広目天とは|東大寺の広目天像やご利益を解説
広目天とは仏教の神様の天部に属し、仏様・仏法の守護神である四天王の一柱です。
四天王と言えば、多聞天(毘沙門天の名で知られる)が有名ですが、東大寺の広目天像は仏像ファンの中でも人気の高い像と言われます。
今回は、そんな広目天とはどんな神様なのか、ご利益やご真言と言った情報に加え、
仏教の世界における四天王という存在はどんな存在か、
そして広目天とは四天王の中でどんな役割の神様かご紹介します。
また、広目天像の解説もいたしますので、ぜひこれを見たら広目天像・四天王像を見にお寺にお参りをしてください。
広目天の読み方は「こうもくてん」
広目天は「こうもくてん」と読みます。
この名前は漢訳で、本来はインドの神様だった広目天のサンスクリット語の意味からつけられたものです。
この名前の由来は、広目天像の像容にも関わるとても重要なところです。
広目天の由来
広目天の由来となったインドの神様のサンスクリット語名(梵名)は「ヴィルーパークシャ」と言います。
このサンスクリット語の意味は「様々な眼を持つもの」や「特殊な眼をもつもの」を意味する言葉です。
この意味から、広目天は千里眼もしくは浄天眼という千里を見通す眼力を持つという解釈がなされ、漢訳にて広目天という名前が付けられたとされます。
広目天の別名
広目天は、毘楼博叉天(びるばくしゃてん)という名前でも呼ばれます。
この名前は、サンスクリット語の「ヴィルーパークシャ」を音訳した名前です。
千手観音菩薩を守護する二十八部衆という天部の神様のグループの中では広目天とは呼ばれず、毘楼博叉天(びるばくしゃてん)の名前の仏像が見られます。
ちなみに、広目天が毘楼博叉天(びるばくしゃてん)と呼ばれるように元々天部の神様はインドのバラモン教やヒンドゥー教の神が由来となるため、サンスクリット語の音を漢字に置き換えた音訳の神様が見られます。
例えば、毘沙門天(びしゃもんてん)や荼枳尼天(だきにてん)もその一つです。
ちなみに、異なった眼をもつものとも訳され、醜目天とも呼ばれます。
広目天とは「仏様/仏法の守護神」
広目天とはどんな神様なのかを解説していきます。
本来はインドの神様とご紹介しましたが、元々はインドラという雷神・武闘の神の配下にいた神様です。
この神様が、仏陀の教えである経の中で、仏の教えに帰依し仏を守る神様の中で最強とされる四天王の一柱の広目天になったとされます。
仏陀の入滅後は、仏教の教え(=仏法)の守護神となります。
広目天をさらに理解するために、仏教の世界観と四天王はその世界においてどのような役割なのかをご紹介します。
これを理解すると、仏像を見るときにさらに楽しめるようになると思います。
広目天と四天王
広目天は四天王の一角を担うとご紹介しましたが、そもそも四天王とは仏教の教えでどのような役割なのかをご紹介します。
ちなみに、徳川四天王や、日常やアニメやゲームに出てくる四天王という言葉はこの仏教の四天王という言葉が語源です。
広目天を含む四天王の役割
広目天を含む、四天王という仏教の神様は「仏様・仏法の守護神」という性格と、仏よりも衆生(人間等)に近い存在として、私たちの悩みなどを聞いてくださり、現世利益という私たちの願い事を聞き届けてくれる福徳神という存在です。
これは四天王にかぎらず、天部の神様はほとんどがこの守護神・福徳神に当たります。
仏教の神様である天部とはどんな存在かを知りたい方はこちらをご覧ください。
天部とは|仏教の守護神、天部衆の神様の種類や信仰,有名な仏像を紹介
それでは、他の天部の神様と四天王は何が違うのかということをご理解していただくために、仏陀が説いた仏教の世界観について簡単にご紹介します。
仏教の世界観
仏教の世界観をすべて理解するのは、到底難しいので、一部をかいつまんでご紹介します。
仏教世界では、この世は丸い円盤で、その円盤の中央に須弥山(しゅみせん)という山が存在しています。
この須弥山は天部という仏教神々が住む山で、この山の上の宇宙に仏様の世界があると考えます。
