庚申とは|庚申塔で祀る庚申様や庚申の日について
庚申とは、干支の庚(かのえ)と申(さる)が組み合わさった言葉です。
庚申様を信仰する”庚申信仰”というものもあり、それが由来となって庚申の日に庚申祭が行われたりします。
また、東洋の占いでも庚申という言葉は出てくるのですが、今回はそれらについて簡単にご紹介いたします。
庚申の読み方は「かのえさる・こうしん」
庚申は場合によって、「かのえさる」と読んだり、「こうしん」と読みます。
庚申の日の場合は、「かのえさる」と読むことが一般的で、庚申様や庚申塚などの別の言葉がつくと、「こうしん」と読むことが多いです。
庚申の意味についてまずはどんなものがあるのかをご紹介していきます。
庚申の意味
庚申は冒頭でもご紹介しましたが、本来は十干十二支の庚と申がくっついたものです。
現代ではあまり聞きませんが、古来の日本では年や月、日、時間、方位までがこの干支を利用していました。
高校野球の聖地の甲子園と言うのは、甲子(きのえね)の年にできた球場で甲子園と言うのですが、庚申もまた、年や日で回ってくるものです。
干支と言うのは、陰陽五行説という中国生まれの占いや風水の基礎となる考え方において重要な存在です。
例えば丙午(ひのえうま)の女性は危険だという迷信もありますが、干支にはそれぞれの人や物事の資質に影響を与えると言われています。
では庚申とはどんな意味を持つのか定義を見てみましょう。
八専の第九日で金気が重なって天地冷ややかで特に注意すべき日。道教的な起源で体内の虫がこの夜抜け出して天帝のもとにのぼり人の悪行を報告するというので庚申の夜は寝ずに身を慎んだという。これを”庚申待ち“という。今は庚申さまを祀って信仰の対象となっている。
出典:歓喜宝暦 神霊館 榎本書店
これだけ見てもあまり意味が分からないと思います。
簡単に言うと、庚申の日や年と言うのは、庚申信仰というものを由来としていて、そこに陰陽五行説という占いも関わる考え方が重なり複雑なものとなっているのです。
以下では庚申の意味、その由来について詳しく解説していきます。
庚申信仰とは
庚申信仰と言うのは、中国に起源を持つのですが、日本で神道や仏教の影響もあって独自に進化していった信仰です。
先ほど意味のところで見た、道教的な起源で体内の虫が….という話が元々の中国の信仰の話です。
この虫を三尸(さんし)と言い、この三尸は私たちの寿命を縮めるような働きをします。
この虫が動く庚申の日の夜に、寿命を縮めないように中国で行われていた守庚申という一晩起きているという行事が、庚申待や庚申講、庚申祭と言われるような行事に変化していって、現在の庚申の日の由来となります。
後程この庚申信仰や次に見る庚申様という神様については詳しく解説します。
庚申様とは
庚申信仰が中国から日本にやってきて、室町時代ごろには民衆にも庚申信仰が広がります。
それと共に、本来の姿からかなり変わって、庚申様という神様を信仰することで、ご利益に預かれるようになると考えられるようになります。
庚申様のご利益
- 長寿延命
- 心願成就
- 無病息災
- 厄除開運
- 道開き
等々、民衆の人に様々なご利益があるとされて信仰されるようになります。
江戸時代には、庚申の日には、庚申様を祀る神社は多くの人で賑わったそうです。
庚申の日とは
庚申の日とは、庚申信仰が由来の夜通し行う宴や庚申祭を行う日です。
現在では、庚申様という神様を祀った神社や寺院でお祭が行われ、無病息災や除災招福を願うものが主流です。
そのため庚申様の日とも言います。
2019年の庚申の日
庚申の日は干支が60で一回りするので、毎年6,7回やってきます。
2019年の庚申の日は
- 1月23日
- 3月24日
- 5月23日
- 7月22日
- 9月20日
- 11月19日
となっています。
特に最初の庚申の日を初庚申と言い、庚申様を祀る神社や寺院では盛大にお祀りをします。
他の庚申の日も二番庚申、三番庚申と言ったり、最後は納め庚申と言われたりします。
庚申の日にすること
庚申の日に行うことは、地域や神社によって、かなり違いがあります。
古くは、田舎などの村落で、庚申講、庚申祭、庚申様の夜祭りなどと言われ、村の人達の家に集まって夜通し宴会をする場所もあったそうです。
現在は、先述しましたが庚申祭を行う神社や寺院で、庚申様のご利益に預かるというものとなっています。
この庚申様という神様は、神社(神道)と寺院(仏教)で違う神様として祀られていることからそれぞれご利益の考えが違います。
このことは後程詳しく解説いたします。
庚申の日と陰陽五行説(占い)
庚申の意味で”金気が重なって天地冷ややかで”とありましたが、これは干支の庚(かのえ)と申(さる)とが、五行説の「金」というものに属することから出た考えです。
