ツクヨミノミコト(月読命)|謎の多い月の神を解説
ツクヨミノミコト(月読命)は、日本の神話の中で「三貴神」と呼ばれる、最も重要な神様の一柱です。
さらに、ツクヨミノミコト(月読命)は日本では暦や年中行事等生活に大きな関りを持つ月の神様でもあります。
しかし、ツクヨミノミコト(月読命)は日本神話の中では、ほとんど登場せず、謎が多い神様です。
今回は重要であるのに、謎の多いツクヨミノミコト(月読命)について、見ていきましょう。
ツクヨミノミコト(月読命)の別の漢字や読み方の由来を解説
ツクヨミノミコトはツクヨミと呼ばれたり、月読と漢字で表記されることが多いですが、他にも次のような漢字表記や読み方があります。
ツキヨミノミコト
一般的にツクヨミと言われますが、以下で見る、月読、月詠、月夜見はツキヨミとも言われます。
いずれが正しいというものではありません。
ちなみに、伊勢神宮の別宮にツクヨミノミコト(月読命)は祀られていますが、その宮は月読宮(ツキヨミのみや)と呼ばれ、
ご祭神もツキヨミノミコト(月読尊)と呼ばれています。
月読命/月詠命/月読尊/月詠尊
基本的にツクヨミノミコトは神話の中で、月讀命と表記され、現代語で月読と書かれることがほとんどです。
後年、月詠とも表記される様になり、こちらの月詠表記を使った神社も存在しています。
元々の「読む」という漢字表記では、月の月齢を数えるという意味があります。
「月の月齢を読む」というのは、月野満ち欠けによって、暦を作り、稲作等農業へ役立てたり、潮の満ち引きも予測するということを意味します。
このことから月読命は農業や漁業への関りが深いことを表します。
ちなみに、暦という言葉は、日を読む「日読み(かよみ)」という言葉が由来であるとされています。
また、ツクヨミノミコト(月読命)のヨミの部分の意味には、月を読む以外に、黄泉(ヨミ)の意味もあるとされます。
黄泉(ヨミ)とは死者の世界のことであり、ツクヨミノミコト(月読命)は死者の世界の神様でもあるとされています。
月夜見
ツクヨミノミコトが月の神様で夜を統べる神様でこのように表記もされます。
月夜見命月夜というのは単につきのことである。月は夜出るわけであるから月夜といった。見は心霊を表す。従ってこの見は月を神格化した。出典:月讀神社 月読神社由緒
月弓
月の形が三日月に変化すると、弓の形をしていること、さらにツクヨミ(月読)が音の変化でツクユミ(月弓)に変化し、弓の感じが当てられたと言われる。
このほかにも、
- 月夜霊
- 月読神
- 月予見
- 月神(ツキノカミ)
- 月山神(ツキヤマノカミ)
古来日本人は十五夜(中秋の名月)を始め、十三夜、十六夜、二十三夜等々様々な月を愛でて和歌を詠み、暦を作成して作物の豊穣や漁に役立ててきました。
ツクヨミノミコト(月読命)は月の神様として、私たちの生活にとても重要な神様と言えます。
ツクヨミノミコト(月読命)のご利益・御神徳
ツクヨミノミコト(月読命)は名前の由来や、月の神様という部分から、様々なご利益・御神徳があります。
- 安産
- 健康
- 病気平癒
- 航海安全
- 大漁
- 農業
- 五穀豊穣
- 商売繁盛
- 諸願成就
ツクヨミノミコト(月読命)のご神格
- 農耕の神
- 漁業の神
- 月の神
- 占いの神
- 海の神
ツクヨミノミコト(月読命)がご祭神の神社
ツクヨミノミコト(月読命)は上記でも見たように、月の神であることから、古来の日本の生活に強く影響のある神様です。
しかし、全国的に見ると、ツクヨミノミコト(月読命)をご祭神に祀る神社は少なく、数で見ると、数百しかないとされます。(アマテラスオオミカミを祀る神社は1万以上あるとされます)