四天王はこの須弥山という聖なる山の麓にいて、この山を登ろうとする悪はいないか睨みを利かせているという存在です。
つまり、天部の神様は仏様や仏法の守護神として須弥山にいて、四天王はその中でも最も外敵に近い場所で守護する役割になります。
ちなみに四天王は、帝釈天という神様の配下に当たる神様です。
この帝釈天はインド神話においてインドラという雷神で、インド神話の設定そのまま、帝釈天の配下に広目天などの四天王がいるのです。
帝釈天は、須弥山の山頂にある帝釈天の居城「喜見城(きけんじょう)」におられます。
四天王とは|広目天 持国天 増長天 多聞天
四天王は広目天以外に持国天、増長天、多聞天という神様がいます。
これらの神様は、東西南北四方に分かれて須弥山の麓に居られます。
それぞれの配置は次のようになります。
天部の四天王 | 守る方位 |
持国天(じこくてん) | 東 |
増長天(ぞうちょうてん) | 南 |
広目天(こうもくてん) | 西 |
多聞天(たもんてん) | 北 |
広目天は須弥山の西方、西牛貨洲(せいごかしゅう)という場所を守護しています。
広目天や四天王の神々は、一柱だけでその方位を守護するのではなく、下に配下(眷属)を連れていて、それら眷属と共に守護しています。
さらに四天王についてさらに詳しく知りたい方はこちらをご覧ください。
四天王とは|四天王像の見所や毘沙門天を含む仏教の守護神を解説
広目天は龍を配下(眷属)に
広目天の眷属は龍王(梵名:ナーガ)がいます。
仏教世界には様々な龍王という龍神の神様が存在しますが、それらの龍衆を従えて西方を守護するのです。
さらに広目天の眷属には、富單那(ふたんな)という魔物もいます。
四天王はそれぞれ、魔物や夜叉や邪鬼という鬼など、元々仏を犯す悪の存在を従えています。
これらの鬼たちは、仏の教えに調伏されて、今は逆に四天王と共に仏法を守護する存在になっているのです。
広目天以外の四天王についても簡単にご紹介しましょう。
持国天(じこくてん)
東方を守護するは持国天という四天王です。
眷属には、乾闥婆(けんだつば)、毘舎闍(びしゃじゃ)という鬼を従えます。
持国天について詳しく知りたい方はこちらをご覧ください。
持国天(四天王)|ご利益/ご真言や持国天立像の特徴・訪れるべきお寺をご紹介
増長天(ぞうちょうてん)
南方を守護するは増長天という四天王です。
眷属には、鳩槃荼(くばんだ)、薜茘多(へいれいた)と言った鬼を従えています。
持国天と増長天は四天王から独立して二天像として配置されることもある武闘派の神々です。
増長天について詳しく知りたい方はこちらをご覧ください。
増長天とは|四天王の役割やご利益やご真言、増長天立像の見所を解説
多聞天/毘沙門天(たもんてん/びしゃもんてん)
北方を守護するは多聞天という四天王です。
眷属には、夜叉(やしゃ)、羅刹(らせつ)という鬼を従えます。
多聞天は毘沙門天(びしゃもんてん)として知られ、独尊で祀られる時に毘沙門天と呼ばれ、四天王の中では多聞天と呼ばれます。
四天王最強の神であり、仏陀の教えをよく聞くものという意味を持つ重要な神様です。
多聞天についてはこちらで詳しく解説していますので、気になる方はご覧ください。
多聞天とは|毘沙門天と知られる四天王のご利益や仏像の有名寺院を紹介
福の神として祀られる毘沙門天と祀られるご利益やその由来等についてはこちらで詳しく解説しています。
毘沙門天とは|ご利益・ご真言・七福神としての意味や信仰の歴史を解説
東大寺には広目天と多聞天(毘沙門天)の二天像も
広目天は基本的には、多聞天が毘沙門天として祀られるように御尊像になることはありません。
また、持国天と増長天のように二天像となることもあまりありませんが、東大寺の大仏殿には、広目天と多聞天の像だけがあります。
これらの像をさらに楽しく鑑賞できるように、ここからは広目天の姿、広目天像の配置と仏教の世界観の表現について詳しくご紹介します。
広目天像|画像付き解説
広目天像は他の四天王と大きく違う点があるなど、とても特徴的な仏像です。
広目天像の像容
