三毒とは|貪瞋痴(とんじんち)の意味を解説
三毒とは仏教において「苦しいの原因」となる煩悩の中で、最も根源的なものを意味します。
煩悩の数は108あると言われますが、特に重要視される三毒の意味やそれにまつわる教えについて今回は解説します。
三毒と言う煩悩「貪瞋痴」
三毒は、「貪瞋痴(とんじんち)」という言葉で表現されます。
貪瞋痴はそれぞれ、貪欲・瞋恚・愚痴(愚癡)と言う煩悩を意味する言葉です。
貪瞋痴の読み方や意味については後程解説していきます。
仏教では三毒・煩悩をなくすことができると
仏教では三毒に代表される煩悩をなくすことは、「苦しみの原因」を消滅させることと教えます。
つまり、煩悩をなくすと苦しみから解放され安らかで楽しい人生を歩めるようになるのです。
それでは、具体的に三毒や貪瞋痴の意味について解説していきます。
三毒の意味|貪瞋痴とはどんな煩悩か
三毒という言葉自体の意味をまずは解説します。
三毒とは、毒のように私たちの心を蝕み、清らかな心を失わせる原因となる三つの心の動き・煩悩を表します。
三毒によって毒された心では、私たちはこの世の苦しみにただただ苦しむだけの存在になってしまうのです。
三毒は私たちの様々な善いことをもたらす善根の真反対であり、三不善根とも言われます。
それでは、三毒という私たちを苦しめる原因となる、貪・瞋・痴について詳しく解説していきます。
三毒の貪|貪欲(どんよく)
三毒の貪は、貪欲の貪を意味します。貪り(むさぼり)とも言われます。
貪欲とは、現代でも使われる言葉ですが、
「欲しいものなどに対して、執着する心」を意味します。
私たちが人生を苦しいものだと感じるのは、私たちがあらゆるモノに執着するという煩悩が故です。
お釈迦様はこの世の真理を正しく見抜くことができるようになり、あらゆる物事に執着する心を捨てることができれば、苦しみから解放されると悟られました。
貪欲は煩悩の中でもあらゆる苦しみにつながる根源的なものと言えます。
良い服を着たい、良い生活をしたい、ささやかなもの事にでも、執着をするものがあるからこそ、それらが手に入れられない時、失った時に苦しいという感情が生まれるのです。
この世は諸行無常と諸法無我であるという真理に即して、物事を見ることができるようになれば、そういった貪欲も無くなるのだと言うのです。
ちなみに、三毒の貪欲の読み方は「どんよく」とも、「とんよく」ともどちらでも構いません。
貪欲の意味についてはこちらで詳しく解説しています。
貪欲の意味とは|実は仏教の教えでもある貪欲とは。英語表現等も解説
三毒の瞋|瞋恚(しんい)
三毒の瞋は、瞋恚の瞋です。瞋はいかりとも読みます。
瞋恚とは、
「怒ること、腹を立てること」を意味します。
仏教では、相手がどんなにひどいことをしてくるような人間であっても、腹を立ててはいけないと教えます。
仏教の教える、四苦八苦という人生の大きな苦しみの一つに「怨憎会苦(おんぞうえく)」という言葉がありますが、他人の中には理解できないような腹を立ててしまうような人も存在しています。
私たちは相当なことがない限り、他人とかかわらないと生きていけない生き物ですのでそういった理解できないような腹の立つ人間と出会うことも避けられません。
そんな人に出会ったとしても、腹を立てず、耐え忍ぶことが重要なのだとお釈迦様は教えています。
瞋恚についてはこちらでも詳しく解説しています。
瞋恚の意味とは|仏教の教えをわかりやすく。”瞋恚の炎”等の意味も解説
三毒の痴|愚痴/愚癡(ぐち)
三毒の痴は癡とも書き、愚痴(愚癡)を意味します。痴はおろかとも読まれます。
愚痴とは、
「真理を知らず、物事の理非の区別がつかないこと」を意味します。
現代では、愚痴と言うと「愚痴をこぼす」などとも言い、仕方のない不平などを言うことの意味ですが、仏教での愚痴の意味は「真理を知らないこと」になります。
貪欲の時にも出てきた真理という、この世の絶対的なルールを知らないことで、愚かな考えや、行動を起こすのだと言います。
例えば、若い自分でいたいという欲はほとんどの人が持っているものだと思います。
若さというものに執着する心、貪欲です。
この貪欲という毒によって、白髪が増えたり、しわが増えたりと老いていく自分を見て苦しみを覚えてしまいます。
しかし、そもそもこの世は諸行無常、どんな存在も変化していくという絶対的な真理があります。
もし、この真理を悟っているならば、そもそも自分の若さに執着する心は出ず、老いていく姿を見たとしても苦しみが生まれるということはありません
つまり愚痴であるがゆえに、苦しみが生まれているということです。
仏教の説く真理についてはこちらで解説していますのでぜひご覧ください。
諸行無常の意味とは|平家物語の”諸行無常の響きあり”の意味も含め簡単に解説
諸法無我とは|意味や簡単にイメージできる例で説明。諸行無常との関係とは
また、煩悩という言葉についてはこちらで詳しく解説しています。
煩悩とは”人生を苦しめる原因”|煩悩の意味と仏教の教えをご紹介
貪瞋痴(とんじんち)の意味するところ