月読神社(長崎県壱岐)
1500年以上の歴史を持つ、ツクヨミノミコト(月読命)を祀る神社です。
日本書紀の中で、顕宗天皇の時代(西暦487年)阿閉臣事代(あへのおみことしろ)という役人が、天皇の勅命を受け、任那(みまな/にんな)という朝鮮半島の南の方にある国に派遣されます。
その際に、ある人に月神が憑依し、「私は月神である。私を祀る土地を造れば、良いことが起きるであろう」と託宣がありました。
このことを阿閉臣事代(あへのおみことしろ)は天皇に奏上をすると、山背国葛野郡の「歌荒樔田(うたあらすだ)」に月の神を祀る土地を作りました。
この時、月の神を祀る神社の造営に、壱岐の島の月の神の末裔とする、押見宿祢(おしみのすくね)が入ることになったとされます。
押見宿祢(おしみのすくね)は壱岐の月読神社からこの京都の新しく作られた月読神社に分霊をし、祀り葛野坐月読神社ができたとされます。
この説話からも、長崎の壱岐にある月読神社は古くから存在し、ツクヨミノミコト(月読命)を祀る神社として、有名であったことがわかります。
京都のツクヨミノミコト(月読命)を祀る神社
上記で見た、ツクヨミノミコト(月読命)を長崎の月読神社から分霊して作られた神社が、京都の「月読神社」です。
現在では、松尾大社の摂社になります。
ここには、舒明天皇の時代に、神功皇后に由来のある「月延石(つきのべいし)」をお祀りしたという説話も残されています。
伊勢神宮(皇大神宮)内宮:月読宮
伊勢神宮にはツクヨミノミコト(月読命)を祀る宮が二つあります。
一つは、アマテラスオオミカミをご祭神とする内宮の中にある、月読宮です。
この宮では、アマテラスオオミカミ、ツクヨミノミコト(月読命)をお産みになった伊邪那岐と伊邪那美も並んで鎮座されています。
ここではツクヨミノミコトではなく、ツキヨミノミコトと呼ばれます。
豊受大神宮(外宮):月夜見宮
伊勢神宮の外宮である豊受大神宮の別宮にも「月夜見宮」としてツクヨミノミコト(月読命)が祀られています。
ここでは、漢字表記が月夜見尊とされ、ツキヨミノミコトと呼ばれています。
このほか、月山神社(出羽三山神社の社の一つ)や全国にある月読神社にツクヨミノミコト(月読命)は祀られていますが、東京にはツクヨミノミコト(月読命)を祀る神社がありません。
ツクヨミノミコト(月読命)の神話の物語
ツクヨミノミコト(月読命)は神話の中の物語があまりにも少ないのですが、神話の物語を見ていきましょう。
ツクヨミノミコト(月読命)の系図・関連する神
- イザナギノミコト(伊邪那岐命)(親)
- イザナミノミコト(伊邪那美)(親)
- アマテラスオオミカミ(天照大御神)(姉)
- スサノオノミコト(素戔嗚尊)(弟)
神話の中でツクヨミノミコト(月読命)と関わる神様
- ウケモチノカミ(保食神)
イザナギの禊で右目から生まれ月の神に(古事記)
ツクヨミノミコト(月読命)が生まれるのは、イザナギノミコトがイザナミノミコトに会いに黄泉の国に行った後の禊の時です。
すでに黄泉の世界の住人になったイザナミノミコトのこの世の人の姿でないのを見て、イザナミノミコトは黄泉の国から逃げて帰ります。
黄泉の国は死者の国であることから、黄泉の国から無事に帰ってきた後、イザナギノミコトは祓詞の中にもある筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原(あわきはら)で禊祓をします。
ちなみに、この禊祓は水で行うものですが、川とも海ともされるところで穢れを祓いをしたとされます。
