四天王とは|仏像界で人気の四天王像の特徴等解説
四天王は仏教の強い神様の4柱を意味する言葉です。
歴史上の徳川四天王や、ゲームなんかでも四天王という言葉が、強い4人グループを意味するようになりましたが、すべては仏教の四天王に由来しています。
仏教の四天王の意味は「仏様・仏法の守護神」
仏教における四天王とは、「仏様という尊い存在」「仏教の教え(=仏法)」を悪から守護する最強の神様を意味します。
また、守護神という性格に加え、仏様だけでは救いきれない衆生(人々等)にご利益を授け救済をしてくれる福徳神という性格も持つ神様です。
四天王像も仏様を守るように配置されている
仏像が好きな方や、仏閣を見るのが好きな方に人気の四天王像という四天王の姿をこの世に表現した仏像は色んな寺院で見ることができます。
これらの四天王像は仏様が安置される須弥壇を囲うように配置されています。
四天王の役割である「仏様を守る」ためにこのように配置されているのです。
これらの四天王像の配置される方角や姿をさらに楽しむためにも、四天王を含む、仏教の世界観についてご紹介をしたいと思います。
また、四天王を代表する毘沙門天など、四天王を構成する神様はそれぞれどんな神様なのかや、四天王像が有名な寺院についてもご紹介いたします。
四天王と仏教の世界観
四天王という存在を知るために、仏教の世界観について簡単にご紹介します。
仏教の世界では、世界は円盤のような作りで、その中心に山が高くそびえたっています。
この山を「須弥山(しゅみせん)」と言います。
須弥山を中心として、その周りに私たち人間や動物たちが住んでいるとします。
この須弥山は仏教の神々が住む山で、山のさらに上空、あるいは宇宙に仏様がおられる極楽浄土という世界があるのです。
四天王は、この須弥山の四方(東西南北)に分かれて、この山に入って仏様や仏教の教えを亡き者にしようとする鬼などの悪から仏様や仏法を守っているのです。
四天王は天部と言う仏教の神様に分類
仏教の世界観で知っておくべきは、仏様と神様の存在の違いです。
四天王は、仏教の神様である天部というグループに属しています。
仏教の世界では神様が最も偉いというのではなく、仏様が最も尊い存在となります。
仏様は、別の名前で「如来(=悟りを得たもの)」と呼ばれます。
天部は「如来」に加え、「菩薩(=悟りをもとめるもの)」や「明王(=如来の厳しい性格の化身)」に続く存在で、これらの存在を守り、仏法に帰依する存在です。
ちなみに、仏教の中の天部という神様の中には四天王の他にも十二神将(薬師如来の守護神)や八部衆(仏法の守護神)など四天王のような護法善神のくくりがあります。
天部の神様について詳しく知りたい方はこちらをご覧ください。
天部とは|仏教の守護神、天部衆の神様の種類や信仰,有名な仏像を紹介
仏教の守護神となる4柱の神様はどんな神々がいるのか、詳しく見ていきましょう。
四天王の名前やそれぞれの意味
四天王の名前やそれぞれの役割をご紹介します。
四天王の一覧|名前・守護する方角
天部の四天王 | 守る方角 |
持国天(じこくてん) | 東 (東勝身洲-とうしょうしんしゅう) |
増長天(ぞうちょうてん) | 南 (南贍部洲-なんせんぶしゅう) |
広目天(こうもくてん) | 西 (西牛貨洲-せいごかしゅう) |
多聞天(たもんてん) (別称:毘沙門天) |
北 (北倶盧洲-ほっくるしゅう) |
四天王は上記の4柱で、それぞれの四天王は上記の方角を守ります。
四天王の覚え方ではよく持国天/増長天/広目天/多聞天の頭文字をとって「持増広多(じぞうこうた=地蔵買うた)」という語呂合わせがありますね。
ちなみに方角の下にある名前は、須弥山を中心としてその方角にある仏教世界を四つに分けたそれぞれの地域を意味します。
四天王は、それぞれ須弥山の中腹に住まい、その麓の世界を監視し、仏様をお守りします。
ちなみに、四天王の上司と言うべき存在に、帝釈天(たいしゃくてん)という神様がいます。
ちなみにこの帝釈天は須弥山の頂上にある、極楽浄土に近い忉利天(とうりてん)という世界の喜見城に住んで、四天王を配下にしています。