金というと、お金を想像し、良さそうなイメージがありますがここで言う五行説の「金」はお金とは違います。
詳しく説明をするとかなり長くなるので、陰陽五行説から簡単に庚申の日の注意点を説明すると、人が冷たくなる(冷酷になる)日とされ、注意してくださいと言います。
それゆえ庚申の日には、努めて人に優しく接しましょうと言われます。
後程庚申とこの占いにも通じる陰陽五行説についてはご紹介します。
庚申信仰|庚申塔や庚申塚の意味とは
庚申信仰についてここからは少し踏み込んで解説いたします。
関西の方ではあまり見ませんが、中部から関東にかけては街中に庚申塔・庚申塚と言われる石碑のようなものもあったりと広く信仰されていたものです。
庚申信仰|三尸という虫
庚申信仰は中国の道教と言う宗教から出てきた三尸説というものが由来です。
道教と言うのはあまり聞いたことがないかもしれませんが、日本に影響を残しているもので、身近な例だと七福神の福禄寿や寿老人という神様は道教が由来です。
この道教では三尸という体の頭部・腹部・脚部にそれぞれ上尸・中尸・下尸という虫が住んでいるとします。
そしてこの三尸は寿命を司ると考えます。
三尸は庚申の日の夜、人が寝た後に体から抜け出して、天帝(司命神)という神様にその人が起こした悪事を報告すると考えられます。
この悪事の内容や回数によって寿命がどんどんと削られていくのです。
寿命が勝手に削られていくなんて溜まったものじゃないということで、これに対して対策として行われるようになるのが、守庚申という行事です。
守庚申と言うのは、三尸が体から出ていかなければ、寿命が削られないという考えから、寝ないで三尸を出さないようにし、太陽が出るまで起きているという行事のことです。
庚申信仰は日本に奈良時代、平安時代ごろに伝来したとされ、信憑性は低いが日本で庚申信仰が始めて現れたのは、大阪の四天王寺にある四天王寺庚申堂というところです。
701年に豪範という僧侶が、その時流行った疫病を沈まれるように一心に願っていると、帝釈天という仏教の神様(天部)が現れ、疫病の流行を止め、その後も庚申の日とその前日に庚申様のご本尊に祈れば願いが叶うと言われるようになります。
平安時代ごろは、貴族や宮廷で庚申の日は中国に倣って夜通し起きて宴をする庚申待という行事が行われるようになります。
庚申様と崇められる神様
先ほどの四天王寺庚申堂の話は日本独自の庚申信仰が垣間見えます。
というのも、庚申様という日本独自の神様が生まれ、その神様に拝むことによって、三尸という虫を退治してくれると考えたり、病などの災厄から守ってくれると考えたり、願い事を叶えてくれたりすると考えるようになります。
庚申様は病気平癒や厄除けなどのご利益もあると考えるのは日本独自のものです。
中国、そして日本の貴族や宮廷の中で行われた、一晩中起きて宴をするという庚申信仰が民間に広がる中でどんどんと宗教色の強い行事に変わっていったのです。
日本の庚申信仰の特徴である神仏的な存在の庚申様をあがめて、無病息災や厄除けのご利益に預かるということは、日本の古来の神道的な考えや、仏教の考えが大きく影響を与えているのです。
庚申信仰が民衆に広がっていく中で、民間で信仰されていた道祖神という神様や、仏教側では青色金剛という存在、神道側では猿田彦大神(サルタヒコ)という神様等が同一視されるようになります。
これらの神様を一生懸命拝む、そしてご利益に預かるという信仰が室町時代から江戸時代にかけて流行するのです。
現在庚申様にまつわる庚申祭をするところは、寺院では青色金剛の仏像が、神社では猿田彦が祀られる神社です。
庚申様と青色金剛(しょうめんこうごう)
庚申様の姿はほとんどの場合この青色金剛と同じです。
この青色金剛という存在は、ややこしいのですが、厳密に言うと神様でも仏様でもない、夜叉という鬼のような存在です。
中国で生まれたとされ、顔は青色、手は2本やら6本やらと様々な姿で、不動明王のような怒った顔をしている特徴を持ちます。
元々疫病神とされていたのですが、その力を持って疫病を祓うという存在になります。※仏教の神様ではそういう存在が良くいます。
先ほど四天王寺庚申堂の物語で出てきた帝釈天の配下の四天王の一柱、毘沙門天(多聞天)の部下として仏教を守護する存在なのですが、色んな名前が出てきてややこしくなりそうなので一旦ここまでにします。
まとめると、庚申様は一般に広まって信仰されていく中で、仏教側から青色金剛と同一とされるようになって信仰されるようになります。
庚申様と猿田彦
庚申様という神様は、神社でも祀られるのですが、その場合は青色金剛ではなく、日本神話にも出てくる猿田彦という神様と同一とされます。
