スクナヒコナノミコト(少彦名命)とは
スクナヒコナノミコト(少彦名命)という神様は、日本の国造りに関わった、とても重要な神様です。
体がとても小さく、一寸法師のモデルにもなった神様と言われます。
神話では、天の羅摩船という植物の実のお舟でやって来るというとても小さな神様ですが、とても重要な役割を持つスクナヒコナノミコト(少彦名命)について今回は詳しく解説いたします。
スクナヒコナノミコト(少彦名命)のご利益・御神徳
- 医薬
- 病気平癒
- 酒造繁栄
- 五穀豊穣
- 国土平安
- 諸産業興産
- 航海守護
- 漁業守護
- 縁結び
スクナヒコナノミコト(少彦名命)のご神格
- 医薬の神
- 酒造りの神
- 五穀豊穣の神
- 温泉の神
- 常世の神
スクナヒコナノミコト(少彦名命)の別名・別表記・読み方
スクナヒコナノミコトは多くの場合、少彦名命と表記されます。
この表記は日本書紀社で見られるものです。
ただ神社によっては少彦名神と表記をすることもあります。
また、古事記等の他の文献ではスクナヒコナノミコトは
- 少名毘古那
- 少名毘古那神
- 須久奈比古命
- 小名牟遅神
- 少日子根
- 久斯神(くしのかみ)
とも表記されたりします。
ちなみに、スクナヒコナと読むことが一般的ですが、スクナビコナという読み方もあります。
スクナヒコナノミコト(少彦名命)が祀られる神社
スクナヒコナノミコト(少彦名命)は多くの場合、ともに国造りを行ったオオクニヌシノミコト(大国主命)と共に祀られることが多いです。
全国でも珍しい、スクナヒコナノミコト(少彦名命)を祀る神社は以下の神社があります。
少彦名神社(大阪府)
大阪道修町(どしょうまち)という薬の町に、医薬の神であるスクナヒコナノミコト(少彦名命)をお祀りしたことが起源の神社です。
五條天神社(京都府・東京都)
弘法大師が開基とする神社で、スクナヒコナノミコト(少彦名命)・アマテラスオオミカミ(天照大御神)・オオクニヌシノミコトをご祭神に祀っています。
大阪の少彦名神社の元となる古くからある神社です。
ちなみに、東京にも、台東区上野公園に五條天神社はあります。
大洗磯前神社(茨城県)
856年の平安時代に、現在の茨城県である常陸国大洗磯前にオオナムチ(オオクニヌシノミコトの別名)とスクナヒコナノミコト(少彦名命)が降臨され、この地の民を救うために降臨したとして、この地に神社が創建されました。
この神社では神仏習合を経て、大洗磯前薬師菩薩明神の神号を賜ったとされます。
ちなみに、薬師菩薩(薬師如来になる前の修行の身)は薬を民に分け与え、厄災苦難を払い民の健康や幸せを運ぶ仏様です。
この薬の説話は、日本神話のオオクニヌシノミコト、スクナヒコナノミコト(少彦名命)いずれにも見られる共通点です。
いずれも薬の神様というご神格をお持ちなのです。
ちなみに、大洗磯前神社と共に、酒列磯前神社(さかつらいそさきじんじゃ)という神社も同じ創建の歴史を持ち、同時期に創建されています。
また、スクナヒコナノミコト(少彦名命)がオオクニヌシノミコトの前に現れた伝承の地である出雲(現在の島根県)には、オオクニヌシノミコトと共に、スクナヒコナノミコト(少彦名命)を祀る神社は多数あります。
それらの神社では酒造の神として祀られているところもあります。
- 佐香神社
- 万九千神社
- 美保神社
スクナヒコナノミコト(少彦名命)の神話
スクナヒコナノミコト(少彦名命)という神様をさらに知るために、日本の神話でどのように描かれるのかを見ていきましょう。
スクナヒコナノミコト(少彦名命)は古事記や日本書紀でも出てくるだけでなく、国造りで様々な地域を回ったということが、各地の風土記(地域の伝承を集めた書物)に残っています。
オオクニヌシノミコトの前にスクナヒコナが現れる
スクナヒコナノミコト(少彦名命)の登場シーンは古事記では、次のように描かれます。
大國主神、坐出雲之御大之御前時、自波穗、乘天之羅摩船而、內剥鵝皮剥爲衣服、有歸來神
出典:古事記
この部分はオオクニヌシノミコトが、国造りをどうしようかと現在の美保岬で海に向かってぽつりと座っていたところ、天之羅摩船(アメノカガミフネ)というガガイモと言う植物の実を使った船に乗ってやってきました。
オオクニヌシノミコトが「どなたですか?」と聞いても、何も答えない、この小さな神様が誰なのか調べるべく、様々な神に聞きましたが知りません。
多邇具久(タニグク)というヒキガエルの神様に聞いて見ると、久延毘古(クエビコ)という案山子(カカシ)の神様なら知っているでしょう!
