三種の神器とは
三種の神器とは、日本の歴代天皇のみが継承する3つの伝説の神宝です。
三種の神器は、そのまま「さんしゅのじんぎ」と読むのが一般的ですが、他の読み方もあります。
「みくさのかむだから/みくさのたからもの」という読み方が日本神話の中の読み方として一般的で、日本書紀では三種寶物と表記されます。
日本の皇室に伝わる三種の神器の名称と読み方は、
- 八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)
- 八咫鏡(やたのかがみ)
- 草薙の剣(くさなぎのつるぎ)
=天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)
以上の三つです。
今回は、これら三種の神器について、実物の話や、巷にある偽物の説、神話でどのように生まれて、天皇家に受け継がれたのか等々、様々な説をご紹介します。
三種の神器の意味
三種の神器の意味は国語辞典では次のように説明されています。
天皇の正当性を裏付ける神代からの宝物
天皇という日本の象徴の存在の正当性を裏付ける神物という意味が三種の神器にはあります。
正当皇位継承者にのみ受け渡しされるもので、天皇が崩御されるもしくは譲位される際に「承継の儀」を持って、次の天皇に三種の神器が受け継がれます。
※厳密には承継の儀は剣璽等承継の儀と呼ばれ、草薙の剣と八尺瓊勾玉の入った神櫃が次の皇位継承者に受け渡しされます。
令和元年の5月1日にこの「承継の儀」が行われました。
参考:即位礼正殿の儀 首相官邸
承継の儀の動画はこちらです。
また、各国の賓客を招待し令和元年10月22日に行われた「即位礼正殿の儀」にても、天皇陛下坐す高御座(たかみくら)の左右に神櫃が見られます。
昭和期の家電の三種の神器等「ある分野の必需品」の意味
三種の神器は上記の意味が本来の意味ですが、様々な国語辞典で、必需品という意味でも利用されると定義されます。
「冷蔵庫、洗濯機、白黒テレビ」という生活を劇的に変えた家電を三種の神器と呼んだことは学生の頃に学びましたね。
この家電を指す三種の神器以外にも、登山の時の三種の神器など、●●の時の三種の神器という使い方も存在します。
話がそれましたが、本来の”三種の神器”の話に戻ります。
三種の神器を見れる人はこの世にいない
三種の神器を見れる人はこの世には存在しません。
三種の神器の隣の部屋で寝られる天皇陛下でさえ見ることは許されないのです。
そのため、三種の神器はすでに灰である、三種の神器にはヘブライ語が書いている等、様々な推論が生まれました。
これら一般に言われる様々な説に関しては後程解説いたします。
三種の神器が見られない理由に関しては、これまで長い歴史の中で様々な議論が国学者や神道学者によって行われてきました。
一つの解釈に、聖なるものは一般人、俗人が触れる、見ることによって俗に染まるのであって、聖域を守ることこそ神聖さを守ることという考えがあります。
実際、皇居に住まわれる掌典、内掌典と呼ばれる神職の方々は、宮中での祭祀に当たるために、とても厳しい戒律を守っています。
清浄なモノを意味する「清(きよ)」と穢れたモノを意味する「次(つぎ)」を厳密に区別し、祭典に当たっては穢れた状態にならないように細心の注意を払うと言われています。
明治時代に明治天皇が八咫鏡を見たという話や、文部大臣の森有礼が見たという説もありますが、存命の人で見た人はいません。
現在実在する三種の神器は複数ある
三種の神器の神剣、神鏡は実は世の中に一つではありません。
2つ存在しています。
神璽(しんじと読み八尺瓊勾玉を意味)はこの世に一つだけなのですが、他の二つの神器は2つあり、それぞれ別のところに祀られています。
三種の神器の本物と形代(レプリカ)の存在
三種の神器の草薙の剣と八咫鏡はそれぞれ、本物と形代(かたしろ)が存在します。(便宜上神代から伝わるものを本物と言います)
この三種の神器の形代とは、わかりやすく言うと、レプリカのことです。
三種の神器に形代(レプリカ)ができた意味
初代天皇の神武天皇以降、崇神天皇の御代までは本物の三種の神器は同じ床で寝食を共にすることになっていました。(同床共殿と言う)
