タケミナカタ(建御名方神)|国津神最強の神・諏訪大明神・龍神でもある神を紹介

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タケミナカタ(建御名方神)は龍神をも倒す国津神最強の神

タケミナカタ(建御名方神)という神様は、国津神という日本に古来からいた神様で最強の神様と言われます。

古くは、神功皇后、坂上田村麻呂、さらに武田信玄もタケミナカタ(建御名方神)を軍神として祀り、崇めていたほどの神様です。

しかし、日本神話の中ではタケミカヅチという神と相撲をして、負けて死ぬ間際まで追い込まれます。

今回は、そんなタケミナカタ(建御名方神)の日本神話の中の話や、実はタケミナカタ(建御名方神)は他の神様であったという諏訪大明神としての一面などを詳しくご紹介します。

タケミナカタ(建御名方神)の別名・読み方

タケミナカタ(建御名方神)は別の漢字では、

武南方神(タケミナカタノカミ)
と表記をしたりします。他にも別名で、

建御名方富神(タケミナカタトミノカミ)
南方刀美神(ミナカタトミノカミ)
諏訪大明神
お諏訪様

と言った名前でも呼ばれています。

タケミナカタ(建御名方神)を祀る神社

などの神社がタケミナカタ(建御名方神)をお祀りしています。

全国でも1万社を超える諏訪神社の総本宮である諏訪大社にはタケミナカタ(建御名方神)についての興味深い神話が残されています。

タケミナカタ(建御名方神)のご利益・御神徳

  • 武運長久
  • 交通安全
  • 国土安寧
  • 五穀豊穣
  • 盛業繁栄
  • 狩猟守護
  • 子孫繁栄

タケミナカタ(建御名方神)のご神格

  • 軍神
  • 水の神
  • 風の神
  • 農耕の神
  • 山の神
  • 狩猟の神

タケミナカタ(建御名方神)は日本神話の中の話や長野の諏訪の地方に古くからある神話の物語から、様々な神様としての側面を持っています。

タケミナカタ(建御名方神)の古事記や日本書紀の神話の物語

古事記や日本書紀(いわゆる記紀)の中でのタケミナカタ(建御名方神)の描写をまずはご紹介します。

その前に、タケミナカタ(建御名方神)と関係する神様の情報についてまとめておきます。
記紀の中でも表記が様々ありますので、最も一般的な情報をまとめてます。

タケミナカタ(建御名方神)の系図

タケミナカタ(建御名方神)とタケミカヅチ(建御雷神)の相撲

タケミナカタ(建御名方神)は大国主命(オオクニヌシノミコト)の子供として登場します。

登場する場面は、大国主命(オオクニヌシノミコト)が葦原中津国(葦原瑞穂の国)、いわゆる今の日本を国造りをしたところに、天照大御神(アマテラスオオミカミ)が遣いを送ります。

「あなたの作り上げた国を愛と慈悲によって天津神が治める国にするので、譲りなさい」と伝えてきます。

大国主命(オオクニヌシノミコト)は何度かこの言葉の返答をはぐらかします。(使者に自分の娘を娶らせたりします)

幾度かの答えがなかったため、天照大御神(アマテラスオオミカミ)は天津神最強と呼ばれる建御雷神(タケミカヅチ)を使者に送ります。

建御雷神(タケミカヅチ)は大国主命(オオクニヌシノミコト)の前にやってくると、地面に十握の剣(とつかのつるぎ)を刺して、その剣先にあぐらをかき、威圧的に国譲りについての返答を求めます。

すると、大国主命(オオクニヌシノミコト)はその答えは我が息子の事代主神(コトシロヌシ)とタケミナカタ(建御名方神)が答えると言います。

建御雷神(タケミカヅチ)はすぐに事代主神(コトシロヌシ)のところに行き、問うとすぐに了承を得ます。
この時に物語について詳しく知りたい方はこちら
事代主神(コトシロヌシ)とは?恵比寿様との関係やご利益・祀られる神社をご紹介!