冒頭にもありましたが、広目天像と言えば、最も有名なものは東大寺の戒壇堂の広目天立像です。(以下の画像)
この広目天立像の特徴は、何と言っても鋭い眼光です。
他の四天王像の多くは、眼を見開き、いかにも怒っている顔(忿怒相)をしていて、悪が仏法を汚さないように見張っています。
例えば、こちらは持国天の像ですが、このような顔をしています。
それに比べると、広目天の像の顔は異様に涼しく見えます。
しかし、眼光は鋭く、千里眼/浄天眼にて様々なもの事を見極めているというのが伝わる表情をしています。
この目で遠くまで見通し、仏法を守り、私たち衆生を見守ってくださっているとされます。
服装は、中国風の武将の服装をしていてスタンダードな神将像の姿です。
東大寺戒壇堂 広目天立像について
現在の東大寺戒壇堂に配置されている広目天立像は、度重なる火災によって本来金属製だったものが失われ、土で作られた塑像です。
しかし、戒壇堂自体は天平時代-聖武天皇時代の文化を今に伝えるものとして、生の広目天像を見ることができます。
東大寺の戒壇堂の拝観時間は以下の通りです。
大仏を見るのも良いですが、ぜひ広目天像を含む四天王像をご覧ください。
4~10月 | 11月~3月 |
7:30~17:30 | 8:00~17:00 |
ちなみに拝観料は小学生は300円で中学生以上は600円です。
広目天像の持ち物
少々話はずれましたが、東大寺戒壇堂の広目天像は顔だけが大きく違うわけではありません。
広目天像の持ち物(三昧耶形と言う)が他の四天王と全く違うのです。
他の四天王は剣や戟(ほこ)、金剛杵という仏教の武器など、戦うための武具を手にしています。
しかし、広目天像は右手に筆と左手に巻物を持つのが一般的です。
広目天が持つ筆の意味
この広目天像の持ち物については様々な解釈がありますが、「金光明経四天王品」というお経の中の解説によれば、四天王は仏様を外敵から守護するだけでなく、衆生を見守る、見張る役目をしておりそれらの報告を帝釈天にしているとされます。
広目天は四天王の中でも特に本質を見極める目をしているとされうことからも、帝釈天へ報告するために筆を執り記しているのかもしれません。
後程詳しく解説しますが、他にもある国宝など有名な広目天像は剣や戟を持ち眼を見開き外敵を威圧するような姿のものもあります。
また、武器を持つ広目天のもう片手には羂索(けんさく)というロープを持つ場合があります。
それらの違いを知ってみるのも楽しいですね。
広目天像の足元の邪鬼
また、四天王像に共通している注目ポイントは手と顔以外に、足元にもあります。
四天王像によっては足が台についておらず、邪鬼という鬼を踏んづけているものがあります。
これらの邪鬼は四天王が眷属として連れている鬼などの存在で、仏教に帰依し、今では仏教の守護をする存在です。
決して悪い存在ではありませんが、四天王の威圧する姿を強調するためか、足元で邪気が苦しそうに、時には不適な笑みを浮かべて踏まれています。
ぜひ広目天像や四天王像の足元の邪鬼に注目してみてください。
広目天の守る須弥壇の世界観
広目天像や四天王像を見るときは、その像の姿以外にも楽しむポイントがあります。
それは、四天王像が配置される場所は仏教の世界観を表現した場所だということです。
四天王像の中心には、台がありその台に如来像や菩薩像が安置されます。
この台のことを須弥壇(しゅみだん)と言います。
前述した、仏教の世界観において世界の中心にある須弥山から名づけられたものです。
須弥山と広目天や四天王の方角の関係はご紹介した通りです。
広目天は西の方角に配置される
四天王像の配置は、仏教の世界観を表現するために、須弥壇を中心として東西南北(実際は広目天は西南などの方角に置かれたりする)を意識して配置されています。
この四天王像の内側は、仏教の神様が住む須弥山という尊い場所であり、さらに須弥山よりもはるか上空(宇宙)にあるとされる極楽浄土(仏の世界)が表現されているのです。
1300年以上も昔の人々が、想像して作った夢の極楽浄土がそこに表現されていると考えると、細かな細工や全体の雰囲気なども一層楽しめますね。
