事代主神(コトシロヌシ)とは?恵比寿様と同一?
事代主神(コトシロヌシ)は、大国主命(オオクニヌシノミコト)の子として共に日本の国造りを行った国津神です。
国譲りの場面では、事代主(コトシロヌシ)の英断によって、葦原中津国(日本)が天照大御神(アマテラスオオミカミ)の孫のニニギノミコトによって平和に治められる国となります。
そんな、日本の成り立ちに欠かせない事代主(コトシロヌシ)は、国津神として唯一宮中八神としてまつられています。
そんな事代主とはどんな神様なのか、
日本神話の中の話や、恵比寿様との関係などを詳しく解説します!
事代主神(コトシロヌシ)の別名・読み方
一般的には、事代主(コトシロヌシ)は、
事代主神
事代主命
事代主大神
とコトシロヌシという名前に神や命(ミコト)、大神(オオカミ)をつけて表記されることが多いですが、他にも
言代主神(コトシロヌシノカミ)
一言代神
八重事代主(ヤエコトシロヌシノカミ)
八重言代主
天之事代主神(アメノコトシロヌシノカミ)
玉櫛入彦厳之事代神(タマクシイリヒコイツノコトシロヌシノカミ)
辞代主(コトシロヌシ)
積羽八重事代主神(つみはやえことしろぬしのかみ)
このような別の漢字表記や名前で呼ばれたり、
恵比寿
えべっさん
という七福神の神様と同一だとして、このように呼ばれたりもします。
事代主大神をまつる神社
事代主神を祀る神社は、全国にありますが特に神話の中での物語に由来があったり、全国的に有名な神社を一部ご紹介します。
美保神社(島根県出雲)
後に詳しく見ますが、この地で事代主神は天津神でアマテラスオオミカミ(天照大御神)の使者であるタケミカヅチに国譲りをすることを伝えたとされます。
三島大社
神話の中の物語の一つに、事代主神がニニギノミコトへ国譲りをしたのち、伊豆に隠居してここで国造りを行ったとあります。
三島大社はその事代主神を祀る神社として作られた神社とも言われ、ここでは事代主神を三島明神とも呼びます。
長田神社
神功皇后の三韓征伐のころに事代主神はご神託を授けるという物語がありますが、その神功皇后の勅命によって創建され御祭神は事代主神の神社です。
事代主神社や全国のえべっさんを祀る神社
淡路島や徳島には、事代主神社という神社がありますが、それらも含め、恵比寿様を祀る神社は、事代主を祀る神社と考えられます。
しかし、後程詳しく解説をしますが、恵比寿様は事代主神(コトシロヌシ)と同一とされる説と、蛭子(ヒルコ)様という日本の神様と同じとされる説があり、恵比寿様は二つの由来があるとして分かれています。
全国的にも有名な福男の競争のあるえびす宮総本社の西宮神社は事代主神ではなく蛭児神(蛭子神のこと)社の一つと数えられます。
また、その他にも、大阪のえべっさんで知られる今宮戎神社(大阪府浪速区)、鴨都波神社(奈良県御所市)(下鴨神社とも呼ばれる)、三輪恵比須神社(奈良県桜井市)と言った神社も事代主神を祀る神社として有名です。
恵比寿様の様々な説やご利益関してはこちらで解説しています。
また、恵比寿様を祀るお祭りのえびす講については、こちらで解説しております。
事代主命のご利益・御神徳
- 商売繁盛
- 開運
- 厄除け
- 福徳円満
- 病気平癒
- 海上安全
- 大漁満足
- 学業
- 歌舞音曲
事代主命のご神格
- 海の神
- 商業の神
- 言霊の神(託宣神)
事代主神(コトシロヌシ)の物語
事代主神は日本神話の中でとても重要な役割をする神様です。
そのため、事代主神の存在にまつわる様々な説もあります。
物語や様々な説について解説し事代主神の理解をさらに深めていきましょう。
事代主命の系図・神系・関係する神
- 大国主命(父)(大物主神と同一視)
- 神屋楯比売命(母)
- 高津姫神(母:タギツヒメと同一説)
- 建御名方神(タケミナカタ)(弟)
- 三嶋溝橛耳神(ミシマノミゾクヒミミノカミ)(妻の母)
- 玉櫛姫(タマクシヒメ)(妻)
- ヒメタタライスズヒメ(娘:神武天皇の后に)
- 神武天皇(義息子)
事代主神は神武天皇の后の父親であるだけでなく、さらに、事代主神の二人目の娘は、第二代綏靖天皇の后に。
また第三代安寧天皇、第四代懿徳大王にまで外戚として関係をするともされ、皇室と縁の深い神様とされています。
大国主命(オオクニヌシノミコト)と共に国造り
日本の国造りに着手し、その大事業をやり遂げたとして有名な神様と言えば、大国主命(オオクニヌシノミコト)です。
その大国主命(オオクニヌシノミコト)が大事業をやり遂げるにあたっては、スクナビコという神様や大物主神(オオモノヌシノカミ)、そして、今回見る事代主神(コトシロヌシ)と言った神様の協力があってこそです。