その後、大国主命(オオクニヌシノミコト)のところに戻り、建御雷神(タケミカヅチ)が話していると、

タケミナカタ(建御名方神)が、千曳の石(千人が引っ張ってやっと動くような巨石の意味)を引っ張ってきてこう言います。

「そこでひそひそ話をしているのはだれだ」と。

そして、国譲りについて聞き、国譲りは承服できないと言い相撲を取ろうと建御雷神(タケミカヅチ)に力比べを提案します。

タケミナカタ(建御名方神)とタケミカヅチの相撲

この時の力比べが、日本の相撲の起源とも言われる、日本神話の中でも重要な戦いです。

タケミナカタ(建御名方神)は千曳の石を引っ張って登場してくるほどの力持ちで、国津神の中では最強の力を持っていました。

タケミナカタ(建御名方神)の腕を氷や剣に

しかし、建御雷神(タケミカヅチ)は相撲を始めるとすぐに、タケミナカタ(建御名方神)の腕を氷に剣にと変えてしまいます。

さらに、力自慢のタケミナカタ(建御名方神)の腕を葦のように(やわらかい草のように)ぐにゃっと曲げながら投げ飛ばしてしまいます。

タケミナカタ(建御名方神)は恐れをなして、逃げ出しますが建御雷神(タケミカヅチ)はそれを追いかけます。

タケミナカタ(建御名方神)が諏訪湖に追いつめられる

タケミナカタ(建御名方神)は科野の国・洲羽の海(現在の長野県の諏訪湖)まで逃げてきますが、ついに建御雷神(タケミカヅチ)に追い詰められ殺されそうになります。

そして、タケミナカタ(建御名方神)は観念し次のことを守るといい命を救われます。

  • 今後は大国主命、事代主神の言うことを聞く
  • 葦原中津国は天津神に譲る
  • 自分はこの諏訪湖から絶対に出ないこと

 

こうしてタケミナカタ(建御名方神)は諏訪湖から絶対にでないという誓いを立て、現在の諏訪大社に祀られることになります。

タケミナカタ(建御名方神)の諏訪神社に伝わる神話

先ほど見たタケミナカタ(建御名方神)の姿は古事記にある描写です。

しかし、タケミナカタ(建御名方神)が祀られる諏訪大社では明神入諏神話という、全く別の神話があります。

また、この神話を元に作られた諏訪大明神画詞の中でも全く違ったタケミナカタ(建御名方神)が描かれます。

諏訪大明神画詞(すわだいみょうじんえことば)の存在

この絵は訪大社の大祝(おおほふり)という神主が鎌倉時代に書いた明神入諏神話を元に作った絵です。

この絵や物語ではタケミナカタ(建御名方神)が建御雷神(タケミカヅチ)に追われて諏訪の地にやってきたことが書いていないばかりか、出雲の国からタケミナカタ(建御名方神)がやってきたということさえ描いていません。

さらに出雲国風土記や出雲国造神賀詞という、出雲の国に伝わる様々な伝承の中にタケミナカタ(建御名方神)が出てきません。

そのため、タケミナカタ(建御名方神)という神様は中央政府(大和朝廷)によって出雲の国の出身で、建御雷神(タケミカヅチ)に負け、諏訪大明神としてまつられるようになったと言う物語にされ、朝廷の正当性を誇示するために利用されたと考える説もあります。
※タケミナカタ(建御名方神)は出雲や大和の勢力が関東に入りこむ前から土着の神様として祀られていたとされます。

いずれにしても、タケミナカタ(建御名方神)という神様が諏訪後ではどのような神様として伝承があるのかを見ていきましょう。

タケミナカタ(建御名方神)と蛇神の伝説

タケミナカタ(建御名方神)には様々な武勇を誇る物語があります。

先ほど見た諏訪に伝わる神話の中で、タケミナカタ(建御名方神)は稲作文化を持つ民族として、この地に先住していた狩猟民族と戦いをすると言う物語があります。

先住民にはミシャグチ信仰と呼ばれる土着の神様を祀る風習があり、モレヤ神(=洩矢神)がこの地の首長で、その他に、蛇神のソソウ神、チカト神と言う神様を祀っていたとされます。

これらの神を倒して、タケミナカタ(建御名方神)はこの地を手に入れますが、この地の首長であった洩矢神と協力して諏訪の地を治めることになります。現在洩矢神の子孫の守矢氏が諏訪大社の神長官という役職を担って、神社を運営しています。