広目天のご利益とご真言
広目天のご利益は次のものがあると考えられています。
- 知恵授かり
- 国家安泰
広目天が、あらゆるものを見通す千里眼を持つということから、物事の本質を見極める、知恵をつけるという考えに発展したと考えられます。
広目天のご真言
おん びろばくしゃ のうぎゃ ぢはたえい そわか
広目天の梵字
広目天は梵字では「ビー」という言葉で表されます。
広目天の仏像が有名な寺院(奈良/京都)
広目天の仏像の知識やご利益をご紹介しましたので、ぜひ本物の広目天の仏像を見に行ってみてください。
ここでは、有名な広目天像を配置する寺院をご紹介します。
有名なものが奈良と京都に集中しているので、遠方の方は中々行けないかもしれませんが、ぜひ一度足を運んでもらえればと思います。
東大寺|広目天立像
先ほどもご紹介しましたが東大寺の広目天立像は筆と巻物を持ち、他の四天王とは一線を画す広目天を見ることができおすすめです。
国宝にも指定されていて、古来の日本の美術の粋を集めた仏像は圧巻です。
ちなみに、東大寺には広目天の仏像がもう一つあります。
それは大仏殿の大仏(盧舎那仏)の後方にあって、多聞天の像と二天像をなしています。
こちらは戒壇堂とはまた違う、江戸時代の作なので武将姿もより豪華です。
参考:東大寺の公式ページ
法隆寺|広目天立像で現存する日本最古
東大寺の広目天立像ばかりご紹介していましたが、他の寺院の広目天像もとても見応えがあります。
法隆寺の金堂にある四天王像は、日本に現存する四天王像最古のもので、他の四天王像とは全く違う姿をしています。
四天王像は大体鎧を着た武将の姿をしていて神将像や武人形などと言われますが、法隆寺の金堂の四天王像は中国の貴族のような服装をしている貴人形です。
インドで発祥した当初などの本来の四天王像はこのような貴人像だったとされます。
法隆寺の広目天像は奈良時代という時代を感じるだけでなく、仏教の長い歴史の変遷をも感じさせるものです。
参考:法隆寺 金堂 四天王像
東寺 講堂|四天王像 広目天像
東寺の講堂の仏像は四天王像も含め圧倒的です。
個人的には最もおすすめの場所です。
というのも、東寺の講堂は立体曼荼羅と呼ばれ、仏教の世界観を3Dで感じることができるようになっています。
曼荼羅とは、密教における仏教の世界観を表現したもので、真ん中に如来、その外に向かって菩薩や明王、天部という神々が配置されます。
東寺の講堂内はそれを表現しているもので、入ったと同時に全くの異世界と感じるほどの雰囲気を醸しています。
東寺の広目天立像は平安時代の作で、筆は持たず三叉戟という三又の鉾を持ち威圧的な像容です。
参考:参考:東寺 講堂 天、菩薩、明王、如来
興福寺|国宝 広目天立像
興福寺の広目天像も有名です。
国宝の広目天像と、重要文化財の木造広目天立像があります。
興福寺と言えば阿修羅像が有名ですが、四天王像もぜひご覧ください。
参考:興福寺 木造広目天立像
三十三間堂|国宝 毘楼博叉像
四天王像ではなく、二十八部衆という千手観音菩薩を守護する仏像の毘楼博叉像は広目天を意味します。
鉾を立て、さらには口を開けて、いかにも悪を成敗するという気迫を感じる像になっています。
参考:三十三間堂 二十八部衆
広目天や広目天像を知り仏像を楽しみましょう
四天王は聖徳太子が始めて官制寺院として四天王寺に四天王を祀った約1400年も前から祀られる神様です。
※民間で祀っていた寺院はそれ以前にあります(例:信貴山朝護孫子寺)
そのため、全国の寺院で広目天像を含む四天王像は見ることができますが、今回はその中でも国宝指定されているなど有名なものをご紹介しました。
採色されている広目天像(肌色が多い)や四天王像も迫力があって良いですし、古い法隆寺のような厳かな四天王像も見ごたえがあります。
一度見ていたとしても、広目天という神様がどんな神様かわかった今の状態でまた見てみると感じ方も変わり楽しめるのではないかなと思います。
ぜひ古来から信仰されてきた四天王という存在を生で見てみてください。