しかし、アマテラスオオミカミの神勅または崇神天皇が恐れ多いと思し召しから八咫鏡(やたのかがみ)と草薙の剣(くさなぎのつるぎ)は宮中から別のところに遷座することになります。
しかし、三種の神器がアマテラスオオミカミから、天皇家の祖のニニギノミコトに受け渡されたときに、
「三種の神器は同じ床の上で寝るのです」という神勅を受けていたため、本物から神力を分祀した形代が作成されるのです。
本物とレプリカが存在するとは言いますが、レプリカの方も本物と同じ尊いものとして、大切に安置されています。
この形代(レプリカ)を偽物と言うのは間違った表現です。
※実際偽物は歴史上作成されたとされますがそれは後述します。
ちなみに、三種の神器の一つの八尺瓊勾玉は本物だけが存在しています。
これら本物とレプリカの三種の神器は現在どこに鎮座しているか解説いたします。
現在三種の神器が鎮座する場所
それぞれの三種の神器が現在ある場所は以下の通りです。
三種の神器の勾玉の場所:皇居のみ
形代(レプリカ)が存在しない八尺瓊勾玉は、宮中の天皇の寝室の横にある「剣璽の間(けんじのま)」に神櫃という箱の中に安置されています。
三種の神器の神鏡の場所:伊勢神宮と皇居
八咫鏡の本物は伊勢神宮(正式には「内宮 (皇大神宮)」)にアマテラスオオミカミのご神体として祀られています。
八咫鏡の形代(レプリカ)は皇居の中の宮中三殿の賢所(かしこどころ)に奉安されています。
八咫鏡はアマテラスオオミカミが「この鏡を見るときは私を見るものと思いなさい」と言いニニギノミコトに授けたことから、三種の神器の中で唯一宮中の奥深くに祀られています。
三種の神器の神剣の場所:熱田神宮と皇居
草薙の剣の本物は熱田神宮に祀られています。
諸説ありますが、熱田神宮ではこの草薙の剣はアマテラスオオミカミの御霊代(アマテラスオオミカミの御霊が宿るご神体の意味)として祀られています。
草薙の剣の形代(レプリカ)は八尺瓊勾玉と共に、剣璽の間に安置されています。
三種の神器の神話や由来
三種の神器がどのように成り立ち、天皇家に伝わる宝物となったのか解説いたします。
天孫降臨にてアマテラスオオミカミからニニギノミコトへ受け継がれる
まず、三種の神器はどのように天皇家に受け継がれるものになったかの物語です。
元々三種の神器は天皇家の祖、皇祖神のアマテラスオオミカミが所有していました。アマテラスオオミカミは高天原という天界にいます。
この天界から今の日本、つまり地上界に持ち込んだのは、ニニギノミコトという神様です。
ニニギノミコトはアマテラスオオミカミの孫に当たる神様で、地上の国(葦原中津国)の統治をしに降臨されます。
この降臨の際に、アマテラスオオミカミがニニギノミコトに三種の神器を授与され、歴代の天皇が大切に保管して今に至るのです。
アマテラスオオミカミの神勅
アマテラスオオミカミからニニギノミコトに授与されるときに、神勅がありました。
「この鏡を見るときは私を見るのと同じように見なさい。そして鏡は同じ屋根の下、同じ床において、しっかり祀りなさい」と
この神勅があるために、形代(レプリカ)を作ってでも宮中に祀られているのです。
三種の神器の、八咫鏡、八尺瓊勾玉、草薙の剣のそれぞれの成り立ちや由来について見ていきましょう。
八咫鏡(やたのかがみ)
八咫鏡は、先ほどの神勅でもあった通り、アマテラスオオミカミがそこに宿るとされ、最も重要な神器と考えられています。
この八咫鏡はアマテラスオオミカミが天の岩戸という洞窟に隠れてしまう大事件がきっかけで作成されます。
天の岩戸でイシコリドメが作成
太陽神のアマテラスオオミカミがいなくなったことから、世界から光が消え、真っ暗になってしまいます。
この状況を何とか打開するために、八百万の神々が集まって、策を考えます。
その中で、オモイカネ(思兼神)という知恵の神様が思いついた策で、イシコリドメという鏡を作る神様が八咫鏡を作成するのです。
アメノウズメノミコトが裸踊りをして、八百万の神々がはしゃいでいるのをアマテラスオオミカミが「なぜ世界は暗闇なのにこんなに外ではしゃいでいるのか?」と思ったところ、
アメノウズメノミコトが「あなた様より素晴らしい神様が来られたのでみんな喜んでいるのです!」と言います。
アマテラスオオミカミはどんな神様なのかと思い洞窟を自ら少し開けたところに、神様が八咫鏡を持って待機していました。