四天王も強い神様と言われますが、帝釈天という神様は、死んでも何度でも蘇って戦いをするという阿修羅(あしゅら)と戦い勝った神様で、最強の神様と言われます。
多聞天/毘沙門天|四天王最強の神様
多聞天は別名の毘沙門天の名で呼ばれる方が有名ですが、元々は四天王の一柱です。
四天王の中で最強と言われる神様であり、多聞天(毘沙門天)の由来となる神様は財宝の神様「ヴァイシュラヴァナ」と言われ、私たちに財運向上など福を届けてくれる神様とされ信仰されています。
四天王の中の一角として呼ばれるときは多聞天と呼ばれ、単体で御尊像として祀られるときは毘沙門天と呼ばれます。
妻には吉祥天という福の神がいます。
戦国時代には上杉謙信が自信を毘沙門天の生まれ変わりだと信じ、戦の幟(のぼり)には「毘」の字を掲げていたことでも有名ですが、他にも多くの武将が古くから毘沙門天を戦の神様として祀っています。
一般には、七福神にも選ばれるように福徳神として、商売繁盛、金運の神様として有名です。
眷属には、夜叉(やしゃ)、羅刹(らせつ)という鬼を従えるのが一般的ですが、時代が下ると、動物の虎も眷属として考えられるようになり、干支の寅の日はは毘沙門天を祀る寺院へのお参りが良いとされ、年始最初の寅の日(初寅)は毘沙門天を祀る鞍馬寺など多くの寺院でお祭りがあります。
多聞天のご利益などについて詳しく知りたい方はこちらをご覧ください。
多聞天とは|毘沙門天と知られる四天王のご利益や仏像の有名寺院を紹介
また、七福神に列し、福の神としても知られる毘沙門天として祀られる金運の神様などの話はこちらで詳しく解説しています。
毘沙門天とは|ご利益・ご真言・七福神としての意味や信仰の歴史を解説
広目天|四天王像の中で特徴的な神様
広目天は別名毘楼博叉天(びるばくしゃてん)とも呼ばれます。
四天王像の中でも、特徴的な姿をしていることから人気の高い神様です。
多聞天は「よく聞くもの」というサンスクリット語の意味から多聞という言葉が付けられたのですが、広目天はサンスクリット語で「ヴィルーパークシャ(特殊な眼を持つもの)」という意味を持つことから広目という漢字が当てられます。
あらゆるものを見通す力を持つ広目天は仏教世界の敵を見張るだけでなく、私たち人々の生活をも監視していると言われます。
それらを表した、広目天像については後のほど詳しく解説いたします。
ちなみに、広目天は配下(眷属)にナーガ(龍神)という龍衆と富單那(ふたんな)を抱えているとされます。
広目天についてさらに詳しく知りたい方はこちらをご覧ください。
広目天とは|東大寺の広目天像に代表される四天王のご利益など解説
持国天|四天王から独立し二天像にも
持国天は元々インドの神様でドリタラーシュトラ(国を支えるもの)と言われる神が仏教に帰依して四天王となりました。
サンスクリット語の音訳で提頭頼叱(だいずらた)とも呼ばれます。
持国天は荒々しい作風の四天王像が多く、とても迫力のある神様です。
多聞天や増長天のいずれかと2柱だけで二天像として仏門などに安置されることもある神様です。
眷属には乾闥婆(けんだつば)、毘舎闍(びしゃじゃ)を連れているとされます。
持国天についてさらに詳しく知りたい方はこちらをご覧ください。
持国天(四天王)|ご利益/ご真言や持国天立像の特徴・訪れるべきお寺をご紹介
増長天
増長天はインドの神様「ヴィルーダカ(増大した/成長したもの)」の意味から漢訳され増長天と言い四天王に祀られるようになりました。
音訳では毘楼勒叉天(びるろくしゃてん)と表記され、増長天の別名です。
その名前から仏教の守護神という性格に加え、五穀豊穣の神という一面も持つとされています。
眷属には鳩槃荼(くばんだ)、薜茘多(へいれいた)がいます。
増長天についてさらに詳しく知りたい方はこちらをご覧ください。
増長天とは|四天王の役割やご利益やご真言、増長天立像の見所を解説
各四天王のご真言
四天王は現在では御尊像として祀られるのは毘沙門天ぐらいですが、聖徳太子、聖武天皇など歴史上の天皇や朝廷が深く信心し、ご利益に預かったという逸話もあり、願い事を聞き届けてくれると言われます。