この時に左目からアマテラスオオミカミが、右目からツクヨミノミコト(月読命)、鼻からスサノオノミコトが生まれてきます。
これまで、イザナギとイザナミが神産みでたくさんの神様を産んできましたが、この時に生まれた三柱の神様は今までよりも特別力の強い神様であったために三貴神と呼ばれるようになります。
この時、イザナギはアマテラスオオミカミに高天原という天上界、ツクヨミノミコト(月読命)に夜之食国(よるおすくに)、スサノオノミコトに海を統べるようとご委任されます。
イザナギとイザナミの間に生まれる(日本書紀)
古事記では、ツクヨミノミコト(月読命)は禊で生まれたとされますが、日本書紀ではイザナミとイザナギの間に生まれます。
しかも、アマテラスオオミカミ、ツクヨミノミコト(月読命)、ヒルコ神(蛭子神)、スサノオノミコトと言う順番で生まれます。
この時、アマテラスオオミカミ(太陽神)に次いで美しい満月の神だと言われます。
他にも、日本書紀の一書では、イザナギの右手に持った白銅鏡(ますみのかがみ)から生まれるという説話もあります。
ちなみに、日本書紀では、青海原(あおうなばら)という海を滑ることを命じられるという表記もあることから、海の神の側面も持ちます。
※この説話が根拠に、ツクヨミノミコト(月読命)とスサノオノミコトは同一ではないかという説も生まれます。
ツクヨミノミコト(月読命)がウケモチノカミ(保食神)を殺し五穀の起源を作る
古事記ではツクヨミノミコト(月読命)は生まれて夜の神を命じられて後出てきませんが、日本書紀では農耕・畜産を日本に広める神様として登場します。
その物語は、ツクヨミノミコト(月読命)がアマテラスオオミカミに命を受け、ウケモチノカミ(保食神)のところに行きます。
ここで、ウケモチノカミ(保食神)はツクヨミノミコト(月読命)を歓迎し御馳走を用意します。
しかし、この御馳走は五穀豊穣の神様であるウケモチノカミ(保食神)の排泄物から生まれているものでした。
ツクヨミノミコト(月読命)はこのことを無礼だとして、ウケモチノカミ(保食神)を切り捨ててしまいます。
ウケモチノカミ(保食神)の死体は髪の毛や体から、牛馬、蚕(かいこ)、米等の五穀が生まれ、日本の国土は豊かになるという話です。
ちなみに、古事記ではこの物語と同じくウケモチノカミ(保食神)が登場し、殺されて五穀が国土に広がるという話がありますが、殺すのはスサノオノミコトです。
アマテラスオオミカミに怒られ昼と夜に分かれる
ウケモチノカミ(保食神)を殺した後、五穀を高天原(たかまがはら)に持ち帰ったところ、アマテラスオオミカミはツクヨミノミコト(月読命)の行ったことを怒り、同じ世界では住めないとします。
こうして、アマテラスオオミカミの統べる昼とツクヨミノミコト(月読命)が統べる夜の世界が生まれるのです。
ツクヨミノミコト(月読命)の神代での主な物語は以上です。
この他に、天津神の子孫の天皇の時代に入ってからの物語や少々サイドストーリーがあるというだけです。
ツクヨミノミコト(月読命)が祟りを起こす
顕宗天皇の時代に阿閉臣事代(あへのおみことしろ)が月の神(ツクヨミノミコト)の神託を受けて、京都の月読神社の造営がなされる話もありますが、日本書紀の続きの続日本紀では祟り神としてツクヨミノミコト(月読命)が現れます。
これは第49代光仁天皇の時代、暴風雨が吹き荒れます。
この天災を卜した(占いで見てみる)ところ、伊勢の月読神が祟りの原因であったと結果が出たので、すぐに月読宮に供物を捧げ、祟りを沈めたとされます。
桂里の地名の由来に