事代主神(コトシロヌシ)は大国主命(オオクニヌシノミコト)の18柱いる神々の中でも、特に信頼の厚かった神様で、様々な助言を大国主命(オオクニヌシノミコト)は事代主神(コトシロヌシ)から受けていたといいます。
その中でも最も大きな功績が、事代主神(コトシロヌシ)の国譲りの助言の話でしょう。
事代主の国譲りの助言
国譲りをした、類稀な神様として大国主命(オオクニヌシノミコト)が有名ですが、この国譲りを最終的に判断したのは事代主神(コトシロヌシ)なのです。
大国主命(オオクニヌシノミコト)が国造りの大業を成し葦原中津国(あしはらなかつこく/豊葦原瑞穂国)を治めたところに、天照大御神(アマテラスオオミカミ)が国を譲るようにと仰られます。
この時、天上界の高天原(たかまがはら)では、地上では神々が戦争をして治安が良くないとされていたため、地上の平定のために国譲りし天津神によって統治される国にすべきだと考えられたのです。
そうとは言っても、大国主命(オオクニヌシノミコト)からすると、国造りを成し遂げた後のこれからという時期であったことや、国造りの中で兄弟の八十神等を平定して造ってきた国でもあったので、すぐに移譲を決断できなかったのでした。
そのため、大国主命(オオクニヌシノミコト)はその返答を数度はぐらかしました。
その煮え切らない態度に、天津神を代表して、武勇に優れた建御雷神(タケミカヅチ)がやってくることになります。
建御雷神(タケミカヅチ)は大国主命(オオクニヌシノミコト)に国譲りはどうするかと十握の劔(とつかのつるぎ)の切っ先の先端にあぐらをかいて迫ると、息子の二人が国譲りに関して答えると返答を受けます。
その息子二人が事代主神(コトシロヌシ)と建御名方(タケミナカタ)です。
こうして、建御雷神(タケミカヅチ)は事代主神(コトシロヌシ)のところにやっていき国譲りについて質問にいくのでした。
国譲りの承諾と天の逆手
大国主命(オオクニヌシノミコト)の子である事代主神(コトシロヌシ)は美保岬で魚釣りをしているところでした。
イメージは恵比寿様が鯛を釣っているそのままです。
そんな時に、天鳥船神(アマノトリフネ神)に乗ってやってきた建御雷神(タケミカヅチ)に国譲りを迫られると、事代主神(コトシロヌシ)は国譲りをすぐに天津神に国を譲りましょうと承諾します。
そして、事代主神(コトシロヌシ)は船を踏んで傾け、天の逆手(アマノサカテ)を打って船を青芝が気に変えて、そこに篭りました。
その後、国譲りについては、大国主命(オオクニヌシノミコト)が意見を聞いて欲しいと言った建御名方(タケミナカタ)のところに、建御雷神(タケミカヅチノカミ)が向かい、相撲をすることになりました。
そして、この戦いに建御名方(タケミナカタ)は破れ、国譲りの承諾をしたといいます。
出雲の美保へ隠居
天の逆手(アマノサカテ/アメノムカエデ)で生まれた青垣は今でも美保神社に残っているとされています。
いずれにしても、大国主命(オオクニヌシノミコト)はこの後幽界に立ち退き、事代主神(コトシロヌシ)も国を譲ったのち、美保で隠居生活をします。
伊豆で国造り
事代主神(コトシロヌシ)は美保で隠居生活を行うようになるのですが、その後伊豆の国で国造りをすると言う神話もあります。
神功皇后の三韓征伐や壬申の乱での神託
神功皇后の三韓征伐の段や壬申の乱で、事代主(コトシロヌシ)が助言をした(神託を出した)ことによって勝利を得たという物語があります。
事代主神(コトシロヌシ)は熊和邇
また、神話の中で事代主(コトシロヌシ)は熊和邇という、大きなワニであったとされます。
国譲りの後、事代主神(コトシロヌシ)がワニに足をかまれるという説話があったり、
国譲りの後、事代主神(コトシロヌシ)は奈良に祀られて、熊和邇(八尋和邇)となって溝杭姫(玉櫛姫)の許に通い神武天皇の后を生むという物語も残っています。
事代主神(コトシロヌシ)にまつわる様々な話
ここまでは、事代主神(コトシロヌシ)について、古事記や日本書紀、先代旧事本記の中等に見られる事代主神(コトシロヌシ)の描写でした。
ここからは、この物語の裏にある事代主神という神様の姿について詳しく見ていきましょう。
事代主の別名一言代神は神の宣託を受ける神様を意味
事代主神は別名で言代神と表記があるとご説明しましたが、この表現は、事代主(コトシロヌシ)が神様のお告げを聞く力のあった神様であるという意味があります。
神様のお告げを聞く神様と言うと、わかりにくいですが、国津神の事代主(コトシロヌシ)は天津神の神様の言葉を聞く力があったという説があります。