そんな四天王のそれぞれのご真言をご紹介します。
※複数ある中の一部をご紹介しています。
四天王名称 | ご真言 |
持国天 | おん ぢりたら しゅたら ららはらば たのう そわか |
増長天 | おん びろだきゃ やきしゃ ぢはたえい そわか |
広目天 | おん びろばくしゃ のうぎゃ ぢはたえい そわか |
多聞天/毘沙門天 | のうまく さんまんだ ぼだなん ばやべい そわか |
四天王の梵字
各四天王は次の梵字で表されます。
持国天の梵字
読み方は「ヂリ」です。
増長天の梵字
読み方は「ビ」です。
広目天の梵字
読み方は「ビー」です。
多聞天の梵字
読み方は「ベイ」です。
四天王の由来・歴史
四天王がどのように生まれ、日本ではどのように信仰されてきたのか、その由来や歴史について詳しくご紹介いたします。
四天王の由来はインドの神様
四天王は本来はインドの神様だということは各四天王のご紹介のところで解説いたしました。
仏教が生まれたインドでは、仏教が生まれる前からバラモン教(ヒンドゥー教の元)や各民族で信仰する地場の宗教がが信仰されてきました。
これらの神々が活躍するインド神話に描かれる神様を仏教を説いた釈迦は仏教の守護神だと説いたのです。
それぞれの四天王は、インド神話に出てくる雷神インドラ(帝釈天の由来)の配下にいた神とされ、それがそのまま仏教に取り入れられて、帝釈天の配下の仏教を守護する四天王となります。
インドのバールフット等に代表される紀元前の仏教遺跡群などで描かれる四天王は日本の四天王像で思い浮かべるような荒々しい武人の神々ではなく、貴人像という高貴な人の姿をしています。
四天王は中国で武人の神に
インドで生まれた仏教は時を経て、中国にもたらされ中国で神将像と言われる、荒々しい武将を模した仏像になります。
ちなみに、中国の四天王像は日本のそれとは少々違い、持つものや採色されたときの肌の色などの違いがあります。
どちらかと言うと、日本の四天王像の方が動きがあり迫力もあります。
いずれにしても、中国において武人の性格が加えられ日本にもたらされるようになりました。
この四天王が信仰されるようになった大きな事件が約1400年前の日本でありました。
日本における四天王の信仰
日本で四天王が広く信仰されるきっかけとなったのは聖徳太子が四天王に戦勝祈願をし、そのご利益、ご加護があってか戦争に勝利したことと言われます。
聖徳太子の四天王信仰
日本書紀に記述される、飛鳥時代の丁未の乱(ていびのらん)と言われる聖徳太子・蘇我馬子連合と物部守屋の日本における宗教戦争です。
この戦いでは神道と言う日本古来の宗教を守る立場となった物部守屋が、仏教を日本にもたらし広めようとする聖徳太子と蘇我氏の軍勢と戦います。
物部氏はニギハヤヒ(饒速日命)を祖に持つ名家中の名家で、当時軍事を司っていました。
この厳しい戦いの戦勝を祈願するため、聖徳太子は信貴山朝護孫子寺に寄り戦勝を祈願すると、四天王の多聞天(毘沙門天)が現れ必勝の法を授かったと言います。
また、自ら四天王像を作り、戦勝のあかつきには、四天王を祀る仏閣を建立するという誓願をしたと言われます。
結果は聖徳太子側の勝利となり、誓願の通り聖徳太子は四天王を祀る寺院であり、日本初の勅願寺院「四天王寺」を建立します。
聖武天皇の四天王信仰
東大寺の大仏の建立や全国の国分寺・国分尼寺建立など、仏教による日本国の護国を願った聖武天皇も四天王を深く信心しました。
東大寺は正式には、「金光明四天王護国之寺(きんこうみょうしてんのうごこくのてら)」と言い、ご尊像が四天王ではありませんが、四天王のご利益による国家鎮護を願い建立されています。
東大寺や全国の国分寺、国分尼寺は「金光明最勝王経」というお経を元に四天王の国家鎮護のご利益にあずかろうと建立をされます。
武将の四天王信仰
四天王信仰はその後も多くの人に受け継がれます。
四天王の中でも特に多聞天(毘沙門天)信仰が一般的になり、平安時代には初の征夷大将軍の坂上田村麻呂が。