三毒・貪瞋痴が意味するのはいずれも私たちの心が自然と持ってしまっている心の動きなのです。
意識をしなければ、心はすべて三毒を中心に煩悩にまみれたものとなってしまいます。
この煩悩まみれると言うのを、毒と表現して三毒と表記しますが、他にも「心が垢にまみれる」と表現され、三毒は三垢(さんく)とも表記されます。
煩悩にまみれると、人生はさらに苦しみばかりのものになるので、仏教では煩悩をいかにして抑え込むのかということを教えてくれるのです。
三毒をなくす方法
三毒をなくす方法ですが、現実では三毒を完全になくすことは人間にとって、ほぼ不可能でしょう。
仏教の本来の教えでは、三毒や煩悩はなくすと考えるのではなく、それらを抑える、制御すると考えます。
仏教では、四諦という根本的な教えの中で、滅諦(めったい)といい苦しみから解放されるには、その原因となる「煩悩を滅する」ことでこの世の苦しみから解放されると教えています。
しかし、それらの教えを書いた経典や般若心経などで「滅」が書かれた部分は、サンスクリット語だと「制する」と本来訳される言葉が使われています。(参考:般若心経 金剛般若心経 中村元 紀野一義 岩波文庫)
滅すると制するではかなり違いがあります。
心に三毒が生じることがあっても、滅することができていないと悲しむことはなく、三毒が生じたときに、それが広がらないようにしっかりと”制する”ようにするのです。
三毒を抑える方法は、言ってしまえば、仏教の根幹であり、文字で簡単にまとめられるようなものではありません。
また仏教とひとまとめに解説していますが、そもそも日本の仏教は大乗仏教と言い、タイやミャンマーなどの上座部仏教とは煩悩を抑えるための教えも違いがあります。
さらにお釈迦様が教えていたであろう頃の初期仏教からも、今の仏教の教えはかなり変化していると考えられますので、あくまで一例として、日本の仏教で三毒・煩悩を抑える方法の一つとして行われているものをご紹介します。
それが、「護摩行」です。
私たちの煩悩を焼き祓い、取り払ってくださる不動明王の前で、大きな火を焚き、そこに護摩木を投げ入れて自らの煩悩を焼き祓ってもらうというものです。
護摩行はその煩悩を焼きはらうだけでなく、心願成就のご利益にも預かれるというものです。
三毒/貪瞋痴(とんじんち)にまつわる話
三毒、貪瞋痴に関わる仏教の教えなどをご紹介いたします。
三毒煩悩と鬼
三毒とは、私たちの心に巣くう鬼であるという教えがあります。
節分に行う豆撒きは、そんな心の中の鬼を外に追い出すものだという解釈もあります。
三毒を動物で表現すると
チベット仏教においてなどでは、三毒を動物で表して、
- 貪→鶏
- 瞋→蛇
- 痴→豚(猪)
という絵が描かれています。
その絵では、私たち人間が三毒を根源とする煩悩によって苦しみの世界を輪廻していると表現されています。
三毒と五欲
五欲とは、私たちの根本的な欲求を意味します。
五欲とは、
- 食欲
- 財欲
- 色欲
- 名誉欲
- 睡眠欲
上記のような欲求が無くなってしまったら、生きることも、生きるために頑張ることもできなってしまいます。
ただし、三毒のように、欲求はひとたび制することが無くなればどんどんと大きくなり歯止めが利かなくなります。
なくすのが目標ではなく、欲求を持つことも人であることを認識し、中道といい「ちょうどいい」状態を保つのが大事です。
つまり、これらの欲求に飲み込まれないようにするのと同時に、欲求をなくそうとしすぎないというのが良いということです。
煩悩や欲望について仏教では様々な数字が出てきますが、それらについてはこちらで解説していますので、ぜひご覧ください。
煩悩の数について|煩悩が108種類とする意味や由来,他の煩悩の数の説など解説
三毒と十悪
十悪とは、人間が自分の身(行動)、口(言葉)、意(考え)で作ってしまう悪のことを言います。
実は三毒の貪瞋痴の内の2つは十悪にも属しているのです。
十悪とは、
- 殺生(せっしょう):命あるものを殺すこと
- 偸盗(ちゅうとう):盗みを働くこと
- 邪婬(じゃいん) :浮気すること
- 妄語(もうご) :他人をたぶらかすこと
- 両舌(りょうぜつ):二枚舌を使うこと
- 悪口(あっく) :他人をののしること
- 綺語(きご) :飾り立てた意味のない言葉を使うこと
- 貪欲(どんよく)
- 瞋恚(しんい)
- 邪見(じゃけん) :この世の真理、因果の道理を無視すること
この世の中は、良いことをすれば、良い結果になり、悪いことをすれば、悪い結果になるという因果の世界に成り立っています。
三毒などの煩悩を制し、良いこと言動や考えを持つようになれば、自然と良い結果が生まれるのです。
愚痴である私たちはそういった因縁の世界(縁起の法)を知らないがゆえに悪を行い、苦しみと言う結果を招いているのです。
この世の成り立ち方についての仏教の教えはこちらで解説していますのでぜひご覧ください。
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