この鏡に映る自分の姿を、自分だと思わなかったアマテラスオオミカミは誰なのかとよく見ようと体を洞窟の穴から乗り出したしたところで、天津神の中で力持ちで有名なアメノタヂカラオという神様に引っ張られて洞窟から出されます。
作戦は無事に成功しアマテラスオオミカミが洞窟から出て世界は光に満ち溢れるという物語です。
天の岩戸の物語について詳しく知りたい方はこちらをご覧ください。
オモイカネ(八意思兼神)は知恵の神様として神話で活躍!神社へのお参りも人気
アメノウズメノミコト(天鈿女命)|踊りで世界を救う神話・神社を解説
ご神体が鏡になる起源となり鏡餅の由来にも
ちなみに、神社の奥を見ると、ご神体に鏡が置かれているところが多いと思いますが、この鏡をご神体とするのは、八咫鏡が起源です。
また、お正月飾りの鏡餅の起源も、この八咫鏡にあります。
鏡(かがみ)から我(が)を抜くと神(かみ)になるという言葉もありますが、鏡に映る自分の姿こそが神であるという考え方もありますね。
八咫鏡についてはこちらでさらに詳しく解説していますのでご覧ください。
八咫鏡(ヤタノカガミ)とは|伊勢神宮の実物にヘブライ語?神話やレプリカの歴史を解説
八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)
八尺瓊勾玉も八咫鏡と同様に、天の岩戸の事件で作成されます。
天の岩戸でタマオヤノミコトが作成
天の岩戸で八咫鏡にアマテラスオオミカミを映すという作戦で、鏡をセットする榊の木の枝に装飾品として八尺瓊勾玉が付けられます。
この八尺瓊勾玉は、タマオヤノミコト(玉祖命)という勾玉造りの神様が作成をします。
八尺瓊勾玉についてはこちらでさらに詳しく解説していますのでご覧ください。
八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)とは|三種の神器唯一実物が皇居内にある神璽
草薙の剣(くさなぎのつるぎ)
草薙の剣は三種の神器の中で唯一、天の岩戸で作成されたものではありません。
先ほどの、天の岩戸の事件の原因となったスサノオノミコトという神様がアマテラスオオミカミに献上したものが、ニニギノミコトに受け継がれます。
スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治して手に入れる
スサノオノミコトは、天の岩戸の事件後、高天原を追放されます。
追放され、地上界に行き出雲(今の島根県の一地域)でとてもきれいな女性に出会います。
この女性はクシナダヒメと言い、この女性と結婚を望みますが、ヤマタノオロチというこの地にいる怪物の生贄となりもうすぐ死ぬのですと言います。
そこで、スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治しようと言い、見事退治に成功します。
ヤマタノオロチの体を剣で切り刻んでいたところ、自分の持っている十拳剣(とつかのつるぎ)が突然折れたので、不審に思い、折れたときに切ったところを探ってみると、草薙の剣が見つかったというのです。
この草薙の剣をアマテラスオオミカミに献上します。
ちなみに、草薙の剣の別名の天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)と言います。
この名前の由来は、日本書紀にちらっと書かれています。
それによると、ヤマタノオロチと言う怪物がいるところには、その上に雲が常になっていたそうで、天に雲がなっていることから、天叢雲という名前がついたそうです。
草薙の剣についてはこちらでさらに詳しく解説していますのでご覧ください。
草薙の剣(くさなぎのつるぎ)とは|本物が熱田神宮にある理由や歴史を解説
またスサノオノミコトの神話について詳しく知りたい方はこちらをご覧ください。
スサノオノミコト(素戔嗚尊)とは|神話(ヤマタノオロチ等)、ご利益等を解説
崇神天皇の御代に神鏡と神剣が遷座し、形代(レプリカ)が生まれる
このような由来でできた三種の神器に形代(レプリカ)ができた時の物語を詳しく解説しましょう。
崇神天皇の御代に、八咫鏡と草薙の剣は宮中から他のところに祀ることになります。