鎌倉時代後期には時代を変革する、稀代の名称の楠木正成は幼名を「多聞丸」と言うなど深い信仰が見られます。
また、戦国時代には上杉謙信を始め、武田信玄、豊臣秀吉、徳川家康は四天王の中の毘沙門天を信仰したと言われます。
四天王像について
ここからは、四天王を表現した仏像について見どころや持ち物などの表現の意味をご紹介します。
四天王の神々は、二十八部衆という千手観音菩薩を守護する天部の神々にも属していて、そちらでも仏像がありますが今回は四天王像での解説をメインにいたします。
四天王像は仏像の中で人気
四天王像は仏像に詳しくない人でも、迫力溢れる姿からも見ていてとても楽しめる仏像だと思います。
天平~平安~鎌倉以降といった時代によって大きく作風が変わりますので、その変遷もご紹介します。
四天王像の像容
四天王像の多くは、筋骨隆々で鎧を身に着け、顔は忿怒相(ふんぬそう)という怒ったような気迫あふれる顔をしています。
これは、仏法の守護神として、悪を監視し成敗するという役割を表現しています。
このような像の姿を「神将像」や「武人像」と言い、金剛力士像などにも見られるものですね。
これらは中国風の鎧や風体をしています。
しかし、四天王像の中ではそのような姿をしていないものもあります。
それは、インドで本来描かれていたような荒々しさはない厳かな雰囲気を醸している「貴人像」と呼ばれるものです。
日本では、現存する最古の四天王像の法隆寺にてこの貴人像姿の四天王像を見ることができます。
法隆寺の四天王像は中国風の貴人の服装をしていて、1400年の時を経て、静かに仏様を祀る須弥壇を守るその姿は躍動感こそ後世の四天王像ほどはありませんが、深く感じるものがありますので、ぜひ一度見てみてください。
また、四方に配置される四天王像は反対に位置する仏像とバランスと取っていることが多く、例えば持国天が右手を挙げていれば反対の広目天は左手を挙げている四天王像もあります。
四天王像の持ち物(=三昧耶形)
四天王像はそれぞれの神様で持つものが違います。
仏像によって持ち物が変わることもありますが、お経の中で四天王の持ち物は次のようであるとされ、それぞれの役割を果たしていると言われます。
持国天像の持ち物
持国天像は右手に宝珠という願いを叶える力を持つ珠を持ち、
左手には剣や鉾(三叉戟と言われる)を持ちます。
中国の持国天では琵琶を持つものが一般的です。
ちなみに顔は鋭い眼光で睨み付けるものが多いです。
増長天像の持ち物
増長天像は右手に鉾(三叉戟と言われる)や剣などを持ち、もう片手は腰に手を当てているものが多く見られます。
持国天同様、顔は鋭い忿怒相で、武闘派の神様として、表現されますね。
広目天像の持ち物
広目天像は時代によって大きくその姿を変えるのですが、最も有名な東大寺戒壇堂の広目天像に代表される、
右手に筆、左手に巻物を持つ姿が一般的です。
この筆と巻物の意味には様々な解釈がありますが、最も一般的なのは、鬼や魔物を監視するとともに、私たちの生活も監視しているとされ、良いこと悪いことを記し帝釈天にそれらを報告するためにこれらを持っているとされます。
さらに、顔は他の四天王像と違い、目を見開いて威嚇するのではなく、眼光は鋭く物事を見極めるという広目天の役割を表したかのような姿です。
また、鎌倉時代の作など仏像によっては、荒々しい武将の姿で他の四天王像のように目を見開いて忿怒相をしていて、手には剣や三叉戟という武器や羂索(けんさく)というロープを持つものもあります。
多聞天像の持ち物
四天王像の中での多聞天像は宝塔という、釈迦の遺骨(仏舎利)を納めた等を右手に持ち、左手には宝棒や下の写真のような金剛杵という仏教世界の武器を持っているのが一般的です。
御尊像として祀られる毘沙門天像でも同じような姿が多いのですが、宝塔などは持たないものもあります。
四天王像が踏む邪鬼
四天王像の足元には、仏像によって邪鬼が踏まれています。
これらの邪鬼は、元々仏法に敵対する悪の存在でしたが、釈迦の教えに帰依して仏法を守る守護神となった存在です。
四天王の配下とされているのですが、四天王像ではこれらを踏みつけ、悪を成敗する迫力を感じさせる部分となっています。