この力があったことから、大国主命(オオクニヌシノミコト)も国造りや国譲りの際に、事代主(コトシロヌシ)の言葉をとても重要視したとも言われています。
事代主は国津神として唯一宮中八神に
事代主神(コトシロヌシ)は天皇の坐す宮中で祀られる8柱の中で唯一国津神として入っています。
この事代主神は、今回説明をした国津神の事代主とは別と言う見方もあって、宮中八神の事代主神は言葉を司る神様と言われてもいます。
しかし、同一と言う見方も存在しています。
それは事代主(コトシロヌシ)が国譲りを平和裏に進め、天皇家の治める日本の国への貢献が素晴らしかったという説と、次に見る事代主(コトシロヌシ)が天皇家と深い血縁関係があったと言う見方があります。
事代主と神武天皇から4代は濃い姻戚関係
事代主神(コトシロヌシ)の娘とされるヒメタタライスズヒメノミコト(媛蹈韛五十鈴媛命)は神武天皇に嫁ぎ、もう一人の娘は二代天皇、さらに事代主神(コトシロヌシ)の孫が三代天皇に嫁がれて、四代天皇の外祖父になると、4第にわたり天皇家と姻戚関係にあったとされます。
そのため、天皇家にとって重要な神だという説もあります。
また、事代主神(コトシロヌシ)は鴨(賀茂)氏の一族の出身地であり、葛城山の麓にある鴨都波(下鴨)神社にも祀られていることから、葛城王朝という天皇家の初代王朝にかかわりがあるとされています。
この部分に関しては、全国のカモ社(鴨、賀茂、加茂)の総本社である高鴨神社の公式HPに記載がありますのでご覧ください。
参考:http://www.takakamo.or.jp/about.php
※葛城王朝の節はあくまで議論されている説の一つです。
また、神武天皇の后については、日本書紀と古事記の中の記載で、大物主神(オオモノヌシノカミ)の娘とする記述もあります。
そちらについて詳しく知りたい方はこちらをご覧ください。
参考:大物主神(オオモノヌシ)とは?ニギハヤヒや大国主と同一説のある謎の多い神様を解説!
恵比寿様同一説と蛭子(ヒルコ)神の存在
現在私たちが恵比寿様と想像して思いつく見た目は、事代主神(コトシロヌシ)のイメージからやってきています。
一般的に恵比寿様と事代主神が同一と見られることが多いようですが、実は恵比寿様は日本神話の別の神様と同一なのではないかとも言われています。
それが、蛭子(ヒルコ)神です。
エビスとも呼べる蛭子という字を当てていることが恵比寿と関りがあると言わる要因の一つでもありますが、他にも蛭子神が同一視される理由があります。
蛭子神はイザナギノミコトとイザナミノミコトの許に第一柱として生まれましたが不具の子(何かしらの障害を持っていた)ために船に乗せて流されてしまう神様です。
※このため、子供として数えられません。
この物語と、恵比寿様がどうかかわるのかと言うと、日本では、漂着物をえびす様として信仰する風土がありました。
蛭子神も海に流された神様であることから、日本各地に漂着したという神話が残されています。
このことが恵比寿様と蛭子神を同一視する一因にもなっています。
いずれにしても、日本神話の中の物語で事代主神も釣りが好きな海に関わる神様で、どちらも恵比寿様に関係がありどちらか一方が正しいとは言い切れないのが現状です。
蛭子神(ヒルコ神)について詳しく知りたい方はこちらをご覧ください。
ヒルコ神(蛭子神)|恵比寿様と同一とされる神話に登場する不具の神様を解説
事代主と大物主・ニギハヤヒの同一説
事代主神(コトシロヌシ)は先ほど見た恵比寿様以外にも同一視される神様が複数います。
一柱は、大物主神(オオモノヌシ)です。
日本神話の中で、どちらも神武天皇の后である、神武皇后の父と表記がある神様で、どちらが本当の父親なのか?
それともそもそも同一の神なのか?と議論の分かれる神様です。
いずれも、奈良にある山で、賀茂氏族と関りがあると言われる神社、地域があります。
そもそも諸説があるので、何が正しいのかを断ずることはできませんが、事代主も大物主も奈良の地域にあった、豪族の存在を意味し、天皇家がその豪族の娘を后として向かい入れ懐柔したのだと考えられるというのが一般的な見解です。
また、ニギハヤヒという神様とも事代主は関係があるとされています。
ニギハヤヒとは?という方はこちらで詳しく解説していますのでご覧ください。
参考:ニギハヤヒ(饒速日命)とは?その正体や瀬織津姫が妻説など解説
こちらに関しては、日本神話においては全く記述がなく(そもそもそれぞれが出てくる年代が何百年ずれている)様々な推論に推論を重ねた説がたくさんあります。
ここではそれらの説は割愛させていただきます。