日本書紀での記述からすると、アマテラスオオミカミのご神体の鏡は倭笠縫邑や伊賀といった様々な地を転々として後、伊勢の国で祀られることを最終的に望まれます。
よって、アマテラスオオミカミの意思によって本物は移動されました。
一説には、崇神天皇が神鏡や神剣を宮中に置いておくのは恐れ多いとしたとも言われます。
いずれにしても、八咫鏡と草薙の剣は崇神天皇の娘の豐耜入姬命(トヨスキイリビメノミコト)と垂仁天皇の娘の倭姫(ヤマトヒメ)によって、様々な地を経て伊勢神宮に祀られるようになります。
宮中に神鏡と神剣を置いておくことは、ニニギノミコトがアマテラスオオミカミから神勅として言われていたことですので、本物ではなく形代(レプリカ)を作って宮中に祀ることになります。
三種の神器の剣が熱田神宮に祀られたのはヤマトタケルノミコトが要因
伊勢神宮に当初祀られていた草薙の剣は、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)によって熱田神宮で祀ることになります。
日本武尊は景行天皇の子で、関東の反逆部族(蝦夷)を征伐して来いという指令を受けます。
このことを東征と言いますが、この東征に向かう途中、叔母の倭姫のいる伊勢神宮に向かいます。
この倭姫が草薙の剣を持って行きなさいと言い、持たしてくれました。
そして、草薙の剣の名前の由来となる、草を薙ぎ窮地を脱するというエピソードもあったり、色々あって東征は成功します。
東征に行くときに、日本武尊は愛知でミヤヅヒメと結婚をすることになります。
東征後、このミヤヅヒメに草薙の剣を預けて次の征討に向かうのですが、この征討に失敗してしまい亡くなってしまいます。
ミヤヅヒメはヤマトタケルノミコトから受け取ったこの神剣を大切に祀ることにし、それが熱田神宮の起源となるのです。
三種の神器の本物・形代の歴史
三種の神器には、様々な説が存在しますが、それらの説について理解をするためにも、三種の神器にまつわる歴史についてご紹介します。
三種の神器と壇ノ浦の戦い
草薙の剣の形代(レプリカ)は壇ノ浦の戦いで、失われてしまいます。
これは、平家一門が源氏方の木曾義仲によって京の都から追い出された時に、平家の血を受け継ぐ安徳天皇と、三種の神器を一緒に連れて都落ちしたことが原因です。
自分たちが正当な天皇の守衛であることが、日本の戦いの歴史ではとても大事になります。
自分たちが錦の旗を掲げる、官軍でいるために、天皇とその正当な皇位継承者を意味する三種の神器を奪われないように平家は持って行ったのでした。
しかし、源氏の勢いに勝てず、山口の壇ノ浦の戦いにて、追い詰められ8歳の天皇と三種の神器と共に平家一門は海に投身するのです。
それぞれの三種の神器の行方
源氏方の懸命の捜索によって海になげだされた三種の神器のうち、八咫鏡と八尺瓊勾玉は見つかり宮中に戻されるのですが、草薙の剣だけは見つかりませんでした。
源平合戦を記す書物には、この草薙の剣の行方について、ヤマタノオロチが草薙の剣を取り戻し、竜宮城に安置したと書くものもあります。
安徳天皇が崩御した後、宝剣が失われたままですが、後鳥羽天皇は三種の神器そろわず皇位継承をします。
ちなみに、その後、順徳天皇の時代に伊勢神宮から送られた剣を草薙の剣として祀り現在に至ります。
三種の神器の本物を見た人達と呪い
三種の神器ははるか昔から、見てはいけないものとして、宮中、伊勢神宮、熱田神宮に祀られていますが、それらの本物と形代を見ようとした人や見たという人は存在します。
平安時代には、冷泉天皇が八尺瓊勾玉を見ようとして箱を開けようとすると白煙が出て来たので驚いて見るのを止め、
陽成天皇は草薙の剣を見たところ剣が光り、驚いた陽成天皇が投げ出すと、独りでに草薙の剣は鞘に戻ったといいます。
また、江戸時代本物の草薙の剣を祀る熱田大神で、神主が古くなった神剣の櫃を新調しようとした時、本物を見てみようと4,5人の宮司が見たそうです。
その後、神主は島流しされ、他の人も呪いによって死んでしまったとされます。
しかし、この時の草薙の剣を見た人が、草薙の剣の本物の姿を手記に残したとされます。
明治時代になると、八咫鏡を見たという人が複数人現れます。
しかも、文部大臣や陸軍将校と言った人がその見た八咫鏡の裏側にはヘブライ語が書かれていたといいます。