と言うので、クエビコのところに行くと、カミムスビノカミ(神産巣日神)の御子のスクナヒコナノカミだと判明します。
カミムスビノカミにオオクニヌシノミコトが聞いて見ると、以下にも私の子供ですと言い、その子が国造りを手伝いますよと言ってくれます。
こうして、オオクニヌシノミコトとスクナヒコナノミコト(少彦名命)という名タッグが生まれます。
ちなみに、日本書紀では、スクナヒコナノミコト(少彦名命)は蛾の羽の服を来てやってきます。
そして、タカミムスビノカミ(高皇産霊神)の子であると言います。
若干の違いはありますが、いずれにしても、スクナヒコナノミコト(少彦名命)は海からやって来る神様で、別天津神の御子であるとされます。
スクナヒコナとオオクニヌシノミコトで国造り
スクナヒコナノミコト(少彦名命)は医薬やまじない、酒造に通じ、様々なおまじないなどの法をまとめ、穀物も各地に伝える等様々な面でオオクニヌシノミコトの国造りのサポートをします。
この二柱の神の仲の良さは、すごいもので、
播磨国風土記という現在の兵庫県南西部の歴史書では、オオクニヌシノミコトとスクナヒコナノミコト(少彦名命)が、我慢比べをします。
それはハニという粘土でできた土を運ぶのと、うんちを我慢するのと、どちらの方が我慢ができるのかという戦いです。
スクナヒコナノミコト(少彦名命)は土を運び、オオクニヌシノミコトはうんちを我慢しました。
そして、勝負して、オオクニヌシノミコトが負け極限の状態だったのかその場で野屎します。
スクナヒコナノミコト(少彦名命)も限界だったようで、すぐにその野屎の上に土をかけて、この地はハニ岡という岡の地名に引き継がれました。
スクナヒコナノミコト(少彦名命)は道後温泉の起源
スクナヒコナノミコト(少彦名命)とオオクニヌシノミコトの物語は四国でも見られます。
伊予国風土記(現在の愛媛県)では、スクナヒコナノミコト(少彦名命)が病にかかり、重体に陥ります。
オオクニヌシノミコトはスクナヒコナノミコト(少彦名命)の病を治すため、大分にある速水の湯の源泉を地下から道後の地に持ってきて、温泉を作り、スクナヒコナノミコト(少彦名命)を温泉で休めます。
すると、無事に病状は癒えて元気になりました。
そしてこの地が日本最古の温泉の一つである道後温泉となるのです。
ちなみに、道後温泉に今でも伝わる玉の石という石があります。
これはスクナヒコナノミコト(少彦名命)が病気から治って元気になってからその石の上で踊ったんだと言われます。
今はパワースポットとしてとても有名になっています。
ちなみに、伊豆国風土記には、スクナヒコナノミコト(少彦名命)とオオクニヌシノミコトが伊豆と箱根の温泉の起源となったと書かれています。
スクナヒコナノミコト(少彦名命)が常世の国へ帰る
日本を旅して、稲作を伝え、おまじないの法を作り、医薬も伝え大活躍したスクナヒコナノミコト(少彦名命)と、名コンビを組むオオクニヌシノミコトとの別れは突然やってきました。
古事記では、国造りの説話もなく、カミムスビノカミからスクナヒコナノミコト(少彦名命)と一緒に国造りをしてねと言われた後、
国造りをしたと表記のあって、突然スクナヒコナノミコト(少彦名命)は常世の国に帰ると言って、帰ってしまいます。
ちなみに常世の国とは、日本神話の中では不老不死の国、死者のいる国、海の向こうにある進んだ文化を持つ国等々様々な解釈がされています。
ややこしいのは、スクナヒコナノミコト(少彦名命)はカミムスビノカミ(もしくはタカミムスビノカミ)の御子という天津神でありながら、国津神のオオクニヌシノミコトと共に地上の世界の蘆原中津国(今の日本)の礎を気づき、海の向こうの謎の多い常世の国に行ってしまいます。
少しわかりにくいので、以下当時の世界感を簡単にまとめました。
存在する場所 | 世界の名前 | どんな場所か |
天上界 (空の上、宇宙その他様々な説) |
高天原 | 天津神が住む場所 アマテラスオオミカミが統治する |
地上界 (現在私たちが住む日本) |
蘆原中津国 (葦原瑞穂之国等の表記も) |
国津神・人間が住む場所 イザナギノミコトとイザナミノミコトが国を産み、 オオクニヌシノミコトとスクナヒコナで国の礎を築く |
地底世界 | 根の国 底の国 根之堅洲国 (死者の世界である黄泉の国もこの地底にあると考える説がある) |
死者の国と生者の国の間にある場所。 死者の国もこの中にある。出雲の黄泉比良坂(よもつひらさか)という場所から地底に入ることができたスサノオノミコトが根之堅洲国にいた。 |