この猿田彦という神様は日本神話の中で、ニニギノミコト(瓊瓊杵尊)を高天原という天界から、葦原中津国という地上界まで道中の道案内をした神様で、道開きの神様として知られます。
猿田彦を祀る神社では、庚申の日に道開きや厄除けなどのご利益に預かるという庚申祭をしています。
猿田彦(サルタヒコ)という神様についてはこちらで詳しく解説しています。
猿田彦大神(サルタヒコ)とは|ご利益や神社・様々な説をご紹介
庚申様を祀る庚申塔(庚申塚)
庚申様を祀るのは神社や寺院ばかりではありません。
庚申塔・庚申塚と言い庚申様を描いた石碑がいたるところで建てられるようになり、それらを供養することでご利益に預かれると考えるようになっていきます。
道のそばなどに庚申様と同一視される青色金剛の姿を描いた石碑が建てられることが室町時代~江戸時代ごろ多く見られるようになります。
有名なもので言えば、東京都の巣鴨には庚申塚という地名が残っていて、駅名にもなっていますが、巣鴨には庚申塔があって、現在では巣鴨庚申堂というものが建てられ、猿田彦大神が合祀されています。
巣鴨の庚申塚はかなり大きいのですが、道端などにある庚申塔・庚申塚はそこまで大きなものではないものもあります。
こんなように6本の腕を持つ青色金剛が彫られています。
多くの場合、庚申塔、庚申塚と呼ばれる石碑には、青色金剛とその上に”太陽や月”、下には”鶏”と「見ざる聞かざる言わざる」で有名な”三猿”が彫られているのです。
これらはどれも庚申信仰に関係のあるもので、
日や月や鶏は、夜中ずっと起きて三尸という虫が出ないようにするため、太陽を待つ(日待)、鶏が鳴くのを待つという庚申信仰を表しているとされます。
民間で庚申の日にみんなで集まって行う庚申講をして、18回するとこの庚申塔・庚申塚を建てて供養するという風習ができます。
庚申信仰と三猿
庚申塔・庚申塚に彫られる三猿の由縁には様々説がありますが、庚申の申(さる)が動物の猿とつながるという縁からと言われます。
三猿は庚申様のお使いとされます。
またこの猿の縁は、日本の神様の猿田彦と庚申様が同一視されたことにもつながります。
庚申様を祀る神社やお寺
今では庚申の日に、村落で庚申講や庚申待という集まりをしたりすることが減ってきました。
しかし、神社や寺院で庚申の日にお参りをするなどの風習は残っています。
庚申様を祀る、もしくは庚申の日に庚申祭などを行う神社・寺院をご紹介します。
四天王寺庚申堂(大阪)
四天王寺の境内社だった庚申堂は日本で初めての庚申様を祀った場所であり、庚申信仰が現れた場所と言われています。
途中ご紹介しましたが、奈良時代の疫病の流行を収め、病気平癒、無病息災のご利益で知られ、病や魔が去ると言われます。
庚申の日とその前日の宵庚申は庚申まいりというものが行われ、北向きに食べると病気が治る、かからなくなると言われるこんにゃくをいただくことができます。
八坂庚申堂(京都)
京都の観光名所、清水寺に向かう途中にある八坂庚申堂は最近ではフォトジェニックスポットでじわじわと有名になっている寺院です。
庚申様を祀っていて、ここでは「くくり猿」という願い事を託して寺内の所定の場所にくくりつける授与品があります。
このくくり猿が色鮮やかで最近ではインスタ映えすると人気だそうです。
ちなみにくくり猿は、
- お願い事を託して括り付ける
というとてもシンプルなものです。
日本三大庚申と言われ、平安時代庚申信仰が広まった中で最も早くに庚申様を祀ったのがここだと言われます。
柴又帝釈天(東京)
庚申信仰で寿命を縮める存在である天帝は、仏教の帝釈天という神様と同一視されるようになりました。
東京の帝釈天として最も有名な柴又帝釈天では、その縁から庚申信の日のお参りで江戸時代から多くの人が御参りをしていたそうです。
日枝神社(東京)
途中「申→猿→猿田彦」と簡単にご紹介しましたが、東京都赤坂にある日枝神社は猿田彦を祀る猿田彦神社にて庚申の日に庚申祭を行っています。
日枝神社は山王信仰と言い、神様のお使いが猿と考えられていたことから庚申信仰と混ざりあうようになったのです。
日枝神社だけでなく、猿田彦神社という全国2000社ほどもある神社でも庚申の日に庚申祭をするところはあります。
庚申と四柱推命などの性格占い
庚申は冒頭でご紹介した通り、干支から来ています。
そして干支は古くから占いにも用いられてきたもので、庚申のそれぞれ庚と申には人に当てはめ性格のタイプなるものがあります。
四柱推命やその他東洋系の占いでは、庚申について一年の運勢や性格の長所短所について、適性の職業なども出てきます。
ちなみに、庚申の日になると、人が冷たくなると言われますが、庚申の性格が必ずしも冷たいだけというものではありません。
気になる方は調べてみてはいかがでしょうか。