このあたりは後程詳しく解説します。
三種の神器に偽物があると言われる理由
今残っている三種の神器は偽物だ。という説も存在します。
それは長い歴史の中で、三種の神器は火災に遭い神代のものが失われ、レプリカが作成されたという説や、すり替えが起きているという説です。
実際、本物草薙の剣祀る熱田大神、本物の八咫鏡を祀る伊勢神宮の社史には火災が起きていたことが書かれています。
※火災で神剣と神鏡が被害にあったという記述はありませんが、神鏡はそれで焼失したと主張する説もあります。
また、南北朝時代、自分こそが正当な天皇であると主張する2人の天皇がいました。
そして、三種の神器を持たない南朝方は、自分の正当性を証明するために三種の神器の偽物を作ったとされます。
この南北朝時代の後半には、南朝勢力が本物の三種の神器を宮中から盗み出す禁闕の変という事件も起きています。
その時に偽物にすり替えられたといった説も登場し、特に宮中の三種の神器は偽物だと主張する人もいます。
三種の神器の気になる情報
ここまで三種の神器について基本的な情報をご紹介しましたが、他にも気になる情報についてご紹介します。
三種の神器の価値は値段にすると
今上天皇(2018年10月現在)が生前退位で譲位するという形で、新天皇が生まれることになり、三種の神器の価値について様々な推測が出ました。
残念ながら三種の神器を値段にすると言うことは不可能ですが、それぞれ億を超えるであろうという意見もありますし、逆に、数十万円という評価額と言う説もあります。
ただし、値段をつけられるもの以上であるというのが、大方の意見です。
三種の神器は非課税
三種の神器は値段にできないほどの価値があるといいましたが、これを歴代の天皇が承継する時、一般で考えると相続と同じ資産の受け渡しに当たります。
これまでは天皇が崩御され、次の天皇に三種の神器が受け渡しされるため相続税に当たっていましたが、三種の神器の相続税は0%、つまり非課税でした。
しかし、今回は生前退位という特殊例で、相続税ではなく贈与税の適応範囲に当たります。
元々、相続税法では次のように規定があり、三種の神器は非課税でしたが、贈与税になると、どうするのかと言う議論が勃発します。
第十二条 次に掲げる財産の価額は、相続税の課税価格に算入しない。一 皇室経済法(昭和二十二年法律第四号)第七条(皇位に伴う由緒ある物)の規定により皇位とともに皇嗣が受けた物出典:相続税法
議論はありましたが、結局非課税となりました。
ちなみに、皇位継承にかかるもの以外に天皇が所有する資産に関しては、しっかりと相続税がかかり、昭和天皇から今上天皇へ相続したものにかかった相続税は4億円と言われます。
三種の神器とユダヤの関りやヘブライ語の説
三種の神器に関わらず、天皇家とユダヤ王家につながりがあるという日ユ同祖論は明治時代スコットランド人のニコラス・マクラウド氏が提唱して以来、巷で熱狂的な支持者がいる説です。
この説では、伊勢神宮にある六芒星とユダヤの六芒星の類似や、日本語の音とユダヤ人の言葉のヘブライ語の類似性、日本人のDNA、民族学上の分類等をもって主張されます。
三種の神器でも、八咫鏡の裏にヘブライ語が書いていると主張した人が明治期に複数人現れたり、八尺瓊勾玉や草薙の剣にも様々な由来からユダヤとのつながりを主張する説があります。
ちなみに、世界では各地でユダヤ人の起源論が存在しており、あくまで一説としてとどまっているのが現状です。
ちなみに2018年の夏に日本人のゲノムを完全に解析する科学プロジェクトが発足したので、今後日本人という民族のルーツが完全に明らかにされた際に日ユ同祖論は正しいのかどうか、はっきりしますので興味深いですね。
三種の神器の本物の写真や画像はないが神櫃の動画はある
三種の神器の画像やイラストと言ったものがネット上には様々ありますが、残念ながら本物の写真画像、イラストは存在しません。
有名な下の写真も、三種の神器が作成されたであろう時代に作成された鏡や勾玉、剣をイメージとして利用しているだけにとどまります。
しかし、様々な憶測を呼ぶ三種の神器を入れた珍しい動画は存在します。
これは、先年の伊勢神宮の式年遷宮の際に、剣璽御動座という天皇の僥倖先に宮中の形代の草薙の剣と八尺瓊勾玉を携行するというものをカメラがとらえたものです。