山城国風土記においては、ウケモチノカミ(保食神)の許に行くのはツクヨミノミコト(月読命)とされます。
この時、ツクヨミノミコト(月読命)が湯津桂に寄りかかって立ったという説話から、この地を桂里(今の西京区の桂地域)と呼ぶようになると言われています。
ツクヨミノミコト(月読命)が白兎に
また、ツクヨミノミコト(月読命)は鳥取の東方にある、八頭超では、白兎になったという伝説も残されています。
鳥取の八頭町がある地域は因幡と呼ばれる地域で、「因幡の白兎」と言えば、大国主命(オオクニヌシノミコト)が白兎を助けた神話として有名です。
因幡の白兎の神話に出てくる白兎を祀る神社の白兎海岸近くにある白兎神社以外にも、実は因幡の地域には白兎にまつわる神社があり、その神社は、有名な「因幡の白兎」とは別だというのです。
その神話は、花喜山城光寺縁起・慈住寺縁起という文献の中にある、天照大神(アマテラスオオミカミ)が八上の地域に行幸をされる時の話です。
天照大神が霊石山という八上の山に降り立ち仮の宿を造営しようと考えている時、一匹の白ウサギが道案内をし、中山よりはるか山の尾続きの二つの大石のところまで案内をしたそうです。
案内をした白兎は消えてしまいましたが、それは白兎が「ツクヨミノミコト(月読命)」だったからとされます。
その後この地では、ツクヨミノミコト(月読命)を道祖白兎六明神とお呼びし、祀神(としがみ)として祀り、現在の八頭町内にある「土師百井・池田・福本・門尾」の地には3つの白兎神社が存在しています。
ちなみに、白兎が案内した巨石を皇居石と呼び、天照大神を案内した場所を伊勢ヶ平と呼ぶようになったとされます。
ツクヨミノミコト(月読命)白兎伝説のある鳥取の白兎伝説について詳しく知りたい方は鳥取県観光連盟の白兎伝説のページをご覧ください。
ツクヨミノミコト(月読命)にまつわる様々な説
ツクヨミノミコト(月読命)の神話や地域に伝わる伝承について見てきました。
重要なのに、全く神話で出てこないツクヨミノミコト(月読命)には様々な説がありますので、ここからはそれらについてご紹介します。
ちなみに、ツクヨミノミコト(月読命)は神話の中でも上記で見た通り、様々な表記があるので、いずれが正しい/間違いというものはありません。
三貴神という神話の重要な神なのに出る回数が少ない理由は?
ツクヨミノミコト(月読命)があまりに出てこない理由には世界の他の神話の物語や、日本神話の他の物語との比較やその他様々な説があります。
神話の3柱の神が現れるところとの類似
アマテラスオオミカミ・ツクヨミノミコト・スサノオノミコトは三貴神として生まれます。
日本の神話の中では、このような3柱が現れる場面が複数あります。
別天津神の造化三神である「アメノミナカヌシ・タカミムスビノカミ・カミムスビ」においてのアメノミナカヌシと
天皇家の祖となるニニギノミコトの息子である「ホデリ・ホスセリ・ホオリ」においてのホスセリという神様はツクヨミノミコト(月読命)同様ほとんど物語に出てこなくなります。
アメノミナカヌシ・ホスセリ・ツクヨミノミコト(月読命)のような重要であるはずなのに、あまり表記されない神様を「無為の神」と呼び、何もしないことが重要であるとされます。
また、ツクヨミノミコト(月読命)はアマテラスオオミカミとスサノオノミコトという強烈で対照的な神様の間でバランスをとっているという説もあります。
バランスを取ると言うと、少々わかりづらい表現ですが、陰の存在として、様々な物事を裏で手助けをしているとされています。
ツクヨミノミコト(月読命)の登場部分が消された・隠された?