海の向こうの世界 | 常世の国 | 海の向こうにある不思議の国 不老不死の薬があったり、神々が住むとも、死後にわたっていく国ともされる |
※上記でまとめたのはあくまで一般的解釈で、それぞれの世界は様々な理解があります。
ちなみに、日本書紀では古事記同様、スクナヒコナノミコト(少彦名命)は突然常世の国に行かなくてはと言って、和歌山三重にある熊野の御埼から、粟にはじかれて常世郷に行きます。
この表記は、伯耆国風土記にも見られます。
スクナヒコナの代わりに大物主(オオモノヌシ)が現れる
スクナヒコナノミコト(少彦名命)が突然いなくなり、それまで一緒に国造りをしたパートナーを失ったオオクニヌシノミコトは、海を茫然と眺めていました。
そこに光がやってきて、大物主(オオモノヌシ)が現れ、国造りの続きを行い、国造りの大業を達成します。
※海からやってきた光はオオクニヌシノミコトの幸魂(さきみたま)という平和な心を意味する魂という表記もありますが詳しくは知りたい方はこちらをご覧ください。
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スクナヒコナノミコト(少彦名命)の役割の意味
突然やってきて、突然帰っていってしまうスクナヒコナノミコト(少彦名命)という神様ですが、その功績は大きいため、昔からスクナヒコナノミコト(少彦名命)と言う神様はの存在した意味、役割については諸説あります。
それらについてご紹介しましょう。
穀物を伝える神様
スクナヒコナノミコト(少彦名命)の体が小さいのは、穀物の種子を意味しているという説があります。
また、日本書紀ではスクナヒコナノミコト(少彦名命)は穀物の生産の方法、穀物を荒らす様々な害虫害鳥の追い払うおまじないを伝えたとされます。
ツクヨミノミコトやスサノオノミコトが五穀の起源を作った神様で、スクナヒコナノミコト(少彦名命)はその五穀を伝える働きをした神様です。
医療や酒造りなどを伝える神様
穀物の栽培の方法に加え、スクナヒコナノミコト(少彦名命)は医薬や酒造りという文化も伝えたとされます。
医薬については日本書紀にて、お酒に関しては、古事記の仲哀天皇の御代の話で、酒楽の歌で応神天皇のお酒とスクナヒコナノミコト(少彦名命)の関係が謡われます。
日本のお酒の文化は古くからった様ですが、常世の国、つまり海外伝来のお酒は古事記の中でも天皇が愛でたという話もあります。
スクナヒコナノミコト(少彦名命)にまつわる説
スクナヒコナノミコト(少彦名命)は様々な神様、仏様、説話に同一視される神様です。
スクナヒコナノミコト(少彦名命)は一寸法師のモデル
スクナヒコナノミコト(少彦名命)は植物の実に乗ってやってきたり、オオクニヌシノミコトの掌の上に乗ったりと言う体の小さな神様でした。
室町時代に成立する御伽草子にある一寸法師のモデルはこの小さな神様だとされます。
スクナヒコナノミコト(少彦名命)と恵比寿様
スクナヒコナノミコト(少彦名命)は今は商売繫盛の神として有名な恵比寿様にもつながりがあるのではないのかと言われます。
この理由は、えびす信仰にあります。
「えびす信仰」とは、現在私たちが、西宮神社の福男競争や、十日えびすで知る商売繁盛の祈願をすると言った信仰を意味するのではありません。
日本の沿岸地域に古くから伝わる信仰で、海から流れて来た漂着物を神聖なものとして祀るという信仰をえびす信仰と言います。
これは、海の向こうには神の住む世界、先進的な文化を持つ世界が広がっていて、そこから流れてくるものは大事なものだという信仰です。
スクナヒコナノミコト(少彦名命)は海から流れ着き、様々な文化をもたらした神様です。
えびす信仰がそのまま当てはまる神様であることから、恵比寿様と同一視するという説が生まれました。
実際東京の商売繁盛の神社として有名な神田明神ではスクナヒヒコナノミコト(少彦名命)をえびす神として祀っています。
恵比寿様について詳しく知りたい方は、スクナヒコナノミコト(少彦名命)以外に、同一視される神様についてや同一視される事代主神と蛭子神についてご覧ください。
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スクナヒコナノミコト(少彦名命)と薬師如来
スクナヒコナノミコト(少彦名命)は医薬の神であることをご紹介しましたが、仏教では、その役割を薬師如来がになっています。
民衆に薬を授け、禍を除いてくれる薬師如来は、スクナヒコナノミコト(少彦名命)が神話で医薬を日本に広めた姿に重ね合わせられます。
そのため、神社の段でご紹介した、大洗磯前神社ではスクナヒコナノミコト(少彦名命)をご祭神として、薬師菩薩を拜む様になりました。