タケミナカタ(建御名方神)にまつわる様々な話

タケミナカタ(建御名方神)は古事記の記述以外にも様々な伝説を持つ神様と言うことを見ましたが、他にもタケミナカタ(建御名方神)にはたくさんの物語があります。

諏訪大明神としてのタケミナカタ(建御名方神)の姿

タケミナカタ(建御名方神)は日本神話の中では、建御雷神(タケミカヅチ)に大きく負ける神様のため、強いという印象は強くありません。

しかし、タケミナカタ(建御名方神)はその後の歴史の中でとても重要な局面で登場をします。

平安時代、東北の蝦夷と呼ばれる朝廷に歯向かう土着民の征伐に出かけた将軍坂上田村麻呂は諏訪大社に戦勝祈願のお参りをします。

その後、戦場にて坂上田村麻呂は諏訪の神が参戦をし、神威によって大いに敵を打ち負かしたとされます。

また、戦国最強の大名である武田信玄公を含む多くの侍が軍神として拝んだ神様で、日本神話の物語と実際の信仰はかなり違いがあります。

鹿島神宮(タケミカヅチの祀られる神社)はタケミナカタ(建御名方神)を見張っている

また、タケミナカタ(建御名方神)を祀る諏訪大社を含む多くの神社は南向きに神殿が造られます。

しかし、日本では珍しい西向きの神社が存在しそれがタケミナカタ(建御名方神)と関係が深いとされます。

それが鹿島神宮です。
鹿島神宮は建御雷神(タケミカヅチ)を祀る神社で、茨城県にある神社ですが、その西にあるのが「諏訪大社」です。

これは、諏訪湖からは出ないと建御雷神(タケミカヅチ)に誓ったタケミナカタ(建御名方神)を監視するという役目を持っているからと言われています。

ちなみに、建御雷神(タケミカヅチ)は藤原氏の祖である中臣氏の祖に当たる神とされているため、日本神話の中で中臣氏の正当性を強く主張するためにタケミナカタ(建御名方神)を倒したというエピソードが創造されたという説もあります。

タケミナカタ(建御名方神)は蛇神様・龍神様?

タケミナカタ(建御名方神)は蛇神様、龍神様として描かれたり、実際にそれらの神様として祀られたりすることがあります。

この理由としては、タケミナカタ(建御名方神)が水・風の神という側面を持つことに加え、以下の物語や伝説によって同一視されたり、関係があると考えられます。

  • 先ほど見たミシャグチ(ミシャグジ)と言う土着の神様の信仰の中の蛇神様をタケミナカタ(建御名方神)が倒すという物語
  • 甲賀三郎という男が、地底の国をさまよった後、地上に出たときに蛇神となって諏訪湖の神になったという物語
  • 元々、諏訪湖には龍神が住んでいて、タケミナカタ(建御名方神)がその龍神を倒し、この地を安全な地にしたという伝説
  • 諏訪湖に龍神が住んでいて、元寇という国難の際、龍神様が諏訪湖から西に出てゆき、神風(台風と考えられる暴風雨)を起こして元の大軍に大ダメージを与えたという物語

などなど、諏訪の地域には古くからある龍神様、蛇神様を祀るという伝説が、いつしか龍神様、蛇神様という独立した神ではなく、タケミナカタ(建御名方神)と同一視・関係する神とされたのではと考えられます。

諏訪の地はタケミナカタ(建御名方神)の存在も大きいですが、龍神様・蛇神様の信仰も厚い特別な地域であると言えます。

神無月は諏訪では神有月

最後にタケミナカタ(建御名方神)にまつわる、不思議な話をします。

日本では、10月を古来神無月(かんなづき)と呼んでいました。
これは10月に出雲(島根県)で八百万の神様が一年に一回集まって会議をするため、日本中の神様が出雲以外からいなくなることが由来です。

そのため、出雲では10月を神有月と呼びます。
みなさんも学生のころに聞いたかもしれません。

しかし、出雲以外にもう一地域10月が神有月と呼ばれる地域があります。
それが諏訪です。

諏訪で神有月と呼ばれる理由には、

  • タケミナカタ(建御名方神)がこの地を出ないと誓いを立てたことを守っている
  • タケミナカタ(建御名方神)の体が大きすぎて他の神が諏訪の地にいてもいいと伝えた
  • 龍神様として表記されているが、体が大きすぎるという上記で見たタケミナカタ(建御名方神)と同じ理由で諏訪の地にいても良いとされた

と言った伝承がありますが、諏訪の神は10月も諏訪の地にいるようですね。

 

タケミナカタ(建御名方神)まとめ

いかがでしたでしょうか?

タケミナカタ(建御名方神)には様々な物語があり、龍神様と考えられたり、そもそもタケミナカタ(建御名方神)はこの地に元々いた神様という神話もあり、とても興味深い神様でした。

古事記や日本書紀の中のメジャーな日本神話の中の物語だけでは、その神様の本当の姿はわからないのですね。

奥深い世界が日本神話の中にはあるのだとタケミナカタ(建御名方神)の物語で思っていただけるとさらに日本の神様の物語の理解が深まると思います。