この説は完全なる推測ですが、ツクヨミノミコト(月読命)が重要であるのに表記がないのは、意図的に消された、隠されたという説もあります。
日本の神話はそもそも天皇家という大和朝廷(中央政府)の生まれる物語を表したものです。
神話の物語は日本がまだ様々な国が乱立していた時代から統一王朝になるまでの物語を神様を登場させながら表現しているのではないかと考えられています。
その中で、大和朝廷にとっては敵であった存在、もしくは大和朝廷成立の中で触れない方が良いとされる存在を消していると考える学説は昔から存在しています。
ツクヨミノミコト(月読命)もその消された・隠された存在の一つなのではないか?と言われています。
ツクヨミノミコト(月読命)とスサノオノミコトが同一説
神話を解説したところで話をしましたが、ツクヨミノミコト(月読命)はスサノオノミコトの物語と同じところが複数見られます。
- 海の神を命じられる場面
古事記ではスサノオノミコトが命じられる
日本書紀の一書ではツクヨミノミコト(月読命)が命じられる - ウケモチノカミを殺し五穀が誕生する場面
古事記ではスサノオノミコトが殺す
日本書紀ではツクヨミノミコト(月読命)が殺す - 黄泉の国との関り
日本神話の中ではスサノオノミコトがヤマタノオロチ神話の後、黄泉の国を含む根之堅洲国の王となります。
黄泉の国はツクヨミノミコト(月読命)も統べると考えられています。
このようにスサノオノミコトとの共通部分が多いため、スサノオノミコトと同一なのではという説が存在します。
スサノオノミコトについて詳しく知りたい方はこちらをご覧ください。
スサノオノミコト(素戔嗚尊)とは|神話(ヤマタノオロチ等)、ご利益等を解説
ツクヨミノミコト(月読命)の性別
ツクヨミノミコト(月読命)はあまりに表記がないため、そもそも性別に関しても謎です。
皇太神宮儀式帳という文献の中には、太刀を佩いた牙の男の姿として描かれています。
一般的には男性神として見られている神様ですが、そもそも神様の中には性別がはっきりしない神様も存在しているので、男性神・女性神はないのかもしれませんね。
ツクヨミノミコト(月読命)に妻や子孫はいるのか
ツクヨミノミコト(月読命)を男性神として見る説の一つです。
ツクヨミノミコト(月読命)は妻という存在とはっきりはしていませんが、伊勢神宮の外宮のご祭神である、豊受大神の許にツクヨミノミコト(月読命)が夜になると通っていると言う伝説があります。
上記でも見ましたが、外宮の別宮には月夜見宮があり、ツクヨミノミコト(月夜見尊)が祀られています。
この月夜見宮は外宮北御門から西にある「神路通り」でつながっていて、ツクヨミノミコト(月読命)は夜になると、石を馬に変えて、豊受大神(豊受比売神)の許に神路通りを通って、会いに行かれているとされます。
ツクヨミノミコト(月読命)と瀬織津姫の関係が?
ツクヨミノミコト(月読命)には、封印された神様とされる瀬織津姫と関りがあると考えられています。
瀬織津姫について詳しく知りたい方はこちら
ツクヨミノミコト(月読命)が長崎県の壱岐から分霊され京都にある月読神社を創建するという日本書紀の神話には実は続きがあります。
ツクヨミノミコト(月読命)の神託を受けた阿閉臣事代(あへのおみことしろ)は、ツクヨミノミコト(月読命)の神託の2カ月後、今後は日の神に「磐余の田を高皇産霊神に」捧げるようにと神託を受けます。
そして、このことを天皇に奏上すると、対馬下県直(ツシマシモノアガタノアタイ)に奈良の磐余の地域に祠を作ります。
つまり、日の神を祀る神社から分霊をして奈良の地に神社を創建するという話なのですが、この物語に出てくる対馬の神社は阿麻氐留神社という天日神命(ヒニミタマ)を祀る神社であるとされます。
この神社の祭神は天疎向津媛(アマサカルムカツヒメ)という瀬織津姫と同一とされる神様として表記されていたことがあります。
月の神、日の神の神託をつづけて受け、壱岐・対馬のそれぞれの神社から分霊をしているというこの神話は、日本神話の中でほとんど現れないツクヨミノミコト(月読命)、日本神話には全く出てこない瀬織津姫という不思議な神様をつなぐ神秘的な物語ですね。