ちなみに、この邪気はもう悪い存在ではありませんので、中には踏まれて不適に笑っているように見える邪鬼もあります。
四天王像を見るときはぜひ足元にも注目してみてください。
四天王像の写真画像解説
四天王像の有名なものは古い時代のもので彩色されているものは少ないですが、寺院によっては色とりどりに彩色されているものがあります。
例:
(四天王像 持国天立像)
(四天王像 増長天立像)
これらの彩色は、四天王を含む仏教の仏様の世界、神様の世界を表現した曼荼羅の中での四天王の姿が由来であることが多いです。
持国天は青緑系統の顔で描かれ、増長天は赤色、広目天は肌色、多聞天は青系等などで表現されますが、仏像によって違います。
また、中国の仏像でも全く彩色が違ったりしますので一定したものではありません。
四天王像が有名な寺院や場所
四天王像が有名な寺院や美術館などの場所をご紹介します。
東大寺戒壇堂|四天王立像は天平期の厳かさが特徴
東大寺戒壇堂の四天王像は日本でも最も有名な四天王像の一つです。
天平時代(730年前後)の仏教文化が大きく花開いた時代に造られた1300年も前の仏像を間近で見ることができます。
東大寺戒壇堂の四天王像は持国天、増長天の猛々しい迫力と、広目天、多聞天の静かで厳かな迫力を感じることができます。
東大寺戒壇堂の四天王像は塑像という粘土で作られた仏像です。
東大寺の四天王像画像
本文の途中で出ていた四天王像の画像は、東大寺戒壇堂の四天王像で下が、今一度それらをまとめてご紹介します。
(東大寺戒壇堂 四天王立像 持国天立像)
(東大寺戒壇堂 四天王立像 増長天立像)
(東大寺戒壇堂 四天王立像 広目天立像)
(東大寺戒壇堂 四天王立像 多聞天立像)
東大寺大仏殿
ちなみに、東大寺にはまだ四天王像があります。
盧舎那仏大仏のある大仏殿の大仏後方に、多聞天立像と広目天立像があります。
こちらは江戸時代の作で荒々しい強さを感じる四天王像です。
四天王像を楽しむならぜひ東大寺は訪れて欲しいと思います。
参考:東大寺の公式ページ
法隆寺|四天王立像が現存する日本最古
法隆寺の四天王像は日本最古の木像の四天王像で、飛鳥時代の作とされます。
前述しましたが、法隆寺の四天王像は他の四天王像と違い、貴人像です。
鎧を着るのではなく、中国の唐代の貴族風の恰好をしている四天王像です。
世界最古の木造建築物の法隆寺において、時が止まったかのような法隆寺金堂の四天王像もまたぜひ一度見てみてください。
参考:法隆寺 金堂 四天王像
興福寺|国宝 四天王立像は運慶作の可能性が
興福寺中金堂に伝わる四天王像は、鎌倉時代の作で本来は運慶の父の作と言われていましたが、研究によって運慶の作である可能性があります。
仏師(仏像を造る職人)の中でも日本で最も有名な運慶の作とも言われる興福寺の四天王像は、東大寺や法隆寺のものよりも、躍動感にあふれ今にも動き出しそうな姿で、圧巻の一言と言えます。
東寺|四天王像を含む立体曼荼羅は圧巻
ここまでは奈良の四天王像でしたが、東寺は京都のお寺です。
正式名称「金光明四天王教王護国寺秘密伝法院」と言い、国家鎮護のために平安京遷都に伴い建立されたお寺です。
東寺は密教を持ち帰った空海が、東寺真言宗総本山として、密教の教えを広める中心地とします。
この密教における仏教の世界観を可視化するために造られた曼荼羅を、仏像を使って立体的に感じることができる、立体曼荼羅を東寺講堂に造りました。
立体曼荼羅は圧巻の一言で、個人的には最も感動した仏像群です。
平安時代の四天王像は、奈良の四天王像とは違い強さを表現した荒々しい武人の姿です。
四天王像以外の仏像も含めぜひ一度見るべき場所と思います。
国立奈良美術館|国宝四天王立像
また、お寺だけではなく奈良や京都の美術館でも四天王立像は楽しむことができます。
国立奈良美術館の四天王像は興福寺に伝来する、平安時代の四天王像を展示しています。
国立奈良美術館では、四天王像以外にも、四天王が描かれる曼荼羅も見ることができます。
他にも、唐招提寺や薬師時にも国宝や重要文化財指定の四天王像があります。