぞれに祀っていた産土神(うぶすながみ)を国津神とするという説があります。